40.シエラ、日常を送る
傭兵の仕事というのは実に幅広く、何でも屋と呼ばれることもある。
大規模な魔物の討伐作戦への参加から、国家間の戦争など――当然戦いにおける需要がある。
中には貴族の護衛という仕事を依頼される者もいるというが、傭兵自体を信用できないという人間も少なからずいる。
それこそ、貴族達の中には傭兵などに依頼するのではなく、正式に国に所属している騎士を護衛に使った方が安心できるというものだろう。
そんな中、《最強の傭兵》エインズ・ワーカーの娘――シエラ・ワーカーがエインズからのススメによって入った学園での生活は、一月以上経過していた。
アイス一つで護衛任務を受けてしまうような常識のない少女は、自身の寮の部屋にいる。
今日は休みではなく授業のある日なのだが、未だにベッドの中で小さな寝息を立てていた。
「ん……」
時折、もぞもぞと寝返りを打ってはまた、寝息を立て始める。
初めの頃は、傭兵生活で培ってきた外で寝る習慣が染み付いていたために落ち着かなかったが、今ではベッドで寝ることが日常的になっている。
柔らかいベッドは非常に寝心地がよく、シエラはだんだんと起きる時間が遅くなっていた。
そんなシエラを起こす役割を担うのが――
「シエラ、入るわよ」
何度目かのノックの後にやってきたのはアルナ・カルトール。
同じ学園の同じ寮に暮らす、クラスメートの少女だ。
《フェルトス王国》では有名なカルトール家の娘であり、五人いる王位継承権を持つ者の一人。
複雑な事情にありながらも、心優しい少女に育ったアルナだったが――そんなアルナもシエラに対しては多少厳しさを見せることもある。
「こら、もう遅刻するわよ。早く起きなさいって」
問答無用で布団を剥ぎ取るアルナ。
そこにいたのは、下着姿で猫のように丸まったシエラだった。
「アルナ、寒い」
「だったら服を着て寝なさいっていつも言っているでしょう! それに鍵も閉めるように言ったわよね?」
「アルナが入ってくるから開けておいたよ?」
シエラはゆっくりと身体を起こしながら、そんな風に答える。
すっかり警戒心のない姿に、アルナが少し呆れたようにため息をつく。
眠そうにしているシエラだが、いざとなればすぐにアルナを守るために動き出す。
アルナにとっては頼りがいのある存在だが、普段の生活はアルナに依存し始めていた。
――というより、すでに依存してしまっている。
「私が入ってくること前提なのはダメよ。もしかしたら、っていうこともあるでしょう?」
「もしかしたら?」
首をかしげながら、シエラが問い返す。
アルナが少しだけ考える仕草を見せるが、すぐに小さく頭を横に振る。
「……何でもないわ。とにかく髪は私がセットするから、早く準備して」
「うん」
こんな生活がすっかり日常となっていた。
シエラ自身はこの生活を気に入っているし、アルナも口では色々と言うが、日々の暮らしで笑顔を見せることが多くなった。
《竜殺し》――そんな男に狙われてからまだそれほど時間は経過していない。
その数日間でも、アルナは随分とクラスにもとけ込んだ。
最も仲の良いと言えるのは、自他共に認めるほどにシエラだが、クラスにも友達と呼べる人間が増えた。
元々、大貴族であるということから委縮してしまっている者達と、アルナの他人を寄せ付けない雰囲気が原因でもあった。
話してみればなんてことはなく、お節介なお姉さんという印象がクラスでもやや強く見受けられる。
アルナ自身はそれを否定しているが。
「明日からはもう少し早く起きて朝食もきちんと食べるようにね?」
「食べたよ」
「え、いつ?」
「朝方。練習ついでにそこにある葉っぱ――」
「敷地内のものを適当に食べたらダメよ!」
「食べられる物だよ?」
「食べられる物だとしても、よ。……というより、朝方起きてまた寝ているってこと?」
「うん」
「だから起きる時間が遅いのね……。練習って、魔法の?」
「《装魔術》。剣を振るう練習も含めて」
それはシエラの日課の一つだ。
本来ならばエインズとの手合わせも含めて行うべきものだが、今は相手がいない。
だから、一人で剣を振るう――何もしないよりは、何かした方がいいというシエラの考えだった。
シエラの強さは、すでにエインズと並ぶレベルにあるが、まだ成長の余地はある。
少なくとも、エインズからはもっと強くなれるだろうと言われていた。
それがどのような形の強さなのか、シエラにはよく分かっていない。
――シエラにとっての強さの指標の頂点とは、エインズに他ならないのだから。
「まさか下着姿で外には出ていないでしょうね?」
「……」
「え、嘘でしょう?」
「下着ではないよ」
「そ、そうよね」
実際には少し大きめのシャツを羽織っているだけで、相当な薄着であることに変わりはない。
ただ、本当のことを言うとアルナが怒りそうだと思ったので少しだけ論点をずらした。
そういうことばかり、シエラは身に付け始めている。
そんなシエラに対して、
「……シエラが練習しているなら、私も朝方起きてみようかしら」
ぼそりと小さく呟くアルナ。
そんなアルナの言葉を、シエラは否定する。
「ダメだよ」
「え、どうして?」
「アルナが起きられなくなったら、わたしを起こしてくれる人がいなくなっちゃう」
「……何でしょうね。色々と複雑だわ」
「……?」
小さくため息をつくアルナ。
アルナの悩みについては、シエラには想像できなかった。