3 / Pick out
「帰還の術符」と「脱出」の魔術。この二つの効果は同じで、迷宮内部から外へと一瞬のうちに移動するというものだ。
だが、効果の範囲は明確に違う。
「脱出」の魔術の効果は、すべて行使する術者の実力に左右される。街の中の何処へ戻るのか、何人で戻るのか、どれだけの荷を持って戻るのか。術者の力が強ければ、それらは自由に設定できる。その為に、多くの魔力と集中力が求められるようになっている。
「帰還の術符」を使った場合、戻る先は一ヶ所で指定はできない。迷宮の入口横に「帰還」専用のスペースがあり、使った瞬間そこへ飛ばされる。街へは歩いて戻らなければならないので、大抵の迷宮の入口の横で「荷運び屋」が待ち受けている。
そして「帰還の術符」で戻る人数は五人までだ。五人がしっかりと身に着け、手に持っている物だけに効果が及ぶ。制限は多いが、扱いは簡単だった。昏い青で染められた紙には、金色の文字で言葉が書かれている。それを読めばいいだけで、魔力も集中も必要ない。
「脱出」の魔術を使えないパーティはいつでも憂鬱だ。
「帰還の術符」がない者たちは、地道に階段を上って戻らなければならない。それはとても危険な行為であり、深い層への挑戦は困難になる。
「帰還の術符」があったとしても、まだ憂鬱は完全には晴れない。術符を使って帰るのは楽だが、持ち帰れる荷物の量が限られている。術符を使った帰還には「重量制限」があって、道具袋からはみ出しているような物は気が付いた時には失われている。また、命を落としてしまった仲間については、その手に強く握らせても、布で縛り付けたとしても「持っている」扱いにはならないらしく、身一つで戻らなくてはならなかった。例外として、腰に提げた剣や胸に抱かせた巨大な槍や斧、ハンマーなどは装備品とみなされる。
どういう仕組みなのかは、未だに解明していない。古代の魔術師たちはそんな不思議な「帰還の術符」を、迷宮に挑む探索者たちに気まぐれに与えてくる。
術符があって無事に戻れるだけ、今の状況は「かなり良い」。ニーロもピエルナもそれを知っている。術符がなければ、回復の泉へ辿りつく以外に生きて戻る方法はない。力の尽きた二人が挑戦してもうまくいく可能性は相当に低く、仲間の三人を救える可能性は更に低くなる。
二人は、何を捨て、何を持ち帰るかの選択を始めていた。
戻るべき肉体がなければ、神殿へ運んでも生き返りは不可能。
命を呼び戻せないと思われるほどのダメージを受けた仲間は、幸いにもいない。
なので、今回は五人で帰還をする。
つまり、持って帰るのはそれぞれの装備品と、ニーロとピエルナ、二人の道具袋だけだ。
今現在命を失っている三人の持ち物を広げ、床に手早く並べていく。選別をする二人の分も合わせ、すぐに手に入る物、希少価値のない物は部屋の隅へと追いやっていく。
マリートが「これを持っていると幸運が訪れる気がする」と言っていた「セーセリットの尾」は放り投げられる。
カッカーのお気に入りである「翠の峻険亭」の酒もまた買えばいい。
いつの間に手に入れたのか、ヴァージの袋に入っていた「紅輝石」は高く売れる。だがそれは、小さいくせにやたらと重い。
「ヴァージのヤツ、いつ拾ったんだろうね、これ」
悔しそうな顔で「紅輝石」を見つめながら、ピエルナは呟く。
「本当ですね。もしかして動きが鈍かったのは、これを持っていたからでしょうか?」
いつもは身のこなしの軽いヴァージを、カッカーが守った理由はこれだったのか。
ピエルナもかつて、「紅輝石」を手に入れた経験があった。その時も「帰還の術符」を使ったが、迷宮から出た時、いつの間にやら石は失われていた。重量制限にひっかかったのだろう。せっかく高額で売れるものがと、悔しかった記憶が蘇る。
苦い思い出に顔をしかめているピエルナから「紅輝石」を取り上げて部屋の隅へ投げ、ニーロは冷静に告げる。
「必要な物だけ選びましょう」
「わかってるよ、そんなの」
小さく舌打ちをして、ピエルナは作業に戻った。軽くて、なるべく小さくて、価値のあるものが最優先だ。それが、「帰還の術符」を使う時の鉄則。欲をかいても意味はない。一年半ほど使って来た道具袋に入る分だけ。ピエルナの物と、少し小さ目のニーロの物に入る分だけしか持ちだせない。
死人が出たパーティを待っているのは、神殿で奇跡の業を行う神官だ。彼らに頼んで、死者の肉体を修復し、魂を呼び戻してもらう。
その為には相応の謝礼が必要だった。手ぶらで帰ってしまっては支払えない。
幸い、このパーティにはカッカーがいる。彼の魂が無事に戻れば、「生き返り」の奇跡で残りの二人の命も助かる。更に、カッカーの所属している樹木の神殿に頼めば「神官割引」が利く。
「いくらかかるかね?」
それなのに二人の表情が冴えないのは、カッカーの状態の悪さのせいだった。右足がもげかけている。綺麗に修復させ、機能まで完全に取り戻せるかどうか。その難易度が上がれば、高位の神官でなければ対応できなくなる。神官のレベルが上がれば、支払う謝礼も跳ね上がっていく。
「ただの生き返りのニ倍はかかるでしょう」
「この足じゃあ、確かに仕方ない」
もげかけているだけではなく、炎に焼かれて焦げている。ピエルナは肩をすくめ、大きなため息を吐いて更に呟いた。
「今回はあんまりいい物がなかったなあ、ニーロ」
「確かに」
探索中に手に入る道具の数々。迷宮内に隠されている物もあれば、魔法生物から採取できる物もある。どこに何が隠されているのかは、誰にもわからない。
時折ひょっこりと、通路に何かが落ちているし、魔法生物から採取できる物も、倒せば必ず手に入るわけではない。その個体の大きさや倒し方に大きく左右される。細かい傷を負わせすぎては鉱石人形の石は手に入らないし、「剥ぎ取り」の技術がなければ地底騎馬の蹄は入手できない。
あまりいい物がなかった。手に入れた物の選別を一通り終えた二人が揃って見つめたのは、運よく撃破できた「魔竜」の死骸だった。
「魔竜」からは、様々な素材が採れる。輝く鱗や、脂の乗った肉、厚くて丈夫な皮、鋭く美しく輝く爪……。
攻略された三つの迷宮の制覇者たちは、それらで作った武具やアクセサリを持っている。圧倒的な攻撃力、素晴らしい防御力、選び抜かれた猛者たちだけに与えられる特別な輝き。誰もが羨むそれらの素材が、目の前に落ちている。
ところが、ニーロもピエルナも、「剥ぎ取り」の技術を持っていない。
鱗と皮を剥ぐ達人であるヴァージも、肉を切り加工できるマリートも、蒼白い顔で床に横たわったまま動かない。
ピエルナは立ち上がると赤い「魔竜」の前へ進んで、鱗と鱗の隙間へ剣を突き立てた。なんとか剥がしてやろうと剣を動かすが、固くてなかなかうまくいかない。やがてようやく一枚とれたが、端はがびがびと歪にゆがんでおり、真ん中に大きく亀裂が入ってしまっている。
「とても戦利品に見えないな、これじゃ」
労力の割に得る物がまるでなく、ピエルナは小さく後悔しながらまたため息を吐き出した。
いつだったか、カッカーに勧められていたのに。ヴァージに教えてもらって、剥ぎ取りの技術を磨いてはどうかと。だが、なんだかんだと理由をつけて断ってしまった。
ピエルナはヴァージに良い印象を持っていなかったからだ。
カッカーの家には、探索者が大勢住んでいる。
とにかく、カッカーは困っている者がいれば助けずにはいられない男で、探索者になろうと意気揚々でやってきたはいいがどうしたらいいのかわからない、仲間を見つけられない、そんな新米を広く自分の家へ受け入れていた。時には共に迷宮へ出かけ、戦いのコツや戦利品の持ち帰り方など、探索の基礎を教えては送り出していた。
教官のようなカッカーに救われたり、世話になって、彼を慕う者は迷宮都市に大勢いる。
戦士であるピエルナ、剣士であるマリート、スカウトのヴァージ。
今カッカーと探索を共にしている三人は、かつて彼に助けられ、探索者になったという共通の経緯があった。