30.シエラとアルナ
翌日以降も、アルナの《装魔術》の練習は続けられた。
維持できる時間は少しずつだが延びてきている。
シエラはクラスメートに誘われた時は付き合うこともあったが――短い時間で切り上げてアルナのところへと戻っていた。
別のクラスには、シエラのことを大貴族のペットのようだと嫌味を言う者もいる。
シエラはそんなことは気にせずに、アルナと接していた。
どちらかと言えば、そういうことを気にするのはアルナの方だ。
「……シエラさんは、私と一緒にいて嫌にならない?」
夜――練習を終えて大浴場で、不意にアルナがそうシエラに問いかけた。
「なんで?」
当然のごとくシエラは聞き返す。
嫌ならば一緒にいることなどしないからだ。
「その、私と一緒にいると色々言われる、だろうし。危険だって……」
「わたしは嫌じゃないよ」
「それなら良いけれど、クラスメートの子とも仲良くするのよ?」
「それ、アルナが言うの?」
シエラも思わず突っ込みを入れてしまう。
アルナは「私はいいのよ」と言いながらも、天井を見上げた。
そうは言うが――やはりこういうときのアルナは少しだけ悲しそうな表情をする。
それはシエラにも分かった。
ただ、それはほんの一瞬のことで、すぐにいつものアルナの表情に戻る。
――なんだかんだ言いつつも、アルナの面倒見の良さは群を抜いていた。
先ほども、放っておくと洗い方が雑になりやすいシエラの髪を洗い終えたところだ。
肩を並べて二人で風呂に入るのも日課になっている。
「アルナと一緒にいるの、楽しいから」
「そう、かしら。私は貴方にできることなんてあまりないけれど」
「髪洗ってくれる」
「それは楽しいじゃなくて楽なだけでしょう?」
「美味しいものも知ってる」
「そうやって褒めて新しいところに連れていってもらおうって魂胆でしょう? 甘いものは控えないとダメよ」
――シエラの甘い考えは筒抜けだった。
それでも、こんな当たり前のやり取りを楽しいと感じるようにシエラはなっていた。
(これが、友達ってものなのかな)
エインズが酒場で友人と飲んでいたときも、そうやって楽しそうだった。
――エインズには強さもあり、そして友人もいた。
シエラには強さはあっても友人はいなかった。
また父に追い付いたかもしれない、と少しだけ嬉しそうな表情を浮かべる。
「何か良いことでもあったの?」
「……どうして?」
「嬉しそうだもの。シエラさん、顔に出やすいって言ったでしょう」
「そんなこと言ってた気がする」
以前は隠す努力をしようかとも思った。
顔に出るというのは、言い換えれば弱点を知られるということ――戦場では命取りになる。
けれど、今はそんなことは考えない。
はっきり言ってしまえば、アルナを狙ったものの強さはシエラが加減をしても勝てるレベルだった。
何かあったとしても、シエラには守り抜けるという自信もある。
必要であれば、アルナから仕事として依頼をしてもらえばいい――そうすれば、自分は動けると思っていた。
シエラの姿を見てか、どこか安堵した表情をしながら、アルナが思い付いたように言う。
「明日は休みだし、買い物にでもいきましょうか」
「買い物?」
「ええ、私の練習ばかりに付き合わせても悪いから、気分転換にね」
「わたしは別にいいけど、甘いものがいい」
「もうっ、ちゃっかり行きたいところ言っているじゃないの。……まあ、たまには好きな物でも食べに行きましょうか」
「うん」
アルナの言葉に、また嬉しそうに頷くシエラ。
休みの日も、二人で出歩く機会は増えていったのだった。
***
部屋に戻ったアルナは、脱力するようにベッドに横たわる。
《装魔術》の訓練は特に魔力の消費が激しく、それを毎日行っているアルナには負担が大きかった。
それでも学園での授業もきちんと受けて、成績を落とすようなことはない。
アルナ・カルトールはカルトール家の長女として優秀な存在である――その点についてもアルナは全うしていた。
貴族の中でも、《王位継承権》を持つ家系という特殊な環境で育ったアルナ。
決して、仲の良い者がいなかったわけではない。
かつては、カルトール家に仕える者たちともアルナには交流があった。
少なからず、アルナのことを迎えてくれる者はいる。
「……」
静かに天井を見上げながら、アルナはかつてのことを思い出す。
――アルナ、お前はこの家を継ぐ者として生きるのだぞ。
――アルナ……お前に求めることはこの子が王になるために生き延びること、それだけだ。
「……っ」
父から受けた二つの言葉に、身体が震える。
弟が生まれる前のアルナは、本当の意味でカルトール家を継ぐ者だった。
それがわずか数年後には、弟のために生きる存在となる。
否――生きている必要も、アルナにはなかった。
それでもアルナは父も母も、こうなった元凶となる弟を恨むようなことはしなかった。
そうあるべきだと育てられたアルナにとっては疑うようなことでもなく、同時にアルナはどこまでも優しい子として育ったのだ。
優しいからこそ、シエラを利用しようと考える自分が許せなかった。
同時にそんな自分と一緒にいて、楽しいと言ってくれるシエラのことは、大切にしたいとも思っていた。
(私も、誰かと一緒にいたいって思うくらいは……)
そんなことを思いながら、アルナは眠りにつくのだった。
***
部屋に戻ったシエラは、外の景色を眺めていた。
寮からの見る眺めは変わることはなく、月明かりに照らされた木々がよく見える。
自然の景色は心が落ち着き、シエラにとっては見ているだけでも飽きない。
だが――
(今は、アルナと一緒にいる方が落ち着くかも)
シエラの傍にはいつもエインズがいた。
エインズの代わりだとは思わないが、アルナはシエラにとても優しくしてくれる。
一緒にいて素直に心地よいと感じる。
(明日は甘いもの食べて、それから……買い物?)
ふと、シエラは思い立つ。
アルナは何をしたら喜ぶだろう――あまり考えたことはないが、クラスメートが物をもらって喜んでいるのを見たことがある。
シエラも、甘いものを買ってもらえれば喜ぶ。
(アルナが喜びそうなもの……)
夜遅くになるまで、シエラはそんなことを考えるのだった。