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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第二部:変革のお話
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第八六話 お試しするお話

 元々外出する機会は多くなかった上に、そもそも学院のある地域は過疎化が進行していたとはいえ、実に9か月ぶりに見る外の世界はうら寂しいものだと亜樹は感じた。学院の周辺は耕作放棄地が広がっていたが、前に見た時よりも荒れ果てているような印象を感じた。枯れたススキが地を覆いつくし、一面茶色い景色が広がっている。

 学院の周辺に広がる森、その南側にある農業用地は去年まで使用されていたが、畑の所有者である老人が死亡してからは手つかずのまま放置されていた。それでも前に見た時は、ここまで荒れ果ててはいなかった。雑草だって、畑一面を覆うほど生えたりはしていなかった。

 

 車のスピードが落ちたのは、裕子もその景色に目を奪われたからだろう。人がいなくなるだけで、これほど荒れ果ててしまうのか。道路のアスファルトもあちこちがひび割れ、そこから雑草が顔を覗かせている。学院の生徒が街まで出かけるのに利用していたバス停の屋根は、先日の雪の重みに耐えられなかったのか潰れてしまっていた。割れたガラスと金属製の支柱でできた瓦礫の山から、自己の存在を主張するかのように錆びついたバス停の標識が突き出ている光景は、どこかシュールなものだった。


「なにぼーっとしてるんですか。さっさと出してください」


 少年の言葉で亜樹は我に返り、車が停まっていることに気づく。外の景色に心を奪われていた亜樹たちと違って、少年はいつも通り何を考えているかわからない顔のままだった。運転席のシートを背中側から軽く足で押すと、ようやく裕子も自分がアクセルペダルから足を離してしまっていたことに気づいたようだった。


「これから行く村、人口はどれくらいかわかります?」

「確か、700人くらいだったはずよ。半分以上が農業従事者のお年寄り」

「土地勘は? 誰かその村に行ったことがある人は?」

 

 これから向かう学院に一番近い村には、学院の生徒ならば誰でも行ったことがあるはずだ。行事の一環として周辺住民との交流なるものがカリキュラムに組み込まれていて、近くの村で農家の手伝いをするというのがその内容だった。「自然と調和し、自然の恵みに感謝する」というテーマは立派だったが、泥にまみれる上に屈んで作業を続けなければならず、腰を痛めるので生徒からは不評の行事だ。亜樹も一年次と二年次に件の村に出向いて農作業の手伝いをしたが、あれほど身体を酷使した経験は後にも先にもないと断言できる。


「なら、村の地形はわかりますね?」

「わかると言っても、少しだけよ。農業体験じゃそこまで村の奥には行ったことがなかったから」


 むしろ皆さっさと帰りたがっていたので、そこまで村に興味を持っている生徒はいなかった。それでも、亜樹は自分たちが手伝いをした農家のおじいさんやおばあさんの顔を、今でも覚えている。

 彼らは無事なのだろうか。本当に外には生きた人間はほとんどいなくなっていて、皆感染して暴れ回っているのだろうか。農家の人たちも、死ぬか感染者になっているのではないか。それどころか父を始めとした地元の親しい友達も皆――――――。


「余計なことは考えない方がいい」


 少年の言葉で、亜樹は我に返った。少年は相変わらず何を考えているのかわからない瞳を窓の外に向けながら、続けた。


「感染者はもう人間じゃない。見た目は人間でも、中身は飢えた獣だ。いくら説得しても、向こうには話し合いって概念そのものが無いんだ。たとえ知り合いであっても、そいつの頭の中は生きた人間を食らうという欲望しか存在しない。躊躇なくやらなければ、自分が死ぬ羽目になる」


 その言葉に説得力があるのは、彼がその通りに行動してきたからだろう。亜樹もそのことはわかっていたし、異論を唱えるつもりはこれっぽっちもない。テレビの電波がまだ入って来ていた時に、同じ人間の形をしたモノに食われる人々の姿は大勢見てきた。

 だけど亜樹たちは、あくまでも画面越しにしか感染者を目にしたことがない。実際にその姿を見て、少年の言う通り躊躇なく殺せるかどうかはわからなかった。


「おさらいだけど、感染者が一体しかいない時は、背後から忍び寄って倒せ。二体以上いる時は、それぞれ一体になるのを待って倒す。三体以上いる時は、回れ右して別の道を探す。ちゃんと覚えてるよね?」


 それは昨日、村に偵察に出ると言われた時に散々聞かされた言葉だった。感染者は人間の姿を目にすると、咆哮を挙げて仲間をおびき寄せてしまう。故に感染者を倒す時は気づかれないように、一体ずつ確実に倒すべしと少年は何度も言っていた。


「狙うのは後頭部だ。そこを思いっきりぶん殴るなりナイフで突き刺すなりすれば、いくら連中の痛覚が鈍いと言えども一撃で倒せる。倒せずとも、地面に転ばせてしまえばあとはトドメをさすだけでいい。確実に倒せる自信がないのなら、感染者がどこかに行くのを待つか、別の場所を通った方が死ぬ確率は減る」


 一撃で仕留めきれなかった場合、仲間が近くにいればそいつらも相手にする羽目になるということだ。感染者の運動能力は並外れていて、こちらに向かって全力疾走してくる。そんな連中から逃げ続けられる体力があるなら話は別だが、正面切って対峙するには分が悪すぎる。銃があれば遠距離から安全に仕留められるとのことだが、生憎少年は銃を貸してくれない。


「だけど、いつまでも逃げたり隠れたりすることは出来ない。必要な時は戦って、感染者を倒す必要がある。特に先生!」


 少年が声を張り上げ、ハンドルを握る裕子の身体が一瞬震えた。


「先生は生徒を守る立場にあるんですよね? 戦わなければ自分の身どころか、大切な生徒の命も守れませんよ」

「……わかってるわよ」


 だが、裕子と少年だけに戦闘を任せるわけにもいかないだろう。いつかは亜樹たち生徒も、武器を手に戦わなければならない時が来る。その時に自分たちが生き残るためにも、なるべく戦闘経験は積んでおかなければならない。

 やるぞ、と亜樹は大きく息を吸い、吐いた。世界のルールは変わってしまったのだ。生き延びられるのはそのルールに適応出来た者だけ、それが出来ない者は死ぬだろう。そしてそのルールとは、生き延びるために敵を倒すというものだった。




 件の村に着くまでに、車は誰ともすれ違わなかった。畑は荒れ果てていたが、それだけだ。特に変わったものがあったわけではない。あちこちに死体が散乱していたり、事故を起こした車が放置されたりしているのではと覚悟していた亜樹たちは、何事もなく村に辿り着いたことに拍子抜けしていた。

 もっとも、村の人口はそこまで多いわけではなかったし、そもそもこの辺りに余所の人間が来ることもほとんどないので当然と言えた。村の住民が暮らす家々は、東西に延びる形で分布している。東西に走る道路の南側には田んぼや川が広がり、北側には山が。民家はその間に挟まれるようにして点在している。

 村の奥まで進めば商店や食堂のある住宅密集地に出るが、それだって規模はあまり大きくない。何せこの村には、信号機が一つしか存在していないのだ。


 少年は村から200メートルほど離れた場所に車を停めるよう指示した。流石に車で直接村に乗り入れるわけにはいかないらしい。いくらハイブリッド車で走行時の騒音が抑えられているといっても、図体のでかいワゴン車が道を走っていたら誰だって気づいてしまう。


「僕が先頭に立つ。先生たちは後について来てください。僕が進んだら進む、立ち止まったら止まる。大きな声は出さない、物音に気を付ける。何か気づいたことがあればすぐに報告する。いいですね?」


 手に手に武器を持ってワゴン車から降りた亜樹たちが頷くのを確認すると、少年は自作のペットボトルサプレッサー付の短機関銃を携え、無言で歩き出した。そのすぐ後を裕子が続き、亜樹と礼は並んで最後尾を歩く。

 

 車のカギは、少年が持っている。自分たちが車を奪って逃げないように警戒しているのだろうが、もしも少年がキーを持ったまま死ねば、亜樹たちはここから逃げ出せなくなる。どこかに動く車がある、なんて都合のいい考えは捨てた。第一車があっても、キーが見つからなければ意味はない。


 畑に雑草が生い茂っているのを除けば、のどかな風景と言えた。聞こえてくるのは川のせせらぎと、鳥の鳴き声だけ。ここにキャンプ場を開けば、さぞかし繁盛することだろう。こんな辺鄙な田舎にまで来てくれる客がいるかはわからないが。

 いつでも撃てるように腰だめに短機関銃を構える少年の背後では、バールを握りしめた裕子が青い顔をしていた。心なしか、バールを握る手が震えているように見える。いつもは飄々としている礼ですら、今は強張った顔をしていた。


 あちこちアスファルトがひび割れ、砂利が剥き出しになった道路を歩く。まず見えてきたのは、一件の平屋の日本家屋だった。建てられてから半世紀以上は経過しているのではないかと思われるほどその外見は古く、割れた窓には補修された跡がある。とはいっても割れ目を塞いでいるテープはかなり黄ばんで見えるので、ガラスが割れたのはかなり昔のことなのだろう。


 やはりここにも、人の姿はない。軒先には一台の軽トラックが停められているが、白いボディと窓は土埃で薄汚れていた。長い間、人が乗っていないであろうことは亜樹にもわかった。人が住んでいる気配は、まったく感じられない。


 しかし庭の向こうに見える玄関が目に入る位置まで来た時、亜樹は思わずその場に立ち止まってしまっていた。玄関の引き戸が打ち破られ、床にはガラス片が散乱している。アルミ製の扉のフレームがレールから外れ、ひしゃげた状態で内側に向かって倒れていた。

 玄関の靴は乱暴に蹴り飛ばされたかのように、あちこちに散らばっている。上り框に引っかかるようにして倒れた長靴が、ただならぬ事態がこの家で起きたことを示していた。


「あの家に入るぞ」


 少年が短機関銃の銃口を民家に向けるなり、正気を疑うような三人分の視線が一斉に彼に突き刺さった。あの家で何かが起きたのは間違いない。わざわざそんな場所に入っていく彼の気持ちがわからなかった。


「ちょ、ちょっと待って。どう見てもあの家はヤバいじゃん、回り道とかスルーとか、色々手段はあるでしょ」

「ないね。途中にある家は全て調べていく必要がある。中を確認せずに通り過ぎて、背後から襲われるのは御免だ。それにあの家はドアが開いている、中に感染者がいるかもしれない」


 感染者に知能が無いことは、あらかじめ少年に教わっていた。奴らにドアを開けるような知能はないし、わざわざドアを閉める習慣もない。出来ることといえば力任せにドアを破壊するだけ。ドアが閉まったままの家の中に感染者がいる可能性はゼロに等しい。逆に言えば、ドアが開いたままの家の中には感染者がいる可能性がある。


 背中から襲われるのは亜樹たちも御免だったが、かといって家に踏み込んでいく勇気もなかった。そんな亜樹たちを見て、少年が舌打ちする。無理矢理連れて行って家の中で身動きが取れなくなるよりも、自分ひとりで探索した方が早いと思ったのかもしれない。


「わかった。今回は僕が一人で行って確認してくる。だけど次の家からは皆にも探索に協力してもらうから」


 まず少年は、玄関前に向かってその場で拾った小石を投げた。小石が玄関前の石畳に落ち、乾いた音を立てる。もしも家の中に感染者がいた場合、物音に吊られて外に出て来るとのことだった。

 短機関銃を構え、しばらく待つ。が、一分が経過しても家の中から出てくるものはいない。家の中に感染者がいる確率はぐっと下がったが、それでも油断は出来ないのだろう。短機関銃をスリングで脇にぶら下げ、腰のホルダーから斧を引き抜いた少年は、躊躇することなく玄関に足を踏み入れた。家の中は薄暗く、たちまち彼の姿が見えなくなる。


 しかし、すぐに少年は外に出てきた。「安全だ」とでも言うように大きく手を振り、裕子たちを手招きする。何か見せたいものがあるのだろうか。特に何かを考えることもなく、裕子たちは少年の招きに従って家に足を踏み入れた。

 散らばったガラスを踏まないように気をつけつつ、靴を履いたまま廊下を歩く。一歩歩くたびに、靴の下で板張りの床が軋む音を立てた。何か、饐えた臭いが漂っている気がした。


「見ろ」


 廊下の突き当たりで唐突に少年は立ち止まり、その奥にある台所の中を指差す。何の気なしに台所を覗いた裕子が、青ざめた顔で悲鳴を挙げた。


「どうしたんですか先生!?」

「何が……!」


 慌てて彼女の後を追い、台所に足を踏み入れた亜樹と礼は、流し台にもたれ掛かるようにして倒れている「それ」を見て、裕子と同じく悲鳴を挙げた。礼はどうにか口を押えて悲鳴を堪えたが、亜樹が初めて見る恐怖の感情が顔にはっきりと浮かんでいた。


「これが今の世の中だ」


 背後で少年が何か言ったが、その言葉を聞いている余裕は無かった。亜樹は慌てて来た道を引き替えし、玄関から外に出るなり盛大に吐いた。吐瀉物が地面にぶちまけられる湿った音が、裕子の泣き声をかき消す。


 たった今見たものが、脳裏にこびりついて消えない。亜樹は何も考えずに、この家に足を踏み入れてしまったことを後悔した。少年について来なければよかった、本気でそう思った。


 何せ台所に転がっていたものは、半ば白骨化した人間の死体だったのだから――――――。

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