75.勝利者
地響きのような轟音が闘技場に響き渡る。
アルナとローリィが互いを庇うように、その戦いの結末を見守っていた。
やがて、嵐が過ぎたように静寂が闘技場を包み込む。
その中心に立ったのは、銀髪の少女だった。
「シエ――っ」
その名を呼ぼうとしたが、アルナの身体がふらつく。
長時間、《装魔術》は維持できない。
アルナもまた、シエラが戦いで使う剣の維持のために、相当消費している。
それでも、少女のことを呼ぼうと前を向くと、
「っ!」
少女――シエラは、《赤い剣》を空に掲げた。
パラパラと、シエラの張った《赤い剣》の結界も崩壊していく。
それがシエラの勝利を意味しているのだと、約束を果たしたことを意味するのがアルナには分かった。
「すごい、奴だ、本当に……」
ローリィがそう、呟く。
アルナはこくりと頷いて答える。
「ええ、どんなに傷付いても、シエラは負けないって言うわ。だから、私は……私にできることは、あの子の傷も、貴方の傷も背負う覚悟をすること」
「僕はシエラほど強くも何ともないよ。それでも――」
「以前、言われたわ」
ローリィの言葉を遮って、アルナは続ける。
「私のしたいことを、これから一緒にやっていこうって」
「したいこと……」
「ローリィ、貴方は今……カルトール家の支配下にはないわ。逃げようと思えば逃げられる。傷を癒して、私の傍からいなくなれば、貴方はそれで自由。それでも、一緒にいてくれる?」
それは、アルナの願いだった。
危険だということも分かっている。
本来なら、一緒にいるよりどこか遠くに逃がした方が安全だ。
それでも、ローリィがアルナと一緒にいたいと思うのなら――そう考えて、アルナは問いかけた。
ローリィがアルナの下を離れる。
そのまま振り返って膝をつくと、
「改めて、言うよ。僕は君と一緒にいたいから傍にいる。カルトールもナルシェも関係ない――だから、一緒にいさせてほしい」
「……ありがとう、ローリィ」
「礼を言うのは、僕の方だよ。本当はこうしたかったのに、ずっと逃げてきた」
「それは、そうでしょう。本当なら、左目だって……」
「これはいいんだ。アルナちゃんと一緒にいられるなら、左目くらい惜しくない」
「ローリィ……」
カルトール家の支配から解放されてもなお、アルナとローリィの気持ちは一致する。
互いにそう思うのならば、一緒にいればいい――まさに、シエラの言った通りだ。
「……さて、僕は大丈夫だから。シエラのところに行ってあげてほしい」
「え、でも……」
「さっきからあそこから動いてないところを見ると、シエラも限界なのかもしれない。君が支えてあげないと」
ローリィの言葉に促され、アルナはシエラの下へと向かう。
すでに装魔術は霧散し、シエラがただ一人、空を見上げていた。
月明かりに照らされたシエラは、どこまでも幻想的に見える。
ただ、その身体のあちこちに傷が見える。
それを見るとアルナの心は痛むが、それも背負うと決めたのだ。
「シエラ――」
アルナがシエラを呼ぶと同時に、ふらりとシエラの身体が後ろに倒れる。
アルナは咄嗟に駆け出した。
倒れたシエラの身体を支えて、ゆっくりと横にさせる。
「シエラ……! 大丈――」
「お腹空いた」
倒れたシエラの第一声は、そんな間も抜けた言葉。
思わず、アルナは苦笑してしまう。
「……もうっ、心配するじゃないの!」
「いつも言ってる。心配ないよって」
「私は心配するって、いつも言っているでしょう」
「でも、わたしはいらないって言ってる」
「私はするの!」
「しなくても大丈夫」
子供の論争みたいなやり取りが続く。
やがて、アルナが大きく息を吐く。
懐から取り出したのは、シエラがほしがった時のために用意しておいたお菓子だ。
「今はこれしかないけれど……」
「食べさせて」
「……ここぞって時に甘えてくるわね。……今日だけよ?」
アルナはお菓子をシエラの口元に運ぶ。
膝枕の形で、アルナからもらったお菓子を少しずつ食べるシエラ。
アルナとしては、お菓子を食べさせるよりも先ず応急処置をしたかったが、きっと本人はお菓子の方を先と意地を張るだろう。
「おいしい?」
「うん、甘い」
「甘いの、本当に好きね」
「甘いのを食べると嬉しくなる。アルナと一緒にいる時みたい」
「私とお菓子は一緒なのかしら?」
「アルナと一緒にいる時はもっと嬉しいよ?」
「そ、そう言われると少し照れるわね」
アルナは思わず視線を逸らす。
裏表のないシエラだからこそ、それは本心から言っているのだろう。
徐々に、闘技場の外が騒がしくなっていく。
騎士がここにやってくるのも時間の問題だろう。
どう説明したものか――それを考えるのは、アルナの仕事だ。
「……」
「シエラ?」
「……すぅ」
気が付けば、シエラが小さな寝息を立てて眠りについていた。
その寝顔を見て、アルナは微笑む。
「食べてすぐ寝たらダメだけど……今日だけ、だからね?」
いくつも今日だけ、なことを重ねてながら、アルナはシエラの頭を撫でる。
シエラが安堵した表情を浮かべたのを見て、アルナもホッと胸を撫で下ろした。





