86.シエラ、恋バナをする?
その話が学園内に広まるのにも、さほど時間はかからなかった。
騎士団長のクーデターの疑惑に加え、娘であるリーゼと《聖騎士》であるフィリスの逃走。
聖騎士と呼ばれる者は王国にも五人しかいないという。
そんな者達が王国を裏切ったというのだから、動揺は走るのは当然だ。
アルナもまた、落ち着いた様子ではなかった。深刻そうな表情で、アルナとローリィが話している姿をよく目にする。
おそらく、特に慌てた様子がないのはシエラくらいのものだろう。
(クーデター、たまに聞く話だ)
父であるエインズと各地を回っていた――そういうことも決して起こらないことではない。
今回の話は、騎士団長であるルドル・クロイレンが王国騎士団の参謀であるマイズ・フィグリスを殺害した、という話だ。
数人の騎士がルドルの姿を目撃している。その後、ルドルは家族といるところを拘束されたという。
妻のミナーシャと娘のリーゼが近くのレストランにいて、ルドルはマイズを殺害後に家族と合流した――そういうことになっている。
その時、近場にいた人間をリーゼとフィリスが殺害して逃走したというのだが、シエラからしてみても腑に落ちない点が多い。
(王城で殺してからレストランで合流……そこの動きがそもそもおかしい。クーデターだというのなら、動いた時点で行動するはず)
それに、レストランで無関係な人間を殺害した、というところおかしい。
リーゼとフィリスには、シエラも一度会っている。
会合の時に会話を耳にした程度だが、何も考えずに行動するようなタイプではなかった。
お菓子のことばかりに気を取られているようで、シエラはきちんと他の《王位継承者》のことについても見ている。
少なくとも、今の状況でクーデターを起こすことはリーゼにとってもメリットにはならない。
何せ、彼女はそうしなくても王国騎士が味方なのだから。
今の状況では、ただ敵を増やして終わったしまった状態になる。
「リーゼさんは無事かしら……」
お昼休み、屋上に集まったシエラとアルナとローリィの三人は、昼食を摂りながら話を続ける。
「クロイレン家は仮にも敵だ。心配することなんてないよ」
「そうだけれど……どうにもおかしいと思うのよね」
「おかしいって、クーデターの話?」
「だって、そうでしょう。実際に会合で話をしたけれど、リーゼさんはそういうことをするような人ではなかったもの」
「騎士団長が勝手にやったことかもしれないじゃないか」
「それは、そうだけど。それこそ変だわ。ルゼル・クロイレン様と言えば、騎士としても誠実な方で……」
「アルナちゃん。気持ちは分かるけど、僕達が心配するべきは僕達の今後のことだよ。これで王位継承者が減るのはほとんど確実だ。そうなれば、また僕達が狙われる可能性も高くなる」
「確かに、それはローリィの言う通りね。けれど……」
どうにも納得がいかない、という様子のアルナ。
それは純粋に、リーゼのことを心配しているというのがシエラにも伝わってきた。
同じ王位継承者であり争うはずの相手であるが――いざ、その人が危機に陥れば、どうしてもアルナは手放しに喜んだりできない性格だ。
二人の話を聞きながら、シエラはジャムを塗ったパンを頬張る。
「……シエラ、君も少しは真面目に話に交じったらどうだ」
「真面目に?」
ローリィの言葉に、シエラは首をかしげる。
パンを食べながらも、真面目に話を聞いているつもりではある。
普段から、シエラの態度が興味のないように見えるのが原因だろう。
「シエラはどう思う?」
「クーデターの話?」
「そう。私はおかしいと思うのだけれど……」
「うん、わたしもそう思う」
「! やっぱりそうよね?」
「何がおかしいって言うんだ」
「それは――」
「お、集まってるじゃない」
話している途中、三人の下へやってきたのは担任のコウだった。
懐にたくさんの包装されたパンを抱えてやってくる。……中々の大食いのようだった。
「コウ、おはよう」
「はーい、おはよう。朝に挨拶したけどね。それと、先生」
「コウ、先生」
「うむ、よろしい」
コウがそう言って、シエラの頭を撫でる。
さすが教師というべきか、褒めるところは褒めるというところを心得ている。
褒められれば伸びるタイプであるシエラのことをよく理解しているのだ。
「フェベル先生、どうかしたんですか?」
「どうかも何も、クーデターの件で色々大変なのよ。騎士団自体が混乱しているっていうかさ」
「僕達も丁度その話をしているところでしたよ。でも、僕達のやることは変わらないですけどね」
「ローリィさんは真面目ね。そういうところはあたしも評価してるけど。撫でてあげよっか?」
「僕はシエラじゃないので」
「じゃあシエラのこと代わりに撫でよ」
「うん」
素直に頷いてシエラは撫でられる。
コウからももはやペットのような扱いを受けているが、シエラは気にする様子もない。
ふと、アルナの方を見ると何やら思うところがあるようで、何か言いたげな表情をしていた。
「アルナ、どうしたの?」
「……いえ、何でもないわ。フェベル先生はそれで、結局何をしに来たんですか?」
「んー、君達との交流を深めるために来たの」
「交流……シエラの頭を撫でてばかりではないですか」
「! アルナさんも撫でられたい?」
「そ、そういうことではなく……! とにかく、お話があるのなら聞きたいと思っているんです!」
少し顔を赤らめてそんなことを言うアルナ。
普段からシエラは撫でてもらう立場にあるが、ひょっとしたらアルナも撫でられたいのかもしれない――そんなことをシエラは考えていた。まるで見当違いだが。
「交流を深めに来たっていうのは本当よ。だってもうすぐ《校外学習》があるじゃない?」
「校外学習……今回も王都から出るんですよね?」
「そうね。そこの予定は変わっていないわ」
ローリィの問いかけに頷いて答えるコウ。
校外学習――数日かけて、王都の外で勉強をする。
どこか別の町の炭鉱に行ったり、森の中で小型の魔物の勉強をしたりと様々だと言う。
コウが懸念しているのは、王都の外ということはそれだけアルナに危険が伴う、ということだろう。
「一人残していくわけにもいかないし、あたし達で守る必要があるわけじゃない? そうなったら、あたしも君達と親交を深めておくべきだと思うのよ」
主にシエラに懐かれているというだけで、コウはアルナやローリィと特別仲が良いわけではない。
ローリィに至っては、コウのことを警戒しているくらいだ。
「それで僕達と話を?」
「そういう感じ。恋バナでもする?」
「こ、恋バナ……? 何をそんな浮かれた話を……!」
「濃いバナナ?」
「シエラ、全然違うわ。恋のお話ってこと」
「鯉?」
「前にもこんなことを聞いた気がするけど、たぶん今の違うわね……」
「あはは、シエラさんは相変わらずね。好きな人の話をするってこと」
「好きな人……アルナのこと?」
包み隠すことなく、シエラはそんな風に答える。
ローリィが顔を赤くして、「そ、そういう好きとは違う!」と言っている。
だが、シエラにとって好きの違いはよく分からない。
「ローリィのことも好きだよ」
「だからそういう話じゃなくて……ああもうっ! この話はダメですって」
「あたしは面白いからこのまま聞いててもいいんだけど」
コウが笑いながらそんなことを言う。
ふと、シエラはアルナの方を見る。
先ほどから深刻な表情の多かったアルナだが、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていた。
どうしてか分からないが、それを見てシエラも嬉しい気持ちになる。
――その後、恋バナに発展することもなく昼休みは過ぎていった。





