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64.アルナとローリィ

「……すぅ」


 それから一時間もしないうちに、シエラが眠りに落ちてしまった。

 最初はアルナも起こそうとしたのだが、眠りは深く中々起きない。

 結局、自然に起きるのを待つことにした。


「覚えがよくなった分エネルギーの消費が早いのかしら……? それとも甘いものの摂りすぎ……?」

「……」


 そんなシエラの姿を、ローリィは静かに見つめている。

 ローリィといるときは、大概シエラと一緒だったことを思い出す。

 こうして二人きりで向かい合うのはほとんどない機会だった。


(こういう時こそ、言うべきなのかもしれないわね)


 アルナは決意したように頷くと、ローリィへと声をかける。


「ローリィ、ちょっといいかしら」

「! は、はい、何でしょうか?」

「あの、ね。少し前にシエラが言っていたと思うのだけれど……その、貴方が私と仲良くしたい、ってこと」

「あ、ああ。そのことですか。それについては忘れてくださいと――」

「違うの、聞いて」


 ローリィの言葉を遮るように、アルナは言う。

 はぐらかされて終わる――それを繰り返していては、いつまでも前に進むことはできない。

 やりたいことをする、シエラと約束したことだ。


「私も、そう思っているわ」

「……! アルナお嬢様……」

「だって、そうでしょう。幼い頃はもっと仲良かったもの。貴方は、その……左目の魔法のことがあるかもしれないけれど、それだっていつか私が解呪するわ。その時には――」

「アルナお嬢様」

「っ!」


 二度目にアルナの名を呼んだローリィの声のトーンは、幾分か低いものだった。

 当然だろう、ローリィを支配するその魔法は、そもそもカルトール家が作り出したもの。

 それを、都合よく解呪して仲良くしたいなど、アルナが言ったところで聞いてもらえるとは思わない。


(……でも)

「貴方の、気持ちは分かるわ。それでも、私は貴方と仲良くしたいの」

「……分かって、いないですよ。それは」

「……え?」

「いえ、何でもありません。今の僕は貴方の護衛であり、それ以上でもそれ以下にもなりません」

「ローリィ……」


 ローリィの考えは変わらない。

 アルナが変わったとしても、それが相手も同じ気持ちだとは限らないからだ。

 ただ、ローリィは少しだけ表情を綻ばせると、


「けれど、ありがとうございます。おかげで、少しだけ勇気が出ました」

「え、どういうこと?」

「いえ、何でもありません。それより、飲み物でも買ってきますよ」

「あ、飲み物ならここに――」

「こいつが起きるようなものの方がいいですよ。甘いジュースとかなら起きるかもしれません」


 ローリィはそう冗談めかして言って、去っていく。

 アルナはその背を見送り、小さく嘆息する。


「……簡単には、上手くいかないものね。でも、諦めるにはまだ早いかしら」


 隣で眠るシエラの頭を、アルナはそっと撫でる。

 気持ち良さそうに眠るシエラを見て、アルナはくすりと笑う。


「貴方のおかげで、私はまた前に進めそうよ」


 その言葉は、今のシエラには届かないだろう。

 けれど、アルナはいつもシエラに感謝している。

 だから、気持ちを言葉にして伝えることは忘れないようにしていた。


 ***


 アルナの下から離れ、ローリィは森の中を歩く。

 人気のないところで、ピタリと動きを止めた。


「定時連絡の時間ではないはずですが」

「別に、構わんだろう。お前の働きを見に来たんだ」


 そこにいたのは、ローブの男。

 カルトール家との連絡を担う者だ。

 こうして二人で会って話すことにも慣れたが、ローリィと男には主従の関係がある。

 ローリィには、男に逆らうという選択肢はない。

 何故なら、男もまたカルトールの人間だから。

 けれど、ローリィは拳を握り締めて、言う。


「僕の仕込んだ睡眠薬入りのクッキーで、シエラ・ワーカーを眠らせることに成功しました。これが可能なら、毒殺も可能だと思います」

「それならば、実行に移せ。簡単だろう」

「……どうして、それが必要なのですか」

「なんだと?」

「シエラは、少なくともアルナお嬢様にとって必要な存在です。今日だって、アルナお嬢様はシエラのためにこうやって勉強会を開いているんです」

「それが、どうした?」

「僕には、彼女とアルナお嬢様の関係を断つようなことは……できません」


 ローリィは男の命令を拒否した。

 それは自分の意思であり、カルトール家の執事としてではない。

 たとえ叶わなかったとしても、アルナと友達のような関係にいつかなりたいと思うのなら、シエラを殺すような真似だけはしてはならない。

 ローリィはそう考えていた。

 しばしの静寂の後、男が答える。


「そう、か……ならば仕方あるまい」

「……! ご理解いただけるのなら――」

「私が殺そう、彼女を」


 男ははっきりと、そう宣言した。

 一瞬、何を言っているのかローリィには理解できなかった。

 だが、すぐにローリィは男がすぐにでも行動に移ろうとしているのを感じ取る。


「動くな、ローリィ」

「が、ぐ……!?」


 それが分かっていたかのように、男が言葉を発する。

 左目に走る激痛と共に、ローリィはその場で膝をつく。


「そこで、待っていろ。すぐに終わる」

「……!」


 男の行動は明らかに異常である。

 だが、今のローリィにできることはなく、ただその場で痛みに耐えるしかなかった。


 ***


「ふぅ……」


 アルナは小さく息を吐き、集中する。

 いつもの日課で、アルナもシエラが見ていない時も魔法の練習をしている。

 主に使うのは《装魔術》――ただ、最近感じるのは自身の能力不足。

 装魔術を仮に使えたとして、アルナにはシエラのような異常な身体能力はない。

 もちろん、シエラも魔法で補っているのだろうが、アルナにはそれを両立させる技術もない。


(簡単に強くなれるのなら、苦労はしないわよね)


 アルナも、それはよく分かっていた。

 装魔術を使えるだけでは、カルトール家にとっては必要な人間ではないということも。


(ダメね……そういうことは考えないようにしないと)


 アルナは練習を一度切り上げる。

 またシエラが起きたら練習しようと振り向くと、


「え?」


 テーブルに突っ伏したまま眠るシエラの横に、人がいた。

 ただ、それは人というには大きな体格。

 白と青を基調としたメイド服を纏っているが、身長はゆうに三メートルほどはあるだろうか。

 アルナは見上げるように、その顔を確認する。


「人、形……!?」


 すぐに理解した。

 以前《イゼルの塔》で襲撃を受けた時と同じだ。

 人形は手を前に組んで、まるで誰かを待っているかのように佇んでいる。

 だが、すぐに待っているわけではないということが分かった。

 カタカタと音を立てながら、人形が動き始める。

 右腕を振り上げると、手の先から刃が現れて――それをシエラへと振り下ろす。


「シエラっ!」


 アルナもまた、自然と行動に出ていた。

 人形が動き出す前に、シエラの服を掴んで乱暴に椅子から降ろす。

 まだ眠っているシエラは脱力したまま、地面に転がった。

 ギギギ、という奇妙な音と共に人形の首が曲がる。

 シエラとアルナを見るその姿に、アルナは恐怖を覚えた。


(こんな、ところでも……!)

 

 シエラの強さが分かっている以上、下手に仕掛けてくることはない。

 アルナはどこかそう考えているところもあった。

 実際には、暗殺者にとってタイミングなどいくらでもある。

 ただ、疑問に感じるのは最初に狙ったのがアルナではなくシエラの方だということだ。


(シエラさえいなければ、私なんていつでも殺せるってこと……!?)


 アルナの考えは、何も間違っていない。

 だから、無防備な状態のシエラから狙ったのだろう。

 人形は再び真っ直ぐ立つ。

 一瞬の静寂のあと、人形の顔が動き出した。


「……っ!」


 シエラとアルナを見下ろすように、気付けば二人の前に人形が立つ。

 両手から生やしたような刃が、シエラ目掛けて振り下ろされる。

 アルナは咄嗟に、シエラを庇った。


「――」


 ヒュンッと風を切る音に、赤い一線がアルナの視界に写る。

《赤い剣》を振り上げて、シエラが人形の一撃を防いだのだ。

 そのまま、アルナの下を離れてシエラが起き上がる。


「シエラ……!」


 アルナの呼ぶ声に、シエラが振り返る。

 だが、その動きはどこかおかしい。

 ふらふらとしていて、定まらない。


「ど、どうしたの、シエラ!?」

「ん……大丈……」


 アルナの言葉に答えようとしていのは分かるが、シエラの意識が定まっていないのは分かった。

 いくらシエラが寝起きだとしても、その光景は異様に見える。

 それでも赤い剣を支えにしながら、シエラが人形と対峙した。

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タイトル変更となりまして、書籍版1巻が7月に発売です! 宜しくお願い致します!
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