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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第一部 喪失のお話
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第五一話 馬鹿が戦車でやって来るお話

 マンションを制圧した翌日は、各部屋の死体の片付けや物資の回収に追われた。片づけとはいっても死体を一つの部屋にまとめ、厳重に密閉しただけだが。下手に外に放り出せば感染者に気づかれかねないし、かといってしばらく滞在する以上そのまま放置し続けるわけにもいかない。

 そのため僕らは全ての死体を一つの部屋に放り込み、ドアや窓をガムテープで目張りして、室内の腐臭が外に漏れださないようにした。とっくに腐臭は嗅ぎ慣れたが、精神衛生上なるべく嗅ぎたくはないものだ。


 どの死体も夏の間ずっと放置されていたせいか、大分腐敗が進んでいた。中にはほとんど白骨になっていたものもあったが、数が少ないのが幸いだった。僕らが倒した感染者のものを除けば、マンションにあった死体は5体ほどしかない。

 その内自殺したとみられる死体は、408号室で見つけた首吊り男のものだけだった。そのほかの死体は全て逃げる途中で食い殺されたものらしく、腐敗していることを除いても、酷く損壊していた。

 いつまでこのマンションに留まるかはわからないが、そう長くは無いかもしれない。けれど東北地域に移転したという政府は消滅しているかもしれないという話を聞いた僕らは、次にどこに向かうかを決めあぐねていた。



 しかし生きていく以上食料も水も必要になるし、怪我や病気に備えて医薬品も要る。それらのほとんどを大沢村に置いてきてしまった僕らは、ある意味脆弱な存在だ。武器はあるが、銃弾で腹は満たせない。

 幸い、マンションの部屋を回るだけで、僕らは一週間分はあろうかという食料を入手することが出来た。電気が止まった今当然冷蔵庫は動いておらず、生鮮食品は全て腐ってしまっている。そのため残っていたのは缶詰や干物、レトルト食品ばかりだが、今は文句を言っていられない。

 だがいつまでマンションに留まるかわからない以上、一週間分の食料では到底足らない。この周辺が安全ならばこの先ずっと留まることになるかもしれないし、そうなった時に備えてもっと多くの食料を確保しておく必要がある。そのため僕とナオミさんは、三日目には外に出て食料の調達を行わなければならなかった。


 この街に来た日の夜、貯水タンクの屋上で二つの人影を見つけたことは既に皆に伝えてあった。大沢村の一件のせいで、僕らは今、自分たち以外の生存者を信じることが出来なくなってしまっている。

 他の生存者がいたとしても、彼らが積極的に襲ってくるという可能性は少ないだろう。派手に戦えば感染者が寄って来るし、何より殺しあうよりも協力し合った方が生き延びやすい。しかしこういった状況だ、物資や武器を目当てに誰かが襲ってくる可能性は排除しきれない。あるいは大沢村での出来事のように、頭のネジが外れた連中が、積極的に生存者を殺して回っているということも考えられる。

 

 そんなことはありえないと考えたいが、感染者のエサにされかけた身としては、あらゆる事態に備える必要があった。とりあえず他の生存者との接触は避けることが、僕らの中では暗黙の了解と化していた。



 生存者らしき人影を見かけたのは街の南側だったので、食料の調達はマンションの北側に限定することになった。あの後彼らが移動した可能性もあるが、それを言っていては部屋から一歩も外に出られない。それにこちらには銃がある、襲われても撃退できるだろう。

 

 一般の家庭を回っても食料は手に入るかもしれないが、効率に欠ける。なので僕らは最初からスーパーやコンビニといった店を回ることにした。街は比較的綺麗で、略奪の形跡もほとんど見られない。もしかしたら、スーパーやコンビニも無事かもしれない。もしもそういった店に食料が大量に残されていれば、この先僕らはここに長い間留まって安全な拠点を作ることが出来る。店が略奪を受けていたのであれば、その時は家を一軒一軒回るだけだ。


 上下二連の散弾銃を構えたナオミさんが前に立ち、誰もいない町の中を進んでいく。その後をクロスボウを携え、空のリュックを背負った僕も続いた。ライフルは、マンションに残る結衣に渡してある。建物の多い街中では散弾銃でも射程は十分だろうし、そもそも感染者との交戦をなるべく避ける方針なので、銃を撃つことはまずない。

 一応僕も拳銃で武装しているが、当たるかどうかは疑問だ。全力で走ってくる感染者を一発で仕留めるのは、かなり難しいだろう。第一拳銃はその他の銃に比べると、威力は弱いし射程も短く命中精度も低い。至近距離でしか使えない、まさに護身用の武器だ。


 マンションの一室で見つけた地図を頼りに、一番近くにあるスーパーへと向かう。どうやらこの辺りの人口は少なかったようで、スーパーもコンビニも他の街に比べると数が少ない。もっとも人口が少ないということは、感染者も少ないということだ。その点だけはありがたい。


「……誰もいないですね」


 感染者はおろか、小動物すら動くものは見えなかった。かろうじて電線にカラスが数匹並んでいるだけで、生存者の姿も感染者の姿もない。マンションの南側にはいくつか感染者の姿を双眼鏡で確認していたが、北側にはほとんどいないのだろうか?


「感染者もね。今の私たちにとってはありがたいけど」

「この街にどれくらい滞在できますかね、出来ればもう移動するのは避けたいんですけど」

「それは集められる物資の量にも寄るんじゃない?」


 その会話を最後に、僕らは再び無言で歩き続けた。もし周囲に感染者がいたら声で感づかれるかもしれないし、何より今は楽しくおしゃべりが出来る気分じゃない。周囲を警戒しなければならないというのもそんな気分の一因だが、一番の理由は大沢村での一件が未だに尾を引いていることかもしれない。

 大沢村を脱出してから、僕たち4人を取り巻く空気は変わってしまった。以前に比べて会話も減ったし、明るい気分になることもない。そりゃこんな状況では明るくなれる人間の方が少ないのかもしれないが、それでも気分が沈まないよう敢えて明るく振る舞おうとはしていたものだ。


 僕たちの気分を暗くさせているのは、やはり同じ人間に襲われた大沢村での出来事だろう。あの時まで僕らは、生きている人間が力を合わせていけば、どうにか生き延びられると思っていた。しかし生存者の全員が信じられる人間ではなく、そして時と場合によっては生きた人間の方が恐ろしい存在であることを実感してしまったのだ。

 東北地方に政府が残っているという希望も、大和によって打ち砕かれた。彼の言葉は真実ではないのかもしれないが、100パーセント嘘だとも断言できない。もしかしたら東北地方には自衛隊や警察によって守られた安全な土地があるのかもしれないし、感染者だけが蠢く死の大地と化しているのかもしれない。情報インフラが壊滅した今となっては確認する術はないが、このまま東へ向かって進んでいいものか? という疑問が僕らの中で大きくなっていることも事実だった。


 だからこの町で得られる物資の量は、僕らの今後の行動を決める一つの目印になるかもしれない。もし多くの食料が得られれば、僕らは移動を中断してしばらくここで過ごすことになるだろう。それが一週間か、一カ月か、あるいは死ぬまでか、それはまだわからない。



 北へしばらく進むと、駅へと続く商店街がある。その商店街にスーパーが一軒あるらしい。鮮魚店や精肉店もあるが扱う商品が生鮮食品である以上収穫は期待できず、僕らは寄り道せずにまっすぐスーパーを目指すことにした。

 しかしその途中、僕らは驚くべきものを目の当たりにすることになる。


「これは……たまげたなあ」


 駅前商店街の広い道路を歩いていると、前方に何やら道路のど真ん中に鎮座する大きな物体が見えてきた。一瞬スクラップか何かにしか見えなかったそれは、緑と茶の迷彩を施した一台の戦車だった。


「自衛隊のだね、アメリカのM1じゃない」


 戦車は駅のある東側に車体前部を向けた形で、だだっ広い道路のど真ん中に放置されていた。念のため、道路の左右に放置された乗用車の陰から戦車の様子を伺う。戦車に乗っているのが自衛隊員ならこれほど心強いことはないが、大沢村を支配していた大和は警察官だった。娘のために避難民を殺そうとする警察官がいたのだ、自衛隊員も信用できる人間かどうかわからない。仮に戦車に乗っているのがヤバい連中なら、僕らはひとたまりもない。戦車なんてライフル弾ですら傷つかないだろうし、大砲が火を噴けば木端微塵にされてしまう。

 が、いつまで待っても戦車が動き出す気配はない。エンジン音は聞こえず、戦車の周囲に人影も見えない。


「もしかしてあれ、捨てられたんですかね?」

「わからない。でも、人がいないことは確かだね」


 とりあえず、戦車の様子を探ることにした。武器弾薬が見つかるかもしれないし、もしかしたら動かせるかもしれない。そうなれば脆い乗用車とは違い、僕らの鉄壁の移動手段となるだろう。


 思った通り、戦車の周囲には誰もいなかった。どうやらこの戦車が商店街の道路に放置されたのはかなり前のことらしく、表面の装甲板が泥や埃に塗れている。

 そして戦車の表面を汚しているのは、土だけではなかった。車体前部には茶色い塊がこびりつき、金属製の履帯には白い骨のようなものが点々と挟まっている。この街に来るまでに、大勢の感染者を轢き殺してきたようだ。


「ちょっと中の様子を確かめるから、外で待ってて」

 

 そう言うなりナオミさんはショットガンを僕に手渡し、代わりにリボルバーを抜いて戦車の車体を登っていった。車体側面に並ぶ転輪に足をかけて一気に身体を持ち上げると、お椀を伏せたような丸い砲塔のあちこちにあるでっぱりに足をかけて一気に砲塔の上に上がる。そして重そうなハッチを開いて砲塔に上半身を突っ込むと、「誰もいない」と言った。


「でしょうね、運転席にも人はいません」


 その間に僕は車体の前方に回り込み、象の鼻のように伸びた主砲の下にあるハッチを、渾身の力を込めて持ち上げた。銃弾を弾き返す戦車のハッチは分厚い金属製で出来ており、その下にある棺桶のように狭い空間が運転席だと気づいたのは、ハンドルとシート、そしていくつか突き出たレバーとペダルを見た時だった。


「何かあります?」

「何も無いよ。重機関銃も、同軸機銃も、拳銃一丁すら残ってない」


 見れば砲塔上部に二つあるハッチの間に、機銃をマウントするらしい銃架が設けられていた。しかし本来そこにあるはずの機関銃は、ナオミさんが言ったようにどこにもない。


「砲弾が一発も残っていなかった。多分この戦車はどこかで戦って、それからずっとここまで単独行動してきたんだろうね。で、ここで故障した。外せる武器は全て無くなっていたから、乗員が持って行ったのかもしれない」

「故障? 修理はしなかったんでしょうか?」

「戦車ってのはね、壊れやすいもんなんだよ。なんせ鉄の塊をでっかいエンジンで無理矢理動かしているようなもんだし、万全の状態で走り続けるには整備の部隊も同行しなきゃならない。でも見た限り周囲に味方はいないし、どうにかここまで走って来たけどとうとう乗員だけじゃ直せない故障が起きて、放棄されたんだろうね」


 戦車と言えば映画などでは無敵の陸戦兵器というイメージがあるだけに、壊れやすいというのは意外だった。


「燃費もリッター500メートルくらいだしね。まあ日本の戦車はディーゼルエンジンを使っているらしいから、ガソリンスタンドに軽油があれば補給できる。この戦車がここまで来れたのも、あちこちで燃料を補給したからかも」


 リッター500メートル、省エネや低燃費といった言葉とは程遠い乗り物だ。しかし地図を見た限りこの近くに自衛隊の駐屯地は無いし、ナオミさんの言う通りこの戦車は遠くからやって来たのだろう。周囲に戦闘の痕跡や死体はないから、感染者に乗員が殺されるなどして無人になったのではなく、本当に故障して捨てられてしまったらしい。


 元々ウイルス上陸に備えて治安出動していた自衛隊だが、想定をはるかに上回る勢いで感染は広まっていった。各地で自衛隊員と感染者との戦いが繰り広げられたが、如何せん数が多すぎた。感染者は強靭な身体を持っているから頭を一発でやられない限り撃たれてもしばらく動き続けるし、人間を咬むことで数を増やしていく。医者であれ、自衛隊員であれ、咬まれてしまえば感染者になるのだ。

 これが映画に出てくる鈍間なゾンビなら、事態はまた違った展開を見せていたかもしれない。しかし人間離れした身体能力を持ち、走って人間を襲う感染者は、あっという間に各地に広がって行ってしまった。各地の防衛線は押し寄せて来る無数の感染者に突破され、大勢の死者が出た。僕もヘリコプターで避難しようとしていた時に、その一部始終を目撃している。


 日本を含む各国では感染者を殲滅するためにありとあらゆる兵器が持ち出され、一般市民を巻き込んだ戦闘が繰り広げられた。条約で禁止されているはずの化学兵器の使用、市街地への無差別爆撃、感染者が乗っている疑いのある船舶の撃沈……。それでも、感染拡大を食い止めることは出来なかったのだ。対策を立てるよりも速いスピードで、感染は広まって行った。

 この戦車も、どこかで感染者相手に戦っていたのかもしれない。いくら感染者とはいえ、戦車の装甲板を素手で破壊できるほどパワーがあるわけではない。家一軒なら軽々吹っ飛ばせそうな主砲を備え、硬い装甲に包まれた戦車は、感染者相手には動く要塞も同然なのだ。そして脆い乗用車とは違い、感染者に囲まれても轢いて進むことができる。


「せっかく戦車を見つけたってのに、惜しいなあ……」

「何、乗りたいの? さすがに私でも、戦車は修理できないよ?」

「いや、そういうわけじゃ……。エンジン音が響いて感染者が集まってくるだろうし、それに運転方法もわからないですし」

「動かし方はブルドーザーみたいなもんらしいけど。まあエンジン音がうるさいってのは欠点だね。仮に感染者に囲まれた状態で動かなくなったら、戦車なんて鉄の棺桶も同然だし」


 いくら車内が安全でも、感染者に包囲された状態では外に出ることは出来ない。もしも感染者がずっと戦車を取り囲んでいたら、脱出できずに車内で死を迎えるだけだ。だからこの戦車の乗員たちは、故障しても修理せずに武器をあるだけ持ち出し、戦車を放置していったのかもしれない。


「にしても、本当に惜しいね。戦車には自衛用のライフルとかが搭載されているから、それだけでも手に入れば良かったんだけど。まさか弾の一発も残されていないとはね」

「世の中、そうそう上手くはいかないってことですよ」


 もう動かないであろう戦車を最後にもう一度眺め、それから僕らは目的地であるスーパーへと再び歩き出した。もしも戦車があれば、僕らは無敵になれたに違いない。感染者相手にも、人間相手にも。

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