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「次は僕についてですね」

 戸惑うピエルナに構わず、ニーロは続ける。

「そもそも魔術師は希少な存在であり、その中でも貴重な『脱出』の使い手でもあります。体力はまだまだ少なくやや難がある状態ですが、それは成長すれば解決しますから、問題にはならないでしょう。ですから僕について、置いていく理由はまったく見当たりません」


 魔術師になるには、魔術を習いにいく必要がある。魔術師に金を払って、教えてもらうのが最も手っ取り早いやり方だろう。

 難しかったり便利な術である程、教えてもらうには大金が必要だった。しかも、金を払えば誰にでも使えるわけではない。集中力、記憶力、想像力を備えたものが、真剣に打ち込んでようやく会得できる。魔術の難易度ごとに「教育期間」がそれぞれ設けられており、金を支払っても、期間を過ぎてまだ覚えないボンクラはもう指導してもらえない。

 ニーロのように魔術を教え込まれて育った者というのはなかなか存在しない。魔術師たちは探索者を引退すると、大抵ラディケンヴィルスの街で私塾を開く。探索の役に立つ便利な術だけでも使えるようになりたいという者は多いので、よほどの人嫌いでなければ、魔術師たちには安定した収入が約束されている。

 そんな魔術師たちの強欲のせいで、魔術師になりたいと思う者たちの道は険しいものになっている。


 それゆえに「魔術師」は多少傲慢であっても、社会不適合者であったとしても、多くの探索者から歓迎される。是非自分のパーティに入ってくれと、方々から求められる存在だった。


「自分でいうか、それ?」

「僕は真実を述べただけです。ピエルナさんも魔術師がいかに貴重な存在か、知っているでしょう」


 ニーロの言葉は正しい。

 魔術師と、腕のいいスカウトは希少。迷宮に踏み込む時に最もいて欲しい二人が揃っている状況は、探索者にとって最大の幸福といっていいだろう。


 ピエルナはゆっくりと視線を動かし、ニーロの瞳の色を見つめる。

 

 それを受けて、少年はまた口を開いた。


「ですから、どうしても誰かを置いて『竜の尾』を持ち帰ると言うならば、ピエルナさん、あなたがここに残るべきでしょう。あなたよりも強い戦士はいくらでもいるし、戦い以外に有用な特技もないのだから」


 ニーロの手には「帰還の術符」がある。

 あれをニーロがひらりと揺らして、書かれている文字を読み上げれば、次の瞬間にはもう迷宮の入口へと移動してしまう。彼が選んだ「仲間」だけが、地上へと戻る。


 なんと余計なことを言ってしまったのか。再びの後悔に襲われ、ピエルナの体はぐらりと揺れた。


 迷宮の中で強いのは、「生きている者」。死者は、あらゆる決定に対して無力だ。


 だが、生者の間にも立場に差が出来る。「帰還の術符」を持っているかどうか。すべては「術符を使う者」の意志次第。彼か、もしくは彼女に嫌われていたら「置いて行かれてしまう」。


 運が良ければもう一枚の「切り札」を見つけられるかもしれない。だが、そこに希望を託せるのは余程の能天気だけだろう。「帰還の術符」は滅多にその姿を表さない。見つかれば奇跡、たとえ「脱出」の魔術の使い手であったとしても、いざという時の為に備えて手放さない貴重品だ。


「ニーロ、……ニーロ、待っておくれ。本気で言ったんじゃない。ヴァージを置いて行こうなんて、冗談さ。本気で考えてなんかいないんだよ! ねえ、『魔竜』は確かに惜しいけれど、でも、そんな」

「ははは」

 今までに聞いた覚えのない、少年の笑い声。ピエルナは身を震わせながら、手をゆっくりと前へ伸ばしていった。


 なんとか彼の考えを変えさせなくてはならない。なんと声をかけたらいいのか、どんな言葉を向ければいいのか。いい考えはまったく思いつかなかった。

 頭に浮かんでくるのはカッカーの穏やかな笑顔だとか、ヴァージの目元の化粧の濃さだとか、マリートが剣の手入れをしている光景だとか、そんなものばかりだ。


「違う、違うよそんなの、……ああ、何を言ってるんだろう。ええと」

 ニーロは黙ったまま、ピエルナを見つめている。

 瞳と同じ、濃いグレーの髪は長く伸びて、肩より下までまっすぐに流れている。

 

 ニーロが笑ったところを見た覚えがなかった。そういえば、悲しんでいるところも、怒っているところも見た記憶がない。


 今の笑い声は何を意味しているのか。笑っているのか、もしかしたら、怒っているのかもしれない。表情に出さないだけで、ニーロの中には感情が渦巻いているのかもしれなかった。

 ニーロの細い指先に揺れる「帰還の術符」。使われたくない。では、どうしたらいいのか。言葉で説得できないのならば、力尽くで奪うしかないか。少年の肌は青白く、線は細く、戦いは出来ないはずだ。肉弾戦になれば、ピエルナに敵うわけがない――。いやしかし、そんな無茶をするわけには。


「ピエルナさん」

「へっ?」


 ギラギラとした瞳の奥に渦巻いている色の、その暗さ。ピエルナは自分が置き去りにされると思っている。あまりにも単純な田舎者の女戦士に、ニーロは呆れて小さくため息をついた。


「『竜の尾』を諦めればいい。そうでしょう?」

「え……」


 「竜の尾」を諦める。言葉の意味がわからず、もう一度かみしめる。

 「竜の尾」を、諦める。

 「魔竜の討伐者」である証を持ち帰るよりも、全員で地上へ戻る。


「諦める」

「そうです。確かに惜しいですが、その為に誰かを犠牲にする必要はありません」

「うん」


 ぼんやりとした返事に、肯定の意志はあまり感じられない。どうやらショックが強すぎたようだと、十三歳の少年は軽く反省しながらこう続けた。


「僕たちならばまた倒せます。今回は突然の遭遇であらゆる用意が足りませんでした。けれど、もう同じ失敗はしないでしょう。ですから『竜の尾』は必要ありません。次は、ヴァージさんとマリートさんに上手く処理してもらいましょう」


 こんな丁寧な説明があってようやく、ピエルナは、ニーロに「その気がない」と理解することができた。

 けれど、鼓動はまだ収まらない。どんなに強い魔法生物と戦った時よりも、突然現れた赤い魔竜の姿を見た時よりも、先ほどのニーロの言葉の方が恐ろしかった。


「良かった、ニーロ。あたしはてっきり」

「てっきり、何でしょう?」

 ピエルナは正直に、人生で一番恐ろしい思いをした理由をニーロへ告げた。

 ニーロは小さく首を傾げるようにして、ほんの少しだけ微笑むとこう答えた。

「迷宮で一番恐ろしいのは、魔法生物ではなく、背後に潜む誰か」

 それは、育ての親である魔術師ラーデンに何度も聞かされた話だ。

「迷宮にはあらゆる物があると師は言いました。失敗も、挫折も、成功も、富も栄誉も」


 探索者に多いのは、過去に傷を持つ者、一文無しから成り上がろうという野望を持っている者たちだ。瀕死の仲間と、迷宮で見つけた宝。どちらを持ち帰るか? 「帰還の術符」を握りしめ、探索者は考える。仲間達すべてを出し抜いて、一人ですべての富を手に入れられたなら――。


 ピエルナは恥ずかしさに身を焦がしながら、ニーロの言葉の続きを待つ。

「師は言いました。欲望に打ち克った者だけが本物の探索者になれる。迷宮の奥深くに辿り着き、宝を得る権利を手に入れるのだと」

「どういう意味だい?」

「裏切る者はいつか裏切られる。だが、誰かを救う者は誰かに救われ、信じる者は、誰かの信頼を得る」

 

 いつも冷静で、何を考えているのかわからない十三歳の少年。彼に似合わぬ熱い言葉に、ピエルナは少し戸惑っていた。


「師が僕に語って聞かせた言葉です」

「そうなのかい?」

「ええ」

 頷いた顔は、いつも通りのニーロの顔だった。そう感じて、ピエルナはようやく少し笑う。

「『魔竜の尾』や『紅輝石』ではなく、カッカー様達を連れて戻る。きっと、三人は僕たちに感謝をするでしょう。もしも次の探索で僕やピエルナさんが命を落としたら、その時は助けようと思ってくれるのではないでしょうか」

 

 誰も見ていない迷宮の中で、救えるはずの命を犠牲にして自分だけが富を得る。そういうやり方で成功している探索者もいるが、彼らは滅びの道を歩んでいると気が付いていないだけだ。誰かの命を浪費するたびに、共に進んでくれる仲間はいなくなる。更に、得た富を強盗に狙われるようになる。人を人とも思わぬ輩に、盗人たちも容赦はしない。


「本当に、悪かったよ。なんだか変なことを言っちまって。本気じゃなかったんだ、ニーロ」

「わかっています。ヴァージさんの方が綺麗だしもてはやされるから、悔しかったんでしょう?」

 そこまで言われるとは予想外で、ピエルナの口はぱくぱくするばかりで言葉が出て来ない。

「ピエルナさんが誰かを犠牲にするはずがありません」


 ニーロがまた微笑む。長い髪が揺れるその様に、ピエルナはまた驚いていた。


「そんな風に思ってくれてたのかい?」

 聞いてみたが、少年魔術師からの答えはなかった。

 ニーロは黙ったまま魔竜の死骸のそばへと進み、小さなナイフを取り出して、赤い鱗を削り始めている。

「せめて記念に持って帰りましょう。小さなかけらですが、これはピエルナさんが魔竜を倒した証です」

 歪な形に削れてしまった赤く輝く「鱗のかけら」。手渡されたそれを、ピエルナは強く握りしめた。

「せっかくですから全員分持って帰りましょうか。こんなかけらでいいのなら、僕たちにでも取れますから」

「手伝うよ」


 ナイフと剣で、鱗を削っていく。

 二人は手を素早く動かして、些細な記念品を赤い魔竜から削り取った。赤く輝く小さな鱗の破片。今回はこれだけだ。だが充分。それよりも、急がねばならなかった。余計なおしゃべりで随分時間が過ぎてしまっている。

 戦いの用意がない探索者は、迷宮内に長くとどまるべきではない。いつ次の新手が現れて襲ってくるかわからないのだから。


「いいですか、ピエルナさん」

「ああ、いいよ」

 ようやく安堵の笑顔を浮かべて、女戦士が答えた。


 少年魔術師の手の中に、「帰還の術符」がひらめく。

 昏い青い札に書かれた金色の文字。何と書かれているかはその札によって違う。


「我らを地上へ、希望の光の差す場所へ導き給え」


 眩い光が五人の探索者を包み、迷宮の入口の横にある「帰還者の門」へと送った。

 

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