異世界転生者を殺せ
「異世界転生者は殺す。それが誰であってもだ」
ルクレール公爵は偽物の月のように青い瞳に怒りを満たして言った。彼の若い正義心は、異世界転生者による悲劇を燃料に激しく燃えていた。
「公爵!? まだ異世界転生者がいるというのですか?」
彼の言葉に最初に反応したのは大魔導師として呼び声高いレティニエ子爵エレナであった。彼女は目を大きく見開いて驚きの表情をみせた。それは平素、冷静である彼女にはみられないものであった。
「まさか、異世界転生者は先日、僕たちが多くの犠牲を払って殺したではないですか、ねぇアンゴラ伯爵?」
落ち着いた声で疑問を投げかけたのは冒険者ギルドを取りまとめる若いギルドマスターであるイズモであった。彼は茶色の瞳をゆっくりと動かすと用心深そうにルクレールとエレナを見たあと、大剣の柄を握り締めて押し黙っている大躯の男に同意を求めた。
アンゴラ伯爵デモンは、睨みつけるような目でイズモを一瞥すると重たい口を開いた。
「そうだ。あの異世界転生者を殺すだけで千に近い兵が死んだ。兵以外の被害者を含めれば死者はその倍。いや、三倍にはなるだろう。まだ、あのような異能を持つ異世界転生者がおるというのなら我らは手を打つべきだ」
デモンは武人らしい低くて重い声で言うと、相手は誰だ、と問うようにルクレールを見た。ルクレールはその眼に対して満足そうな表情で頷くと怒りを隠した冷たい声を出した。
「異世界転生者はこのなかにいる。だから、君たちをここに集めた」
三人はルクレールに言葉に顔を見合わせた。彼らの脳裏にはあったのは、困惑と驚きであった。
「待ってください。ここにいるのはこの国を愛し、また功績のあるものばかり。さきほど猛威を振るった異世界転生者とは違います。冒険者とは言えイズモ様はこの国のために魔獣を退け、異世界転生者討伐にも加わった勇者です。
デモン様に至っては武門の棟梁たるアンドラ伯爵家に生まれ、大敗した国軍のかわりに魔王軍の侵攻を私兵だけで押し返した英雄。彼らの行いには異世界転生者のような私欲はなく民や国のために働いておられます」
エレナは、ルクレールを諭すようにゆっくりとした口調でいった。しかし、ルクレールは眉間にしわを寄せたまま厳しい表情を崩さなかった。
「ああ、知っているよ。彼らの勲功は素晴らしいものだ。君にしても低い生まれでありながら魔術師としての才を持って、病の治療や錬金術の向上などに素晴らしい功績を残している。陛下はそれに報いるためにレティニエ子爵の家名をあなたに与えたことも知っている」
ならばどうして、三人はそう問いたかった。だが、その解はすぐに示された。
「異世界転生者は死ぬ前に言った。『なんだよ、同類。なぜ俺だけが』、ヤツはそう言った。私はずっとそれが気になっていた」
先月、一人の異世界転生者が死んだ。彼は神から授かったという多くの異能を持っていた。
底なしの魔力に神獣や魔獣の召喚。人の限界をはるかに超えた異能のなかでももっとも厄介であったのは『奴隷の首枷』と呼ばれるものであった。この魔法にかけられた者はその意思に関わらず彼の奴隷になった。
愛を語らっていた恋人の言葉も血を分けた兄妹の言葉もこの魔法の前では意味を失った。奴隷となった者は、主人に身体も心も差し出した。彼にとっては都合のいいハーレムであっただろう。そのハーレムのなかではすべてが肯定され、彼は王様のようであった。
確かに彼は、その異能を使って良いこともした。ごろつきを街から追い返したことも、魔物に襲われている人々を救ったこともある。だが、それらの功よりも罪が多すぎた。彼はこの国の王女までも奴隷に変えた。そして、彼女の権力を使って彼は、国民さえも自分の奴隷のように用いた。
宮殿のような屋敷に毎日続く酒池肉林の宴。それを維持するために多くの税が、人々の労役が浪費させられた。そして、それは起こった。
一人の男性が異世界転生者にナイフを突きつけた事から始まった。彼はどこにでもいる料理人だった。しかし、不幸なことに彼の娘は楚々とした少女であった。すれ違う人が振り返るその娘はすぐに異世界転生者の目にとまった。そしてあっというまに奴隷に変えられた。
新しい奴隷を手に入れた彼はおもちゃで遊ぶ子供のようであった。一方的な愉しみを堪能した彼は壊れた人形を捨てるように彼女を捨てた。残ったのは主人を慕うだけの心の壊れた憐れな娘だった。彼女の父は自分が異世界転生者である彼に勝てないことは理解していた。
だが、それでも刃を振るわずにはいられなかった。
父親のナイフは油断していた異世界転生者の腕をわずかに切り裂いた。だが、次の瞬間には父親は死んでいた。異世界転生者が慌てて召喚した魔獣に頭から喰われたのだ。腕から血を流しながら異世界転生者は叫んだ。
「このクズが! NPCの癖に俺に刃向かいやがって! 俺がこの世界のためにどれだけ貢献したとおもってるんだ。俺がいなかったら死んでたんだ。俺のために娯楽を提供するのが役割ってもんだろ!」
彼の言葉を奴隷となっている女たちが肯定する。それは子供をあやす母親のように優しい声だった。だが、その声は唐突の途絶えた。彼を賛美しようとしていた女の口からは真っ赤な液体が流れ出し、腹部からは銀色の刃が生えていた。
異世界転生者は小さな唸りをあげて、二、三歩あとずさりした。そして、死んだ女の後ろに刃を持った男や子ども、中年の女や老女がいることに気づいた。彼らは皆、異世界転生者の屋敷で働いていた者たちであった。彼らのはずっと耐えていた。だが、ひとりの男の死によってすべての糸が切れたのだった。
この騒ぎを聞きつけてルクレーム公爵が、近衛を引き連れて異世界転生者の屋敷に入ったときには、屋敷は人であったものの残骸と流れ出した血で赤く塗装されていた。
奴隷とされていた女たちはすべて殺され、反旗した人々も魔獣や魔法によって死に絶えていた。その中央で、いくつかの傷を負いながらも異世界転生者は生きていた。
「なんだよ。クソゲーかよ。俺つえええのハーレム生活だって言うのに……ふざけやがって」
彼はルクレールらを一瞥すると、ぶつぶつとなにかを呟いて魔獣をけしかけた。ルクレールの隣にいた老近衛が鎧ごと肩から胸を喰われて、壊れた人形のように崩れ落ちた。それを合図に近衛と異世界転生者の戦いが始まった。戦いは数の多い近衛が劣勢であったが、救援に駆けつけたアンゴラ伯爵デモンと大魔導師と名高いレティニエ子爵エレナの参戦と、冒険者ギルドをまとめる若い戦士イズモによって異世界転生者を殺すことができた。
異世界転生者によって殺された近衛や兵士は千人を越え、屋敷で働いていた奴隷や使用人たち四百人すべてが命をなくした。その中には奴隷と化していた王女も含まれていた。
このときルクレールらは、今際の異世界転生者の言葉を聞いた。彼の身体には大小に傷があり、致命傷となったのはデモンの斬撃であった。イズモが異世界転生者の魔法や魔獣を撹乱し、エレナの魔法で強化されたデモンの大剣は異世界転生者をかばうように前に立ちふさがった王女諸共に肩から胸にかけてを切り裂いていた。
「……なんだよ、同類。なぜ俺だけが……」
そう言って彼は死んだ。彼の言葉の後ろに続くのがなんだったかは分からない。だが、彼の残した言葉が異世界転生者がほかにもいることを示していた。そして、その場にいた誰かが同類であることを示していた。
「あれ以来、私はずっと調査を続けてきた。あの場にいた兵士、市民そして、我々。そのすべてを洗い直して、ひとつの結論に達した。それはヤツの同類は我々四人のなかに誰かしかいない」
ルクレールはそう断言した。
「待ってください! まさかあなたは僕たちを殺すというんですか? それはあまりにもひどい」
「そうです。それにこの中の誰が異世界転生者かは分かっているんですか?」
イズモとエレナが反論する。
「考えたことがありますか? この世界にまれに現れる異世界転生者が何をもたらすか?」
ふたりの反論の答えではなくルクレールは新たな問いを向けた。彼の表情は崩れない。人間離れした生き物のように彼の感情は表には現れない。
「何をもたらすか?」
イズモが腕を組んで首をかしげる。エレナは考え込むイズモを無視して声を上げる。
「新たな知識や新たな概念ではないですか?」
「そう。異世界転生者は私たちの知らない世界の知識や概念を持ってくる。いまから約五十年前に現れ食料王、と呼ばれた転生者は、輪栽式農業と呼ばれる農地運営を伝えた。そして、もう一つマヨネーズ、という調味料をこの世界に伝えた」
マヨネーズは、卵黄に酢を加え、そこに菜種や大豆、紅花の種を絞った食用油を少しづつ足していくと乳白色になる。これに塩、胡椒といった調味料を入れたものである。この調味料は最初こそ気味悪がれたもののいまでは熱狂的な愛好家もいるほどである。
「酒場では欠かせない調味料です。肉にも魚にも合うマヨネーズ。あれがなければ麦酒が楽しめない、という冒険者もいるほどです」
「……そうか。ならそれ以前はどうだったのだろう? マヨネーズが普及する以前、私たちは他の調理法やソースを用いて肉や魚を食べていたはずだ」
イズモはルクレールの言うことがわからない、というような顔をした。
「そうでしょうけど、マヨネーズ美味しいじゃないですか? 他の調理方法やソースがあってもマヨネーズが一番美味しいから普及したわけで、それのなにが問題だって言うんですか?」
「確かに淘汰はされるべきだろう。だが、転生者がマヨネーズをこの世界にもたらさなければ、我々は自分たちで新たな調理法やソースを生み出してより美味しくたべる術を見つけることができたのではないか」
「つまり、ルクレール様は転生者が持ち込む知識や概念によって私たちが本来進むべきであったものから変質させられている、というのですね」
すました顔でエレナが答えるが、隣にいるイズモはまだ分からない、という顔で二人の様子を伺っていた。
「そう。私たちの世界は転生者が現れるたびに持ち込まれた知識や概念によって破壊されているのではないか? それは侵略といっていい。あの転生者が使っていた『奴隷の首枷』のような異能よりはるかに質が悪いものではないか」
「しかし、転生者がもたらした知識によって私たちの生活が豊かになったのは事実ではないですか? 例えば大地から染み出す黒い油はかつては防腐剤くらいしか用途がなかった。しかし、転生者が精製する術を伝えた結果、石油として私たちは暖を取ることも明かりを得ることもできたではないですか? 木々を燃料にしていた頃と比べればよほど良いではないですか?」
石油の登場は世界を変えた。薪をくべていた時代は、大都市の周りでは材木が不足することが多かった。家を作るためにも材木がいる。また、冬の暖を取るにも、日々の煮炊きにも薪が必要だったからだ。しかし、石油が登場すると薪の需要は少なくなり、材木の多くは建材として使われることになった。結果として、材木の価格は安定した。
「今は良い。だが、私たちは石油を与えられただけだ。便利な燃料を手に入れた、と思っていてもどこかに見落としがあるのではないか。私たちが知らない何かがまだあるのではないか。それはいまも大きく膨らみ続けていていずれ私たちを恐怖させるのではないか。そう思えてならない」
「それはあまりにも穿った見方なのでは? ルクレール様は転生者を憎むあまりそのすべてを否定されようとしているように思えます」
「そうかもしれない。だが、私はこの世界のあるべき形の進歩が見たい。だからこそ私は転生者を認めない。そして、この場に転生者がいるとわかったいま、それを殺さずにはいられない。だが、ここにいる人間の誰かが転生者だということしかわからないいま、私にはこのような方法しか取れない。願わくばこの場にいる転生者が物分かりで良い転生者であることを願う」
ルクレールはそう言い終えると、ひとつの小瓶と羊皮紙を胸ポケットから取りだすと一気に小瓶の中身をあおった。次の瞬間、ルクレールの身体は痙攣するように震えると、そのまま机に倒れ掛かった。そばにいたエレナが彼の首元に手を当てる。しばらくの沈黙のあと彼女は力なく首を左右に振った。
「……死んでいるわ」
「ルクレール卿はあんなアジを飛ばして何がしたかったのだ」
沈黙を守っていたデモンが吐き捨てるようにいう。そして、馬鹿馬鹿しいという顔で部屋から出ようと歩き出す。そして、扉のノブを触ろうとした瞬間であった。エレナが叫んだ。
「待ちなさい。その扉を開いてはなりません!」
「なぜだ?」
デモンはノブに伸ばしかけた手をそのままに訊ねた。
「いま、この部屋はルクレール様が施した呪いに包まれています。命を使った呪いです。触れれば腐り落ち、どのような回復魔法も効かず。地獄のような苦しみの中、死ぬことになります」
エレナは指先から小さな魔力の塊を飛ばす。飛び出した魔力はゆっくりとした動きで、オーク材の扉に向かっていく。そして、扉に触れた途端に真っ黒い手のような影に飲み込まれて消えた。
「こ、これは?」
「ええ、ルクレール様は私たち、いえ転生者を殺すためにこの部屋に呪いをかけたにちがいありません」
冷や汗を頬ににじませながらエレナが言うと、デモンはちっ、と舌打ちをして先程まで座っていた座席に戻った。その隣ではイズモが厳しい眼差しでデモンを睨みつけている。
「で、どうすればここから出られるんだ?」
苛立った様子でデモンが尋ねるとエレナは、ルクレールが机の上に残した羊皮紙を広げて見せた。そこには几帳面なルクレールらしい細かい文字で彼の企みが書かれていた。
『私の願いはひとつだけだ。異世界転生者の死それだけだ。だが、私が転生者が誰かと質問しても誰も正直に答えないに違い。それどころか、私――ルクレールこそが転生者ではないか、と疑う者も出るだろう。だから、私は最初にこの命を世界に捧げよう。そして、転生者を捕らえる檻になろう。
大いなる知恵の持ち主たるエレナには、その賢明なる頭脳で転生者を。
ギルドをとりまとめ誰よりも人を知るイズモには、曇りなき眼で転生者を。
偉大なる将軍であるデモンには、その類まれなる力と勇気で転生者を見つけ出して欲しい。
私が命と引き換えに施した呪いは転生者が死んだ瞬間に解けるようになっている。どうか、異世界転生者から世界を救って欲しい』
読み終えた三人は、しばらくのあいだ口を開くことができなかった。
ただ、分かっていることはこの中の誰かが異世界転生者であることである。
「エレナ様、魔法で転生者を見つけるすべはないのですか?」
イズモが明るい声を出す。それは無理に出したように乾いた響きがあった。
「転生者といっても身体的には私たちとは何も変わりません。ただ、神に授けられた異能と異世界での記憶。それだけが違うのです。とはいえ、異能は転生者ごとに違うらしく。これまでこの世界に現れたとされている転生者に共通点はありません。ただ、多くの転生者は、対面したものの状態を知ることができた、という記述が残っています。なんでも
『ステータス・オープン!』
と、叫ぶと発動する、というのですが……」
実際に叫んでみたエレナは恥ずかしそうに顔を赤らめた。大魔導師と呼ばれる彼女が、恥ずかしがる姿を見て二人は笑いたかったが、ぐっと堪えた。このあと自分たちもすることになるのだと思う、と笑えなかったのだ。
「じ、じゃ、僕から先に『ステータス・オープン!』……何も起きませんね」
「そうだな、俺もやろう。『す、ステータス・オープン!』……反応はないな」
デモンとイズモはそれぞれの顔を見合わせる。エレナは少しバツが悪そうに「そ、そいう記述があるだけですので」、と顔を伏せた。そして、しばらく考え込むと彼女は口を開いた。
「転生者はその異能のなかに魅了という力があるとも聞きます。それは何もせずとも美女が集まりなおかつハーレムを形成する力だといいます。そういえば、イズモ様のギルドはずいぶんと女性が多いそうですね」
イズモは少し怯えた表情を見せたがすぐに感情をかえして作ったような笑顔を見せた。
「それはたまたまです。僕がこの国に来たとき最初に仲良くなったのが既存のギルドから仲間はずれにされていた女騎士だったからです。彼女が友達を紹介してくれたりしたもので、女性が多いだけです。決して、イズモハーレムなんて呼ばれるものではありません。そういえば、エレナ様だってずいぶんとモテるそうじゃありませんか? 聞いてますよ。市民でありながら魔導学院に入学して貴族の子女からいじめられているところをロンダル大公の子息やエルメニア枢機卿の従兄弟に救われ、ずいぶんと良い仲であった、と」
「彼らは別にそんな仲ではありません。同窓として私を助けてくれているだけです」
エレナはゲスの勘ぐりだとばかりにイズモを睨みつけた。デモンはそれを愉快そうに聞くと笑った。
「ならば、俺は関係なさそうだな。戦場を渡り歩いているとその手の出会いがない」
「何も相手は女性とは限りませんわ。男同士そのような関係になるということもあるのでしょう? 私、そういうことがあると書物でよんだことがあります」
エレナは鋭い眼差しでデモンを上から下へと舐めるように見つめる。反対にイズモは、椅子を引いてデモンから少し距離をとった。
「馬鹿な! 俺に衆道の趣味はない! 変な勘ぐりは止めるべきだ」
「そんなこと言って、俺の大剣はどうだ、とか言っているんでしょ?」
エレナは目に怪しげな色をまといながら微笑む。それは、不気味で近寄りがたい雰囲気を持っていた。
「言うものか。そうだ、転生者は随分と根に持つ性格のものが多いというではないか。自分に害をなした者は、殺したり、死んだほうがマシという状態に追い込まれるというが……。エレナ殿を虐めていたという貴族の子女は今どうしているのかな?」
デモンはいいことを思い出したという顔で反撃に出る。エレナにつっかかっていた女性たちの末路は有名であった。主犯の女性は死刑。家門もお取り潰しになった。それの取り巻きであった女たちはエレナが開発した魔導船の生きた部品として魔力を吸い上げ続けられているという。
「あれは因果応報、というものです。あれらは正式な裁判によって決まった結果です」
お友達であるロンダル大公の子息やエルメニア枢機卿の従兄弟が口添えした裁判であったが、彼女はそれについては話さなかった。
「そういえば、イズモ殿のギルドでは変わった武器を採用しているらしいな。なんでも切っ先がなまくらにならない剣だとか」
エレナから標的を変えたデモンがイズモに声をかける。
「それは少し違います。刀身に最初から一定の幅で溝を掘っておくことで切っ先がなまくらになったとき、溝にそって故意に刃を折ることで新たな切っ先を作るのです。剣は短くなりますが、武器を交換する必要はなくなるのでそれだけ戦いを続けられます」
「なるほど、まるでカッターだな。しかし、それは聞いたこともない技術だ。どうやって発想されたのか。もしかすると異世界の知識なのではないか?」
デモンはイズモに大剣を向けていった。イズモは腰に差した剣に手をかけただけで、抜くこともできずにいた。
「そうですわ。私も教えて欲しいものですわ」
デモンに呼応するようにエレナが杖をイズモに向ける。そして、ゆっくりと杖の先端をデモンへと動かすと「カッターって何かしら?」、と笑顔を見せると同時に魔力の塊を放出した。収束した魔力の奔流がデモンの脇腹から反対側へと突き抜ける。
大きな金属音が部屋に響く。大剣を落としたデモンは血まみれになった腹部を大きな手で押さえるが、真紅の液体は指先からこぼれ落ちるように床に大きな血だまりを作っている。
「エレナ様、助かりました」
イズモはエレナに頭を下げると剣を抜いてデモンにとどめを刺した。鈍い音を立ててデモンの太い首から頭がごろりと落ちる。それを無感情に見つめたイズモは剣についた血を拭うと、そのままエレナに振り下ろした。
「なるほど……転生者は二人だったのですね」
イズモの剣はエレナに届かなかった。首の皮一枚の位置で彼の剣はエレナが生み出した魔力の刃によって防がれ、反対に彼の身体は何枚もの魔力の刃で刻まれていた。腕が脚が胴体がいくつもに分断されて彼は床に落ちた。
「くそ、あともう少しだったのに」
口から血の泡を吹きながらイズモはエレナを睨みつけるが、もう彼にはなにもできない。彼にはもう、手足はなかった。
「うふふ……。おばかさん。私を騙そうなんて無理に決まっているでしょうに。でも安心してちょうだい。私がちゃんとこの世界であなたたちの代わりにチーレムでも俺つえええでもなんでもして面白楽しくいきてあげるから」
彼女が言葉を言い終えるころにはイズモはもう完全に動かなくなっていた。彼女は部屋中に散らばった死体を眺めると、やれやれと肩をすくめた。そして、ルクレールの死体を思いっきり蹴った。
「貴族の坊ちゃんが正義感むきだして異世界転生者を殺すなんて、馬鹿げてるのよ。なにがこの世界のあるべき進歩よ、馬鹿らしい。この世界は所詮、私のような異世界転生者の遊び場にしか過ぎないの。あなたたち現地人はただの遊具なのよ」
エレナは最後にとばかりにルクレールの腹部をもう一度蹴り上げた。彼の身体は砂袋のようになんの反応もなく転がった。エレナはそれを見て笑うと、杖を扉に向けると呪文をつぶやいた。淡い魔力の光が扉にぶつかると扉は呪いがかかっていたとは思えないほど簡単に開いた。
「命の無駄遣いご苦労様。私はどんな魔法でも使えるし、解除することもできるの。私を間違えて殺すようなアホな神様だけど異能だけはいいものをくれたわ。ホント、この世界は私に都合のいい世界だわ」
エレナは思う。この国には彼女に逆らえるような貴族は残っていない。
このまま王様を殺して、国を奪おうか。彼女はそう考えて笑った。別に殺さなくたっていい、王様も私の虜なのだ。死臭に満ちた部屋からでると外の空気が美味しく感じた。
「さぁ、いきましょう」
彼女がスラリと伸びた脚を一歩踏み出したときだった。どん、と後ろから押された気がした。
振り返るとブルームーンのような青い瞳の男が立っていた。男の手にはイズモの剣が握られており、その刃は彼女の腹部に突き刺さっていた。痛い。燃えるような痛みが彼女を襲っていた。魔法を唱えなければ、そう思う頭と身体は別だった。口からは痛みを吐き出すような悲鳴が吹き出している。
「異世界転生者は殺す。絶対にだ」
死んだはずのルクレールはエレナに突き刺した剣をぐりぐりと回す。その度に傷口は広がり、獣のような叫び声が響き渡る。どうして? なぜ彼は生きているのか、彼女の頭はそれを考えようとしていたが痛みはそれさえも消し去って、最後には彼女は痛みと一緒に消えた。
「ああ、一回だけ死ねる異能、とか不便すぎる。だけど、もう異世界転生者はいない」
異能を失ったルクレールは声を出して笑った。
人よりも優れた知識もなく、特別な異能もない彼はもう何も持っていない。
すべてなくなったのだ。だが、彼の顔には曇はなかった。