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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第二部:変革のお話
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第0話 お話が始まる前のお話 その二

 時間はいくらでもあるとはいえ、さすがに何時間もぶっ通しで映画を見るのは流石に目が疲れる。二時間物の映画を三本見て、眠くなったら昼寝をする。目が覚めると、窓の外に見える空はオレンジ色に染まっていた。もう夕暮れ時だった。

 枕元に置いた携帯電話のランプが点滅している。起動すると、真っ先に母さんからのメールが表示された。今日は帰りが遅くなるという。銀行に出勤してこない社員やパートが何人もいて、とても帰れる状況ではないのだとか。


「また一人か……まあいいけど」


 父さんも母さんも、ここのところずっと帰りは遅い。今じゃ一人で夕飯を作って食べるのだって当たり前になりつつある。冷蔵庫の食材を確かめようとベッドから身体を起こしかけると、遠くから飛行機のジェットエンジンの重低音が聞こえてきた。

 隣の県に国際空港があるということもあって、空を見上げれば旅客機が飛行機雲の尾を曳きながら飛ぶ光景は当たり前のものだった。夜は昼間よりも騒音が少なく、ジェットエンジンの音がよく聞こえる。翼端灯の青と赤の光は、地上からでもよく見えた。


 その旅客機も、政府の渡航制限や外国便の制限などのせいか、ここしばらくは見かける数がぐっと少なくなった。以前なら今の時間帯は西へ向かう飛行機が数分おき、あるいは数十秒おきに見えたのに。

 だいぶ陽が傾いた空は、雲に包まれ始めていた。そういえば今日の夜は冷え込むと天気予報で言っていた。そしてもしかしたら雪が降るかもとも。

 雪が降ればいいな、と思った。このあたりじゃ雪はあまり降らない。降ってもせいぜい地表が薄く覆われる程度で、翌日には溶けてなくなってしまう。それでも僕は雪が好きだった。


 父も母も帰ってくるのが遅くなる。今夜も一人で夕飯だ。食事の準備をすべく部屋を出ようとして、さっきから聞こえる飛行機のエンジン音が異様に大きくなっていることに気づく。エンジン音が遠ざかっていくことはなく、むしろどんどんこちらに近づいてきているように思えた。

 見れば窓もわずかに震えている。直後、耳をつんざくようなジェットエンジンの金属音が家全体を震わせ、頭上を通り越していった。慌ててベランダに出た僕は、そこにあった光景に思わず息をのんだ。


 まず目に入ってきたのは、異様に低い高度を飛んでいる大型の旅客機の姿だった。こちらに尻を向けて、ぐんぐん高度を落としている。胴体側面の窓が、一つ一つはっきりと見えるような気すらした。

 こんなところに空港はない。旅客機は機体をふらつかせながら、街の北部に連なる山脈に向かって斜めに降下し続けていた。だが、上昇する気配はこれっぽっちも感じられない。まるでコントロールを失っているかのように。


 機体を大きく右側に傾けた状態で、旅客機は山脈の麓にある送電線の鉄塔へとまっすぐ突っ込んでいく。翼が電線を引き裂くスパークが、数キロも離れているというのに夕闇の中でもはっきりと見えた。

 直後、機体は完全に地面に対して垂直に傾く形で、山の麓へと吸い込まれた。一瞬遅れて、その地点で真っ赤な爆発の炎が立ち昇る。呆然とその様子を見ていた僕の耳に、数秒後、遅れてやってきた爆発のものらしい轟音が突き刺さった。


 旅客機が墜落したらしいと理解したのは、僕が手の中にあるスマートフォンの存在に気付いた時だった。どうやら無意識のうちにカメラを起動させて、一部始終を録画していたらしい。再生ボタンを押すと、画質は荒く暗くてブレまくりだったが、飛行機が僕の家の頭上を通過した直後から墜落するまでの映像が記録されていた。

 僕は不意に昔見た対テロ戦争の引き金を引いた事件の映像を思い出した。僕が幼い時に、アメリカのツインタワーに二機の旅客機が突っ込んだテロ。授業の一環で見せられたあの映像でも、飛行機はまるでビルの壁面の吸い込まれたかのように消失していた。今と同じように。


「やべえよ、やべえよ、どうする……?」


 どうやら自分が重大な事故の目撃者になってしまったらしいと理解していたが、何をすればいいのかわからなかった。通報? どこへ? 119番かそれとも警察か? いや警察や消防だって街の北側に飛行機が墜落したことぐらい、いくらなんでもわかっているだろう。今の爆発音は、きっと街中に轟いたはずだ。

 それともこの映像を動画サイトに投稿すべきか? 重要な事故の記録映像だ、もしかしたら一時間で10万回は再生されるかもしれない。それどころかその映像を見たテレビ局が取材に来るかも。そうなったら取材料はもらえるのだろうか?


 そこまで考えたところで、あの旅客機には人が乗っていたであろうことを思い出す。あの状況では、確実に生存者はいないだろう。何せ猛スピードで山の麓に突っ込んでいったのだ。機体はバラバラで炎上している中で生き残っている人がいたら、それはもう奇跡と呼べるレベルではないだろう。


「……とにかく、通報だよな」


 一瞬前まで取材だなんだと浮かれていた自分が恥ずかしかった。僕は携帯電話をそっとポケットに仕舞うと、階段を駆け下りて119番に通報しようとした。だが、繋がらない。今の光景を見ていた街中の人間が通報して回線がパンクしているのかと思ったが、そもそも電話機の電源が入っていないのだ。

 コンセントは刺さっているし、故障の線もない。もしかして……と思いリビングの蛍光灯のスイッチを押したが、こちらも点かなかった。先ほどあの旅客機は墜落する際に、翼で鉄塔の送電線を切断していた。そのせいで停電が起きているのだ。


 携帯電話なら繋がるかと思ったが、こっちはやはり回線がパンクしているようだった。警察にも消防にも繋がらない。とりあえず母さんにメールを書いたが、なぜか送れなかった。


「どうしようかな……」


 停電の上に家族とも連絡は取れない。ツイッターなどのソーシャルネットワークは災害時でもインターネットさえ生きていれば利用可能らしいが、生憎僕の家族は僕も含めて誰一人アカウントを持っていなかった。とりあえず無料通話アプリで父さんと母さんに飛行機が墜落して停電が発生したことを伝えたが、二人はまだ仕事中なのか返事はなかった。


 急に、不安になってきた。先日から散々叫ばれている海外での暴動。今の墜落もそのせいなのではないか? さっきの飛行機は、見たところエンジンが止まっていたり機体が壊れているようには見えなかった。それに地面が近づいているというのに、減速したり不時着する素振りすらなかった。僕にはまるでパイロットがいなくなってしまったかのように、機体がコントロールを失っていたように見えた。


 恐る恐る、スマートフォンを操作してニュースサイトを閲覧する。するとトップページには、『都内で暴動発生』の見出しが躍っていた。ついに日本にも感染が広まってしまったのだ。

 だが僕にはその実感が湧いてこなかった。日本で感染者が発生したという事実よりも、たった今目撃した飛行機が墜落する瞬間の方がインパクトがあった。未だに感染者たちによる暴動は、どこか遠い国の出来事と同じくらいの重みしかなかった。実際に目の前で暴動が発生すれば受け止め方も変わるのかもしれないが、今は遠い県で起きた災害と同じ程度の印象しかない。


 感染者が日本で確認された場合、近くの中学校に避難所を開設すると昨日町内会の回覧板で回ってきていた。一応、行ってみるべきなのだろうか。

 停電で電話は繋がらない、おまけに感染者まで現れた。後者はニュースサイトで確認しただけなのでデマや誤認という可能性もあるが、目の前で飛行機が墜落したという事実は動かしようがない。念のため、避難所に行って情報を確かめるのはありだろう。学校は非常用の発電機や防災無線の受信機などもあるから、正確な情報が集まってくるはずだ。


 それに飛行機の乗客を救出するための救助隊も編成されるだろう。その場合、中学校がその拠点となる可能性もある。実際に過去の墜落事故では、学校の体育館や校庭が救助隊や自衛隊に利用されたこともある。その設営には人手がいるだろうから、ボランティアとして行ってみるのもありかもしれない。どっちにしろ真っ暗な家の中に居続けるよりかは、電気が使えるかもしれない学校に行った方がいい。


 そんなことを言い訳にしていたが、本当は暗い家の中で一人父さんと母さんの帰りを待つのが不安だっただけだ。目の前で数百人が一瞬にして死ぬ光景を目の当たりにし、そこへ世界を騒がせている感染症が日本に上陸したというニュースまで入ってきた。両親とは連絡が取れず、家は停電したまま。これで心細くならない奴はいない。


 幸い、避難所に指定されている中学校は家から徒歩で10分ほどの距離にある。ちょっと行って情報を集めるなり、停電が復旧するのを待つなりすればいい。何かあったらすぐに帰れる距離だ。

 そう考えると、中学校に行く決心が固まった。一応両親に避難所である中学校に行くとメールを送り、何かの手違いで届かなかった時のために書置きも残しておく。


 そのまま家を出ようとしたが、私服で行くのもどうなのかと思ったので、高校の制服に着替えた。卒業したとはいえ、学校は学校だ。それに学校ではまだ中学三年生の時の僕の担任が勤務しているはずだ。みっともない恰好は見られたくない。

 着替えなどを持っていく必要もないだろう。家が倒壊したり、浸水して家財が流されたわけではないのだ。必要になったら、また戻ってくればいい。身分証明用の学生証や財布をポケットに突っ込むと、僕は家を出た。


 外では近所の人々が道路に出て、飛行機が墜落した方角を眺めている。家々のベランダにも人々が身を乗り出さんばかりにして、墜落地点である山の麓を指さしたり携帯電話で写真を撮っていた。街灯や家々の光が全て消えた町は、暗闇に包まれ始めていた。

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