85.アルナ、報せを聞く
アルナは夜中まで起きているタイプではない。
遅めに風呂に入ったとしても、二時間もすれば眠りにつく。
ただ、時折夜にすることがあった。
寝間着姿で、椅子に腰掛けたアルナの前には紅茶とお菓子。
常にそういうことには気を付けているアルナだが、たまにはそういうこともしたくなる。
(シエラが見たら怒るかしら……)
シエラにも食べさせていないわけではないが、夜中にお菓子はダメだと口酸っぱく言っている。
それなのに自分はこうして息抜きに食べていることもある。
(まあでも、割合的にはシエラの方が夜中に食べてるから、大丈夫よね?)
アルナだって食べたくなることはある――常に制限していては誰だってストレスが溜まる。
特に、何か大きな出来事があった時に多かった。
学園側の協力――ローリィの言う通り、決して不安がないわけではない。
学園長であるアウェンダと講師のコウが協力してくれることで、たとえば巻き込まれる生徒が出てくるかもしれない。
アルナが感じる不安はそこにあった。
(シエラなら守ってくれる――なんて、都合よく考えたらダメよね)
アルナはシエラのことを、誰よりも頼りにしている。
彼女ができると言えば、きっとできることなのだろう。
シエラにはそう思わせる力があった。……勉強の方はまだまだだが。
(やる気さえ出せば勉強もできるし、やっぱり褒めて伸ばすことが重要なのかしら……?)
クッキーを口に運びながら、そんなことを考える。
気付けばシエラの教育方針ばかり考えているのは、ある意味親よりもずっと親をしているようだった。
そんな時――ガタンッ!
「んくっ!?」
ベランダから物音がして、アルナは驚きで軽く飛び上がる。
喉につまりかけたクッキーを飲み込んで、軽く咳き込む。
「えほっ、なんなの……?」
こんな時間にベランダからやってくるとしたら、シエラくらいしかいない。
(まさか、お菓子の匂いを……?)
鼻の利くシエラでも、さすがにそこまでの能力はない――そう思いたい。
それに、来るなら入り口から普通にやってくるだろう。
アルナは恐る恐る、カーテンを開いた。
「え?」
そこにいたのは、確かにシエラだ。
だが、もう一人いる。
シエラに《赤い剣》を向けられて、慌てた様子の人影が一人。
「ちょ、ちょっとシエラ!? どうしたの……!?」
アルナは慌ててベランダの鍵を開ける。
さすがに予想を超えた展開だった。
ローブに仮面姿と、見るからに暗殺者を彷彿とさせる姿だが、
「ア、アルナ様! 私は王国騎士団の諜報部の人間です! あ、怪しい者ではなくてですね……」
声からして、女の子というのは分かる。
シエラに押さえ付けられたまま、そう少女は口にした。
さすがにアルナから見ても怪しさしかない。
だが、シエラが剣を喉元に突き立てていても、いきなり殺そうとはしていないところを見ると、
「えっと……シエラ。どうなの?」
「敵意はなかったけど、見た目が怪しいから脅して正体吐かせようとした」
包み隠すことなく、シエラが答える。
シエラの敵意はないという言葉が、アルナにとっては安心できる言葉だった。
少女の言葉の真偽はともかくとして、少なくともアルナの命を狙ってやってきたのではない、と。
「そ、そもそも学園の警備はなかなか厳重ですから、暗殺者も迂闊には入って来れませんよ!」
「それはそうかもしれないけれど、貴方は入ってきているじゃない」
「私は、その、特別でして……と、とにかく可及速やかにご報告させていただくことがございまして、《王位継承者》の方々の下に我々諜報部が馳せ参じた次第で……!」
「……事情は分かったわ。シエラ、退いてあげて」
「うん」
シエラが少女を放して、赤い剣も霧散する。
相変わらず自由に《装魔術》を扱っている。
ちらりとシエラがテーブルの下に視線を向けたが、アルナはカーテンでそれを隠す。
「……」
「どうかした?」
「良い匂いがしただけ」
「そ、そう? さっき食べたクッキーの残り香かしらね……」
「そっか」
(や、やっぱり犬並み……!)
ばつが悪そうな表情で言い訳をしたアルナに対して、シエラは特に疑う様子もなく頷く。
むしろ、誤魔化そうとしたアルナに少し罪悪感が湧いた。
だが、今はそれどころではない。
「それより、報告って言うのは?」
「はっ、先ほど騎士達には通達が行われました。《王国騎士団長》、ルドル・クロイレンがクーデターを企てたとして、妻のミナーシャ・クロイレンも合わせて拘束。娘であり王位継承者であるリーゼ・クロイレンと、《聖騎士》フィリス・ネイジーが現在逃亡中です」
「……は?」
その情報はあまりに突然すぎて、アルナはすぐに理解できなかった。
騎士団長がクーデターを企てた、それだけでも驚きだというのに、リーゼとフィリス――《イゼルの塔》の会合でも話した二人が現在逃げ回っているというのだから。





