2 / Alternatives
迷宮都市「ラディケンヴィルス」。
地下に九つの迷宮を抱くこの都市には、たくさんの「探索者」が集っている。
今よりも千年以上昔、強い力を持った九人の魔術師がいた。彼らは何もない土地に迷宮を作り上げ、互に行き来をさせるという「遊び」に興じていたらしい――。
この迷宮が発見されたのは、百五十年程前。
怪しげな生き物がいる「穴」の存在は、近隣に住む者たちの間では有名な話だった。だが、とある若者たちが度胸試しにと足を踏み入れ、その中に宝物が隠されており、奥深くへ潜るほど貴重な物が手に入るという「事実」が発見された。
それが噂になり、遠く王都まで知られるようになって、多くの力自慢たちがこぞって乗り込んできて――。
貴重な宝物を手に入れようと商人が訪れ、集まる人の多さに目をつけ宿を作る者が現れ、少しずつ街が作り上げられていった。
今「赤の迷宮」の二十七層にいるカッカーたちも、ラディケンヴィルスの住人だ。
リーダーであるカッカーは四十一歳。ラディケンヴィルスでは知らぬ者がいない有名な探索者であり、神官戦士である。
カッカーは元々ごく普通の神殿仕えの神官だったが、迷宮内に取り残された者たちを救ってほしいと助力を求められ、自らも地下へと足を踏み入れるようになった。鍛え上げられた体には戦士の素質も備わっており、乞われて迷宮へ潜っているうちに、とうとう探索者になったのである。
「赤の迷宮」へパーティが足を踏み入れたのは、カッカーがそれを望んだからであった。
歳と共に体力は衰え、引退の時期が迫っている。彼は仲間を集めて、そう話した。
探索者生活は長く持ってせいぜい十年。無事に生き残った者は若い探索者の指導を請け負うか、充分な資産があるなら新しい土地に屋敷を構えてそこで悠々と暮らしていく。
二十年も活躍をし続けている者など、カッカー以外には存在しない。
類稀な強さと、人々からの信頼があって、人よりも長く続けてきたが。
「儂にもその時が来た」
探索者生活の最後に、「赤の迷宮」へ挑みたい。カッカーは仲間にそう告げる。
九つある迷宮のうち、既に三つは最深部へたどり着いた者がおり、迷宮の「主」とされる存在が倒されている。
迷宮にはそれぞれに「色」が割り振られており、既に踏破されたのは「橙」「緑」「藍」の三つ。カッカーも過去に挑み、深い階層まで足を踏み入れたが「最初の踏破者」の栄光は得られなかったという。
全貌のわからない迷宮に挑むのは、大変に困難な試練になる。
「だからこそ、最後に、儂はそれを成し遂げたい」
四人の仲間の顔にゆっくりと目を向けて、神官戦士はこう続けた。
「今ならばそれができるはずだ。ここにいる仲間は素晴らしい実力の持ち主ばかり。どうか、力を貸してくれ」
その願いを受けて、一行は「赤の迷宮」に挑戦し続けてきた。
そして前回の挑戦で、とうとう三十三層目まで足を踏み入れたのだ。
既に攻略されている三つの迷宮には、共通点があった。どれも「三十六層」が最深部なのだという。
九つの迷宮はそれぞれに個性があり、出現する魔法生物にも差がある。だが、一定のルールに則って作られているらしかった。
六層ごとに必ず体力を回復する泉が設けられており、一階層の広さはすべて同じ。
すべての迷宮は同じ大きさで、全三十六層であろうという推測が為されていた。
前回、あとほんの「三層」のところで諦めざるを得なかった探索。手ごたえは充分、自分たちであれば必ず到達できる。決意を新たに、カッカーたちは再び迷宮への入口へ足を踏み入れて二十七層まで辿り着いていた。
「前回は出なかったよな、こんなデカブツは」
「そうですね。まったく信じられません」
ピエルナの軽口に、ニーロは冷静な口調で答えている。
二人は辺りに何かが現れないか警戒しつつ、仲間の状態を確認しながら会話を交わしていく。
「これが『魔竜』だったとしたら、大変な発見になります」
踏破済みの三つの迷宮の共通点の一つに、最深部の三十六層に巨大な「竜」の出現があった。迷宮と揃いの色を持つ竜が、最後の最後、最も深い層に現れるのだと。
かつて最下層まで踏破した者は必ずこの「竜」に出会ったと話した。
なので、迷宮の主が最下層で待っているのだと思われていた。
「『魔竜』は浅い階層にものぼってくるのかい」
「それか何匹もいて、最深部以外にも出現するのかもしれませんね」
ニーロの静かで絶望的な台詞に、ピエルナは小さく体を震わせている。
「やめておくれよ、なんておっかない話なんだ」
「最深部にしか現れないだとか、一度に一体しか現れないなんていう考えはすべてこれまでの探索者達の経験から推測されたものに過ぎません。何があってもおかしくないと考えるべきです」
カッカーと剣士のマリートの状態を確認し終え、ニーロは立ち上がった。
「帰って来なかったパーティの中になら、遭遇した者がいたかもしれませんね」
「嫌だね、あんたって。本当に、嫌な話ばかりする」
五人の仲間たちの中で、リーダーであるカッカーは圧倒的に年齢が高いが、魔術師であるニーロはこれまた圧倒的に、一人だけ若い。まだたったの十三歳の少年は天才的な魔術の使い手であり、探索者として素晴らしい素質の持ち主だった。だが感情をあまり見せず、どこか人間味に欠けている。共に探索をするようになって二年が経つが、ピエルナは少年の冷たさにまだ慣れずにいた。
嫌な話ばかりするというピエルナの言葉を、当のニーロはまるで気にした様子がない。
「ピエルナさん、ヴァージさんの状態はどうですか?」
「ん、ああ、大きな問題はないみたいだ。そっちは?」
「カッカー様の足がちょっと。マリートさんも傷は少しばかり深いようですが、致命的な損傷はありません」
少年の報告を受け、ピエルナはリーダーのそばへと歩みを進めた。
ニーロの言う通り、逞しい右足がもげかけている。突然現れた巨竜から振り下ろされた爪。ヴァージをかばって受けた時のものだろう。
「これは……どうだろう?」
「わかりません、神殿に誰が残っているかで決まるでしょうね」
「でも、カッカー様は連れて帰らなきゃ。どう考えたってね。そうだろ、ニーロ」
迷宮内で命を落とした探索者。その命運を握っているのはひたすらに「生き残った者」だ。生き残った仲間に「帰還の術符」や、「脱出」の魔術で連れて帰ってもらえれば御の字。
術がなければ、大抵の場合は置いていかれる。仲間の死体を背負ったまま進めるほど迷宮は甘くない。探索者の中には「遺体回収」を専門にする手合いもいるが、そういった者に頼むにしても、魔法生物に荒らされないような工夫をしなければ「無事に連れて帰る」リミットを過ぎてしまう。食い荒らされるか、腐るか。生きた仲間がいないパーティの末路はとにかく悲惨だ。
なので、ニーロとピエルナが無事に残っているのは、パーティにとって何よりも素晴らしい幸運だった。
しかも、帰還の手段までちゃんと残っている。炎に焼き尽くされずに済んだ「それ」は、ちょうど魔竜に出会う直前にニーロが拾ったものだ。
「帰還の術符」は、迷宮内部でごく稀に発見できる「地上への片道切符」で、それを使えば瞬時に迷宮の入口へと移動できる。魔術師の使う「脱出」の魔術とは違い、魔術の素養がなくとも使用できるものだ。
それは魔術師がいないパーティにとって何よりも貴重で、街の道具屋に持ち込めば相当な額で換金できる、迷宮の中で最も求められる道具だった。
「脱出」の魔術を使うには、相応の力を消費しなければならない。行使するのに必要な「魔力」がその身に残っていなければ、魔術師が居たとしても意味はない。
激しい戦いが済んで、ニーロの顔色はあまり良くない。天才的な魔術の使い手ではあったが、肉体的にはまだ発展途上にある少年で、体力も魔力も要所で回復しなければならなかった。
「今はアレだろ、やっぱり、『脱出』は使えないんだろ?」
「はい、力が足りません」
素直に頷くニーロに、ピエルナも頷いて答える。
「今、二十六? 七だったっけ?」
「二十七層です。上も下も、『泉』に向かうのは厳しいですね」
迷宮には、六層ごとに「回復の泉」が備え付けられている。そこには探索者の傷と疲労、魔力を瞬時に癒す魔法の水が湧き出している。二十四層か三十層、上下どちらも、泉は三層先にある。
しかし、二人きりで移動をするのは不可能だった。ここまで三層の間戦いを続けてきて、まさかの「魔竜」の出現。二人の体力もニーロの魔力もすべて尽きかけている。回復薬などの類はすべて使い切っているか、魔竜の攻撃によって焼かれてしまった。仲間の道具袋の中にも、使えそうなものは残っていない。
「術符で帰るしかありません」
ニーロが呟く。
それに、ピエルナは小さくため息を吐き出して、もう一度頷いた。