39.シエラの願い
《オルレッタ王立病院》に、シエラの姿はあった。
結局森からは徒歩で抜け出したシエラとアルナだったが、王都に向かう途中で騎士に保護され、そのまま病院に送られた。
授業で習った《魔物》について森に調べに行ったという理由を付けて、当然のごとく怒られることになったが。
森の方については特に、王都では数年振りに警鐘が鳴るほどの出来事があったためにしばらく立ち入り禁止となっていた。
騎士達による調査が継続されているとのことだが、少なくともシエラやアルナに話が来たことはない。
「もう少し待っていてね」
「うん」
アルナの言葉にこくりと頷くシエラ。
病室のベッドで大人しくしているシエラに、アルナがリンゴを剥いているところだった。
シエラの怪我は当初、歩いているのが不思議なほどの状態だったと医者に言われた。
止血も満足にしていなかったため血は不足し、外見上の怪我だけでなく内臓や骨に至るまで損傷していたからだ。
エルムの強力な一撃に対してそれで済んだのは、シエラだったからこそとも言える。
その回復力も目覚ましく、一週間程度で退院できるとのことだった。
シエラの魔力コントロールによる治癒力は、医者も驚嘆するほどだ。
シエラ自身も怪我に拘らず、一番慌てていなかったという事実もある。
「はい、うさぎ型よ」
「! 本当だ」
綺麗に切り揃えられた赤い耳のできたうさぎが並ぶ。
横一列に並んでいるのがアルナの性格を表していた。
「少し下の部分を切るとね、立たせることができるのよ」
「そうなんだ、可愛いね」
「でしょう? 最初に考えた人はとても素敵な発想力を――って、何してるの?」
「食べさせて」
両手を前に出して、ポンポンと軽くシーツを叩くシエラ。
入院してからシエラの要求がことごとく通るために、だんだんとアルナに甘える部分が強くなっていた。
普段のアルナなら間違いなく自分でやるようにと言うところだが――
「もう自分で食べられるでしょう……しょうがないわね」
怪我もあってか、アルナもまたシエラを甘やかすことを許容してしまっていた。
「楊枝は噛まないようにね」
「うん」
そうやってアルナがシエラにリンゴを食べさせていると、部屋のドアがノックされる。
やってきたのは、クラスメートのルインとオーリアだった。
「やっほ、シエラさん――と、カルトール様……?」
「カルトール様も早く帰られたと思いましたが、ここにいらしていたのですね」
「ええ」
ルインとオーリアがシエラのお見舞いに来てくれたのだが、アルナの存在もあってか、やや気まずい雰囲気が流れる。
そんなアルナに対して、シエラは言う。
「やりたいこと、するんだよね?」
「っ! そう、ね」
シエラの言葉にアルナが頷くと、席を立ってアルナがルインとオーリアに向かい合う。
「……カルトール様?」
「その……ア、アルナで構わないわ。私も、えっと、貴方達と話をして、みたくて」
ぎこちなくそんなことを言うアルナに、驚いた表情を見せるルインとオーリア。
少しの静寂の後に、二人が笑い出した。
「あははー、何言われるのかと思ったら、安心したー」
「え?」
「そんなに畏まられたらビックリしてしまいますよ。でも、私達もカルトール様――いえ、アルナさんとお話してみたかったですし」
「シエラさん、この前のこと話してくれてたんだねー。ありがとー」
「うん」
こくりと頷くシエラ。
やや戸惑いを見せたアルナだったが、病室で話しているうちにすぐに打ち解けた。
――アルナのやりたいことを、シエラは支えていくと決めたのだ。
「シエラ」
「……? なに?」
不意にアルナがシエラに声をかけてくる。
シエラが問い返すと、アルナは笑顔で答えた。
「ありがとうね」
「うん」
それは、シエラの望んでいたもの――アルナの笑顔がシエラは見たかった。
「アルナは笑顔の方がいい、好き」
「うわー、シエラさんすごい直球だね」
「やっぱり、仲が良いのですね」
「……そ、そういう言い方は少し考えましょうね?」
ルインとオーリアに冷やかされ、少しだけ恥ずかしそうに注意するアルナ。
シエラはそれに対してだけは、頷いて答えはしなかった。
***
離れた建物から病室を、真っ直ぐ見つめる男の姿があった。
――男の名はエインズ・ワーカー。
《最強の傭兵》として名高い男だ。
「うふふっ、そんなところで見てないで病室に行ったらどうなのです?」
そんなエインズの背後から声をかけたのは、アウェンダ・シェリー――《ロウスタ魔導学園》の学園長だ。
「友達との交遊に水を指すほど野暮な男じゃないですよ。ここからで十分です。上手くやってるみたいで安心しました」
「そんなに心配なら一緒にいてあげたらいいでしょう。私に任せようとしないで。シエラさんだって喜ぶんじゃないかしら?」
「あの子はああ見えて色々考えてるというか……まあ親の前だとああいう感じにはならないと思うんですよ。随分と甘えているっていうか……。それに、俺はいろんな奴らから狙われてる身なもので」
「娘さんのこと、しっかり考えているのね」
「……まあ、あの子には幸せになってもらいたいなんて、今更思う方もどうかしてると思いますけどね」
苦笑しながら、エインズはそう答えた。
同じ傭兵として――シエラを育て上げた。
エインズにすら引けを取らない実力のあるシエラなら、生きていく上で困ることはないだろう、と。
そこまでして初めて、エインズにとってシエラを一人立ちさせても良いものだと考えたのだ。
――ある意味親バカだった。
「でも、あのアルナって子……色々あるみたいじゃないですか」
「そうね。私もそれは把握しているわ」
「……だからシエラを引き取ってくれたんですかね?」
「それもあるわね。うふふっ、私にも色々あるものですから」
優しげな微笑みで答えるアウェンダだが、含みのある言い方だった。
それを踏まえた上でも、エインズはシエラのことをアウェンダに任せることにしたのだ。
――結果として、仲の良い友達ができたようでホッとはしている。
エインズはまた、シエラの方を見た。
包帯姿は痛々しくも見えるが、その表情からは楽しそうにしているのが伝わってくる。
それが分かっただけでも、エインズとしては嬉しかった。
「少し見ないだけでも、子供っていうのは成長するんだなぁ」
ポツリとそんなことを呟くエインズ。
シエラ自ら――アルナを守ると決めたのだから、エインズの知るシエラとはまた違った姿に見えた。
そうしてしばらくの間、成長した娘の姿を見守っていた。
***
――戦いから二週間が経過した。
シエラの怪我も治り、また学園での生活に戻った。
シエラが部屋で着替えていると、部屋をノックする音が聞こえる。
気配で分かる――アルナだ。
シエラはそのままドアを開ける。
「アルナ」
「シエラ――って、きちんと着てから出なさいっていつも言っているでしょう!?」
着替えの途中でも平気で来客に対応しようとするシエラは、まだシャツ一枚を羽織っているだけの姿だった。
アルナが慌ててシエラを部屋に押し込む。
「まったく……髪も手入れしないと。早く来て正解ね」
「うん、よろしく」
「よろしくじゃないのっ」
寮から学園の校舎まではそれほど離れていないが、二人は一緒に通うことにしていた。
髪をとかしてもらいながら、シエラは着替えを再開する。
ふと、アルナが思い出したように呟いた。
「そう言えば、後ろからでも大丈夫になったのね」
アルナがシエラの後ろにいても、特に嫌がる様子もなくシエラはアルナに任せている。
シエラはこくりと頷いて、
「アルナは平気」
「……そう? 正面からだととかすのはさすがにやりにくいから楽でいいわ」
「でも、たまには正面がいい。アルナが見えてる方がいい」
「たまになら、ね。ほら、手が止まっているわよ。着替え着替え!」
本当の意味で友達になったシエラとアルナの学園生活はまだ始まったばかりだ。
アルナを狙う存在――それがいても、シエラのやることは変わらない。
一緒にいて、普段通り生活する。
(これが普通の生活……)
胸元に閉まった『凡人ノート』に手を当てて、シエラは頷いた。
(私にもできたよ、友達)
――そんな当たり前のような少女の願いは、非日常を経て叶ったのだった。
これにて第一部完結です!
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