67.シエラ、諭す
アルナに連れられて、学園へと戻ったシエラは校医の治療を受けた。
以前受けたホウスの怪我に始まりこの前の入院、さらには今回の頭部の怪我――さすがに何をしているのか、と注意を受けることにはなったが。
怪我をしやすい生徒はいても、シエラのように大怪我が多めな少女は少ないだろう。
「早い時間だけれど、血の汚れは取ってしまった方がいいから」
「分かった」
アルナの言葉に従い、シエラは大浴場へとやってきていた。
この早い時間だと、さすがに利用している寮生はいないようだ。
アルナの日々の積み重ねもあってか、脱ぎ捨てるのは相変わらずだが服は畳むようになったシエラ。
ただし、畳み方は相当雑である。
浴場へ入ったシエラが髪を洗おうとすると、
「今日は私がやるわ」
「! ほんと?」
「怪我をしている時は特別よ」
そうは言いつつも、アルナは時々シエラの髪を洗っている。
洗い方が雑、というのが一番大きな理由だ。
こればかりは何度言われてもなかなか直らない。
それでも銀色の髪は長く美しく、水に濡れると輝くように見える。
アルナがそんなシエラの髪を優しく洗い始める。
「痛くない?」
「普通かな」
「……前にもこんなこと聞いた気がするわね」
「うん、前にも答えた気がする」
「それは覚えているのね。勉強もそれくらい覚えてくれるといいのだけれど」
「お菓子があれば覚えられた」
したり顔で答えるシエラ。
シエラ自身も決して根拠があったわけではないが、やはり何か勉強する上でのメリットがあるとやる気が出る。
そんなシエラの返答を聞いて、アルナは小さくため息をつく。
「なくても覚えられるように、ね。途中何度か覚えられたじゃない」
「アルナが褒めてくれるから」
「! それで覚えられるの……?」
「うん」
シエラの発言を聞いて、アルナは少し驚いたような声で言う。
実際、シエラが何か覚えるごとに褒めるようにしていた。
その結果、シエラの覚えは最初に比べると圧倒的によくなっていたのだ。
まさに褒められると伸びるタイプだと言える。
「しっかり勉強できるならいつでも褒めてあげるわよ」
「そうなの?」
「頑張った子を褒めるのは当然じゃない。私でよければ、だけど」
アルナに褒められることは、お菓子をもらうよりもシエラにとっても喜ばしいことだ。
「アルナが褒めてくれるなら頑張る」
「……素直でいい子ね。私も見習いたいわ」
「じゃあ、アルナはローリィと話すの?」
「っ!」
アルナの動きがピタリと止まる。
シエラはそのまま、アルナの方を振り返る。
アルナが視線を逸らして、答える。
「……もう話すことはないわ。貴方のこと、狙っていたのよ?」
「私は別にいい――」
「良くないわよ!」
シエラの言葉を遮って、アルナが声を上げる。
アルナはすぐにハッとした表情を浮かべて、
「ご、ごめんなさい。大声を出すつもりなんて……」
「私は気にしないよ」
「……シエラ、貴方はローリィに対して何も思わないの?」
今度はアルナがシエラに問いかける。
アルナの言葉に、シエラは首を傾げた。
「何かって?」
「聞いたでしょう。ローリィ……というより、カルトール家は貴方のことを、殺そうとしたの」
「うん」
「うんって……わ、私も、その、カルトールの人間、だけど……」
「家のことはよく知らないけど、アルナは優しいから好き」
「シエラ……」
「ローリィも友達だから好きだよ?」
「……! 友達……でも、やっていいことと悪いことはある――」
そこまで言ったところで、アルナは何かを思い出したような表情を見せる。
「……そう言えば、シエラ。貴方、お菓子に睡眠薬が入っているって、本当に分かってたの?」
「……? うん、匂いで」
「匂いでって……。それなら、どうして分かっていて食べたのよ」
「今のローリィには敵意はないから」
シエラはそう断言する。
少なくとも、シエラに対して敵意や殺意があったのなら、すぐに気付くことができる。
人の感情というものには、どこまでもシエラは敏感だ。
「今のって、以前はあったの?」
「初めて会った頃はあったよ。ローリィ、アルナに対してだけはずっと違う感じがした」
「違う感じって……?」
「よく分からない。けど、わたしと同じ」
「シエラと……?」
「ローリィもアルナのこと、大切に思ってる。だから、わたしとローリィは友達になった」
「私のこと……」
アルナの表情からも、迷っているのは感じられた。
その迷いがどういうものなのか分からないが、少なくともアルナとローリィに関わるものだということは理解できる。
「アルナはローリィと友達にはなれないの?」
「……なりたかった、というべきかしら。ううん、以前はそうだったというのが正解かもしれないわね」
「以前?」
「ええ……昔の話だけれどね」
そう言って、アルナは静かに話し始める。
――カルトール家に生まれたアルナは、幼い頃から魔法の英才教育を受けてきた。
幼いながらも、家の一人娘としての自覚を強く持っていたアルナは、厳しい練習にも耐えた。
今のアルナが《装魔術》の難しいコントロールも可能としているのは、幼い頃の練習の賜物と言えるだろう。
そんな頃、ナルシェ家の子であるローリィを紹介されたという。
「出会ったばかりのローリィは本当に泣き虫でね。男の子なんだから泣かないの、ってよく言っていたわ」
「でも、仲良かったんだ」
「私の方が、一人で寂しかったのかもしれないわね。変わったのは、ローリィの左目に術式が刻まれた時から」
「術式……?」
「カルトール家の魔法の一つよ。人でも魔物でも、相手を支配することを目的とした魔法――そんなもの、人間に使うなんてどうかしていると私は思うけど、ローリィはそれを受け入れたの。その時から、私とローリィは同じ家にいても疎遠になったわ。ローリィはローリィで、色々と修行とかしていたみたいだから」
昔を思い出すようにそう話すアルナ。
その話を聞いた上で、シエラは改めて言い放つ。
「じゃあ、やっぱりローリィはアルナのことを大切に思ってるよ」
「どうして、そう思うの?」
「支配する魔法は私も知ってる。少なくとも、自分から受けるようなことは絶対にしないタイプの魔法。それを自分から受けたのなら、それだけ強い理由があるんだと思う」
他人に対して強要するべき魔法ではないと、エインズは言っていた。
たとえば戦争でも使われるようなその魔法から、ローリィは逃げることなく受け入れたのだとすれば、シエラからすれば理由は一つしかない。
「……そう、かしら。ナルシェ家はカルトール家に仕えてきた家だもの。ローリィだって、それを受け入れるくらい――」
「アルナはそう思ってない」
「……っ!」
表情を見れば分かる――アルナは嘘をついている。
少なくとも、ローリィに対してそんな理由で自らが支配されるような魔法を受けることはないと思っているのだ、と。
アルナは大きく息を吐いて、
「……貴方に嘘はつけないのね。本当に、そういうところはちょっと苦手かも」
「直した方がいい?」
「ううん、はっきりと言ってくれる方が、私は好きよ。思い上がったことだと思って、考えないようにしていたの。ローリィが私のために……ずっと頑張ってくれているって。だって、私は当主にもなれないのよ? 王にもならない、当主にもならない――カルトール家の人間としては、どこまでも必要とされないの。それなのに、そんな私のために頑張るなんて……私はどうやったらその気持ちに応えられるのか分からないのよ……!」
アルナが俯いたまま、続ける。
「昔みたいに仲良くなれるのなら、それでいいと思ったわ。けど、ローリィはそれを受け入れてくれなかった。諦めたくはなかったけど、貴方のことを狙っていたと聞いて……カッとなってしまって。あの子はもう、カルトール家のために働く道を進んでいるだって、そう思ったの」
「ローリィはアルナのことしか考えてない。見てれば分かる」
「そんなこと、分かるのは貴方しかいないわよ。……言われないと私には分からないわ」
「だから、ローリィと話さないの?」
「!」
初めと、同じ質問だった。
アルナもローリィと仲良くなりたいと思っている。
ローリィもそう思っているのだから、仲良くなれないはずがない。
シエラは少なくともそう考えていた。
お互いにお互いを思っているのなら、あるべき形は今のような関係ではない。
シエラの問いかけに、アルナの表情はまだ迷ったままだった。
それでも、アルナがゆっくりと答える。
「もう一度話せば、何か変わると思う?」
「分からない」
「……そうよね」
「でも、話さないとそのままだと思う」
シエラは思ったことを口にして答えている――それが、正解でも間違っていても、だ。
的を射た発言をすることはきっと少ないのだろうが、今のアルナにとってシエラの言葉は行動を起こすのに十分だった。
「……お風呂だけど、身体を洗ったら出てもいいかしら?」
「うん、いいよ」
アルナの言葉に、シエラは頷いて答える。





