83.シエラ、風呂場にて
浴槽に三人並んで入るのも最近ではよくあることだ。
もう少し早い時間なら利用者が多い時間になるが、今は三人しかいない。
ローリィと入るようになってからは、時折ローリィがシエラの髪を洗っている。
元々アルナもシエラの雑さを気にしていたが、それ以上にローリィはマメな性格をしている。
シエラの雑な洗い方が気になることが多いらしく、「ええい、洗ってやるから大人しくしろ!」と言って髪を洗う機会が多い。
最初の頃はアルナが洗っていた頃と同様に後ろに回れるとそわそわしていたため、向き合って洗うこともしたのだが――そちらはローリィの動揺の方が強かった。
今ではシエラもローリィに洗われることに慣れ、だんだんと洗われること前提になりつつある。
「そうなるから任せた方が良かったのよ」と言うのはアルナだが、それをアルナが言うのかという表情をローリィも見せていた。
「それで……アルナちゃんは、あの二人を信用するの?」
そう切り出したのはローリィだった。
風呂に入るときは髪を後ろに束ねるようにしているため、眼帯をしているのが特に目立つ。
ローリィが他人と風呂に入りたがらないのはこの眼帯も目立つから、という理由もある。
もっとも、ローリィが風呂場で目立つのは元々男として学園に入学し、女子生徒からの人気も高かったことに起因する。
女の子であると判明した後でも、女子生徒からの人気は高いままだった。ローリィが目立つことは仕方ないとも言える。
今はこの場に三人しかいないため、ローリィもこの話を切り出したのだろう。
「そうね。私はこの学園にて危険な目に合ったことはないし、それはたぶん学園長と先生方のおかげもあると思っているわ」
「けれど、急に話もあったわけだし。それに、カルトール家とも連絡を取っているって……」
「これからは私達もカルトール家の……人間と話すときは三人で、そう決めたじゃない」
アルナ自身がカルトール家の人間であるためか、言い方に少し迷いがあった。
それでも、アルナが言葉を続ける。
「学園長やフェベル先生と話すときも三人で、そうすれば心配はないわ」
「アルナちゃんがそう言うのなら、うん。僕も全力で君を守るよ」
微笑んで答えるアルナに、ローリィも頷いて答える。
アルナにも迷いはあっても、シエラとローリィ以外にも頼れる人間がいるというのは、アルナにとってはありがたい話だろう。
特に、誰が雇っているのか分からないが――《王位継承者》を狙う暗殺者達の実力は桁違いの者ばかり。
それだけの繋がりのある人間が、この王国にいることには間違いない。
そういう意味では、学園長であるアウェンダがシエラをこの学園に招き入れたのも状況を見越したことだったのかもしれない。
エインズ・ワーカーの娘であるシエラを学園に引き入れ、アルナを守らせる――その算段があったのだとしたら、アウェンダにはかなり先見の明がある。
もっとも、シエラとアルナが出会ったのは寮の屋上。
クラスで一緒になることまでは想定されたことだったとしても、シエラとアルナがそこまで仲良くなることは想定していなかっただろう。
シエラはアルナのためであれば何でもする。
元より一般的な価値観もなければ、シエラには正義感というものも存在しない。
アルナを狙うならば殺す――それが今のシエラの行動原理の一つだ。
たとえこの王国の人間全てを敵に回したとしても、シエラはアルナを守り抜くだろう。
その気持ちに迷いはないが、アルナが望まないことであればシエラは実行しない。
だからこそ、王国内での戦闘もシエラはこなせるようになっていた。
以前半壊まで追い込んでしまった《イゼルの塔》や《闘技場》のように、シエラが戦うたびに建物を崩壊させてしまっていては、確かに国の方がもたないと言える。
――良くも悪くも、シエラは真っ当に加減することを覚え始めていた。
この前の魔導師との戦闘も、以前のシエラならば問答無用で建物ごと破壊していたかもしれない。
それをせずに戦えるようになったのは、きっとシエラ達にとっては良いことだ。
友達のためならば本気を出す――その意識もずっと、変わっていない。
「シエラは、フェベル先生と仲良いわよね?」
ふと、アルナが問いかけてくる。
シエラはこくりと頷いて、
「コウは良い人だよ」
「また先生つけ忘れているわよ」
「ここにコウはいないから」
いる時といない時で呼び方を変える、そういうことは覚えていた。
コウ・フェベル――シエラ達の担任講師の女性で、剣技の才能に優れている。
それは特に授業において顕著で、加減しているとはいえシエラと真っ当に斬り合えるレベルにあるのだ。
この学園において、シエラの相手をできるのはコウとローリィくらいのものだろう。
他にもアウェンダは実力者である雰囲気を感じさせるが、実際のところ戦ってみなければ分からない。
敵意を感じない以上、シエラも戦うつもりはないが。
「シエラの感性は、僕もよく分かっているつもりだ。敵意があるかないか、そういう動物的な勘が働くんだろう?」
「そんな感じ?」
「いや、僕が聞いてるんだが……」
「シエラの勘はあてになる、そういうことよ」
「わたしの勘?」
「そう。正確に言うと勘ではないのかもしれないけれど。ローリィにだって少し前は敵意を感じたって言っていなかった?」
「うん」
「そ、そうなのか」
「でも、ローリィを攻撃するようなことはしなかったわね。どうして?」
「ローリィの敵意はちょっと違うものだったから」
「……違うもの?」
アルナが首をかしげて問いかける。
だが、シエラも説明するのは難しかった。
早い話――嫉妬のような感情を抱かれていたのだが、シエラにはそれが上手く言葉に言い表せない。
ただ、そういう感情を抱かないわけではなく、
「食べたかったお菓子がアルナに食べられた、そんな感じ」
「私はそんなことしないけれど……何となく分かるような?」
「僕にはよく分からないんだが、少なくとも僕はそんな感情をシエラに抱いたことはないよ」
そんな微妙な返事が二人から返ってくる。
きっと『凡人ノート』にも書いていないだろう。もっとも、アルナとの関係が親密になってからは、ノートに頼る機会は減っていた。
それでも、今は唯一のエインズとの繋がりである。
念のため、後で確認しておこうと考えるシエラだった。