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 「帰還の術符」は不思議な道具だ。

 迷宮を創造した魔術師たちが作った「探索者への慈悲」であるこの術符の効果が及ぶのは、きっかり五人まで。五人と、その装備品と持ち物まで。死者の場合は、身に着けている物だけ。

 この制限は、帰る人数が「五人」の場合だ。四人以下の場合、減った人数の分、荷物を「ひと塊」ずつ増やせるようになっている。


 死んだ者の運命を握るのは、その場にいる生者。

 助けるか、見捨てるか、はたまた裏切るか。死者はそのどんな選択も止められはしない。


「ヴァージを置いていって、それで……、ああそうだ、その竜のしっぽを切り落としたのを持って帰ればいいと思うんだ。だって、だって、素晴らしい幸運だったろう? 『魔竜』を倒せたんだ。きっと偶然だったと思う。私の剣がちょうど、弱いところにうまくささっただけだ。こんな幸運ってあるかい? ないだろう? このままあの竜からひとつも戦利品を得られないで帰るなんて」

「それは出来ません」

 言い訳をするように慌てて話すピエルナの言葉を遮ったのは、ニーロの冷たい声だった。

「ヴァージさんのような優秀なスカウトはなかなかいません。貴重な人材ですから、連れて帰らなくては後に響きます」

 尤もな意見に、ピエルナはぐうの音も出ない。


 わずか十三歳の少年であったが、ニーロは、ピエルナがヴァージに対してどのような思いを抱いているか、見抜いていた。


 剣に入れ込み、男の気配を一切感じさせない正直な田舎者。おそらくは過去に、男のせいで痛い目にでもあったのだろう。少しの偽りも感じさせない正直者であり、嘘をつけばすぐにわかる。わかりやすく、ともに迷宮に挑むにはちょうどいい人材だ。仲間が窮地に陥ればすぐに助ける朴訥さを持っているし、戦い以外の知識や技術がないので、余計な口出しもしてこない。


 そんなピエルナとヴァージは対照的だ。ヴァージは自分の思いをあまり語らず、他人との距離を一定に保っているようだった。自分の技術に誇りを持っており、探索の間は自分の好き嫌いに左右されず、黙々と仕事をこなしていく。

 だが一歩迷宮から出れば、ヴァージのもとには男がいくらでも集まった。どんな衣服に身を包んでいても、その抜群のプロポーションは隠しようもない。美しく伸びた長い手足、大きく膨らんだ胸元、憂いを帯びた瞳に、赤く艶めいた厚い唇。その姿は男たちを惑わし、愛の言葉を囁かせるが、ヴァージは彼らの求める答えを決して口にはしない。軽くあしらわれた男たちは、肩を落として去っていくしかなかった。


 迷宮の外で誰がどうしていようと、関係ない。ニーロはそう思っている。だが、ピエルナは違うのだろう。


 ヴァージが仲間に加わってから、そろそろ一年が経つ。

 ピエルナがやって来たのは三年と半年前。

 探索者としての先輩であり実直にやってきたピエルナが、ふらっとやってきて男たちにちやほやされているヴァージを見てどう思うか?


 「人生にはそんな不平等がいくらでも転がっているのだ」と、ニーロはよく、自分を育ててくれた師匠から聞かされてきた。


 そう、人生は公平ではない。

 公平であれば、大勢を助け導いてきたカッカーがこんな無残な姿で横たわっているわけがないのだ。


 しょんぼりとうなだれたピエルナから視線を移して、ニーロは口を開いた。

「もしも誰か置いて行くというのなら、カッカー様にすべきです」

「はあ?」

 がっくりと肩を落としていたはずが一転、怒りを露わにしながらピエルナは立ち上がった。

「何言ってんだよ、ニーロ! あんただって、散々カッカー様に世話になってきたっていうのに!」



 ニーロがカッカーの下へ身を寄せたのは、ちょうど三年前の今くらいの時期だった。

 今にも雪が舞い降りてきそうな、分厚い曇が空を覆っていた暗い冬の日の朝。


 両親の顔は知らない。ニーロは森の中で暮らす「師匠」の手で育てられた。師の名前はラーデンで、かつては探索者として名を馳せた魔術師だったという。

 引退したとはいえ、ラーデンは骨の髄まで「魔術師」だった。

 世界中の国や街の名、ラディケンヴィルスの街の下に隠された迷宮について、魔術を使うために必要な特別な文字の読み書き、意識を集中させる方法など、自分の知識とありとあらゆる魔術をニーロに教え込んで育てた。


 森の中で二人きりで、ニーロは師以外の人間を知らずに十歳まで育った。「ニーロ」の名も、この魔術師に与えられたものだ。とにかく、ラーデンの子ではないという以外に、ニーロは自分について何も知らない。何処で生まれたのか、誰の子供としてこの世に生を受けたのか。わからないが、彼は自分の出自について、何の思いも抱いていなかった。ニーロの中にあるのは魔術と、魔術に必要な知識ばかり。魔術に関する書物以外に家に置かれているのはわずかな着替え位で、掃除をする必要すらない暮らしをしてきた。


 そんなニーロ少年を連れ、ある日突然ラーデンは旅に出た。長い間暮らし続けた森を出て辿り着いた先は、ラディケンヴィルスの南側にあるカッカーの屋敷。

 かつての仲間への挨拶はそこそこに切り上げて、魔術師はカッカーにこう告げた。

「この子を頼む」

 そしてあっという間に、一人で去って行ってしまった。

 

 捨てられただとか、見放されただとか、そういった思いは少年の中にない。これからはここで生きるのだと、覚悟はとうに出来ていた。

 それからニーロはずっと、カッカーと共に迷宮に潜っている。探索者としての素質は既に充分。持久力はまだまだなのだが、それを補って余りある魔術の業で、深い層への挑戦を可能にしてきた。



 ピエルナの後にふらりとやってきて、当然のように屋敷で暮らし始めたニーロ。

 彼はいつでも冷静で、驚いたり焦ったりする様子がない。

 人間らしい感情があるのかすら怪しいと思われる少年に、親近感を抱くのは難しいとピエルナは思っている。



「カッカー様の受けた傷はとても重い。この足が無事に元に戻るかどうかはわかりません。大体、もう引退しようとしていたわけですから、もしも一人置いて行くのならばカッカー様にすべきだと僕は思います」

「ニーロ、この恩知らず!」

 拳を振りあげ、ピエルナは叫ぶ。

 だが、少年の顔色はまったく変わらない。

「仮定の話です。全員連れて帰ると決めたはずでしょう? あなたがヴァージさんを置いて、代わりに竜の尾を持ち帰ったらどうかと言ったんじゃないですか。僕はヴァージさんを置いて行くよりは、カッカー様を残していく方が、この後の探索の為にいいと考えただけです。置いて行こうなどという考えは持っていません」


 ピエルナの顔がみるみる赤く染まって、熱を帯びていく。


 落ち着いた白い顔、その中に輝くグレーの瞳。知的で、なにもかもを見透かしているような、力のある視線だった。くだらない嫉妬や、気に入らないなんていう感情だけでどうしようもない話をしてしまった。後悔、反省、恥ずかしさが入りまじって、ピエルナは身悶えている。


「いや、だって、悔しいじゃないか。せっかく倒した『魔竜』だ。私にもあんたにも、鱗や皮や角は取れないし、持ち帰るにも重たすぎて無理だなんて」


 しかし、素直に自分の否を認められずに、ピエルナはこんな言い訳を更に重ねてしまう。


「……そうですね。確かに、勿体ないと思います。こんな機会はもうないかもしれませんし、せめて尾を切り落として持って帰りたいというその提案は考える余地があるでしょう」


 ニーロは静かに頷き、言葉を続ける。


「カッカー様は僕たちにとって大変な恩人です。僕は魔術を使いこなせますから、カッカー様の下を離れても他のパーティに参加するのは容易いでしょう。ですが、まだまだ子供です。仲間に入れてくれる人がいたとしても、カッカー様のように『保護』してもらえるかはわかりません。他人と過ごした経験も浅いので、生意気な小僧だと思う人も多いでしょう」


 僕以外にも困る人が多いでしょうから、カッカー様は助けるべきです。

 ニーロはそう話し、あごに手をやって更に続けた。


「ヴァージさんは優秀なスカウトで、腕の良さは折り紙付きです。ですが、元盗賊という過去もあります。心の底から信頼できるかはわかりませんが、『カッカー様の下に集った探索者(なかま)』という意識は持っていると僕は思います。カッカー様の下で動いている間は、彼女は自分に出来る最高の仕事をするでしょう。方角を常に把握しており、地図の作成にも貢献しています。彼女程の能力の持ち主はいませんから、ヴァージさんは連れて帰るべきです」


 途中で述べられた「人格について」の部分に、ピエルナは夢中で頷いた。だが、少年はヴァージの腕を最高の物で、失うには余りにも惜しいと感じているらしい。それを直に伝えられて、ピエルナの心は暗く落ち込んでいく。


 しかし、すぐさま思い直した。確かに、ヴァージのお蔭でここまで来られたのだと。


 普段は男にはいい顔ばかりしているいやらしい女だが、迷宮の中で自分の出番が来ると一言も話さなくなる。発動してしまえば皆が命を落としてしまうかもしれない難しい罠を解除し、必要な手順を踏まなければ開かない扉の謎をいくつも解いてきた。それを、自分は知っているではないかと。第一、ヴァージはピエルナに、いや、他の誰にだって嫌がらせをしてきたことは一度もなかった。なんとなく、自分の好きではないタイプだと敬遠しているだけの間柄だ。それだけなのに、この迷宮の奥に置いて行こうだなんて――。


「マリートさんは、優秀な剣の使い手です。腕力は少し頼りないですが、剣の捌きには特別な物があります。あらゆる魔法生物について、『何処に弱点があるか』を確実に覚えています。初めて遭遇したものでも、あっという間になにに弱いのか見極めてしまう。天賦の才能があるのでしょうね。それに、魔法生物から肉を切り取り、加工できます。迷宮内で食料の調達ができるのとできないのとでは、天と地ほどの差があります。僕たちが食料や食あたりの心配なく探索を続けていけるのはマリートさんのお蔭。彼の代わりになる人はいません。ですから、マリートさんは連れて帰るべきです」


 ここで、ピエルナはようやく気が付いた。

 ニーロが何故、こんな話を続けているのか。


 ようやくそんな違和感に到達したピエルナの顔をちらりと見ると、ニーロは更に言葉を繋げていった。

 

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