第二三話 TOUGH BOYのお話
自分、なにせ普通免許しか持っていないのでバイクの運転方法はあまりわかりません。一応あちこち調べてみましたが、描写が間違っていたらご指摘ください。直します。クラッチとかそういうのだけはわかるんですけどね、エンストしまくったから。
ちなみに教習所を出てからほとんど運転していない模様。
再生ボタンを押すと同時にラジカセから、某世紀末救世主伝説の主題歌がテンポよく流れ始めた。音量マックスで再生された歌は、静寂を破ってまだ夜の闇がわずかに残る街に響いていく。建物が歌を反響し、遠くまでこの騒ぎは聞こえるだろう。僕はすぐさまバイクに飛び乗るとエンジンキーを捻ってからイグニッションスイッチをオンにし、ナオミさんに教わった通りにキックペダルを勢いよく踏んだ。途端に力強いエンジンの音が、ラジカセの歌に混じって町中に響き渡る。
感染者も僕の存在に気づいたのだろう。今まであさっての方向を向いていた連中が途端に振り返った。そして咆哮と共に猛ダッシュを開始し、あっという間に僕との距離を詰めてくる。
「いいよ、来いよ!」
背後から迫ってくる感染者たちにそう叫ぶと、左足の下のチェンジペダルを踏んでギアを一速に入れた。フロントブレーキを離しスロットルをふかすと、途端にバイクは発進する。サイドミラーに見える感染者の数は増えていたが、不思議と恐怖は感じなかった。おまけとばかりにクラクションを鳴らしまくり、僕はマンションの前の道路を走り出す。
それ以上加速しなくなったあたりでチェンジペダルを踏み、ギアを二速に合わせて加速する。さらにスピードを上げ三速に入れたが、さすがは感染者だった。僕の背後にぴったりついて来る感染者との距離が少し離れただけで、連中はしぶとく追ってくる。もっとも最初から振り切れるとは思ってもないけど。
サイドミラーをちらっと見ると、追ってくる感染者の群れの向こうで、ナオミさんたちが地下駐車場から飛び出していく様子が見えた。感染者が三人に気づく様子はない、目の前にうるさい獲物がいるからだ。僕はナオミさんに教わった運転手順を思い出しつつ、とにかくその辺りを走り回る。他に人も車もいないから、誰かとぶつかって事故を起こす事だけはないのが幸いだ。
「うわっ、キモいキモいキモい!」
とあるビルの前を通った瞬間、一階の割れた窓やエントランスから蟻のように感染者たちが這い出してくる様子が見えた。もし徒歩であれだけの感染者に襲われたらと思うとゾッとする。僕はまるで海を割って進むモーゼの如く、背後で着実に増えていくイスラエル人ならぬ感染者たちを引き連れて市街地を走る。
バイクの運転は初めてなので、あまりスピードを上げ過ぎてはいけないという抵抗感があった。もし最高時速の状態で事故を起こして地面に放り出されたら、感染者に食われる前に死んでしまう。それにスピードが速ければ運転するのもそれだけ難しくなる。だがそのせいで感染者に追いつかれそうになっているのも事実だった。徒歩と違って疲れないのが利点だが、追いつかれてしまっては意味がない。そろそろ数を減らしておくべきか。
僕はポケットからライターを取り出すと、腕を伸ばして前カゴに並ぶ火炎瓶の一本に火をつけた。バランスを崩して事故るのではないかと一瞬ヒヤリとしたがそんなこともなく、上手く火炎瓶の口を塞ぐボロきれに火がつく。
「汚物は消毒だー!」
そう叫ぶと、僕は握った火炎瓶をアンダースローで後方へ放り投げた。地面に落ちた火炎瓶が割れた瞬間、感染者の先頭集団がそこへと突っ込む。飛び散った火のついた燃料を被り、感染者たちが炎に包まれた。
いい気分だった。これで頭をモヒカンにして肩パッドでも装着すれば、僕はどこかのモブキャラになれるだろう。だがそんな気分も、炎に包まれながら追いかけてくる感染者をサイドミラー越しに確認した瞬間にしぼんでしまった。
最初から予想されていたこととはいえ、感染者が燃えながら走っている様は驚くべきものだった。腹を撃たれようが腕をもがれようが足を切断されようが、感染者は即座に死亡するような傷さえ追わなければ行動が出来る。それは今まで何度も目撃してきたのだけど、火達磨になっても走り続ける感染者を見たことはない。その内重度のやけどでショック死するかもしれないが、それまで連中は走り続けるだろう。
しかし炎に包まれた感染者は、明らかに走るスピードを落としていた。火達磨になった感染者たちはあっという間に後方へと消え去り、続いて別の感染者たちが集団の前へと出てくる。僕を追ってくる感染者は軽く100体を越えているだろうか、一体二体を燃え上がらせただけじゃとても足りない。
「もっと、熱くなれよ!」
そう叫び、何本か火のついた火炎瓶を後方へと投げひたすら走る。バイクの運転もだいぶ慣れ、たまにふらつくもののエンストを起こすようなことはない。ナオミさんたちは今頃どこにいるんだろう? そう思って腕時計を見てみたが、マンションを出発してからまだ5分も経っていなかった。もう30分は走っているような気がしたのに。
「クソッ、パパラッチどもめ」
そう呟き、ハンドルを切って南に進路を向ける。ナオミさんたちがハイブリッド車を回収する前に、自動車販売所の前を通って一帯の感染者たちをおびき寄せなければならない。そうすればナオミさんたちは安全に自動車に乗れるが、逆に僕を追いかける感染者の数は増す。危険だが、それを了承して僕はこの役目に志願したのだ。今さら文句を垂れても仕方ない。
広い交差点の中心で衝突事故を起こしたらしい乗用車の残骸が見えてくる。バスと自動車が正面からぶつかったようだが、二台の間には一メートルほどの隙間が空いていた。避けようかと思ったが、ここで少しばかり感染者の数を減らしておきたい。僕は勇気を振り絞るをスロットルをふかし、まっすぐ事故車両の隙間へと突っ込んだ。
自動車の残骸の隙間を通り抜けた直後、背後から肉が潰れる鈍い音が響いてきた。サイドミラーを見ると、道路いっぱいに広がるまでに集まった感染者たちが隙間に殺到し、通れなかったものが自動車と感染者に挟まれて押し潰されているのだ。感染者に仲間という概念はないし、効率という考えもない。バーゲンセールに集まる主婦のように感染者たちは狭い隙間に殺到し、通れなかった感染者は後ろからやって来た集団に潰されている。
半分くらい圧死してくれないかなどと思ったが、やはり現実は厳しい。隙間を通り抜けた感染者は多くいたし、残りも車両の残骸をよじ登って僕を追いかけてくる。
「しつこいんだよなあ……!」
そう呟き、今度は進路を東に転じた。ここ数日の間に頭の中に叩き込んだ地図の記憶が間違っていないのなら、このまま東へ走っていれば、ナオミさんたちの目的地である自動車販売所に辿り着く。あらかじめそこの前を通って周辺の感染者をおびき寄せ、そして再びマンションの前を通って戻ってくるナオミさんたちの安全確保もしなければ。街を一周し、それだけ感染者が集まってくる危険が高いが、彼女たちの安全には代えられない。たとえ僕が死んでも、3人は助からなければならないのだ。
やがて前方に、有名な自動車メーカーの名を冠した自動車販売所の看板が見えてくる。ナオミさんによれば販売所には未だに十数台の自動車が残っているらしいが、それらは無事だろうか? まあこの町に他の生存者はいないだろうし、感染者が車を運転することもないからその心配は要らないのだろうけど。
一瞬でその前を通り過ぎたが、販売所の様子ははっきりわかった。ショーウインドーは叩き割られ、屋内に展示されていたであろう何台化が消えている。この町から脱出する時に誰かが持ち出していったのかもしれない。屋外の駐車場にも新車が並んでいたが、その内の一台は灰色のシートで完全に覆われていた。おそらくそれが目的の車だろう、ナオミさんがあらかじめシートを掛けてこれ以上の劣化を防ごうとしたのかもしれない。
クラクションを鳴らしまくって販売所の前を通り過ぎると、建物の中からぞろぞろと感染者が出てくる様子が見えた。20体ほどだが、ナオミさんでも手こずるかもしれない。後を追ってくる感染者がさらに増えたことに絶望しつつ、僕はナオミさんたちが無事に目的を果たせるよう祈った。
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