第1章 綾奈
明くる朝、セットした目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた私は、爽快な気持ちで布団から起き上がり、窓から注ぐ日光を顔いっぱいに浴びた。目を閉じると、瞼が暖かく感じられ、順に額、頬へとぬくもりが伝わっていった。普段は意識されないこの熱の伝導を、今日はどういう訳か感じ取るのだった。
真冬のこの時期、暖房器具などない私の部屋で息を吐くと白くなる。普段であれば、私の口から吐き出されるこの白い息を見て、外界と部屋を区切る壁の薄さ、日光とともに冷気を取り入れるかのような窓の頼りなさ、現代にふさわしい暖房設備の欠缺を恨めしく思うのであったが、今日はそのようなネガティブな思考が意識の内奥にしまわれてしまっているようであった。
寒さの厳しい冬に生まれたからであろう、私は幼い頃から寒い季節を待ち望んだ。無論、生まれた季節と寒さへの対抗力との間に科学的な相関関係があるのかどうかは知らない。しかし、誕生日とクリスマスという、子どもの二大イベントが冬に用意されていることは、寒い季節を待ち焦がれる理由としてそれほど不可解なものでもないだろう。私は寒さに強いことを、まるで魔法の力でそうなっているかのように、自らの能力として誇りにしていたのだった。
ところが、いつの間にか、私は寒いことに「耐える」ようになってしまった。寒ければ上着を羽織り、暖かい場所に行き、手をこすり合わせる。周囲と同じであることを嫌った私が、いつしか周囲と同じように振る舞うことを通して、周囲に同化してしまった。獣の皮を被ることで、誇りある人間の姿を偽ることを覚えてしまった。偽りの姿、醜い仮の姿――かつての姿に戻ることは、できないのだろうか。
こうしてしばし思惟に耽っていると、近所の小学校のチャイムが鳴った。チャイムは、鐘の音を擬している。しかし、鐘特有の、あの鋭く心を打つ響きはなかった。チャイムの音は、薄い窓を通り抜けて盗っ人のようにコソコソと家の中に侵入してきた。
やがて、早朝から遊んでいたグラウンドの子どもの叫び声がチャイムの余韻とともに掻き消えた。子どもたちは、毎日呆れるほど規則正しく繰り返される朝礼に、文句も言わずに向かったのだろう。彼らとは対照的に、「大人の世界」に住む私は、もはやあの野性的な従順さを失ってしまった。この諦めの念は、容易には剥ぎ取ることのできない布となって、私の胸に覆い被さってきた。そして私に告げるのだった。己を捨て周囲に溶け込むようにと。それが大人の快楽なのだと。
こうして私は、今日も自堕落な一日をスタートした。午後からは友人と出かける予定があった。