第八七話 命は投げ捨てるものではないお話
今回から再び時系列は現在に戻り、視点は三人称になります。
その後も、少年をリーダーとした村への遠征はメンバーを入れ替えつつも続行された。死体や生々しい破壊の痕跡は、一切片づけられることなく生徒たちの目に曝されることになった。おかげでその後しばらく、食事の量は減り消費される食糧は減った。
当然村へ行くことを拒んだ生徒もいたが、彼女たちに対して少年は「だったら今すぐ死んだ方がいい」と言い放った。
『いつかは外へ物資の調達に出なければならなくなる。君たちはそれを他の連中に押し付けて、自分たちだけは傷つかず今まで通りこの学院に篭もっているとでも言いたいのか?』
そして戦おうとしない人間は死ねとまで言い放った。
『お前たちが戦わない分、他の連中が戦わされてさらに危険を背負うことになるんだ。それで誰かが死んだら、お前らがそいつを殺したことになるんだ。それが嫌なら戦うか、今すぐここで死ね。戦わない奴は生き残れない』
銃こそ向けてこなかったものの、その言葉はとても冗談には思えなかった。教師である裕子も少年の方針には何も言わず、結局生徒たちは村への遠征や彼の戦闘訓練を受けることになった。
しかし少年への反感は、確実に高まっている。いきなりやってきて何様だ、なんであんな奴の指示に従わなければならないという不平不満は誰もが抱いていた。少年を殺して武器弾薬を奪ってしまえという過激な意見こそないものの、彼を追い出すべきだと思う生徒は再び増えつつある。
村への遠征が始まってから、一週間が経過した。既に全ての生徒が廃墟と化した村を訪れ、そこで外の世界の現実を目にしていた。
村を訪れる目的も、物資の調達へと変化していた。後一か月は余裕がある各種の物資だが、時間があるうちに集めておくに越したことはない。また以前のような大雪が降った場合、生徒たちは学院から外に出られなくなってしまうからだ。そうなれば、学院にある物資だけで雪解けまで食いつないでいくしかない。さらに雪が降ってソーラーパネルが使えなくなった時に使用する、非常用発電機の燃料も入手しておきたかった。
この日村に向かったのはいつものように隊を率いる少年と、ようやく死体になれた亜樹、そして二年生の葵の三人だった。人数が多すぎれば感染者がいた場合発見される可能性が高まるし、重量が増えれば車の燃料消費量も増える。素早く静かに動くには、三人が最適だと少年は判断したらしい。
亜樹たちはまだ、銃を撃ったことがない。弾の入っていない銃なら何度か持たせてもらい、構え方は教わったものの、肝心の実弾射撃はまだだった。村に行く時も銃を持つのは少年だけ、他の生徒はそれぞれ見つけたバールやバットといった鈍器で武装している状態だった。
どうやらまだ、命を預けてもいいと思えるほど信頼されてはいないようだった。もっとも、こちらも彼のことを完全に信用しているわけではないのでお互い様だったが。
亜樹が休んでいる間にも、村の偵察はかなり進んでいたらしい。最初に亜樹が村に来た時は外周部にある家を数軒回るくらいが限度だったが、今回は村の中心部に近いところまで行くことになった。村の中心部にはガソリンスタンドや一軒しかないスーパーマーケット、そして駐在所もあるらしい。
「駐在所? そんなところで手に入る武器なんてたかが知れてるんじゃないの? 父さんが言ってたけど、警察官って予備の銃弾なんて持ち歩かないんでしょ?」
「駐在所の警官には予備の弾が支給されることもあるんです、先輩。持ち出されていなければ、銃弾が手に入ると思いますよ。うちの県の警察はM3913ってオートマチックも一部で使ってるはずですから、弾は9ミリか38口径でしょうね」
少年も葵と同意見らしい。感染者対策の一環で、治安維持にあたる警察官には予備の銃弾も支給されていたらしい。それでも装填された弾数のせいぜい倍か三倍くらいだったらしいが、ないよりはマシなのだろう。なるべく発砲を控えて弾の節約を図っている少年だが、やはり武器弾薬はあった方がいい。
「それに駐在所に行けば、何か情報があるかもしれない。ガソリンスタンドやスーパーの下見のついでに行こうと思う」
小さな駐在所とはいえ、一応は警察組織の施設だ。無線機で県警の本部から指示や連絡を受けていただろうし、各地の状況について情報も得ていたかもしれない。少年は既に警察も自衛隊も組織として機能していないと言っていたが、それでもどこかに集結して安全地帯を築こうとしていた者はいるはずだ。
中心部に近づくにつれて、村の荒れ具合はますます酷くなっていく。村がどんなふうになっているかは最初の遠征やその後他の生徒の話で把握しているつもりだったが、現実はそれよりも酷かった。
道路脇で事故を起こしている車を三台は見かけたし、ドアをぶち破られていた家も多い。道路に転がる死体もいくつか見た。風雨に晒され野生動物に食い荒らされたせいか、もはや部品と呼んだ方が正しい有様の死体はそこかしこに転がっている。身体機能の衰えた老人たちは、感染者から逃げ切ることが出来なかったのだろう。
前回の遠征で死体を見て盛大に吐いた経験から、亜樹はどんな光景を目の当たりにしても落ち着いていられるようにイメージトレーニングを積んできた。が、目の前に凄惨な光景は予想をはるかに上回っていた。亜樹が電柱の根本で盛大に胃の中身を戻している脇では、顔を顰めつつも平然としている葵の姿があった。少年も短機関銃を手に周囲を警戒しつつ、葵に訊いていた。
「お前は平気なんだな。前回死体を見た時もあまり動揺していないように見えたけど」
「映画で一応予習はしておいたんですよ。それでも作り物とリアルとは違うと実感しましたけどね。気を抜いたら、私も吐きそうですよ」
そういえば葵は戦争映画ばかり見ていたなと亜樹は思い出す。人間がバラバラに吹っ飛ばされたりはみ出た内臓を引きずりながら呻いているような映画を見ていれば、ある程度は耐性が付くということか。
いったい何人がこの村を生きて脱出できたのだろうか。物資が持ち出されている家もあったことから感染者の発生から脱出まで余裕はあったのだろうが、それでも人っ子一人見かけないところを見ると、この村に生きている人間はいないのだろう。村人たちは何も考える余裕などなく逃げ出したのか、それともどこかを目指してこの村を離れたのか。
亜樹が落ち着いたところで、再び少年は村の中心に向かって歩を進めた。ガムテープがドアに貼られている家は、既に安全を確保してあると少年は言っていた。それでも誰かが外からこの村に入り込み、どこかの家に隠れている可能性を少年は恐れているらしく、道路を移動するときはなるべく物陰に隠れながら進むように言われた。
「隊長は前にも襲われたことが?」
葵が尋ねた。隊長というのは少年のことを言っているらしい。その呼び方に顔をしかめつつも、道路の先へ短機関銃の銃口を向けつつ少年は答えた。
「何度もな」
「その人たちも銃を持ってたんですか?」
「一応は。精々猟銃や警察の拳銃程度だけど、銃で襲われたらひとたまりもない。無駄口を叩く暇があったら周囲を警戒してくれ」
やがて三人は、まだ中を確認していない家々に足を踏み入れることになった。何百メートルか先には駐在所があるらしく、まずはそこへ向かったらどうかと葵は提案していたが、少年に却下された。万が一逃げる時になって、行く手を感染者に阻まれることになったら一巻の終わりだからだ。
駐在所までの間にある民家は、七軒だった。その一つ一つを確認していく。もしも役に立ちそうなものがあれば回収し、感染者がいたら倒す。最初の遠征の時に裕子が感染者を倒すことに失敗したのを見ていた葵は、自分は戦えるのだろうかと自問した。銃があれば――――――いや、銃があっても到底戦えるとは思えない。掴み合いの喧嘩すらしたことがないのに。
しかし今は隣に葵がいる以上、無様な姿は見せられない。下級生の模範たれ、それが小百合女学院のモットーでもある。何より年下の人間が出来て自分が出来ないことがあるというのは、プライドが許さなかった。
最初の三軒には何もなかった。あったのは少量の保存食と、ストーブ用らしき灯油の入ったポリタンクがいくつか。ペール缶に薪を放り込んで燃やし暖を取っている今では、灰も煙も出ない石油ストーブの燃料は少量といえどもありがたかった。
四軒目と五軒目には、死体があった。四軒目の人間は他と同じように感染者に家に押し入られて食い殺されていたが、五軒目にあった二つの死体には目立った外傷はなかった。それどころか玄関の扉や窓は厳重に施錠されており、内部に感染者が侵入した痕跡すらない。
「自殺だろうな」
斧でドアノブを破壊し家に押し入った少年は、寝室にあった二つの死体を見るなりそう言った。干からびてミイラ化した男女それぞれ一体ずつの二つの死体は、どうやら老夫婦のものらしかった。ベッドで並んで横たわっている彼らの足元には、真っ白な灰と焼け残った木炭で満たされた大きな七輪が置かれている。
そういえば先ほど寝室に入る時、ドアがガムテープで目張りされていた。見れば窓にも同じく隙間を埋めるようにガムテープが張られている。換気されない室内で何かを燃やしたらどうなるか、それくらいは亜樹にもわかった。
「馬鹿だな、老い先短いとはいえ自殺するとは」
そう吐き捨てた少年に亜樹は何か言いたかったが、上手く言葉にできなかった。いくらこんな状況とはいえ、自分から進んで死のうとは亜樹も思っていない。まだ生きていたいし、そのための努力も怠るつもりはない。自殺しようと言う人間がいたら、その気持ちは理解できるが賛成はしないだろう。もう死んでもいいと思えるほど、人生を長く生きてはいない。
五軒目の家には食料もまだ残っていたことから、老夫婦が追い詰められた末に自殺したのではないことは明らかだった。おそらく彼らは未来を悲観したのだ。運よく感染者に見つからずに済んだものの、見知った人々が感染者たちに食い殺されていくのを目の当たりにし、世界に絶望したのだろう。そして感染者に食われて死ぬくらいならと、夫婦揃って自ら死ぬ道を選んだのだ。
「おい、考えるなよ」
少年のその言葉で亜樹は、延々と続きそうな思考の泥沼から現実へと意識を引き戻された。そう、考えてはいけないのだ。目の前に並ぶ二つの物体は、今やただの肉の塊。それらが何であったのかを考えていたら、心が狂ってしまう。少年の言う通り何も考えず、ただ自分と仲間が生き延びることだけを考えるべきなのだ。
亜樹は少年に倣い、家中を探して役に立ちそうなものを集めた。特に防寒着は重要だった。ますます厳しさを増す冬の寒さに、重ね着しただけのジャージやカーディガンは無力だ。箪笥の中から厚手の服を引っ張り出し、持参したゴミ袋に放り込んで玄関先に置いておく。服は全部持って帰ろうとするとかなりの量になるので、後で車で取りに来ることになっていた。
六軒目の家は、玄関の扉が開け放たれたままになっていた。中を覗いてみると、上り框のところに死体が一つあった。そしてそのすぐ脇には、一丁の散弾銃が転がっている。
「おい、あれを取って来い」
少年は下駄箱の脇に転がっている散弾銃を指さし、亜樹に行った。
「取って来いって……自分で取ってくればいいじゃない。私たちに銃を持たせたくないんでしょ?」
「死体漁りも生き延びる術の一つだ。文句を言わずに持って来い。あと、拾った銃を僕に向けないように」
有無を言わさぬ口調だった。「私が取ってきましょうか?」と葵が言ったが、亜樹は自分でやることにした。死体に怖気づいて後輩に仕事を投げたとは思われたくなかった。
家に近づく前に玄関付近に石を投げていたので、家の中に感染者がいるとは考えにくい。それでも万が一の時には少年が援護してくれることを祈りつつ、亜樹は死体の転がる家に足を踏み入れた。
遺体はかなり食い荒らされ、わずかに残った頭皮の白髪から老人だろうと亜樹は推測した。既に腐臭すら漂わなくなった死体は殆どバラバラと言ってもいい状態で、手足は食いちぎられているか薄皮一枚で繋がっているような状態だ。それも虫や開いたままのドアから侵入した野生動物に食い荒らされたのか、ほとんど骨に乾いた皮や肉がわずかに付着していると言った方が正しい有様だった。
亜樹は仰向けになって玄関に倒れている死体を跨ぎ、下駄箱の脇に落ちている散弾銃に手を伸ばした。たぶん持ち主は、この死体だろう。食われる時に引きちぎられたのか下半分だけになってしまったベストの色は赤に近いオレンジ色で、テレビで特集していた猟師たちが着ていたものに似ている。
床にも赤い空のショットシェルがいくつか転がっていた。感染者に襲われ銃を撃ちながらこの家に逃げ込んだが、直後に殺されたのだろう。心の中で手を合わせつつ、亜樹は死体に触れないように散弾銃を拾い上げた。
上下二連式の散弾銃は何度か少年に持たせてもらい構え方を教わったが、改めて持ってみるとかなり重かった。さっさと外に出ようとした亜樹に、「弾も探せ」と外から少年の声が飛ぶ。
「弾なんて見当たらないわよ」
「死体のポケットも探せ、撃ち尽くしたんでもない限りその中だ」
「ええ……」
できれば死体、それも激しく損壊したものに手を触れたくはなかったが、やるしかないのだろう。亜樹は意を決すると死体の傍らにしゃがみ込み、そこだけはかろうじて残っていたベストのポケットに手を突っ込んだ。
ポケットの布越しでも、死体の乾いた皮膚の感触は伝わってくる。一瞬触れた固いものは骨だろうか? 今すぐ胃の中身を全て吐き出したい気分だったが、どうにか堪えた。左右のポケットをまさぐったが、中には何も入っていない。
「ズボンもだ」
少年のその言葉に今すぐ彼を撃ち殺してやろうかという気持ちに駆られたが、これも必要なことだと自分に言い聞かせる。こうでもしなければ、今の自分たちに物資を得る方法はないのだ。
ズボンは乾いた血でごわごわしていたが、泣き言を言ってはいられなかった。軍手に乾いた血の塊が引っかかって剥がれる。ポケットの奥まで手を突っ込んでみて、指先に固いものが当たる感触が伝わった。引っ張り出してみると、ポケットの中にあったのはライターだった。
結局、死体から弾は見つからなかった。あったのは煙草やポケットティッシュくらいで、未使用の銃弾は一発もない。
「ご苦労」
そう言って少年は、亜樹が持ってきた散弾銃を手に取った。ロックを解除して銃身を折り曲げると、イジェクターによって装填されていた弾が勢いよく飛び出す。排出された二発のシェルは、使用済みのものだった。
弾が一発もなかったのは残念だが、12ゲージのショットシェルならまだまだ余裕はある。9か月間放置されていたのは不安だが、散弾銃は普通構造が簡単で頑丈なものだ。整備すれば使えるかもしれない。
少年は弾の入っていない散弾銃をスリングで背中にたすき掛けにし、再び短機関銃を手にした。目的地の駐在所は目と鼻の先だ。
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