6.シエラ、試験を受ける
《ロウスタ魔導学園》の講師の一人――ホウス・マグニスは試験会場で待機していた。
主に生徒の魔法の訓練に使う練武場として使われている場所を、試験会場としている。
この魔導学園において講師を務める者の多くは、魔導師として実績を残した者ばかりだ。
ホウスもその一人であり、彼は実際に戦場でも活躍したことのある魔導師でもあった。
《紅髪》のホウスと言えば、知る者は知っている魔導師である。
筋肉質な身体つきは、一見すると魔導師にも見えないと言われている。
だが、ホウスは欠伸をしながら同じく近くに待機している試験官の女性に声をかける。
「なあ、この試験……やる必要あると思うか?」
「え、どういうことですか?」
「どういうもこういうもよ、そのままの意味だろ。これから来る……なんてったっけ」
「えっと……シエラ・アルクニスさんですか?」
紙に記載されている名はシエラの名前だが、姓はアルクニスと表記されている。
これはあらかじめ用意されていた偽名ということになるのだが、試験会場にいる二人は知る由もない。
「そう、そのシエラって娘よ。昨日侵入者として捕まったっていう話を聞いてからもおかしいと思ってたけどよ、筆記試験――合計で半分もいってないらしいじゃねえか」
すでに、シエラが筆記試験を終えた後のことだった。
会場にいる試験官にもその結果が伝えられている。
シエラの試験の結果は、筆記の時点で不合格となるレベルだった。
学園の合格基準は筆記でも八割以上が基本だ。
だが、シエラは四割あるかないか、という点数しか取っていない。
「一応、《魔導学》や《魔物学》の知識に関しては突出しているようですが……」
「そんな偏った知識だけを求めてるわけじゃねえだろ。何のための試験だと思ってんだ」
「ですが、学園長が……」
「そうなんだよなぁ」
筆記の時点で不合格であるというのに、学園長であるアウェンダがシエラの模擬試合を見てみたいと言い始めたのだ。
他ならぬ学園長自身が連れてきたと言ってもいい受験者だ。
それに異を唱える者もいなかったが、当然疑問に思う者も多い。
「連れてきた手前、合格させてやりたいってところなのかねぇ。そういうの、俺はどうかと思うんだが」
「さすがに試験は真っ当に行っていますので、それはないかと思いますが……」
筆記の時点で不合格――その事実は覆らないだろう。
ホウスも含め、多くの講師達はそう思っている。
実際、練武場の観客席で模擬試合を眺めようとするのは学園長を含めてごくわずかだった。
呑気な笑顔を浮かべているアウェンダを見て、ホウスはため息をつく。
その時、試験会場にシエラがやってきた。
長い銀髪を後ろで結び、軽装でホウスの前にやってくる。
一応、試験官と模擬試合する上で怪我のないよう配慮がされる。
シエラもその例には漏れず、軽装ではあるが魔法的な防御効果の高い装備を見に付けていた。
試験官の女性がシエラの下へと向かう。
「シエラ・アルクニスさんですね?」
「うん」
「まずは筆記試験、お疲れ様でした。次は模擬試合という形――」
「そのあたりの説明はいいだろ、別に」
「ちょ、ホウスさん!?」
ホウスの言葉を聞いて、シエラが不思議そうに首をかしげる。
自分の置かれている状況にはまるで気付いていないようだった。
(とっくに不合格だってんだよ、お前は)
すでに落ちた人間の試験をするなど面倒でしかない――ホウスはそんな風に考えていた。
最初から評価する気もなく、適当にあしらって終わらせるつもりだった。
(軽く流して終いにするか)
「さっさと始めるぜ、シエラ」
「ルールとかあるって聞いたけど」
「……口の聞き方も知らねえみたいだな。ルールはないんですか? だろ」
威圧するように言うホウスだが、シエラは特に気にする様子もない。
所詮は田舎娘か――ホウスはシエラのことを鼻で笑う。
「ルールなんざねえよ。お前が俺を倒せたら合格……倒せなかったら不合格、それでいいだろ」
「ホ、ホウスさんっ! いくらなんでも――」
「うるせえ、担当の試験官は俺だ」
「あなたを倒せばいいってこと?」
「そういうことだ。何したっていいぜ。本気で来いよ」
「! え、本気で……?」
今まで特に起伏のない反応だったシエラが、わずかに動揺するのが見える。
本気という言葉に何故か反応していた。
「『凡人ノート』には本気は出さないようにって書いてあったし……」
「何言ってやがる?」
「えっと、少しだけ本気出す、ってことでいい?」
「……舐めてんのか?」
ホウスの苛立ちが強くなる。
少しも何も、天地がひっくり返ったとしてもシエラがホウスに勝てることなどあり得ない――そう考えていた。
ひらひらと手を振って、ホウスは言い放つ。
「あー、もう何でもいい。おい、試合開始の合図だ」
「え、えっと……」
女性の試験官はちらりと学園長の方を見る。
相変わらず笑顔を浮かべたまま、頷き返した。
試合を始めても問題ないということだ。
「そ、それでは、これより模擬試合を開始しますっ」
女性の試験官が手を上げる。
ホウスは構えることもなく、シエラを見た。
シエラも構える様子はない。
(……はっ、俺がいきなり動かねえとでも思ってんのか)
「――試合開始!」
「《ヘル・ブレイズ》ッ!」
「え!?」
それはシエラではなく、手を振り下ろした試験官の女性の方が、驚きの声を上げた。
突如、ホウスの前に出現したのは、九つの枠組みで分割された《魔方陣》。
方陣内にそれぞれ魔法効果の紋章を描き、魔力を介して発動する――それが魔法だ。
炎の紋章、操作の紋章、分散や回転――様々な効果を付与することで魔法の効果を引き上げる。
ホウスは構えていないようで、試合開始前からすぐにでも発動できるようにそれを仕込んでいた。
《ヘル・ブレイズ》――炎系統の魔法としては上級に値するもので、およそ試験で使われるような代物ではない。
受からせる気などまったくないと、そう思われても仕方のないレベルだった。
燃え盛る炎が魔方陣を介して出現し、シエラの方へと向かう――
「っ!?」
次の瞬間、ホウスは目を見開いた。
試合開始の合図と同時に魔法を発動した。
それで試合は終わりとなる。
そのはずだったのに――ホウスの目の前にシエラが立って、拳を振り上げていたのだ。
「少しだけ本気で、いくよ?」
そんなことを言って、シエラの拳はホウスの腹部へと叩きこまれる。
それは魔法でも何でもないが、魔力を乗せた強い一撃。
ホウスの身体が宙に浮かぶと、そのまま勢いよく吹き飛ばされていった。