第0話 お話が始まる前のお話 その四
ラジオでも、テレビと同じような内容の速報を流し続けていた。全国各地で暴動が発生、死傷者多数、自衛隊が出動云々……。
『この放送をお聞きの方は、今すぐ家の戸締りを厳重にして、外に出ないようにしてください。外は大変危険です、感染していると思われる方には近づかないでください。……今この放送局にも暴徒がやって来たようです、下から叫び声が聞こえます……』
ラジオのスピーカーから流れるノイズ交じりの男性アナウンサーの声は、どことなく震えていた。微かに何かが破壊されたような物音と、悲鳴も聞こえたのは気のせいだろうか?
「どうするんです? 警察はいつ来るんですか?」
避難所が開設された際には最寄りの警察署から何人か警察官が派遣され、警備に当たることが決まっていたらしい。しかし警察官が学校にやってくる気配は一向になかった。それどころか、市街地の方からはサイレンの大合奏まで聞こえてきている。市街地のある南の空は、微かにオレンジ色に染まっていた。
「役所からの連絡もない。とりあえず、何人か外に出て警備に当たってもらおう。教師だけじゃ足りないな、ボランティアも募らないと……」
学校に残っていた校長が教師たちを呼び集める中、僕と吉岡はそっと職員室を出た。炎上する街の映像をテレビで見てもなお、まだ日本が未曾有の大災害に襲われているのだという実感は湧いてこない。不安はかつてないほど心の中で膨れ上がりつつあるが、一方で大したことないさと楽観視する自分もいた。
「これから、どうなるんだろうな……」
「どうなるって、なるようにしかならないでしょ。自衛隊とかも動いてるって言うし、案外明日の朝には収まってたりして」
「そんな簡単に解決すると思うか?」
「するでしょ」
最後の一言は吉岡だけでなく、僕自身に向けての言葉だった。何とかなるさ、僕はそう思うことにしていた。昨日と同じ今日、今日と同じ明日がずっと続いていく。そう思いたかった。
ポケットの中に突っ込んだままの携帯電話が、着信のバイブレーションで震え出す。見ると、メールが届いていた。送信者は母さんだった。
『今家です。これから父さんと一緒に学校に行きます』
いつものようにシンプルかつそっけない文面だったが、両親が無事であるという事実に僕は安堵した。了解の旨を告げる返信メールを送り、大きなため息を吐く。
「どうしたよ?」
「いや、母さんからメール。父さんと一緒にこれからここに来るって」
「そうか、無事でよかったじゃないか。でも大丈夫なのか? さっきラジオで外に出るなって……」
「ヘーキヘーキ、ヘーキだから。ほら、今でもどんどん学校に来てる人たちいるし」
窓の外を見れば、未だに多くの近隣住民が中学校にやって来る光景があった。もしも近所にテレビに映っていたような暴徒が現れたのならば、もっと血相を変えて駆け込んできているだろう。しかし避難してくる人々は呑気に歩きながら雑談したり、スマートフォンを弄っている。とても命の危険に晒されているようには見えない。
僕の家はこの中学校から歩いて10分ほどの距離にある。すぐに、父さんと母さんはやって来るだろう。僕はそのことを疑いもしなかった。
そしてその通り、すぐに僕の両親は中学校に顔を見せた。スーツ姿の父さんと、私服に着替えたらしい母さんは、僕の家の方角からまっすぐ学校にやって来た。無事に会えたことは喜ばしかったが、かといって素直にそう伝えると未だに親離れ出来ていないように思われるのも嫌だったので、素っ気なく僕は二人を迎えた。
「街の方はどうなってた?」
「俺が見た限りでは、ニュースで言ってるように人が殺されたりとかそういったのはなかったな。まあもう一時間も前のことだから、今はどうなってるかわからんが。電車もバスも止まってたし、タクシーも中々捉まらなくてな。ようやく見つけたタクシーに会社の連中と一緒に乗って、あちこち寄りながら帰ってたらこんなに遅くなった」
父さんも母さんも、直接は暴徒なるものを目撃してはいないらしい。ただし停電のせいか、あちこちで交通事故が起きているようだ。だが事故現場では、警察官の姿はなかったらしい。
「あちこちで事故ばかり起きてるから、きっと警察も対処しきれないんだろう」
避難してきた近隣住民の中には、中学時代の同級生の親たちもいる。僕の両親は、彼らに挨拶に向かった。PTAや保護者会があるわけでもないし、同じ高校のクラスメイトの親がいるわけでもない。それでも父さんと母さんが他の生徒の親と話をしたがったのは、情報収集のためだろう。といっても、進路関係についての話がメインなのだろうが。
やはり父さんと母さん、そして親たちも、僕と同じようにこの事態を楽観視しているようだった。事故や暴動についての話は二の次で、他の子がどの大学に行こうとしているか、今の成績状況について聞きたいのだろう。この時期の親たちの懸案事項は、目下のところそれが一番だ。一緒にいたら針のむしろの気分を味わうことが確定しそうなので、僕は早々に退散することにした。
「何かあったら電話を寄越すんだぞ、俺たちは体育館にいるから」
父さんはそう言って、体育館の前に集まり始めた高校生の親たちの会話の輪に戻っていく。僕と吉岡は連れだって、再び職員室がある教室棟へ向かって歩き出した。
「一緒にいなくてよかったのか?」
「いいよ、いたらどうせ『他の子はこんなにすごいのにお前は』って無言の圧力を受け続けるだけだし」
「まあこんな状況でも呑気に喋っていられる大人たちもすごいけどな……。それで、これからどうする? 警察とか自衛隊が来るまでぶらぶらしてるか?」
「じゃあさ、管理棟の方に行ってみないか?」
何となくの僕の提案を、吉岡は受け入れた。ボランティアの方は既に大人たちがやっていて、子供の出る幕ではないように感じた。こんな時だが久々に母校を訪れたのだ、昔とどこが変わり、どこが変わっていないのかを見て回りたかった。
そのことを先生に伝えると、「じゃあついでに裏門の見回りでもやってくれ」ということでオーケーをもらえた。裏門は普段は使われることのない北側にある小さな門で、僕らがこの中学校に在籍していた時に開けられたことは一度もなかった。
裏門は普段からカギが掛かって外から開かないようになっているが、念のため確認してきてほしいとのことだった。もし裏門から入ろうとする住民がいたら、正門に回るよう伝えることも。まるで職員室からプリントを取ってきてくれとでも言うような気軽さだったし、実際先生もそこまで重大な役回りだとは思っていないのだろう。無論僕らも、与えられた仕事がそこまで大したものではないと思っていた。カギが掛かっているかどうかを確認してくるのはあくまでも言い訳で、先生は僕らが自由に歩き回ることを許可してくれたのだ。
「にしてもここ、大分変わったよな」
人の多い校庭を離れ、北側の管理棟へと向かう僕は、記憶の中の中学校と目の前の光景が異なることに気付いていた。教室棟の窓にはX字状の鉄骨が組み込まれ、中庭にあった池は花壇になっている。昇降口の形も変わっていた。
「もう建てられてから随分建つらしいからな、ランチルームも耐震工事を春休み中にやる予定だったらしい。まあこんな状況じゃ、いつ工事が再開するかわからないがな」
教室棟の東、管理棟の南にあるランチルームは、給食の時に使われている。僕の中学校では昼食時は弁当を持参するのではなく、ランチルームで給食が配られるのだ。
工事はストップしたままのようで、ランチルームは防塵用のシートと作業用の足場で覆われたまま、職員用の駐車場にはビニールシートを被せられた建築資材が積み上げられていた。
古臭い管理棟は、以前のままだった。南側に立てられた理科教師用の温室や、二階の窓からわずかに見える音楽室の作曲家たちの絵もそのままだ。砂利が敷き詰められた職員室用の駐車場も、並ぶ車の種類は変わっているがさほど違いは見られない。
「懐かしいなあ……ここでバーベキューやったことがあったよな」
「ああ、あったあった。確か遠足が二回連続で雨天中止になって、その代わりだっけ?」
そんなことを話しながら、僕らは管理棟の周りを歩いて回った。一歩足を踏み出すたびに、懐かしさと切なさが僕の胸を締め付ける。何も考える必要がなく、未来には希望しかなかった中学時代。それは既に遠い過去の出来事となってしまった。今僕が味わっている真綿の紐で首を絞められるような圧迫感など、これっぽっちも感じることなく僕は中学生活の三年間を過ごせた。
そう考えると、世界を一度リセットしたい願望に駆られる。今僕の目の前に広がっている未来には、夢も希望もないように感じられるのだ。
大学進学は当たり前の時代になり、いい企業に入るためにはいい大学へ行かなければならない。景気が上向き始めているとはいえ、大学生の就職率だってまだまだ以前の水準に比べたら落ち込んだままだ。会社さえ選ばなければすぐに就職できるのだろうが、そうして入った会社が従業員を使い捨てにするブラック企業だったらたまったもんじゃない。リストラや倒産の危機に怯えたくなければ大企業に入るしかないが、そうなれるのはほんの一握りの人間だけだ。
そして大学を卒業し、就職した後も未来には希望を持てないだろう。一向に改善されない出生率と、増え続ける高齢者。もろもろの税金や保険料は値上がりを続けているが、将来それを僕らがきちんと受け取れるとは限らない。ゆとり世代と蔑まれ、搾取されながらひたすら耐えて働き続けなければならない――――――それが今僕が将来に対して抱いている展望だった。
無論、社会に出たことがないガキが何を、と言う大人もいるだろう。だけど僕らは生まれた時から暗いニュースばかり聞かされ続けて育ってきたのだ。大人たちの言う高度成長もバブル時代も味わったことがない。少子高齢化、財政難、テロ、大災害……それらの言葉はいつまで経っても、テレビから消えることはないのだ。
この社会はもう、構造的に限界を迎えてしまっているのかもしれない。ならば一度リセットするしかない。政治体制も社会の常識も何もかもを一度ぶっ壊して、そこから新しい世界を作り出す。最近、そんな願望にばかり取りつかれている。
こんな話を誰かにしたら、たぶん頭がおかしいかテロリスト予備軍だと思われてしまうだろう。もちろん僕だって、本気でそんなことを思っているわけじゃない。今の生活だって十分に豊かなのだろうし、実際に社会に出てみたら思っていたよりも未来は明るいもののように思えるのかもしれない。しかしこの世界が変わってしまうことを、心の隅で願い続けている自分がいることも事実だった。
自分の暗さを自覚しながら、管理棟を北に回って裏門へと向かう。学校内をぶらつくための言い訳として裏門の見回りという仕事を与えられたが、それでも一応見ておくべきだろう。裏門から入ってこようとする近所の住民がいるとはとても思えず、僕はさっさと仕事を終わらせるつもりでいた。
「はい、オーケーっと」
先生から借りておいた懐中電灯で裏門を照らしたが、何の異常もない。門と言っても、人一人が通れるような片開きの門扉があるだけだ。カギも閂もきちんと掛かっている。外からでは開けられない。
「そういや吉岡、一度ここから出ようとして音楽の先生に見つかってたよな」
「ああ、こっぴどく怒られた」
通用が禁止されている裏門だが、中学校の北側から通学してくる生徒たちにとっては一番の近道になる。なので時々、こっそり裏門を通って帰ろうとする生徒が現れては、管理棟で作業をしている先生に見つかって追いかけられるという事態が発生していた。ちなみに裏門が北側にあることから、裏門をこっそり通って帰ろうとする行為は「脱北」と呼ばれていた。
「それじゃ次はどこに行こう――――――」
そう言いかけた時、男の悲鳴が聞こえた、ような気がした。街のあちこちで聞こえるようになってきたサイレンの音がうるさく、よく聞き取れなかったのだ。しかし吉岡もあたりを見回していることから、どうやら今の悲鳴は空耳ではなかったらしい。
「今の聞こえたか?」
返事をする前に、門扉の向こうで一つの人影が学校の外の道路を走ってこちらに向かってくるのが見えた。街灯は停電のせいで消えたまま。懐中電灯に照らしだされたのは、大学生くらいの若い男だった。
「開けてくれ、中に入れて!」
「ここは閉め切りなんです、南側の正門に回って……」
「そんな悠長なことをやってられるか! 頼む早く入れてくれ、でないと殺されちまう!」
そんな大げさな……と笑いかけたが、男の顔に点々と赤いものがこびりついているのを見た僕は、それが血であることに気付く。懐中電灯の光を男の身体に向けると、彼の来ている白いシャツの半分が真っ赤に染まっていた。
彼が冗談を言っていないのは、吉岡にもわかったらしい。
「どうする?」
「どうするって、そりゃ入れてやろうよ」
男は必死に門扉を掴んで前後に揺すっている。事件か事故に巻き込まれたのかは知らないが、とりあえず中に入れて話を聞くべきだろう。それに僕が見ている映画のヒーローならば、こういった時に誰かの頼みを無碍にはしないはずだ。
吉岡の返事を聞くこともなく、僕は門扉の閂を外した。続いて門扉の取っ手にかけられたダイヤル式の南京錠を、記憶を頼りに外す。門をロックする南京錠の番号は、友達伝いに聞いたことがある。南京錠が変えられていなければ、ロックを解除する数字は6443だったはずだ。
そしてその通り、6443で南京錠のロックは外れた。門扉を開けようとしたその時、まるで獣のような咆哮が空気を震わせて響き渡った。
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