プロローグ2――破壊の王が目前に現れた瞬間
その優夜の激情に反応するか如く、ある者が空から舞い降りた。
「――くっ、がぁ……!?」
瞬間、優夜の感情が押し潰されて突然のうちに終わった。
呼吸が止まった。
死を予感させた。
心臓が体から出ようと暴れているように感じる。
何かが、優夜の奥底で『敵意』を剥き出しにした。
重圧、圧迫、緊迫……ありとあらゆる異常で偉大な視線が一気に襲いかかってくる。
「はぁ……はぁ……っ!」
優夜は堪らずにその場へと膝を着いた。両腕で体を抱いて、呼吸を荒げていく。同時に両膝が折れて地面に伏してしまう。過呼吸のように激しく息を乱して、無理矢理にでも瞳孔を開こうとする。
目を開けようと意識を向ける度にとてつもない絶望が、近づいている気がした。
予感めいた想像が、実感に変わりそうで失神しそうだった。優夜は、ここで死ぬかもしれない。いや、逝ってしまえと言われているような強迫観念が絶えず全身を蹂躙していく。
「――ぐッ、ぁ!」
優夜は歯を砕けるほど食いしばった。全身にこれ以上とないほど力ませ、このプレッシャーを体の外に追いだそうと試みる。
超絶な重圧感の中、体がよろめきながらも彼はなんとか体を起こして立つ。
――そして絶望の正体を、否応なく知る。
戦場の黒い煙が吹き上がるこの地獄の中――果てない天から、この地上に極光が射した。
悪魔も絶望する極光。 極光は光り輝いているのに、幻想的だなんて少し足りとも思えなかった。ゆえにこれは安寧の光ではなく、破壊の光だ。
その極光の中、ひとりの男が重力を無視し、ゆっくりと降りてきいく。
両腕を広げて己という存在を誇示するかの如く、超越的な存在感と共に、そいつは中空で静止した。
黒いスーツの上から純白のローブのようなものを羽織って、黄金の槍を持っているから、どこか漫画に出てくる魔法使いの杖ように感じる丈夫。
腰まで届くほどの長い銀髪であり、その間に覗く瞳は血の色を透かしたような深紅。顔立ちは整っているというレベルではなく、芸術家があらゆる、持てる技巧全てを結集しても肩を並べないだろう黄金比によって形作られた美貌。だがそれは単純に美しいというより、寧ろ魔的に人を狂わせ破滅させる高質の魂。
破壊の王。
至高を愛する者。
英雄も絶望する極光。
彼ら“魔人の首領”が、眼下に残った最後の“血筋”に視線を合わせた。
「なるほど、あの道化師との賭けはどうやら私の勝ちらしい」
その視線は喜色を滲ませているが、彼のそれは人がごく自然に浮かべる喜怒哀楽のどれでもない。
“英雄も絶望する極光”
その名と通り、笑っているように見えるのに、何処から見ても、誰が見ても笑っているように見えない矛盾した風貌。事実、彼は“勝利”と口にはしたが、その事柄に何の誇りも抱いていない。
あるのはごく単純。無聊の慰め、言い換えれば暇を潰せた程度というもの。数多の“人間”同士の殺し合い、その悲哀悲観悲愴悲嘆悲劇を目にして抱く感情がそれ。この破壊ばかりを起こす銀髪の男はそういった怪物性がある。
だが、何より恐ろしいのは、この男が存在するだけで、地にいる人間も空を舞う悪魔でさえ、肉体そのもの砕かれ次々と崩壊していくことだった。
総じて――優夜はこの男を、人間だと認識する思考を放棄した。
「卿よ、私の観察は済んだか? ならば正統なる血筋に対して礼節を重んじようか」
男は柔らかい声音でそう言った。優夜が恐怖を抱きながら、無意識の内に観察していたことに気づき、冷静さを取り戻すまで待っていたのだ。
「魔人の軍勢の序列一位であり、首領に座する死の王。そしてここにいる愛しい個我たちの頂点に立つ絶対者。カインエスト・クロイリッヒ・ハーヴェンブルクだ。この現世での再会を祝福するぞ、アーヴィング王家の末裔よ」
自身を魔人の首領と名乗った銀髪の男・カインエストは、途中から口調が厳格に変わり会話を続ける。
「すぐに壊し合いたいのだが……万全の状態ではない卿と相対するのは、不粋極まり滑稽だ。だから私と同格になれるよう王の道を歩ませてから、また伺うことにしよう。そして――」
優夜という存在ではなく、優夜の中にある何かを、穴が空くほどに強烈な興味を込めて見る。
優夜はその視線の異常さに、ぞっとなった。
ただ喋っているだけなのに、一言一言を放つ度に体を貫かれるほどの圧倒的な力があり、自死を選びたくなる。
でも、気合いを入れろと優夜は内心で呟いた。いまここで倒れたら、この男に破壊された人々の無念はどうなるという一心で視線を銀髪の男に向けたままだ。
「卿の体内に潜むそれは何だろうな。まるで玩具の完成を待つ子のように、私の心は……少し昂っているよ」
しかし優夜とカインエストには厳然とした差があった上に、極度の緊張と心的ダメージが重なり、意識を失いその場に倒れ込んだ。
意識が落ちる寸前――灼熱の赤を点し長く伸びきった髪に、禍々しい戦慄の殺意を発する日本刀を握った男が、優夜の目の前に現れた。
◆
――しかし、それはもう過ぎ去り戻ることはない幼少の記憶だ。
今はもう、全てが失われてしまった。
何一つ、手元に残っていない。愛すべき家族でさえ、どうなったか分からない。
ただ圧倒的な力の前に、当時十二歳だった優夜は在りし日の情景だけが、今も忘れられずにしっかりと記憶に焼き付いている。