38.蠢く影
「はっ……はあっ……」
森の中を、ホウスは駆けた。
あれほどの一撃――シエラもアルナも、どちらも確実に死んだと思っていた。
アルナとの戦いの中で巻き込まれそうになったホウスはもう手出しはしまいと成り行きを見守ることにしたのだ。
その結果が、エルムの敗北だった。
(どうなってんだよ……!)
シエラが人間離れしているということは分かっている。
それでもルシュールの用意した人物――《竜殺し》のエルム・ガリレイはホウスも聞いたことがあった。
文字通り、ドラゴンを殺せるだけの強さを持った男だったのだ。
(《赤い剣》……くそっ、また俺の邪魔を……)
かつて傭兵だった頃に出会ったことのある、戦場において最強と呼ばれた男――エインズ・ワーカー。
シエラの姿はそれを彷彿とさせた。
ホウスが傭兵であることを辞めた一因でもある。
そのどうしようもなく強い存在に、ホウスは一度心が折られてしまったのだ。
奇しくもエインズの娘であるシエラによって再びその記憶が呼び起こされた。
足を止めたホウスは、脱力するようにその場に座り込む。
満身創痍のシエラにすら、ホウスは手を出すことができなかった。
(俺は……)
ルシュールももう、この件からは手を引くだろう――ホウスにできることは何もない。
「――随分遠くまで走ってきたね」
「……っ!?」
不意に背後から声をかけられ、ホウスが振り返る。
そこには少年、あるいは少女のような――外見だけではどちらとも判断できない子供の姿があった。
ホウスはその話し方から、少年と断定する。
「ガキが、こんなところで何してやがる……」
「つれないなぁ……ボクだよ、ボク」
「……? お前みたいな奴は知らねえよ」
「あははっ――アタシに仕事の依頼をしたの、忘れちゃったのぉ?」
「!?」
その声を聞いて、ホウスは目を見開く。
ホウスの知る人物とはおよそ似ても似つかない外見――だが、声はよく知っているルシュールのものだった。
「ど、どうなってんだ」
「うふふっ――あはっ、見ての通りさ。これがボクの本当の姿さ。それにしても参っちゃったね。エルム・ガリレイが負けるなんて……やっぱりエインズの娘ってところなのかな」
「っ! エインズの娘……だと!? じゃああいつは……」
「そう――シエラ・ワーカーが本名なのさ。こうなった以上は次の手を考えないとね」
「な……まだやる気がある、のか?」
「ま、ね。ボクにはボクでやることがあるからさ」
ルシュールの言葉を聞いて、ホウスは驚いた。
二度に渡る暗殺の失敗――それでもまだ、この一件にルシュールがかかわるというのだから。
ホウスのやるべきこともまた決まった。
「……それなら、俺も協力するぜ」
「あ、そう? 君が乗り気なら助かるなぁ。それじゃあ早速だけど――死んでくれるかな?」
ルシュールは屈託のない笑顔で、言い放つ。
ホウスは一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「は――かっ……」
だが、すぐに理解する。
喉元に糸のようなものが巻き付き、ホウスの首を締め付ける。
目には見えないほどに細いそれは魔力でできた糸。
それが、大の男のホウスの身体を持ち上げたのだから。
「な、にを……!?」
「何って……この通りさ。まだ君が個人的な依頼を出してシエラ・ワーカーとアルナ・カルトールを狙った――その状態である方が、少しは動きやすくなるんだ」
「い、らい、者、を……!」
「殺すのかって? あははっ、君はそもそも依頼者ではないよ。元々アルナ・カルトールを殺す依頼を受けていたんだから、さ。ついでさ、ついで」
「……ッ!」
そこで初めてホウスは理解する。
ルシュールによって、ホウスは利用されていたのだと。
そして、今もまたホウスはその死すらも利用されようとしていた。
魔法を放とうとしても、意識が朦朧としてそれができない。
ルシュールがホウスを見据えて言い放つ。
「暗殺者が正体を見せるってことはそういうことなんだよ、一つ勉強になったね。来世で生かしなよ?」
ホウスの意識は、そこで途切れた。
***
人形のように動かなくなったホウスから視線を逸らし、ルシュールは呟くように言う。
「以前の君なら、一緒に仕事をしても良かったんだけどね。もう役者としても楽しめないよ」
「むしろ楽しんでいたようにしか思えん」
ルシュールの背後に立ったのは、黒装束に身を包んだ男。
シュルリと懐に《糸》が巻き取られていく。
白と黒のいびつな形をした仮面で、その表情はうかがえない。
「まあね。せっかく仕事をするなら楽しまないと」
「では、追撃をするのであるか?」
ルシュールの言葉に、黒装束の男が言う。
直後、周囲の木々が揺れた。
そこには何人もの影があり、男に従うように立つ。
だが、ルシュールは首を横に振る。
「今言ったばかりじゃないか。もう少し楽しまないと、ってね」
「好機であると考えるが。あれはまともにやれば、国を滅ぼしかねん」
「んー、どうかな。ボクとしてはエルムの方が制御が効かないから都の外でやってもらうことにしたんだけど……まあ、ドラゴンでも来たみたいに警鐘が鳴ってるからね。君の言い分も間違ってはいないよ」
「ならば――」
「その上で改めて答えるよ。追撃はしない」
「何故?」
「あははっ、気付かないかな? 姿を消したはずの男が――近くにいるんだよ」
「!」
黒装束の男が周囲を確認する。
視認できる範囲にはいない。
だが、ルシュールの言うとおり、すぐ近くにその男がいるというのは分かる。
「娘のためなら姿を現すのかな? そういう類の人間ではないと思っていたけど、今は何もしないのが正解さ」
「承知した」
ルシュールの言葉を聞いて、黒装束の男が頷く。
「さて、エルムを回収して帰ろうか。ボクらの《王様》のもとに。あ、ホウスも必要なら持って行ってもいいよ?」
「いらぬ。斯様な者は使えもせん。ここに捨て置け」
「あははっ、酷い言い草だなぁ。ま、しょうがないかな」
消えるようにその場から誰もいなくなる。
どさりと力なく、ホウスが倒れ伏す音だけが響いた。





