第二五話 NIGHT OF FIREなお話
「よし、それじゃこの辺で休憩にしようか」
運転席でハンドルを握っていたナオミさんの声で、僕は目を覚ました。時計を見ると既に正午を回っている。助手席で車に揺られている内に、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。昼間ナオミさんが運転する分夜の警戒監視は僕の仕事なので、昼間は猛烈に眠い。
窓の外を見ると、周りは木ばかり。走っている道路も砂利道で舗装されていないし、どうやら森の中にいるようだ。
「あれ、ここどこですか?」
「この辺りだね。君が寝た後も東に進んでたんだけど、川を渡ろうとしたら橋が途中で無くなっててさ。仕方ないから川の上流まで来たんだよ」
そう言ってナオミさんが地図上で指差した地点は、人里離れた森の奥だった。本来通るはずだったルートは遥か南にある。感染者に見つからないよう可能な限り人気の少ない場所を進むという話だったが、こんな森の中では感染者も人間もいないに違いない。
僕らがナオミさんと出会った町を脱出してから、もう一週間近くが経とうとしている。タンクローリーを爆破した僕はあの後三人と合流し、北へ向かって一本だけ残っていた橋を渡り川を越えた。
平時ならばとっくに暫定政府があると噂される東北地方に到着しているのだが、パンデミック時の混乱のせいで各地の道路は事故車両で塞がり、橋は自衛隊に爆破されていた。それに音で感染者に見つからないようスピードを落として車を走らせる必要もある。
結局この一週間で進めたのは一〇〇キロかそこらといったところか。進んでは戻り、迂回路を探す連続だったので思ったよりも進めていないが、それでも徒歩に比べればはるかに遠い距離を移動できている。それに多くの物資も一緒に運べるから、危険を冒して街で物資を調達する必要もない。この一週間、僕らは感染者に襲われていない。
ひたすら安全だと思われるルートを走り続けたおかげで感染者に遭遇せずに済んでいるが、人間も一人として見かけていない。見たのは餓死したらしい感染者の死体と、食い散らかされ夏の日差しで腐った遺体の一部だけ。誰一人として、僕ら四人以外に生きている人間を見ていない。
それにこのところ山や森に近い人里離れた地域ばかり進んできたせいか、感染者そのものを見かけることも少なくなった。元々人がいない場所なら、当然感染者もいない。そんな場所では感染者に見つかる心配もないのでガソリン駆動で走り、バッテリーの充電も可能だった。しかしどこかに感染者がいるかもしれないという恐れはいつも頭の片隅にこびりついていて、気を抜くことはできなかったが。
いや、自分たちで安全な場所を築けない分、こういった人里離れた土地の方が一瞬たりとも安心できない。ナオミさんが根城にしていたマンションのように、感染者に見つからないような場所を見つけて隠れて暮らしていれば、周囲に感染者はいるがヘマをしなければ見つからないという安心感を得られる。
しかしこういった森や野原に拠点を築くのは難しい、というよりも不可能だ。雨風を凌げてゆっくりできる場所はほとんどないし、周囲に商店などもないから食糧調達も出来ない。だから一日か二日は滞在できても、いつまでもいられるわけじゃない。それにどこに感染者がいるかわからないから、一秒も気を抜けない。
この一週間で、僕はかなり夜型の人間になってしまった。街灯が灯っていない今、視界の利かない夜に移動するのは自殺行為だ。そのため移動は日中に限られているが、いくら鍛えてあるとはいえナオミさんもずっと運転していれば疲れる。そのため夜は主に僕が起きて周囲の警戒をすることになっていた。愛菜ちゃんは幼すぎて論外だし、結衣も女子中学生ということで体力が少ない。
そのせいで今もだいぶ眠い。日中はずっと眠っていていいとナオミさんに言われているものの、悪路を走って身体を揺すられていれば眠りたくても眠れない。そのうちぶっ倒れるんじゃないかと思うほどだ。ナオミさんもずっと移動を続けることに限界を感じているのか、そろそろどこか安全な場所を見つけ、そこで数日間休憩を取ろうという話が出ている。
車を降りると、途端にうだるような熱気が僕を包み込んだ。冷房が利いていた車内に比べると、外は暑すぎる。
「あっ、川がありますよ!」
愛菜ちゃんがそう叫び、前方を指差した。目を凝らすと、確かに幅3メートルほどの小さな川がある。この辺りに人気はないし、水が汚染されている恐れもないだろう。
何日か前に川を見つけそこで水を補給しようとしたことがあったのだが、運悪くその川には死体が浮いていた。おそらく感染者から逃げようとして川に飛び込んだまでは良かったものの、そのまま溺れてしまったらしい。腐敗し溜まったガスで腹に大穴が開いた死体は性別の判別すら出来ず、僕らは無言でその場を後にするしかなかった。一応ナオミさんは簡単なろ過装置を作り沸かして飲めば安全だろうと言っていたが、死体が浸かっていた水を飲むのは精神的に耐えられない。
周囲を見回したが、動くものの気配はない。僕はクロスボウを後部席から取り出すと、コッキングして矢を装填した。ナオミさんは近接戦の方が得意だというし、弦をコッキングするには女子では力が足りない。必然的に飛び道具であるクロスボウを扱うのは僕の役目となったが、猛練習のおかげか最近はよく的に当たるようになってきた。
念のためナオミさんと一緒に周囲を回ってみたが、感染者は見当たらない。聞こえてくるのは川のせせらぎとセミ兄貴迫真の鳴き声、そして風で枝葉が擦れる音だけだ。
「じゃあユイとマナは水を汲んできてくれる? 私たちはこの辺りを見回るから」
二人は頷くと、トランクに積んであった空のポリタンクを持って川へと走って行く。水は商店から調達したものなども含めかなり残っているが、調達できる時に調達しておきたい。それにラジエーターの冷却水が必要になる時が来るかもしれないし。
二人が川で水を汲んでいる間、ナオミさんはボンネットに地図を広げると僕を手招きした。
「私たちは今この辺りにいる。で、ここからが問題なんだけど、この先東にしばらく行った場所に、どうも村があるらしいんだよね」
「村?」
確かに地図を見るとここからそう遠くない場所に、小さな村があるようだ。そしてその村からさらに東に数キロの場所にはそこそこ大きな町がある。
ナオミさんはこのまま進むか、それとも迂回するかと言っているのだろう。大きな町があるということは、感染者の数もそこそこいるに違いない。そしてその近くの村には、町から逃げ込んできた人が大勢いただろう。そんな人々を追って感染者たちも村に侵入したかもしれない。そうなるとこのまま進んで行けば、感染者の巣窟に突っ込んでしまう可能性もある。
「食糧とか、あとどれくらい保ちますかね?」
「あと二週間程度なら余裕で保つ。でも問題はガソリンだね。いくら低燃費でバッテリー駆動するとは言っても、ガソリンがなけりゃ走れない」
車内には携行缶に入ったガソリンがいくつか置いてあるが、そろそろそれに手をつけなければならないとナオミさんは言った。電気が止まったせいでガソリンスタンドのポンプは停まり、非常用の手動ポンプで地下タンクからガソリンをくみ上げるのはかなり時間がかかる。感染者がどこにいるかもわからない以上一か所に長く留まっているわけにもいかず、まだまだ余裕があった事からガソリンの調達は後回しにされていたのが現状だった。
「まあ無理に調達しなくてもまだまだ走れるけど、どうする? 一番近いガソリンスタンドはこの村だけど」
そう言ってナオミさんが指差したのは、さっきと同じくここから一番近い所にある村だった。
感染者がいる恐れもあるし、避けるべきか? いや、そんなことを言っていたらいつまで経っても必要な物資が調達できなくなる。もしかしたらこれから先ガソリンを調達する機会はないかもしれないし、ここで必要なものは全て確保しておきたい。
それに小さな村だ、元々いた人間も少ないだろう。人間が少なければ、感染者も少ない。街から人が逃げて来ていたらアウトだが、それだって餌となる人間が少なければやがてどっか行ってしまうに違いない。つまり、大都会より幾分か安全といえる。
「僕としてはその村でガソリンを補給しておきたいですね」
「私もそう思うよ。じゃあ、ユイとマナにも聞いておこうか」
僕らがグループとして行動する以上、何かを決める時は全員一致でということをあらかじめ決めてある。少数意見――――――つまり一人だが――――――の意見を無視して仲が険悪になるよりは、徹底的に議論をして、相手を納得させて各自の不満が無いようにしてから決めようという方がマシだという考えからだ。
水を汲んで戻ってきた結依は最初は不安そうな顔をしていたが、最終的には彼女自身も村でガソリンを調達することに納得した。愛菜ちゃんは最初から僕らの決定に任せると言っていたので、全員一致で村に向かうことが決まった。
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