70.戦う理由
幼い頃、ローリィ・ナルシェは臆病な性格をしていた。
ナルシェ家はカルトール家に仕える身として、女であるはずのローリィは男として育てられた。
外に出るたびに、カルトール家はどこか他の家とは違う雰囲気が感じられる。
貴族なのだから当たり前――そんな言葉では片付けられない。
「……」
その日も、次期当主になるという少女と会う予定があった。
――だというのに、ローリィは庭先に隠れるようにうずくまっていた。
日は暮れ、月明かりしか頼りにできない暗闇はより一層恐怖心を煽る。
「う、うぅ……」
今にも泣き出しそうな、いや――もう泣いていたのだろう。
そんなローリィを、彼女は見つけてくれたのだから。
「そんなところでどうしたの?」
「っ! あ、えっと……」
ドレスに身を包んだブロンドの髪の少女。
同い年のはずなのに、彼女はどこか大人びた雰囲気があった。
「あなたがローリィね?」
「は、はい。ご、ごめんなさい」
「……? 何を謝るの?」
「え、だって……僕が、逃げ……」
「男の子なんだから泣かないの」
そう言って、ローリィの涙を指で優しく拭ってくれる。
初めて、この家で優しさに触れた気がした。
「アルナ、様……?」
確認するように問いかける。
少女は首を横に振った。
「そんな畏まる必要はないわ。わたしのことは、そうね――」
月明かりに照らされた彼女の微笑みは輝いて見え、まるで太陽のようだった。
思えばその日からなのだろう――彼女のために、強くなろうと思ったのは。
***
「はっ、はっ――ふっ!」
荒い呼吸を整えて、ローリィが蹴りを放つ。
人型の人形の頭部を吹き飛ばすが、その程度では人形は止まらない。
人形の振りかざす刃を避けてもう一撃――今度は身体を吹き飛ばす。
すでに、地面に砕けて散らばった人形の数は数十体にのぼる。
だが、倒せば倒すだけ、ローリィを囲う人形の数は増えていた。
(この数を一人で操っているのか……!? 減るどころか、また……!)
カタカタと、ローリィの努力を嘲笑うかのように音を鳴らしながら人形達が姿を現す。
戦場に立つのは黒装束に身を包んだ人形使いただ一人。
(奴さえ倒せば……!)
ローリィは駆け出す。人形達の攻撃を掻い潜って、すり抜けるように黒装束の懐へと入る。
(ここだ――っ!?)
拳を繰り出そうとしたローリィが、地面を蹴る。
そのすぐ下から現れたのは、大きな鋏。
あと少し反応が遅ければ、ローリィの腕は落とされていただろう。
地面からも、歪な人形が姿を現す。
まるで悪夢でも見ているかのような、一つとして同じ人形はそこにはいない。
「人形劇で斯様な真似が許されると思っているか? お前も演者ならばそれくらい弁えろ」
「……何が、演者だ。人形使いと戦うのなら、本体を狙うのは当然だろ」
「ふむ、その通りではあるが……なるほど、限界が近いようであるな」
「なに?」
黒装束の言葉にローリィは反応する。
限界が近い――その言葉を強く否定するように、ローリィは言い放つ。
「まだ、始まったばかりだ」
「クク、強がるか。だが、それもいい」
黒装束の周囲に、ちらりと輝く糸が見えた。
魔力でできた細く長い精巧な糸。
それが、あの人形達に繋がり操っているのだろう。
あるいは、その中にも《遠隔型》の人形を混ぜているのかもしれない。
そうでなければ、これほどの数を操ることはできない。
(何か、方法があるはず……!)
「一人ではこれだけの人形を操れぬ……そう思っているのであろう?」
「っ!」
「間違ってはおらん。常人であれば、せいぜい三体が限界であるな――常人であれば、な」
黒装束が両手を広げる。
人形達が一斉に動き出す。
統率の取れた兵士達が、命令一つで動くように。
人形の数体か再びローリィの下へと向かってくる。
「お前にはまだ利用価値がある。生きたまま捕らえるのであれば、このまま時間が過ぎるのを待てば良い。下手に戦えば、殺しかねんのでな」
「……っ!」
まるでまだ本気を出してないような、そんな言い方だった。
実際、ローリィにも分かる――黒装束は、まだ本気を出していない。
最初に塔を襲ってきた時点で、ローリィだけでは対処できないレベルの相手だと感じていたのだ。
(……だから、どうした)
それでもローリィにもできるとこはある。
たとえ命を落としたとしても、敵の戦力を分析し、伝えること。
それが、アルナのためであり、これから人形使いと戦うことになるシエラのためにも繋がる。
(あいつのため、か。僕が戦うのは、アルナお嬢様のため――けれど、友達のために戦うっていうのも――)
「悪くは、ないな」
戦いながら、そんなことをローリィは呟く。
ローリィは、シエラに嫉妬していた。
アルナのために頑張ってきたローリィのしたいことを、全てシエラがやってのけるのだから。
けれど、彼女と話して何となく納得する。
シエラはどこまでも自由に生きられる――そのはずなのに、アルナの側にいる。
それはきっと、シエラがアルナのことを大切に思っているから。
誰かをそう思うのに、付き合いの長さなど関係ない。
(僕だって、そうだからな)
思わず笑みがこぼれる。
ローリィはギリギリのところで、また人形の攻撃をかわした。
身体はすでに限界を超えている。
全ての攻撃を回避できるわけではない。
かするだけでも出血は徐々に広がり、魔力を使い続けることでローリィの意識もだんだんと薄れていく。
(まだ、だ。後、十……いや、二十は倒す)
人形も無限に増えるわけではない。
数を減らせば、それだけ人形使いの戦力は減らせるはずだ。
身体はとっくに限界を迎えている――強化魔法は、元々肉体の限界を超えた戦闘を可能とするものだ。
(アルナお嬢様は、僕と何を話すつもりだったのだろう)
人形に拳を繰り出して、破壊する。
その時に考えたのは、シエラの言っていたことだ。
ローリィはアルナを裏切った――そう取られてもおかしくはない。
実際、アルナのあんなに怒った姿は見たことがない。
それでも、もし許されるのだとしたら、これからもアルナの傍にいさせてほしいと、次こそは伝えよう。
(利用価値……があるとか言ってたな。僕を人質にでもする気か。……だとしたら、ここで僕の取るべき行動は一つ――)
次々と襲いかかってくる人形の攻撃を、ローリィはあえて避けないことを選んだ。
人形使いが死体を操るとしても、その身体までは綺麗に戻すことはできないだろう。
(それなら、顔の辺りを――)
「ローリィっ!」
「……!?」
もはや定まらない思考を戻したのは、もう聞くはずもないと思っていた少女の声。
自然と身体が動き、人形達から距離を取る。
少し離れたところの観客席から身を乗り出したアルナの姿があった。
「アルナ、お嬢様……!?」
どうしてここに――そんな疑問は後でいい。
アルナの周囲にも人形達が迫る。
ローリィはすぐに、アルナの下へと駆け出した。
人形の動きは、まるで二人を見守るかのようにピタリと止まる。
「……招き入れたのか。確かに、私が好む一幕になりそうであるが」
ローリィの背後で、黒装束がそんなことを呟いた。





