第3章
私が色々と考えているあいだに、中谷は去って行ったようだった。去り際に何か言われた記憶はなかった。
いうまでもないことだが、私は今回綾奈と関係を持ったことについて、非常な感動を覚えている。間違いなく、私はこれからも密かに綾奈との逢瀬を続けるであろう。そして何よりも中谷に感謝の意を表せざるをえない。なぜなら、彼はちょうど、絵画におけるキャンバスであり、演劇における舞台装置だったからである。彼抜きにして、この美しき不倫な行為は存在しえないからである。私は、怒りによって茄子のように青ざめた彼の顔をもう一度拝みたい。そして、彼の手を取り、力強く握手しなければならない。喪失の喜劇を心行くまで楽しませてもらったことの礼をしなければならない。しかし、今はまだ時期尚早であった。美の果実はまだ十分に熟してはいなかった。私には、まだやるべきことがある。
冬休みに入り、今年も終わりを告げようとしているこの時分、方々から忘年会の誘いの連絡が入ってきた。高校の同級生、大学の同期、先輩、後輩、アルバイト先――私は、今に至るまで、徹底的に周囲に愛嬌を振り撒きくことで信頼を得、人望を勝ち取ってきた。みな口を揃えて「あいつはいい奴」と言った。
しかし、私にとって周囲の人間からの評価など何の意味も持たなかった。私にとって大切なものは私自身である。信頼を得、人望を勝ち取るために愛嬌を振り撒くのも、自分の力を自分の目で見える形にして確かめるためにほかならなかった。私が笑顔でいれば皆が惹かれてやってくる。この事実が確認できれば、もはやそれで足りるのだった。
そして、私には身の回りの事物を気にする必要がなかった。環境が私自身にとって代わることがない以上、私は自分のことだけを考えていれば良かった。『世界は自分を中心に回っている』――私にとって、半分は正解であり、半分は全くの誤りである。なるほど世界は私の周りにある。しかし、そんなことはどうでもよいことであった。世界は勝手に回っていればよいのである。私は、世界が自分を中心に回っていることになど関心はない。正しくは『どうやら「世界は自分を中心に回っている」らしい』なのである。
それ故に、私はいつものように忘年会の誘いを悉く断った。その代わりに、年末の暇な日には、あの若い恋人と過ごすことを選択した。数多の忘年会の連絡とともに、彼女からも連絡があったのだった。『この間はご馳走さま!優柔不断な男って、かわいいよね。ってそんなこと思うの私だけか…ところでね、年末年始私以外の家族はみんな親戚の家に泊まってるんだけど……どう?明後日あたり暇なら、来ない?』




