表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第一部 喪失のお話
62/234

第六〇話 後悔するお話

 結局、愛菜ちゃんは助からなかった。僕がワゴン車から飛び出す直前に、彼女は腹部に銃弾を食らっていたのだ。その銃弾は内臓をぐちゃぐちゃに破壊し、大量出血により彼女を死に至らしめた。



 あの後僕らは、すぐに移動しなければならなかった。この街の感染者が銃声に気づいたのか、僕らの周囲に続々と集まりつつあったからだ。僕らは車から荷物をありったけ運びだし、狙撃手のいたマンションに向かうことにした。

 ナオミさんの銃撃の後反撃は無かったから、僕らを襲った狙撃手は一人だけだったらしい。マンションはそこそこ高いから見晴らしも良いし、感染者はあまり上に注意を向けないので気づかれる恐れも少ない。狙撃手という先客さえいなければ、とてもいい拠点になっていたはずだった。


 愛菜ちゃんの遺体は、置いていくしかなかった。埋葬する時間も運ぶ余裕も無かったし、何より感染者が興味を示すのは生きた人間だけだ。死体を貪ることは無い。感染者がいなくなってから埋葬しようということで、僕らはマンションを目指した。



 狙撃手が潜んでいたマンションは、まるで要塞のようになっていた。マンションの周囲の道路にはワイヤーが張られて感染者の侵入を阻止していたし、地面には釘や短く切った有刺鉄線がばら撒かれていた。さらに糸と空き缶を使った警報装置も張り巡らされていて、万が一誰かが侵入してもすぐにわかるようにされていた。

 マンション内部は、それこそ危険でいっぱいだった。真っ暗なマンションの中は、罠の百貨店のような有様になっていた。

 階段の途中に人間の目や首の高さにピアノ線が張られているなんてのは当たり前。うっかり足元に張られた糸を斬ると、振り子のように斧が上から振り下ろされて来たり、包丁やナイフが入った箱が傾いて無数の刃物が降ってくるなんてトラップもあった。他にも板に無数の長い釘を打ちつけて、踏んだら靴底を貫通して足に刺さるようにした障害物もあちこちに設置されていた。


 それらのトラップを回避し、あるいは強行突破していった先に、狙撃手が潜んでいた5階の510号室があった。510号室からは通りとその左右に並ぶガソリンスタンドとスーパーが一望でき、そしてそのベランダには僕らを襲い、ナオミさんが倒した狙撃手の死体が転がっていた。


「笑ってる……?」


 愛菜ちゃんを殺した奴の顔を拝もうと俯せの死体をひっくり返した結衣が、その顔を見て怪訝そうに呟いた。大学生くらいの年ごろだろうか? 額から上はライフル弾を食らって消失していたが、その男の顔には確かに笑みが張り付いていた。


 なぜ男は笑っていたのだろうか? 愛菜ちゃんを殺したことの達成感か、それとも自分がこの地獄のような世界から解放されることを喜んだのか? 僕らを襲った理由と共に尋ねたかったが、頭の半分を吹っ飛ばされていては答えを聞くことも出来ない。苛立ちまぎれに僕は男の死体を一発蹴り飛ばしてから、その傍らにあった銃を拾い上げた。そしてズボンのポケットから少しはみ出していた手のひらサイズの手帳を見つけ、パラパラと捲る。どうやら日記帳代わりに使っていたらしい。



 男の部屋には物資が豊富に保管されていた。食糧や水、医薬品から燃料の類まで。猟銃ばかりとはいえ、武器弾薬もあった。

 男が使っていた武器は、M1Aという半自動小銃らしい。元はアメリカの軍用自動小銃で、日本にも猟銃として入ってきているのだとか。着脱式の弾倉には銃刀法に従い5発まで装填可能であり、僕らが今まで使っていたボルトアクション式のライフルと違って一々ボルトハンドルを引いて排莢と装填をする必要が無い。機関部上のマウントベースにはスコープが、木製の銃床(ストック)の前方下部には二脚が取り付けられている。この銃で男は多くの人々を狙撃し続けたのだろう。


 他にもポンプアクション式の散弾銃や水平二連銃など、銃刀法に適合した銃器が数丁ばかり部屋の隅に立てかけられていた。押入れの中には弾薬の入った紙箱やナイフがあり、まるで武器の見本市のような有様だ。


 食料や水は、節約すれば数か月は保つ量があった。だからこれ以上他人を襲って、物資を略奪する必要などなかったはずだ。何故男は僕らを襲ってきたのだろう? 恐怖で頭がおかしくなったか、あるいは殺人の快楽に染まってしまったか。

 どちらにせよ、狂人に倫理なんてもんはない。男は愛菜ちゃんを嬲り殺しにした、それが事実だ。そして愛菜ちゃんは死に、もう二度と僕らに笑いかけてくることはない。


「……あんたのせいよ。あんたがもっと注意していれば、愛菜ちゃんは!」


 部屋の隅で膝を抱えていた結衣が立ち上がり、無言で物資を探していた僕の胸ぐらを突然掴む。そのまま前後に僕を揺すったが、非力な女子ではたかが知れていた。

 僕の襟首を掴んだ結衣は、涙に濡れた瞳で僕を睨みつけた。そんな結衣の手を、割って入ったナオミさんが引き離す。 


「やめろユイ! これは誰が悪いという話でもない、運が悪かっただけだ」

「運が悪かった? 運が悪いの一言で愛菜ちゃんの死を片付けるんですか!?」

「だが彼を責めるのは見当違いだよ。あの道を行く事は皆で決めたことだし、マナを殺したのはそこでくたばっている男だ。辛いのはわかるが、誰彼かまわず当り散らすのはやめたほうがいい。彼に責任はないよ」


 ナオミさんの言う通り、どのルートを通るかは皆であらかじめ決めてあった。無論全てが予定通りにいくわけは無いので運転する僕とナオミさんが判断した箇所もあったが、それでも皆の同意を得て進んでいたことに違いは無い。その点では僕に責められる謂れは無い。


「……わかってますよ、そんなこと。でも、だけど……!」


 嗚咽はやがて号泣に変わり、崩れ落ちるようにしてその場に跪いた結衣をナオミさんが部屋の外に連れ出す。その場に立ち尽くす僕の頭に、「あんたのせい」という結衣の言葉が反響していた。

 ナオミさんは僕のせいではないと言ってくれた。だが、本当に僕に責任はないのだろうか?

 

 そんなはずはなかった。

  誰かに襲われる可能性を常に頭に入れておけば、あんな広くてまっすぐな道路は選ばなかったはずだ。通るとしても寝ていた皆を叩き起こして、どうすべきか相談していただろう。ナオミさんは軍事訓練も受けたことがあるから、あの国道は危険だと判断して迂回するよう助言してくれたかもしれない。

 あるいは道路上に転がる死体や車を見た時に引き返しておくべきだった。あの時僕は何かがおかしいと感じつつも、まっすぐ進む決断をしてしまった。見通しの良い道路なのに事故を起こした車がやけに多いことと、以前同じ人間から襲われたという経験を結びつけることが出来ていれば、あれらは誰かに襲われたのだと判断できていただろう。


 慢心。この事態を招いたのはその一言に尽きた。僕が油断していたせいで、愛菜ちゃんは死んだ。

 大沢村で同じ人間に襲われた僕は、同じ人間でも信用できないという教訓を得た。だが僕はそれを活かせなかった。今まで絶体絶命の状況は何度もあったが、その度に皆で切り抜けてきた。誰一人欠けることなく、皆で生き延びてきた。だからどんな状況に陥っても大丈夫だ、僕ら4人の中で誰かが死ぬなんてことはありえない。そんな思いが心のどこかにはあったのだ。


 無論、誰かが死ぬかもしれないとは何度も思った。しかしそれはあくまでも可能性に留めていただけであって、本当に4人の中で誰かが死ぬなんて事態を真面目に考えていたわけではなかった。この先も4人でやっていける。何の保証もなく僕はそう思い込み、そして今日改めてこの世界の現実を突き付けられた。



 だが、いくら後悔したところで、愛菜ちゃんの死という事実を変えることは出来ない。僕は自分の選択の代償を、愛菜ちゃんの命で支払った。

 人生とは残酷なものだ、そう思った。ゲームと違って目の前に選択肢がはっきりと提示されることも、セーブデータを起動して分岐点からやり直すことも出来ない。ただ流れに身を任せて進み続けるしかないが、その先に待っているのが正解とは限らない。

 この道が正しいと信じ、あるいは別の選択肢があるとは気付かずに進み続けた結果、現実を突きつけられる。「お前は間違っていた」、その言葉と共に。どれが正しい選択肢だったのか、あるいはどこから道を間違えていたのか。それは誰も教えてくれないのだ。

 そして目の前の現実を変えられない無力感と、あの時ああしていればという後悔に苛まれたまま、この先僕は生き続けていくしかない。これが現実を無視した思い込みと、その結果抱いた慢心による愛菜ちゃんの死に対しての、僕の代償だった。


 

 今まで仲間が犠牲になっても生き延びると誓っていたのは、ただの虚勢だったらしい。まるで心にぽっかりと穴が開いたような、そんな虚しさを僕は抱いていた。もしも僕が本当にそんなマシーンのように振る舞える人間だったら、他の人が死んだところで一々こんなことを考えはしなかったはずだ。


 本当は仲間を失うことを恐れていたのだ。

 人間は何かを得た時、それを失うことを恐れる。何かを得た人間は、それを失う恐怖とずっと戦い続けなければならない。僕は結衣やナオミさん、そして愛菜ちゃんという仲間を得た。そして彼女たちを失う恐怖と戦わなければならなかったのに、それから逃げた。「誰かを犠牲にしても生き延びる」、そんなたわごとを言い訳にして、僕は恐怖から逃れようとした。

 

 親しい人を失う恐怖と悲しみは、感染者と化した母さんの頭をかち割った時に味わっている。だから僕は結衣と出会うまで、ずっと一人で暮らしていたのだ。

 大切な人を作らなければ、もうそれを失う恐怖と悲しみと戦わずに済む。だから一人で生きていたのに、あの日結衣を助けてしまった。それから愛菜ちゃんを助け、ナオミさんに助けられ、気づけば彼女たちと深く関わってしまっていた。


 そして僕は、もう一度失う恐怖と戦わなければならなくなった。だけど僕はそれから逃げたのだ。

 本当は誰にも死んでほしくは無かった。死んでも構わない人なんて誰もいなかった。愛菜ちゃんを足手まといと評したのだって、彼女を失うことの恐怖を誤魔化すためだった。

 自分の周りの人間を全てどうでもいい、死んでも大して影響のない連中と考えておけば、彼女たちが死んだ時も受けるダメージは浅くて済む。だから僕は自分に嘘をつき、本音に蓋をして、自分自身をだまし続けてきた。確かに死にたくはないのは本音だけど、だからといって皆を犠牲にしてもいいというわけじゃない。


 何か月も一緒にいたはずなのに、驚くほど愛菜ちゃんについて知っていることが少ないのだって、彼女と一緒に行動するようになってからも無意識の内に深く関わることを避けようとしていた結果だった。その人物について知っていることが多ければ多いほど、失った時の悲しみも大きくなる。だから僕は皆のことを深く知ろうとはしなかった。愛菜ちゃんの好きな食べ物を、僕は思い出せない。そもそも知らないのだ。


 「仕方がない」の言葉で全てを済ましてきたのも、目の前の現実に対する無力感を無視するためだった。大沢村で無抵抗の三人を殺した時、戦車のあった街で男を見殺しにして母子を撃って見捨てたのも、考えれば他に選択肢はあったかもしれないのに、それを見つけられなかった自分を責めないようにするための方便に過ぎなかった。

 本当はあんなことをしなくても済んだはずだった。だけどあの時の僕には他に上手いやり方が見つからなかった。だからそのことを思いだした時に後悔しないよう、「仕方がない」の言葉で現実に立ち向かうことを止め、一番安易な選択をした。たとえその選択肢が誰かを殺す事であっても、現実と向き合うことを放棄した僕はそんな安易な選択肢に走ってしまった。


「どうして、こんなことに……」


 そんな言葉が漏れ、僕はずるずるとその場に座り込んだ。

 全てをやり直したかった。結衣と出会うもっと前から。日本で感染が拡大し、学校に避難していたあの日。避難所が襲われた時に逃げ隠れしないで父さんと母さんを探しに行っていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。その時に僕は死んでいたかもしれないが、少なくとも今のように何かから逃げ続けるような人間にはならなかったはずだ。もっと自分に誇りを持てる人間になっていただろう。


「でも、もう無理なんだよな……」


 いくら悔いたところで、何かが変わるわけでもない。愛菜ちゃんを失った事実は変えようがない。生き残った僕ら3人はその事実を背負い、これからも仲間が死ぬという恐怖に苛まれながら生きていくしかない。

 

 せめて愛菜ちゃんが家族が自分以外全員死に、天涯孤独の身となったことを知らずに死ねたことは幸いだったか。そう思ったところで、これも逃げだなと僕は自嘲した。

 僕らを襲った狙撃手も、何かから逃げたかったのだろうか? 僕は開いたままの窓越しに、ベランダにころがる男の死体を見つめた。頭の上半分を失い、光の消えた瞳は、何も伝えてはこなかった。そこにあるのはただ笑顔。まるで何かから救われたような男の笑顔を見た僕は、そんな彼を羨ましいと思ってしまった。


 誰か、助けてくれ。気づかぬうちにそんな言葉が口から洩れ、僕は抱えた膝の間に顔を埋めた。

御意見、ご感想お待ちしてます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
愛菜ちゃん個人的にめちゃくちゃ好きだったのでショック〜…… 主人公くんは病まずに頑張って欲しい…!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ