66.決別
シエラの傷口はそれほど深くなく、簡易的ではあるが止血は完了した。
シエラはまた勉強をしようと言ったが、アルナは首を横に振る。
「それどころではないわ。貴方の怪我、治ったわけではないのよ?」
「わたしは大丈夫」
「……前にも言ったでしょう。私が心配するの。……私が、無理をさせているのは分かっているのだけれど」
「無理なんてしてないよ。だって、わたしがアルナと一緒にいたいと思ってるから」
「シエラ……」
少し悲しそうな微笑みだったけれど、アルナは優しくシエラの頭を撫でる。
アルナの手は触れると冷たいけれど、温かく感じる。
シエラはそんなアルナの手を取って、頬へと持ってくる。
こうしていると、気持ちが安らぐからだ。
(アルナは父さんみたいだけど父さんじゃない……じゃあ、母さんみたいな感じなのかな?)
シエラの知らないもの――それは母のことだ。
もしかしたら、アルナと一緒にいると感じる感覚は、母と一緒にいるときに感じるものなのかもしれない、そんなことを考えていると、
「アルナお嬢様ッ! シエラッ!」
慌てた様子で、ローリィが駆けてくる。
だが、アルナとシエラを見てか、安堵したような表情を見せた。
「よか、った……ご無事で」
「ええ、シエラのおかげよ。貴方も何かなかった?あの時と同じか分からないけど、人形使いよ」
「人、形……」
ローリィが驚きに満ちた表情で、壊れた人形を見る。
動揺は消せないままに、シエラの服に血が付いているのも目に入ったようだ。
「お前、怪我したのか……?」
「うん、平気」
大丈夫か、と聞かれる前にそう答えるシエラ。
だが、ローリィの表情は曇ったままだ。
襲われたシエラとアルナよりも、ずっとローリィの方が切羽詰まっているようだった。
「……どうかしたの? ローリィ。私達なら平気よ。シエラは怪我をしているけれど、すぐに戻って校医の先生に――」
「違う……違うんです。アルナ、お嬢様。襲われた、のは、きっと僕のせい、です」
途切れ途切れに、ローリィがそう言う。
怪訝そうな表情で、アルナがローリィを見た。
シエラも同様に首をかしげる。
人形に襲われた――それがどうしてローリィのせいになるのか。
「どういうこと……? 分かるように説明して頂戴」
「それ、は……僕が、僕が――シエラの食べたクッキーに睡眠薬を盛った、からです。シエラを殺すようにと、命を受けたので」
「……え?」
ローリィの告白を聞いて、アルナの表情が強張る。
当然だ――今シエラが狙われたのは、カルトール家からの指示だというのだ。
そして、ローリィもそれに加担した、と。
「冗談、よね?」
「いえ、本当です。シエラ、お前はクッキーに睡眠薬が入ってたこと、気付いてただろう?」
「え、うん」
話を振られて、シエラはこくりと頷く。
匂いの時点で気付いていた――仕事柄、食べ物に異物がないかどうかは特に気にする。
ましてや、エインズがよく暗殺者から狙われるような立場だ。
睡眠薬でも、シエラならば食べる前から気付いていた。
「僕は、シエラに薬を盛ることが成功するかどうか確かめました。言い訳にしかなりませんが、殺すつもりはなかったんです。でも、こんなことになるなんて……」
ローリィの言葉を聞いて、アルナがローリィの前に立つ。
一瞬の静寂の後、乾いた音が周囲に響く。
アルナが、ローリィに平手打ちをしていた。
「……っ」
「ローリィ、私は貴方とも以前みたいに仲良くなれると思っていたわ。そうしたいと思っていたの」
「……」
ローリィは答えない。
シエラはアルナの方を見る。
アルナは――泣いていた。
初めて出会った時よりも、もっと悲痛な表情で。
その悲しみが、シエラにも伝わる。
アルナが拳を握り締めて、続ける。
「カルトール家は、私からシエラを奪うつもりなの? 別に護衛だっていらないわ。放っておいてもいいじゃない。私はカルトール家にとっては必要ない人間なんだから」
「それは違いますっ!」
「何が、違うって言うのよ。ローリィ、貴方のこと、私は信じたいと思っていたのに」
そんな風に、誰かを責めるアルナは見たことがない。
狙われたのがアルナではなくシエラだからか――アルナは苛立ちを隠せない。
シエラの手を引いて、アルナははっきりと宣言する。
「伝えて頂戴、私はシエラと二人でしっかり役目を果たす。今さら、私達には関わらないで」
「アルナ――」
「シエラ、いいの」
シエラの言葉を遮り、アルナが歩き始める。
シエラもその手に引かれるように付いていくが、後ろに残したローリィのことが気になっていた。
ローリィが振り返ることもなく、ただ呆然と立ち尽くしている姿だけがシエラの瞳には映っていた。





