第五二話 事故るお話
街に来てから4日が経ち、やがて一週間が経過していたが、僕らはほとんど毎日のように食料を調達するためにマンションの外に出ていた。戦車があったあの駅前商店街のスーパーには、食料がひとつも残っていなかったからだ。
どうやら戦車の乗員らがこの街を離れる時に、付近一帯にある店から商品を根こそぎ持って行ってしまったらしい。僕らがスーパーに足を踏み入れた時、中には銃で頭を撃ち抜かれたいくつもの死体と、軍用の小口径ライフル弾の空薬莢が床に散乱していた。目当ての保存食の類は一つも無く、見つけられたのは菓子類が少々と、栄養ドリンクなどだけだった。
他の場所にあるコンビニなども、軒並み商品が略奪されていた。こっちは多分、この街から住民が避難していく際に襲われたのだろう。店から物資を調達することが出来ず、僕らはひたすら民家を回り、地道に食糧を集める羽目になってしまった。
この街を離れて余所に行く、という考えもあったが、行った先で食糧が見つからなければ意味がない。各地で自衛隊や米軍による空爆が行われ、さらに各地で火災が発生していたから、到着した場所が焼野原でした、では飢え死にしてしまう。
その点この街では、まだわずかながら食料が残されている。民家の台所を漁れば缶詰の一つや二つはなんとか見つかるし、運が良ければ庭先の家庭菜園で新鮮な野菜も獲れた。決して十分ではないものの、かといって今すぐこの街を離れることを決断しなければならないほど食糧事情が悪いわけでもない。そして僕らはずるずると、この街に留まり続けていた。
食料、水、医薬品、電池……生きていくために必要なものはたくさんある。民家を回ってそれらの内どれか一つでも見つけられたら儲けもんだ。食糧はどの家も生鮮食品がメインだったせいか保存食の備蓄は少ないし、わざわざ水をボトルに詰めて保管している家庭はもっと少ない。
この街は感染拡大後もしばらくは平穏を保っていたらしく、多くの民家で住民が避難した痕跡が残されていた。その時に持ち出せる荷物は全て持ち出していったらしく、保存食や災害時の非常持ち出し袋が残っていない家庭がいくつもあった。住民らは車で避難していったらしく、駐車場やガレージが空のままの家も多い。
が、この街の住民たちがどこに避難したにせよ、陸路を使ったのでは生存は絶望的だろう。あの時各地の道路は警察や自衛隊によって封鎖され始めていたし、感染拡大を物理的に阻止するために破壊された橋やトンネルもあった。何より各地で人々が感染者から逃れようと車で移動していたために、道路はあちこちで渋滞を起こしていた。
渋滞の最中に感染者に襲われたら、待っているのは死だけだ。現に僕も、感染者に襲われた避難民の車列を見たことがある。狭い道路では隣の車が邪魔でドアを開けられず、車から脱出できずに窓を破って侵入してきた感染者に食い殺された人々が大勢いた。どうにか窓を割って車の外に出たとしても、人々が一ミリでも前に進もうと車間距離を詰めた結果、狭くて道路に降りられず不安定な車の屋根の上を走って逃げる途中でやられてしまった避難民も多い。
「何かあった?」
「未使用の乾電池が5本と、あと頭痛薬と胃薬くらいね」
「食料は収穫なしか……」
この日5軒目の民家では、食料を得られなかった。他の家で見つけた食料がいくつかあるとはいえ、労力に結果が見合わないこともしばしばある。が、何もしなければマンションで見つけた食料の備蓄を食い潰していくだけだ。極論、消費する量と得られる量が差し引きゼロになりさえすればいい。「無駄だから家を一つ一つ回るなんてやめよう」と言い出す者はいなかった。
「そろそろ一度マンションに戻ろうか、マナも心配だし」
目当ての商店に商品がほとんど残っていなかった為、物資の探索にはより人手を割かなければならなくなった。そのため二日前から愛菜ちゃんをマンションに一人残し、僕とナオミさん、そして結衣の3人で街の探索を行っている。
マンションの周囲の防備は、既に固めてある。道路のあちこちにワイヤーやロープを張って感染者が侵入出来ないようにしてあるし、マンションも階段は一つを除き全てバリケードを築いて封鎖した。その一つも簡単に封鎖できるようになっていて、いくら感染者でも容易には突破できないようにしてある。マンションの階段を全て塞いでしまう格好になるが、ベランダの避難用具を使えば脱出は出来る。
一応安全は確保してあるし、大声を出さない限り感染者に見つかることは無い。そもそもマンション周辺の感染者は、ここ数日であらかた片付けてある。それでも愛菜ちゃんを一人で留守番させるのは心配だと結衣は反対していたが、僕はやむを得ない措置だと思っていた。
愛菜ちゃんが武器を取って戦えるなら話は別だが、彼女は今戦力外の要員だ。感染者に襲われる危険に付きまとわれる物資調達の時は正直言ってお荷物同然だし、愛菜ちゃんの護衛に一人残せばそれだけ物資を探すのにも時間がかかってしまう。
そのことがわかっているのか、愛菜ちゃんは自分ひとりでも大丈夫だと言っていた。幸い彼女は小学生で、聞き分けのある子だ。我がままを言ったり泣き喚いている時ではないと、この数か月を経て理解しているのだろう。
「それにしても一々家を回らなきゃならないなんて……南側のスーパーに行けたらいいのに」
軽いままのリュックを手に、結衣がぼやいた。出来ればそうしたいところだが、この街に来た日の夜、僕は生存者らしき二つの人影を街の南側で目撃していた。
生きている人間全てが悪い奴ではないだろう、しかしマトモだとも限らない。仮にいい人でも、厄介ごとを運び込んでくるかもしれない。そんな思いから、僕らは街の南側を捜索することを避けていた。街の南側にはスーパーやコンビニがいくつかあるが、そこへ向かうのはいよいよ物資が底を尽きそうな時だけだと決めていた。
あの生存者たちはどこへ行ったのか。未だにこの街に留まっているのか、それとも単にこの街を通り過ぎただけだったのか。二つの人影を目撃して以降、そんな疑問が常に頭のどこかにあった。僕だけでなくナオミさんも、結衣も、そして愛菜ちゃんでさえ、どこか生存者の影におびえていた節がある気がする。生存者たちがどこへ行ったのか、誰もがそのことばかりを考えていた。
――――――しかしそんな僕らの疑念は、道端に転がる二つの死体を見つけたことで解消されることになる。
「……うわぁ」
もう何度呟いたかわからない、そんな言葉が思わず口から零れた。結衣が顔を青くして口元を手で覆う横で、ナオミさんは胸の前で十字を切っていた。
その二つの死体が転がっていたのは、街を東西に横切る広い幹線道路のど真ん中だった。民家の屋根の向こうにチラチラ見え始めたマンションへ向かっていた僕らは、いつものようにその幹線道路を渡ろうとしていた。だがその途中道路に転がる二つの物体を見つけ、思わず足を止めてしまったのだ。
「酷いね、これは……」
今まで死体を見慣れていたはずのナオミさんですら、ゲンナリしたような顔をしている。道路に転がる二つの死体は、それこそ「解体」と言った方が正しい有様でアスファルトの上で太陽に炙られていた。
顔の肉もほとんど喰いちぎられ、生前の面影はおろか性別すらわからない。骸骨に赤い肉がわずかにこびりついているようにしか見えないその死体は、感染者らによって徹底的に食い荒らされていた。
柔らかい腹は当然掻っ捌かれ、本来そこに収まっているはずの内臓は綺麗に消失していた。四肢は強引に引き千切られたらしく、ダルマになった胴体から離れた場所に大腿骨が一本転がっている。目玉も抉りだされたのか、空っぽの眼窩が僕らを無言で見上げていた。
「連中、よっぽど腹を空かせていたみたいだね」
「ですね……」
獲物となる人間は次々と食い殺されるか感染して自分たちの同類になっていく以上、感染者が飢え始めるのは必然だった。感染者は共食いをせず、人間だけを襲って食べる。だからこそ大和は避難民を集めて感染者と化した娘に与えていたのだ。
感染者は食料をエネルギーに変換する効率がやたらといいのか、少し人間を食えば長い間活動できるらしい。しかし流石に数か月は体力が持たないのだろう、ここまでひどく死体が損壊しているのも、感染者たちが食べられる部分を徹底的に食べてしまったからだ。
今まで僕らが見てきた死体は、せいぜい身体の一部が食われている程度だった。死体がここまで徹底的に食べられているということは、感染者らがそうとう飢えていることの証拠なのかもしれない。この辺りをうろつく感染者は少ないから、少数の感染者が二人の不運な生存者を骨になるまで食い尽くしたのだ。
ここまで感染者たちが腹を減らしているということは、連中が飢え死にする時も近いのかもしれない。冷静にそんなことを考える一方で、僕は二つの死体が見つかったことにどこか安堵を覚えていた。
感染者は死体を食べないし、共食いもしない。食べるのは生きた人間だけだ。
僕がこの前見つけた人影は二つ、そしてここに転がる死体も二つ。この二つの死体は、あの生存者たちのなれの果てなのかもしれない。
無論そうだという確証はない。第一あの二つの人影を目撃したのは街の南側だ。しかしいくらこの辺りで一番高いマンションの屋上から監視していたとはいえ、建物が林立している場所ではどうしても死角が出てくる。生存者たちは僕らが気づかない内に町の北側に移動していて、そしてここで殺されたのかもしれない。
死体は口を利かない以上、この二つの死体の正体を確かめる術は無い。が、他の生存者との接触の機会が減ったというだけでも今はありがたかった。ただでさえ物資が不足していて感染者が街をうろついているのに、その上生存者のことまで考えている余裕は今の僕らにはない。彼らが僕らに接触してきていたら、無用な混乱が引き起こされていたかもしれない。
「いつの間にこんな場所に……」
「さあ? 私たちだって、24時間隈なく街を監視してるわけじゃない。多分この道路をまっすぐ、東の方に走って逃げようとしていたんだろうね」
ナオミさんの言った通り、100メートル西の方に行った道路上に、二つの大きなリュックが落ちていた。凄惨な死体を見続けることに嫌気がさしたらしい結衣が、走ってリュックを取りに行く。リュックは随分重いようで、結衣はそれらを半ば引きずるようにしてこちらに運んできた。
「やっぱりこの人たちは、君が見た例の二人組みたいだね」
リュックを開けるなり、中からは大量の食糧が出てきた。缶詰、米、フリーズドライの食品……。銘柄が同じものばかりだから、スーパーなどからまとめて調達したのだろう。しかし街の北側のスーパーやコンビニは軒並み荒らされていたから、この二人組はまだ僕らが調べていない街の南側の店を回ってこれらの商品を手に入れたのかもしれない。
だがこれらの食品は、今の僕らにとっては恵みの雨も同然だ。何せわざわざ街の南側を調べる事無く、大量の食糧を手に入れることが出来たのだから。
死体は食事をしないから、これらの物資はもう彼らには必要ない。でなければ、飯を食わなきゃ生きていけない僕らが有効活用すべきだ。
おそらくこの二人が死んだのは、この重いリュックを背負っていたせいだろう。二人は走って東へ逃げていたが、感染者に追いつかれそうになってからようやく荷物を捨てた。しかし荷物を捨てるのが遅すぎたため、掴まって食べられてしまった。
この先も安定して食料が調達できるという保証がない以上、荷物を捨てたくなかったのだろう。しかし物資にこだわるあまり、命を捨てる羽目になっては本末転倒だ。今死ぬことを回避できるのであれば、僕は躊躇なく荷物を捨てる。ナオミさんと出会う前、橋で感染者に追いつかれそうになった経験から、僕は荷物ではなく自分の命を最優先することに決めていた。
「ま、これで当分食料には困らずに済みますね」
「明日からは南側も探索することにしようか。この二人組がこれだけ食料を調達できていたってことは、まだまだ大量に物資が残っているかもしれない」
二つのリュックには、それこそ隙間なく食料や水が詰められていた。これだけしか物資が無かったのではなく、これ以上リュックに入りきらなかったのだろう。武器や銃弾が無いのは残念だが。
重たいリュックを脇に抱え、マンションへ向かって足を踏み出そうとしたその時。僕は遠くから何かの音が聞こえてくることに気づいた。耳を澄ませば街の西側から、車のエンジン音のようなものが聞こえてきている。
嫌な予感がした。ここ数か月、僕の嫌な予感にはたいていハズレが無い。嫌な予感がすると、ろくでもないことが起きることが多々あった。
今回もその予感が当たったらしい。僕らが思わず顔を見合わせていると、幹線道路の西側の曲がり角から、一台の乗用車が姿を現した。猛スピードで走るセダンは右へ左へとフラフラ蛇行しながら走っていたが、減速する気配はない。素早くライフルを構えてスコープを覗き込んだナオミさんが、「感染者が乗ってる!」と叫んだ。
すぐに僕にも、セダンが猛スピードで突っ走っている理由がわかった。走る車の屋根やエンジン部分に、数体の感染者が取り付いているのだ。ドライバーはフロントガラスに大写しになった感染者の顔を見てパニックに陥っているのか、それとも車体を揺らすことで感染者を振り落とそうとしているのか。感染者たちは車が揺れるたびに屋根やフロント部分からずり落ちそうになっていたが、離れようとする気配はない。フロント部分に取り付いた感染者が、窓ガラスに拳を叩きつけているのが見える。
感染者たちを車体に張り付かせた車は、見る見るうちに僕らに近づいてきた。このまま道路にいたのでは轢き殺されてしまう。リュックを抱えたナオミさんと結衣が慌てて南へ向かって道路を横断し、逆に僕は北側へと逃げた。僕は3人の中で一番マンションから離れた位置にいたため、道路を横断している最中に轢き殺されかねなかったのだ。
道路脇に並ぶ縁石の向こうの歩道に飛び込んだ直後、僕の真後ろを車が突っ切って行った。が、道路上に転がる二つの死体を運悪く轢いてしまい、肉片や脂肪でタイヤがスリップしたらしい。急に車は方向転換すると、道路脇の頑丈な石造りの塀へ向かって走って行く。
悲鳴のようなブレーキ音が鳴り響いたが、遅かった。勢いのついた車はガードレールをなぎ倒し、引き裂いて歩道に侵入すると、正面から石塀へと突っ込んだ。金属がひしゃげ、折れ曲がり、潰れる破壊音が空気を震わせる。配線がどこかおかしくなったのか、クラクションの間の抜けた音が周囲に鳴り続けた。
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