第29話 悪夢(3)
「…うわぁ!?」
アノマリーは叫び声をあげながら、目を覚ます。
「さ、先程の出来事は、全て夢か?」
あの後青年から、想像を絶するお仕置きを受けたアノマリーは、気が付くと馬車の中に居たのだった。
「む?どういう事だ?痛みも無い。塵一つも付いておらんな。」
自身の身体を見回し、傷一つない事を確認し、夢であると考えたアノマリー。すると段々と、自分を痛めつけた青年に対し、怒りを覚えてくる。
「チッ!あのクソガキめ!儂をあのような目に合わせおって!」
夢の中の出来事に対してキレだすという、何とも間抜けな事をしていると、馬車の戸が叩かれる。
『ドンドン』
「何事だ!」
「し、失礼します!」
相当に不機嫌な声を出すアノマリーに、顔色を悪くしながら馬車に入ってくる1人の兵士。
その兵士に既視感を覚えるが、アノマリーの小さな脳みそは、直ぐに彼方へと忘れ去ってしまう。
「ひ、1つ、ご報告があります。」
「報告?」
「は、はい。門番の男から、『アノマリー・ディストア様御一行とお見受けするが、何用であるか?』と伝言を預かっております。私達が視察である事を説明したのですが、中々信じようとしないのです。」
「…な、なんだと。」
兵士の口から飛び出た驚きの言葉に、鶏並みの脳みその持ち主であるアノマリーでも、動揺が隠せない。
「おい、お前!」
「は、はい!」
突然大声を出すアノマリーに、兵士はビクッと大きく体を跳ねさせるが、アノマリーはそんなことはどうでも良かった。
「その門番、黒い髪のガキだったか!?」
「え、あ、 はい。すぐ近くに金髪の少女が居るのにも関わらず、その場からほとんど移動する事無く、40名ほど兵が倒されました!」
何故門番の特徴を知っているのか不思議に思ったが、取り敢えず情報を追加していく兵士。そんな兵士の言葉に、アノマリーの顔色はどんどん悪くなっていく。
「その倒された奴らは、全員気を失っているだけなのか?」
「は、はい。その通りです。」
「く、クソがっ!」
兵士のポカンとした顔を尻目に、アノマリーは馬車から飛び降りる。
「え!?」
本来なら、危険なはずの外にでないように、止めるのが仕事であるのに、その動きに対応が遅れる兵士。
まぁそれは仕方の無いことであろう。鈍重な肉ダルマであるアノマリーは、普段の動きは非常にゆっくりとしたものである。それが、転がるような勢いで動けば、呆気にとられるのも頷けるというものだ。
こうして1人、馬車に取り残されることとなる兵士。…それはある意味、非常に幸運な事であるのかもしれない。この後の地獄を見ないで済んだのだから。
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「おい貴様!これは一体どういう事だ!?」
突然の主の登場に困惑する兵士を掻き分けながら、アノマリーは青年に詰め寄る。
「はて?『これ』とはどの事でしょうか?」
鬼気迫る表情のアノマリーに、青年にしがみついている金髪の少女が怯えた表情見せる中、青年は表情を全く変えずに、恍けた口調で首を傾げる。
「貴様!」
「おっと。危ないな〜。この子が怪我をしたら、どうしてくれるんだよ。」
頭にきたアノマリーは、青年に掴みかかるが、ひらりと躱されてしまう。しかもその腕の中に、少女を抱えながらだ。
「おい、恍けるな!何故同じ1日を繰り返している!貴様が原因であろう!?」
ほぼ断定に近い、確信を持った口調で問うアノマリー。
「あれ?俺が原因って分かったんだ。少なくとも、ゴブリンよりは知能があるみたいだね。」
この世界の最弱モンスター、『ゴブリン』の名前を出しながら、貶す青年。詳しい生態は後ほど触れるが、この世界ではゴブリンは、その気になれば多少剣を習った子供2、3人でも倒せるレベルの低位のモンスターである。そんなモンスターと比べられれば―
「わ、儂をあんなモノと比べるな!儂を誰だと思っているんだ!」
―と、このように、誰でもブチ切れる程の屈辱的な事であるのだ。…決してアノマリーの沸点が低いとか、そういう訳では無い。決して。
「あー、これはね、術者の考える、正しい選択肢を選択するまで、絶対に抜け出せなず、一定の時間まで巻き戻るっていう魔法なんだ。名付けて、『悪夢の迷宮』ってとこかな?」
ドヤ顔をしながら、胸を張る青年。
しかしアノマリーは、出鱈目な効果の青年の魔法に、頭が機能しなくなっているようだ。
「ま、魔法だと!?そんな魔法、聞いた事無いぞ!?何かのハッタリだ!トリックがあるに決まっている!」
「いや、聞いた事無くてもさ、実際に目の前で時間が巻き戻ってるんだ。いい加減現実見ろよ。」
「くそ!こんな現実あってたまるか!」
「ぶふぅ!」
『ご尤もです!』と、アノマリーの状況に陥った者なら誰でも言いそうな発言に、青年は吹き出してしまう。
「な、何を笑っている!?早くそのナイトメアやんちゃらを解け!」
青年が吹いたのが癪に障ったのか、顔を真っ赤にして命令する。
「『悪夢の迷宮』な。…正しい選択をするまで抜けられないって言ったろ?あ、でも安心していいぞ。」
だが、青年は魔法を解こうとはせず、何故か優しい笑みを浮かべている。
「あ、安心だと?」
信用ならないという表情で、アノマリーは問う。…そんなアノマリーの懐疑心は、正しかったようだ。
「あぁ、安心だ。何故ならば、ここは夢の中だ。だから何度間違えても、永遠に死ぬ事は無い。この世界を、存分に楽しんで行ってくれ。」
清々しい程の、曇りっけのない笑顔で、残酷な真実を伝える青年。
「ゆ、夢だと。」
1度目に受けたあの苦しみは、本物の痛みであった。それなのに、夢とは考え難かった。しかし、アノマリーがどう思っていようと、青年は魔法を解くことは無い。
こうしてアノマリーは、本物の地獄を、何度も味わう事になるのだった。