29.シエラ、アルナのことを考える
シエラによる魔法――主に《装魔術》の指導は日が暮れる頃まで続いた。
ひたすらに《剣》の維持の練習を続けたアルナの呼吸は荒く、もはやまともに魔力を練れる状態ではなかった。
一方のシエラは、未だに地面に突き刺した《赤い剣》が残ったままだ。
「はっ……はっ――す、すごいのね。シエラさん」
アルナが横目でそれを見てから言う。
「慣れたらアルナもできるようになる」
シエラは素直にそう答えた。
他人に教えること自体初めての経験と言えるシエラだったが、アルナには才能があると言えた。
幼い頃から続けていたシエラに比べたら、今のアルナができなくても当然だ。
「そう、ね。できるようになるといいけど」
「装魔術が使えるようになりたいのは、自分を守るため?」
「ええ、その通りよ。私が強くあれば……それだけカルトールの家は安泰とも言えるわ」
そうは言うが、アルナの周囲にカルトール家に関わる者の姿はない。
アルナ一人が、家のために努力しているようにも見えた。
シエラにとっては、その問題を考えるのは難しいことだったが。
アルナが呼吸を整えると、シエラに微笑む。
「付き合わせてごめんなさいね。帰りましょうか?」
「うん――アルナ」
「なに?」
「アルナは笑顔の方が似合ってるよ」
「また突然ね……そう言ってくれるのはありがたいけれど」
少し困ったような表情で答えるアルナ。
褒められるのにはあまり慣れていないようで、少し恥ずかしそうでもあった。
「笑顔が似合うっていうのは皆そうよ。シエラさんだってそう」
「わたし?」
「ええ、以前見せてくれた笑顔はとても良かったわよ?」
「……よく覚えてない。わたし、そういうの苦手だから」
感情の起伏がほとんどないシエラは、他人から見れば分かりやすいが自分では理解できていない。
怒ったときや楽しいとき――自然とそうなる表情が理解できていない。
「覚えてないっていうのは自然とできたって証拠よ」
「そうなの?」
「ええ、シエラさんが作り笑いとかしたいって言うなら別だけれど」
「作り笑い?」
「そう、悲しい時でも笑ってたり、つらい時でも笑っていたり――そういうことも必要になる人間もいるわ」
「……難しいね」
「シエラさんは今のままでいいと思うわ。自然な貴方には、とても憧れるもの」
そう言うアルナの表情は、先ほどとは少し変わって悲しそうだった。
何か思うことがあるとき――アルナはそういう表情をするのだ。
それを聞いても、アルナはきっと答えてはくれない。
「ねえ、シエラさん。また今度練習付き合ってくれる?」
「いつでもいいよ、明日でも」
「シエラさんは、わたしばかりじゃなくて、他の子とも遊んだりしないとダメよ?」
「……それ、アルナはするの?」
「私はいいの。シエラさんの好きなように、ね?」
「……うん」
アルナの言葉に頷くシエラ。
言いたいことはシエラにも分かる――けれど、シエラにとって友達と言えるのはまだアルナしかいない。
アルナがそう言うのならと納得はするが、シエラはアルナと一緒にいたいと、そう思っていた。
***
一人の男が、王都へとやってきた。
ところどころが黒ずんだ鎧に身を包み、その表情を窺うことはできない。
男は、少し前にやってきた少女と同じように、王都を囲う城壁の上から――都を見下ろす。
「懐かしいではないか、この景色も」
「到着したのなら連絡くらい寄越しなさいよぉ、エルム・ガリレイ」
男の背後からやってきたのはルシュール。
口調こそ女性のようだが、見た目はれっきとした男――そんなルシュールを見て、エルムは訝しげな表情で言った。
「何だ、そのふざけた姿は」
「あら、ふざけてなんかないわよ。アタシ意外と気に入って――」
「目障りだ、戻れ」
「うふふっ――あははっ、仕方ないなぁ、君は。結構キャラが立っていて気に入ってるんだよ、ボクは」
ルシュールの声色が変化する。
それだけではない――屈強な身体つきだったルシュールの身体は小さく、少年のようでも、少女のようでもある外見に変わっていく。
ルシュールは、エルムの隣に立つ。
「これでいいかい?」
「何故姿を偽る必要がある?」
「色々とやりやすいからさ。相手によって姿を変えるというのはね……何よりも暗殺に向いていると言ってほしいなぁ。君と違って」
「世間話をするために呼んだわけではあるまい。この俺を呼んだのだ……それ相応の相手なのだろうな? 俺は今エインズを追いかけるのに忙しいのだが」
「あははっ、相変わらずだね。うん、でもだからこそ――君の望む存在にもっとも近いと言える相手だよ」
「……ほう。そいつの名は?」
エルムが問いかけると、ルシュールは楽しそうな笑みを浮かべて答えた。
「シエラ・ワーカー――二本の《赤い剣》のうちの一つであり、エインズの娘の可能性が高い」
「……エインズの娘、だと?」
「どうだい、やる価値があるんじゃないかな?」
「ふはっ、それが本当だと言うのならな……」
そう言いながらも、エルムの周囲の大気が揺らめく。
《竜殺し》エルム・ガリレイ――その名の通り、この世界において数えるほどしか存在しない単独で《ドラゴン》を殺すことができる男だ。
「どこにいる、その娘は」
「まあまあ落ち着きなよ。どうせ君に何を言っても無駄だろうから、タイミングだけはボクの指示したときにやってほしいな」
「……いいだろう。暗殺者らしくやれ、というやつだな」
「そういうこと」
ルシュールが答えると、エルムはそのまま城壁から飛び降りる。
相変わらず目立つ男だと――ルシュールはその背中を見送って笑った。





