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2、彼女と不倫 5階東病棟 2017年4月21日 11時

 病院ってのは静かだ。一応神戸の中心地に立つこの病院だが、俗世とは隔離された雰囲気を感じる。だがしかし、病室の窓から差し込む日差しは眩しすぎて目眩がしそうだ。


「来宮先生?大丈夫ですか?」

「あ、ええ。大丈夫ですよ」


医者が患者に心配されるようでは世も末だ。俺の目をじっと見つめてくるのは、白野礼子という女性患者。ピアニストだそうだ。あいにく、俺は音楽には疎くて知らなかったのだけれども。若いが、末期のすい臓がんだ。ここに来たときには既に手の施しようが無かった。


「熱は下がったみたいですけど、気分はどうですか?」

「ええおかげさまで。随分楽になりました」

「それは良かったです。何か食べたい物とかはありますか?あ、白野さんは食べ物より音楽ですかね?ピアノ、弾ければいいんですけどね」


 もう既に彼女は積極的治療をする段階では無い。やりたいことをやりたいだけやる。最後まで絶対に見捨てずに見届ける。それが今出来ることだ。


「先生」

「はい、なんですか?」

「私はあと、どのくらい生きられますか?」

「・・・」

 突然だった。彼女には今までそんなことは聞かれたことが無かった。


「黙らないでください。教えてください。先生」

「それは・・・誰にも分りません。白野さんがこの先」

「綺麗ごとはいいから。本当のことを言って?」

「・・・・何かありましたか?」

「・・・」


 そう聞くと、彼女は黙って窓の外を見た。そして再び口を開く。


「私ね・・・娘がいるの」

「え」


 驚きの事実だった。彼女は身寄りが無いと聞いている。事実、今まで家族と言う人が見舞いに来ることも説明を聞きに来ることも一度も無い。まさか、娘がいたとは。


「・・・ご結婚・・?」

「いえ。してません。人生で一度も」

「ああ」

「だから、娘の今は知りません。私は・・・捨てたんです。自分を守るために」

「・・・」


 彼女は何か告白しようとしている。


「罪をね・・・犯したんですよ・・。娘に対して。」

「・・・」

「会いたいなんて、今更なんですけどね・・・。人間、死を前にするとこうも欲深くなるのかって・・自分に呆れています」


 俺はしばらく何も言えなかった。末期のすい臓がんを告知された時でさえ笑顔で受け入れていた彼女が、こんな思いを抱えていたなんて。綺麗ごとを言っても仕方がないのだ。


「・・・いいじゃないですか。」

「・・え?」

「欲深くていいじゃないですか。会いたいなら、会いましょう。会える時に、会うべきです」

「・・・ありがとう先生。・・・でもね、ダメなのよ」

「なぜ」

「彼女の幸せを奪ってしまうかも・・・。ええ。そうなのよ・・」


 彼女はそう呟くと黙ってしまった。俺は点滴をセットして一旦部屋を出た。ドアの横に看護師の斉藤綾香が立っていた。



「盗み聞きか?」

「なんとかならないの?」

「なんとかって・・・」

「後悔したまま・・」

「現実は厳しいだろ。主治医と言えどそこまでのプライバシーを」

「先生がプライバシーを侵す必要は無いんじゃない?」

「・・・え?」

「いるでしょ。プライバシー侵せる人」

「・・・お前、言い方考えろよ」


 とんでもないことを言うだけ言って綾香はナースステーションに戻った。彼女が言うのはおそらくあいつのことだ。職業としてある程度のプライバシーを侵せるやつが確かにいる。でもあいつに頼むのか・・・と悶々としながら昼食を取りに食堂へ向かうとおなじみの二人がいた。日替わり定食を買い、その二人のテーブルにどかりと腰を下ろした。



「よっ。お暇なのかなお二人さん」


そう声をかけると二人は心底迷惑そうな顔でこっちを見てきた。


「来宮、お前だけには言われたくないね」


 数々の女性患者をファンにしてきたにこやかスマイルでそう言ったのは血液内科の神坂葵で。


「暇なら俺の仕事手伝えよ」


 俺の投げかけた言葉を聞き間違えているこいつは呼吸器内科の池橋和樹だ。二人とも俺の高校時代からの同期だ。高校3年・大学6年、もう一人を加えて「塩顔4」なんて呼ばれてきた。・・・それはどうでもいい話だった。神坂が話を振ってきた。


「来宮、白野さんどうなの?」

「ああ。まあ、厳しい状況なのは変わらない」

「うーん。厳しいねえ」

「それもだし、ちょっと違う問題も出てきたから」

「え?そうなの?」

「あ、まあ。そっちはどうにかするつもりなんだけど・・・」


そうなの、と言って来宮は再び飯を食べ始めた。そうすると次は池橋が口を開いた。


「それで。二人は見たの?あのメール」

「・・・ああ」


あのメール・・・。今朝、スタッフのパソコンに一斉送信されていたとみられるメールのことだ。


「池橋、お前あれ事実だと思ってるのか?」

「ん?まあ、本当だったら面白いよね」


この病院のスタッフとしてはあるまじき、とんでも無いことを言い出す。


「まさか。デマでしょ、デマ。」


神坂は持ち前のポジティブ精神と性善説主義からデマと信じているらしい。あのメールの内容、それは。「産婦人科部長は不倫している。」の文章と、その最中の部長の写真。あいにく、女性の顔は写っていなかったが。


「なんで今、あんなのが出回ったんだろう」

「来宮は本当だと思ってるんだ」

「いや・・・ていうか・・・」


今朝のメールのせいで、既に部長のスタッフからの信頼は地に落ちていた。


「そんなに気になるなら、調べてみれば」


池橋は平然と言う。


「無理だろ。そんな能力も時間もない」

「いるだろ。俺達には頼める奴が」


そう言われて、神坂も納得してしまう。


「ああ。そうだね。坂原に頼めばいいじゃない」


坂原・・・。坂原は先ほど紹介した「塩顔4」のもう一人で。あいつの本職は探偵だ。


「お前ら・・・。坂原って今何してんの?」

「さあな。暇してるんじゃないか?」


だったら。正直俺は部長の不倫より先に頼みたいことがある。彼女には時間が無い。


「ま。不倫なんて結局部長のプライベートだし、俺はそんなに興味ないけど。不倫してても仕事してくれればそれでよくないか?」


 池橋が極論の持論を述べる。


「まあねえ。患者さんには関係ないしね。・・・あ、もうこんな時間だ。僕先に行くね。」


神坂はそう言って医局に戻っていった。


「・・血液内科は本当に忙しそうだな」

「部長が吉沢先生で、研修医まで付けられてたらそりゃそうだろうな。とか言ってる俺も今日は忙しいんだった。そろそろ行くわ。あんまり気になるならマジであいつに頼んじゃえよ。」

「簡単に言うなよ。調べてガチだったらどうするんだよ」

「そん時はそん時でしょ。じゃあな」


池橋はひらひらと手を振って去っていた。俺は冷めきった飯をとりあえずかき込んだ。

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