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黒い光  作者: 棚瀬孝之
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序章 強盗

 凍てつく冷気の中、帰り道を歩いていた私は、ふと夜空を見上げた。雲は晴れ渡り、きらめく星々は何にも妨げられることなく、見上げる私の顔に光を投げかけていた。一つ大きく息を吸い込んだ。冷え切った空気が鼻から喉にかけて流れ込んでいくと、無邪気に私の顔に注がれていた星々の光が、輝く薄い膜となって私の体の内を覆っていくような気がした。光が宇宙と私を結び付けたのを感じ、私は言いようのない喜びに包まれたのであった。そして、ズボンの後ろのポケットの中に革製の財布が入っていることを、幼子の頭を撫でるようにポケットの上から触ってその存在を確かめた。初めての経験にもこうして落ち着いている自分に、小さなしかし確乎たる自信がこみ上げてくるのを感じたのであった。

 今日、私は、道行く女学生から財布を奪い取ったのであった。

 駅を出て少し歩いていると、人通りの少ない路上を一人で歩いていた彼女が、自販機で飲み物を買おうと財布を取り出した時を運よく見かけたのであった。彼女の手には、札入れが握られていた。それは自販機の光に照らされ、無防備にも私にその姿をさらしていたのであった。

 私は勢いよく彼女を突き飛ばした。彼女は自販機脇のごみ箱に倒れ込んだ。しかし、財布は依然として彼女の庇護下にあった。彼女のほっそりとした幾分骨ばった指が、苛立たしいしがらみのように財布を守っていた。私は彼女の弱々しい指とそれに守られた哀れな財布を見ると、ある懐かしい感情に掻き立てられる思いがしたのであった。私は、普段にならば下りるはずのない許可が母親から下り、無性に喜び勇む男児のように、沸き起こるエネルギーが体中を駆け巡り、満ち満ちていった。

 そうすると私の右手は、使命が脳を介することなく反射的に、まるでそれが意思を持っていたかのように雄々しい拳を作り上げた。ゴツゴツとした五本の指が、今一つの目的に向かって集結した。そして、堅い木材に釘を打ち込む(つち)のように、私の力強い拳は何度も何度も、倒れ込む彼女の顔をめがけて振り下ろされた。突然の出来事で恐怖におびえた彼女は、抵抗する間もなく気を失った。と同時に、革製の財布は白粉(おしろい)を塗ったように白く細々とした守護者たちから解放されたのであった。私は、中指と薬指にこびりついた彼女の唾液を血を路上に乱暴に(なす)り付け、財布を拾い上げると、血に塗れた顔を侮蔑の眼差しで一瞥し立ち去った。


 そうして、この日以来、私は冷酷な強盗犯の身分を隠しながら日常生活を送らなければならないのであった。誰も自分の正体に気がついていない――自分が有名なスポーツ選手か政治家の息子であるにもかかわらず、それを口にすることができないでいる小学生のような、誇らしくも同時にもどかしい気分を背負ってかねばならないのであった。

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