52.群がるモノ
「継承権の放棄……ねえ」
わずかな沈黙のあと、口を開いたのはメルベルだった。
紅茶を一度口に運んでから、言葉を続ける。
「あんたは王になりたいってことか」
「当然ですわ。わたくしを置いて、他にふさわしい人物などいませんもの」
自信たっぷりの表情で答えるリーゼ。
実際、クロイレン家と言えば代々《騎士団長》を務めてきた王国における軍事の実質的なトップと言える。
そう考えれば、彼女の傍にいるのが騎士というのも自然ではあるし、この塔を守護する騎士達がみな、彼女の味方だという考え方もできる。
アルナやメルベルにはそんな後ろ楯はない――特に、アルナ個人で言ってしまえばここにいるシエラとローリィしかいないことになる。
その上、ローリィはカルトール家から差し向けられたものだ。
「結論から言おうか――嫌だね」
きっぱりと、そう答えたのもメルベルだった。
その答えを聞いても、リーゼは余裕な態度を崩さない。
「メルベルさんは王位など、特にご興味のない方だと思っていましたわ」
「なかった、が正しいね。少し前なら了承してたかも分からないが、今は違う。あたしはあたしの力を持って、王になるつもりさ」
そうはっきりと宣言したメルベル。
この時点で、リーゼとメルベルの対立は決定的なものとなった。
だが、そうなると残されるのはアルナということになる。
「貴方はどうなんですの、アルナさん」
「! 私は……」
いずれは問われることだと思っていた。
いつやってきても、アルナはカルトール家の人間として、毅然と役目を果たすつもりでいたのだ。
――けれど、《王位継承権》を放棄できるという言葉。
その道を選べば、カルトール家の人間が王になるという道はなくなるが、アルナの安全は保証される。
少なくとも、リーゼにはそうするだけの力があると言っているのだろう。
――そんな考えが、アルナの中にちらついてしまう。
(私が、王になりたいなんて思ったことはないもの。私には、覚悟が、ない)
アルナの表情が曇る。
答えを待つリーゼの表情が、怪しげに笑っているのが見えた。
この場においても、唯一覚悟が決まっていないのは、アルナだけなのだから。
「私、は……」
「アルナ、これも食べていい?」
「っ! あ、え!? い、いいわよ!」
迷いながらも言葉を口にしようとしたとき、そう問いかけてきたのはシエラだった。
場の空気など一切読んでいない――突拍子のない発言に、リーゼだけでなくメルベルも驚いた表情を見せる。
「お前はどうして落ち着いていられないんだ!」
ローリィが再び声を荒げた。
シエラは首をかしげて答える。
「お菓子の食べすぎはよくないからってアルナが言ってた」
「一々アルナお嬢様の許可を取らないでも自分で決めろ!」
「え、いいの?」
ちらりとシエラがアルナのほうを見る。
相変わらず、表情の変化は乏しいが期待感溢れる表情に、アルナは思わず笑みを浮かべてしまう。
――アルナのしたいこと、これから一緒にやっていこう?
そう、シエラが《竜殺し》と呼ばれた男との戦いのあとに、言ってくれたことを思い出す。
王になることは、決してアルナのしたいことではないのかもしれない。
そもそも王になるのはアルナではなく弟の方だ――それでも、弟は大切な存在であるし、そのために戦うことは、アルナのやりたいことに繋がる。
「……ダメよ、シエラは全部食べちゃうでしょう? それと、リーゼさんの申し出は、私も断らせてもらうわ」
「……そう、残念ですわ。貴方達とは上手くやっていけると思っていましたのに」
視線を逸らし、嘆息するリーゼ。
先程までは余裕の表情だったが、今は心底残念そうにしていた。
――それ以上に残念そうな表情を浮かべていたのはシエラだったが。
思わず、アルナもフォローを入れる。
「た、食べ過ぎなければ好きなようには食べてもいいのよ?」
「……」
シエラのテンションがまったく上がらない。
それどころがテーブルの真ん中じっと見つめて表情を変えなかった。
「……シエラ――」
「アルナ、下がって」
「え?」
シエラがそう言うと、アルナの身体を引っ張って後ろに下がらせる。
同時にテーブルの上に降り立った。
ガシャン、と食器の揺れる音が響き、シエラの突然の行動にメルベルとリーゼの後ろに控えていたフィリスが構える。
気付けば、シエラの手には《赤い剣》が握られていた。
シエラがそれを、迷うことなくテーブルに突き立てる。
ガタガタガタガタ、と大きく音を立て、テーブルが揺れた。
――次の瞬間、テーブルの下からいくつもの《手》が飛び出してきたのだった。
***
シエラがその存在に気付いたのは、気配を感じてすぐだった。
大きめのテーブルの下――今までは感じることのなかった殺気が、突然現れたのだ。
(ここからなら届く)
シエラの判断は早く、アルナを後ろへ下がらせると、テーブルの上から《赤い剣》を突き立てる。
手応えはあった――だが、それは人間に対してのものではない。
(人形……?)
シエラはすぐに理解する。
テーブルの下に潜んでいたのは、人間ではない。
直後、周囲から人間の手のようなものがいくつも現れた。
シエラを囲って群がるように、白く細長い手が集まってくる。
(……浅かった)
相手は人間ではない――だからこそ、シエラの一撃では止まらなかったのだ。
シエラは迷うことなく、集まってくる手を切り払う。
ぐしゃりと折れ曲がり、あるいは切断され――宙を舞ういくつもの白い手。
やはり、人形のものだ。
シエラはテーブルを蹴り上げて、そのまま天井に剣を突き立てる。
まるで天井を地面としているように、張り付くような形になりながら状況を確認した。
すでに、メルベルとフィリス――そして、ローリィがそれぞれの主を守るべく行動している。
テーブルから距離を取り、突如現れた敵を認識していた。
「い、今のって……?」
「アルナお嬢様、危険です! お下がりください!」
ローリィがアルナを制止する。
今までいた場所から突然攻撃されたのだから、動揺するのも無理はない。
「お話の途中だというのに、とんだ邪魔が入ったようですわね」
ふぅ、とリーゼが嘆息する。
再び、ガタガタとテーブルが再び揺れ動き始めた。
(十……二十……まだ増えてる)
この塔で感じられる気配が、次々と増え始めている。
今までなかった気配が急に感じられるようになったのは、当然魔法によるものだ。
(《人形術》……それも遠隔の。これだけの数を操れるんだとしたら、相当な人数か一人の手練れ)
シエラは冷静に状況を分析する。
そしてすぐに、やるべきことを決定した。
天井を蹴ると、シエラは真っ直ぐテーブルに向かって剣を振り下ろす。
赤い斬撃は、その勢いのままにテーブルごと下にいたモノを飲み込み、衝撃と共に床を突き抜けた。
シエラはすぐにアルナの下へと戻り、
「ローリィ、アルナと逃げて」
「まさか、貴方は残るつもり……!?」
「人形は他にもいる。壊すなら今のタイミングがいい」
シエラに迷いはない。
リーゼとメルベル――二つの陣営はすでに行動を開始していた。
「それじゃあ、あたし達は逃げるとするか」
「わ、分かりました」
「リーゼ様、私達も」
「そうですわね。では皆さん、生きていたらまた……ごきげんよう」
メルベルはウイを抱えて、同様にフィリスはリーゼを抱くようにして――それぞれ駆け出した。
ローリィもまた、アルナを抱えあげる。
「アルナをお願い」
「……言われなくてもそのつもりです」
「シエラ! 無理をしたらダメよ!」
「大丈夫。すぐに追い付くから」
心配そうに言うアルナに、そう答えるシエラ。
「行って」
シエラの言葉と共に、ローリィが駆け出す。
シエラがここに残ったのには理由があった。
「あなた達の相手は、わたしだよ」
シエラは赤い剣を構える。
増殖する気配は――シエラの方に目掛けて集まっていた。





