2.シエラ、王都へ向かう
《アウレス大陸》の中心部に位置する《フェルトス王国》は、大陸でも三大国家と呼ばれるほどに大きく、磐石な基盤を持っていた。
先代の王から続いて、現王もまた優秀な人物として知られている。
――魔物の討伐から三週間が過ぎた。
シエラは一人、王都へ向かう馬車へと乗っていた。
丁度、地方から王都に向かう予定だった行商人の馬車に乗せてもらうことになったのだ。
森を抜ければ王都が見えてくる――以前にも仕事で何度か立ち寄ったことがある。
「シエラちゃん、もうすぐ王都だよ」
「うん。運んでくれてありがと」
「なに、構わないさ。困っている女の子を見つけたら助ける……親父の口癖でね!」
「そうなんだ」
「いや、そこは女の子限定なの、とか突っ込みがほしくて……」
「女の子限定なの?」
「今きた!?」
シエラは戦闘に関わることについては頭は回るが、それ以外のことについては凡人以下――というより、あまり興味を持ったことがない。
最低限人とコミュニケーションを取ることはできるが、こうして王都に向かう馬車に乗せてもらっているのも奇跡に近かった。
(父さん、親指立てとけば誰か連れてってくれるって言ってたけど本当だった)
そんな浅はかな知識を植え付けられて、その上成功してしまったために、シエラにとっての父は博識な人物となってしまう。
主に父の読んでいた小説などの知識に偏るシエラを案じたエインズは、あるノートを渡していた。
(『凡人ノート』……まだちゃんと見てないけど、困ったらこれを見ろって言ってた)
シエラはそう考えながら、別に困ってもいないけれどノートをパラリとめくる。
一ページ目には――
『基本その一、普段は本気を出さないこと』
少し汚い字でそんなことが書かれていた。
シエラは首をかしげる。
(本気は出しちゃダメってことは、普通はみんな手を抜くってことなのかな)
「……おじさん」
「ん、何かな? 馬車が揺れて気持ち悪くなっちゃった?」
「ううん、そうじゃなくて――手抜いてる?」
「え、ぜ、全力で走らせろってこと!?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
(よく分かんないけど、まあ書いてある通りにすればいっか)
シエラは納得した。
基本的に、シエラはそこまで賢くはない――というか、戦闘以外では凡人以下である。
これから父の紹介で向かう王都の学園では、紹介と言っても筆記試験が存在している。
読み書きは最低限できるとはいえ、これから短い期間でシエラが合格水準に達するのは難易度が高い。
シエラはまだ、気にしてもいないが。
「安全運転で行くけど、暇なら寝ていてもいいよ」
「うん、そうする――」
シエラは頷いて馬車の後方へと移動しようとするが、ピタリと動きを止めた。
すんっ、と鼻で匂いを嗅ぐ。
(この独特の匂い……)
揺れる馬車の上で身を乗り出し、シエラは周囲を確認する。
「おじさん」
「ん、何だい」
「やっぱり少し本気出した方がいいかも」
「え、それはどういう――」
行商人が答える前に、それは突如として目の前に現れた。
前方左側から、勢いよく飛び出してきたのは――
「うわっ! ム、ムカデ!?」
「違う、ヤスデだよ」
人の身体の大きさをゆうに超えるヤスデが、馬車へと突撃してきた。
馬車を引く馬が驚いて右方向へ向かおうとする。
自ずと、荷台がヤスデの方に向かう形となった。
「キシャアアアッ!」
「ひっ――」
「伏せて」
怯える行商人に対してシエラは一言そう告げる。
ヒュンッと風を切る音が周囲に響いた。
それと同時に、ヤスデの身体が二つに割れる。
頭部だけが勢いよく向かってくるが、それもシエラが蹴り飛ばした。
ピシャリと馬車へ飛び散る体液も、シエラは羽織っていたローブを脱ぎ捨てて守る。
わずかに、シエラの頬に体液が散った。
ジュウ、という音と共に熱い感覚がやってくるが、シエラは気にすることなくそれを拭う。
(やっぱり体液は溶かす効果があるね)
「シ、シエラちゃん……!? その剣は……!」
行商人が驚くのも無理はない。
先程まで、シエラは目立つ荷物を何も持っていなかったのだ。
それなのに、今のシエラは特徴的なまでに赤く染まった刀身を持つ剣を握っている。
シエラは行商人の問いに答えることはなく、
「ここまで送ってくれてありがと」
「え、どういうことだい……?」
「お礼に、あいつらの相手はわたしがやる」
シエラの言葉に、行商人は驚きの声を上げる。
「む、無茶だ! さっき見たけど……あれは群れでやってきてる! 一匹や二匹じゃない! それに、馬車から飛び降りたら怪我じゃ済まないぞ!」
行商人の言葉を聞いて、シエラは少し驚く。
父であるエインズとの生活で、シエラにとっては馬車から飛び降りることは普通だったからだ。
(まあ、馬車から飛び降りるのは本気じゃなくてもできるし……)
律儀に父の残した『凡人ノート』に従おうとしていた。
シエラはそんなことを悠長に考えて、行商人に答える。
「大丈夫、適当にやっとくから」
「え、あ――」
そうして、行商人の制止も聞かずにシエラは飛び降りた。
落ち葉と共に砂利が周囲に飛び散る。
シエラはそのまま、地面を蹴った。
その衝撃だけで、地面が抉られる。
「キシャ――」
巨大なヤスデが反応する前に、シエラは目にも止まらぬ速さで間合いを詰めて、剣撃を繰り出した。
(こいつは頭から飛ばして、胴体を真っ二つにすればもう戦えない)
シエラの戦闘面に関する知識は、父譲りだ。
およそ数千以上存在している魔物の特徴や弱点について把握している。
後ろからやってくるヤスデに対しては、振り返ることもなく剣を振るった。
***
「赤い……剣……? まさか……」
シエラが飛び降りたあとの、行商人が呟く。
この大陸でも、知らぬ者はいないだろう。
「エインズ・ワーカー……? いや、彼は男のはず……」
そんな考えは、すぐに否定する。
どのみち、行商人にできることは飛び降りたシエラの無事を祈ることだけであった。