74.大切な人
《安寧の女神》イゼル――それに限らず、その名が有名であればあるほど、魔法的な効果は圧倒的に強くなるという。
シエラの《デュアル・スカーレット》のように、名をつけることは意味を持たせることだ。
それが、女神クラスともなれば――およそ常人が扱える代物にはならない。大きな反動か、あるいは代償か、その人形を扱えると言われているのはこの世でただ一人。
レクス・ウェールという人形使いだ。
イゼル人形のサイズはほとんど人間と変わらない。
カチャリと金属の擦れる音が響く。
シエラは剣を構えたまま、イゼル人形を見る。
イゼル人形を魔力の糸で繋ぐのは、隣に立つレクスのみだった。
「さあ、始めるとしよう」
その言葉と同時に、イゼル人形が動き出す。規則的な動きで剣を構えると、地面を蹴ってシエラとの距離を詰める。決して速いわけではない。
シエラもそれに呼応するように駆け出す。
イゼル人形の持つ剣とシエラの剣が交錯する。
至近距離での斬り合い――だが、圧倒的に剣撃で勝っているのはシエラだった。
迸る火花はイゼル人形から出ているもの。
シエラの剣が、イゼル人形の身体に剣撃を与えていることで発生している。
だが、イゼル人形は止まらず、その剣術は徐々に加速していく。
シエラは至近距離で捌き、避け――やがて、シエラとイゼル人形の剣がぶつかり合う。
何度も打ち合えば、《装魔術》で作り上げたシエラの剣は魔力でコーティングされた武器程度なら簡単に破壊する。
実際、レクスの操る人形はほとんど一撃でシエラは破壊していた。
それなのに、今はシエラの方が攻撃を加えているはずなのに――イゼル人形の方が押しているようだった。
「くっ、シエラ……! 防御魔法を解除して二本とも、使え……! アルナちゃんは、僕が必ず守る、から」
たまらず、ローリィが声を上げる。
ローリィの言葉に反応して、シエラは一度イゼル人形と距離を取る。
ローリィとアルナのすぐ近くまで退避する。
「……大丈夫」
「大丈夫なもんか。お前、この魔法を維持するのだって……」
「私は平気だから。アルナ、ローリィをお願い」
「っ!」
シエラはそれを伝えるためだけに一度下がったのだ。
アルナからすれば、シエラに負担を強いるようなことはしたくないだろう。
それでも、アルナがシエラの言葉に頷いて、
「……分かったわ」
「アルナ、ちゃん……!?」
「私は、シエラを信じるわ。だから……」
「――うん。必ず勝つ」
シエラは答えると同時に、駆け出した。
イゼル人形が迎え撃とうと構える。
「む……?」
レクスが何かに気付いたように呟く。
シエラは真っ直ぐ、イゼル人形へと斬りかかる。
その両手に握られているのは、《赤い剣》と《青白い剣》――シエラとアルナの《装魔術》の組み合わせだ。
アルナが託した想いと共に、再びの斬り合い。一撃一撃の威力が低くては、イゼル人形にダメージを与えることはできない。
シエラはまるで、自分の作り出した剣であるかのように、アルナの剣を振るう。
いつ消えるかも分からない――普通なら、そんな曖昧な状態のものに命はかけないだろう。
だが、シエラは全力でその剣を振るった。
アルナの作った剣は、アルナの努力はそんな簡単に消えるものではないと、シエラは知っているからだ。
「ぬっ……!」
シエラの猛攻に、イゼル人形がわずかにバランスを崩す。
シエラはその隙を見逃さなかった。
アルナの剣でイゼル人形の剣を切り払い、魔力の塊である赤色斬撃を放つ。
イゼル人形の頭部から胸にかけての直撃。
さらにシエラは、追い討ちをかけるようにイゼル人形の背後に構えるレクスへと一撃を放つ。
「――」
レクスの反応は間に合わない。
わずかな隙で、シエラは人形使いであるレクスを吹き飛ばす。
「やった……のか?」
「……」
ローリィの言葉に、シエラは答えない。
イゼル人形から距離を置くが、赤い剣の結界もそのままだ。
「ど、どうしたの、シエラ……?」
「もうその人形動かすの、やめたら?」
「――え?」
アルナの問いかけにシエラが言い放ったのは、そんな言葉。
地面に倒れ付したまま動かないレクス。
そして、空を見上げるようにしたままのイゼル人形が、ピクリと反応した。
「ク、カカ――」
「なっ……!」
それを見て、ローリィが驚きの声を上げる。
シエラは今まで、使い手であるはずのレクスを残して人形のみを破壊していた。
それには、一つの理由がある。
――本体に逃げられないようにするためだ。
吹き込んだ風によって、レクスの黒装束が捲れる。
そこに倒れていたのは、ただの壊れた人形のみ。
「……!? ど、どういうこと……? レクスも人形……!?」
「違う。さっき、レクスの言った通り」
シエラはアルナの言葉を否定する。
レクスがシエラと戦う前に言っていた――人形の軍勢を倒せば姿を現す、と。
シエラは初めから気付いていた。
人形使いが、戦いの場において本体を出すはずはない。
レクスが人形使いとしてこだわりを持っているのは、戦い方で分かっていた。
黒装束に身を包んだレクスは、ただの人形であり、それを操る本体は今――シエラの前にいる。
「あなたは誰?」
「……クカカ、誰……か」
その声は、イゼルの人形からだった。
男の声ではなく、聞こえてくるのは少女の声。
使い手を失ったはずの人形は、独りでに動き出す。
「ま、まさか……あの人形が本体なの!?」
「あの人形に糸は伸びてない。人形の中に人がいる。あれは、レクス・ウェールを名乗る誰か」
「……何故、私がレクスではないと言い切れる?」
「あなたがレクス・ウェールなら、私の人形って言い切るはず。人形使いは誇りを重視するから。けど、あなたはレクス・ウェールの人形だと言った。まるで他人の物のような言い方――ただ、それだけ」
「クカ――クハハハ、斯様な……いや、このようなところで何度も笑わせてくれるな。だが、そうだな……確かに私は、レクスではない」
ぐるんと、仰け反った身体をイゼル人形が戻す。
壊れた顔と胸元から覗かせていたのは、シエラと変わらないくらいの少女。
黒髪の少女は、シエラを見てにやりと笑う。
「改めて、名乗ろう。私の名は……ミラ・ウェール。この世界で最高の人形使いであるレクス・ウェールの弟子であり、その娘だ」
「娘……!?」
「まだ、私達とほとんど変わらないくらい、なのに……」
ローリィとアルナが驚愕に満ちた表情でミラを見る。
人形の中にいる――それは、彼女の身体が普通ではないということが容易に理解できた。
少なくとも、すでに手足はないのだろう。
「憐れむな。こうでもなければ、私は先生に追い付くことすらできなかったのだから」
「……どういうこと?」
「そのままの意味だ。人形使いとして、全てにおいて先生は完璧だった。イゼルだって、先生の人形なのだから」
目を細めて、キリキリと音の鳴る身体をミラが見る。
「けれど、イゼルは完璧ではないと言った……結局、人形は人形でしかない、と。私は、そんなこと認めない。そのために、私自身がイゼル人形になったのだから。……先生は私と違って本当の天才だった。だから、私が証明するんだ」
「……証明?」
「そうだ……シエラ・ワーカー。私は仕事に私情は挟まない。先生がそう言ったから――だが、もう良いだろう? 私は、お前を殺す。先生を殺した――エインズ・ワーカーの娘であるお前を殺して、先生が最高の人形使いだと証明するッ!」
そこまで言い終えると、ミラは動き出した。
彼女が尋常ではない人形を扱えるのは、手足という概念を捨て去ったからだ。
イゼルの名を冠する人形に自らを埋め込む――それはもはや狂気の域。
だが、シエラは怯むことはない。
エインズの名を聞いても、シエラはミラと真っ向からぶつかった。
「クハハハ、それでいいっ! シエラ・ワーカー! 私がお前を殺すッ!」
「違う。わたしがあなたを殺す」
互いに譲らぬ殺意が、剣先へと伝わる。
シエラとミラの、最後の戦いが始まった。
ミラの動きは決して速くはない。
だが、その装甲はシエラの魔力の乗せた一撃で、ようやく剥がせるくらいだ。
イゼルの名が与えたのは、人形に対する非常に高い防御力。
それが、安寧を意味するのだろう。
シエラとミラの、互いの剣が拮抗する。
「慣れない魔法で限界が近いだろう……!? 私にはよく分かる――足が震えているぞ! 何のために全ての人形をぶつけたと思っている!?」
「……」
シエラは答えない。
赤い剣の維持する結界は、いわば赤い斬撃を常に出し続けているような状態だ。
限界どころか、シエラの負担は常人ならばすでに倒れているところだろう。
それでも、シエラが倒れることはない。
結界も消さない――剣も振るう。
ミラの剣が頬をかすめれば、シエラは一撃を足へと叩き込む。
脇腹を抉られるような一撃を受ければ、腹部への強い打突で返す。
「クハハハッ、いい、いいぞ……シエラ! それでこそエインズ・ワーカーの娘だッ! 私は、そんなお前を超える! そうしたら、先生のことが分かるはずだ! 先生の目指したものが! 戦いの先にやりたかったことがッ!」
興奮したミラがさらに猛攻を続ける。
彼女がこだわっていたはずの、人形使いの戦いではなかった。
今のミラはただ、シエラを倒すことで自身の父でもあり師でもあるイゼルが最高の人形使いであったと証明することだけにある。
その感情が、シエラには伝わってくる。
人形使いとしてのこだわりを捨てた彼女は、間違いなく強い。
ミラの攻撃が直撃すれば、シエラでもただでは済まないだろう。
――だというのに、速度を生かした戦いではなく、単純な殺し合い。シエラがそれに応じたのは、ミラの意思を汲み取ったからだ。
エインズに殺されたというレクス――その娘であるミラの気持ちは、一体どんな気持ちなのだろう。
仮に、シエラがエインズを殺されたとすれば、きっとシエラは悲しむ。そして、それ以上に怒るだろう。
それはアルナとローリィでも同じで、二人はシエラにとって友達だ。
その友達を傷付ける者達を、シエラは許すことはない。
(そう……初めに言った通りなんだ)
シエラはそこで、自分の言葉を思い出す。
大切な友達を、傷つけられた――だから、
「私は、お前を殺すッ!」
「わたしは、あなたを許さない。だから――殺す」
剣と剣がぶつかり合い、お互いの身体が後方へと跳ぶ。
シエラが構えたのは、アルナの剣。
ミラの振り下ろす剣を、アルナの剣で迎え撃つ。
ぶつかり合った剣と剣は、大きな音を発して大気を震わせた。
「……シ、エラ……っ!」
聞こえたのは、アルナの声。
剣を通しているのか――まるでアルナが傍にいるように聞こえた。
「アルナ……私は、勝つよ。約束したから」
「……っ!」
シエラは、微笑みを浮かべてミラを見る。
ミラの放った一撃を、アルナの剣が完全に受けきった。
シエラの持つ赤い剣に魔力が集約する――今まで見せたことがないほどに、赤く強い輝きを見せる。
「あなたは強い。けど、わたしの方が強い」
「……! たかが、貴族の娘が作った、剣ごときに……ッ!」
「ごときじゃない。アルナは、わたしの大切な人。だからわたしは女神にだって――負けたりしない」
その言葉と共に、シエラは剣を振るう。
魔力がうねりをあげて、赤い渦を作り出す。
もはや斬撃を超え――嵐のように渦を巻く。
その一撃が、安寧の女神を象った人形を飲み込んだ。





