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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第四部:未来へ向かって脱出するお話
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第二〇八話 イッツマイライフなお話

 初めて運転するダンプカーは今までの車とは勝手がかなり違った。ハンドルを切ってもすぐに曲がってくれないし、急にハンドルを切ると高い車高のせいで横転しそうにもなった。さっきまでの脳内麻薬が消えかかっているのかここにきて感染者に食われた左手の小指と薬指が激痛を発し始めていたが、それでも少年は何度かハンドルを握っていた。

 

 今まで自分を追ってきていた感染者たちに今度は向かっていく形になるため、少年の前には次々と感染者の群れが姿を見せた。大きくてパワーがあって頑丈なダンプカーといえど、人を撥ね続けていけばダメージも蓄積するだろう。だが今は迂回したり別の道を行くという選択肢はなかった。どのみち大きなエンジン音でこちらの居場所はバレてしまっているし、何よりあとどれだけの間自分が人間として意識を保っていられるかもわからない。


 少年はギヤチェンジしてアクセルを踏み込むと、目の前の感染者の集団向けてダンプを突っ込ませた。とたんに運転席中に感染者がダンプカーに衝突し、大きなタイヤで肉が潰され骨が砕ける音が響き渡る。跳ね飛ばされた感染者がフロントガラスに血の跡を残して視界から消え、あるいは車体の下敷きになる。

 感染者を撥ねたことでスピードは下がったが、それでもダンプカーは止まらない。ついに限界に達したらしいフロントガラスが窓枠ごと外れ、撥ねられた感染者が衝撃で運転席へと飛び込んできた。すかさず脇に置いてあった斧の一撃を頭に食らわせ、少年は目的である燃料倉庫を探した。

 先ほど少年が通り過ぎたばかりの燃料倉庫まではもう100メートルを切っていた。だが倉庫の扉の前には感染者の大群が屯していて、倉庫の出入り口はその集団の背後にあった。少年は覚悟を決め、床にくっつかんばかりにアクセルペダルを思いきり踏んだ。



 ディーゼルエンジンが雄たけびを上げるかのように大きな音を立て、勢いを増したダンプカーが感染者の群れに突入する。感染者たちの血しぶきと肉片がフロントガラスの外れた運転席に容赦なく降り注ぎ、少年の顔を真っ赤に染めていく。

 数メートル進んだところで血脂でタイヤがスリップしたのか、それとも車体の下に潜り込んだ感染者の身体が変なところに引っかかったのか、ダンプの速度が一気に落ちた。破れた窓からは次々と感染者たちが上半身を乗り出し、少年に食らいつき引きずりおろそうと手を伸ばしてくる。

 身体のあちこちを感染者の爪が引き裂き、何体かがハンドルを握る少年の腕に噛みついた。身体のどこかの肉が食いちぎられたかもしれなかったが、もう気にしている暇はない。目の前に倉庫の外壁が迫っていた。


 次の瞬間、轟音とともにトラックは倉庫の壁に衝突し、少年の視界は一瞬真っ白になった。食い込んだシートベルトで身体が千切れるのではないかと思うほどの衝撃が少年を襲ったが、シートベルトをしていなかったら少年は運転席から放り出されて倉庫の壁に叩きつけられ、赤いシミになっていただろう。

 窓から運転席へと乗り込もうとしていた感染者たちは倉庫の壁とダンプカーにサンドイッチされ、下半身が地面に落ちたトマトのように潰れていた。それでもなお残った上半身だけで呻きながら少年に食らいつこうとしてくるのは流石の生命力といったところだが、さすがに下半身をトラックに押しつぶされている状況では身動きが出来ないようだった。

 改めてシートベルトの偉大さを知った少年だったが、のんびりしている暇はない。ダンプに轢かれずに済んだ感染者はまだまだ大勢いて、そいつらが少年のもとへと殺到し始めていた。


 白煙を上げて動かなくなったダンプカーのひしゃげたドアを何とか開け、手近な感染者を蹴り飛ばして遠ざけると、少年は倉庫の入り口向かって走った。背後から聞こえる感染者たちの咆哮と足音に追い立てられるようにして、倉庫に隣接する事務所のドアにかかったダイヤルロック式の南京錠を外す。埋立地で警備要員の役割を果たしていた少年は、幸いなことに燃料倉庫の南京錠の番号を知っていた。 

 倉庫には車両などが直接乗り入れることが出来る大きな鉄扉があるが、何分扉が重くて開閉に時間がかかり、その間に背後から迫る感染者に食われてしまうことは目に見えていた。少年が事務所に飛び込んでドアを閉めるとすぐ、追ってきた感染者たちがドアに強烈なノックをし始める。

 一応カギは掛けてみたものの、感染者の馬鹿力ではすぐに破られてしまうだろう。少年は急いで事務所の中を通り抜け、隣接する倉庫の扉を開けた。


 そのとたんに、気化した燃料の臭いが少年の嗅覚を塗りつぶす。倉庫の中には埋立地とその周辺で発見したガソリンや灯油、プロパンガスなど様々な燃料が集められていた。ドラム缶やボンベが文字通り山のように積み上げられ、埋立地の生存者たちの生活を支えていた。

 これだけの量の燃料に火が着いたら大惨事になることと、陸から運んできたときの運搬を容易にするために、燃料倉庫は人々の生活拠点がある埋立地の奥深くではなく、陸地に近い海沿いの倉庫に分散して設けられていた。少年に残された時間はわずかであるため、海に近くて移動距離が短くて済むという点でそのことは幸いだった。


 目的地には着いた。となると、あとはやるべきことをやるだけだ。どうせこの埋立地にもう人は戻ってこないのだから、ここに集められた燃料をどう使おうが少年の自由だろう。

 少年はまず倉庫の壁に設置されたレバーを操作して、天井付近の扉を閉めた。気化したガスが溜まらないように普段は天窓が開けっ放しになっているが、今から少年がやろうとしているのはその逆だ。ガスが抜けられたら困る。


 窓を閉めると、少年は積み重ねられたドラム缶の蓋を開け、全身の力を込めて横倒しにした。とたんにガソリンが床へと流れ出し、少年は他のドラム缶もどんどん蓋を開けて横倒しにしていった。たちまち倉庫の床はガソリンで浸されていき、気化したガスが倉庫内に充満していく。

 全部のドラム缶を倒している暇はなく、少年は続いてLPガスのボンベのバルブを開いていった。LPガスのボンベはガス会社の営業所やアパートなどからかき集めてきたものだった。


 外からは感染者たちの咆哮が聞こえ、倉庫の鉄扉はさっきから太鼓のように激しく殴打され続けていた。少年が入ってきた事務所の方からは感染者たちが鍵のかかったドアをぶち破ったらしく、何かが壊れる音が聞こえてくる。倉庫まで続く経路上のドアは全て閉めてあり、鍵がかかる場所は全てロックしていたが、それでも感染者たちが倉庫に乗り込んでくるまであと数分もかからないだろう。よく見れば激しく感染者に殴られ続けている倉庫の鉄扉が、あまりの勢いのためかレールから外れかかっているのが見えた。


 気化したガソリンと放出されたガスが混ざり合い、倉庫に充満していく。ガスを吸い過ぎたせいか、それともあちこち咬まれた身体が血を流し過ぎたのか頭がふらふらしてきたが、それでもなお少年は止まらなかった。もう時間が無いと悟った少年は未開封のドラム缶やガスボンベに、ポリタンクに入った灯油をかけて回る。どうせやるなら派手に、道連れは多い方がいい。


 倉庫の大きな鉄扉がついに歪み、その隙間から感染者たちが顔を覗かせる。もう時間が無い。ふらふらな頭とは反対に身体は重く感じられるが、少年はさらにもう数本のボンベのバルブを開いてガスを放出し、倉庫の奥へと向かった。

 

 今まで色々なことがあったな、と思う。走馬灯というのは死の間際に見るものらしいが、少年の脳裏にはここまでの旅で出会い別れてきた人たちの姿が脳裏に浮かんでは消えていた。

 母さん…僕が初めて殺した感染者。おかしくなってしまった世界の象徴だった。

 結衣…僕がもっと気を付けていたら、彼女に孤独な最期を迎えさせることはしなかった。すまない。

 ナオミさん…彼女は救えたかもしれないし、救えなかったかもしれない。でも彼女を見捨てず最後まであきらめなければ何かが変わっていたかもしれなかった。

 愛菜ちゃん…僕のせいで君は死んだ。僕がもっと注意深く行動していたら。本当に申し訳ない。

 感染者と化した家族を生き永らえさせようとしていた狂った村の人々。でも今なら彼らの気持ちも少しはわかる気もする。もしも自分が感染者と化したとして、その後戻れる方法があるのなら殺されたくはない。でも僕は生き延びるために彼らを殺すしかなかった。

 同胞団の団長。僕はお前の言う通りにはならなかった。僕はお前を殺してからは誰も見捨てることなくここまでやってきた。お前みたいな奴にはなるまいと生きてきた結果なので、その点だけは感謝してやってもいいかもしれない。


 そして裕子先生。あなたを殺したのは僕だ。僕がもっと冷静でいられたら。

 平和な学園に引きこもっていたせいで呑気に見えた裕子だったが、教師である彼女が唯一の大人として亜樹たち学園の生徒を導いてくれたからこそ彼女たちは生き延びることが出来た。彼女はどんな人でもまずは信じてみようとする人だった。そのせいで彼女は少年に誤射され死んだようなものだったが、少年が彼女の十分の一でも他人を信じてみようとする心を持っていたら、もしかしたら今まで繰り返してきた無意味な殺戮なんてしていなかったかもしれない。


 少年は心の中で団長を除く皆に謝罪した。あなたたちを犠牲に僕は今日まで生き永らえてきたのに、その人生もここまでのようだ。だけど最後に何十人も助けられたんだから、少しは大目に見てくれるだろ?


 少年はさっき見た、車で脱出していく亜樹たちの姿を思い出していた。

 そうだ。君たちは進むんだ。僕はここで終わり、もう生きられないんだから、その分君たちはもっと生きてくれ。僕のように途中であきらめたりせず、仲間を信じて協力し合いながら前へ進んでくれ。

 どんなにひどい出来事があっても決して自分を曲げず、引き下がることなく進み続けるんだ。

 僕はそれが出来なかった結果、誰かを信じることが出来ずに自分のことだけを考えて無意味に多くの人の命を奪ってしまった。でも孤独だった僕と違い、これまでもこれからも多くの仲間がいる君たちならそうはならないだろう。最後まであきらめないで、精一杯生きるんだ。


「あー、死にたくないなぁ…」


 少年は天を仰いで言った。雲が晴れたのか、天窓から明るい太陽の光が一筋差し込んでくる。

 埋立地から脱出した亜樹たちはどこへ行くのだろうか。ひとまずセーフハウスに当面は身を隠すのだろうが、物資がそこまで多くは無いからいつまでもいられるわけじゃない。

 そういえば生存者たちが北の方には自衛隊や警察に守られた安全な土地があると言っていた。本当かどうかはわからないけれど、東北地方は首都圏に比べたら格段に人口は少ない。その分感染者も少ないだろうから、ここよりは安全かもしれない。佐藤とも埋立地を放棄するような事態になったら北へ向かうのも一つの手だと話をしたことがある。


 ラーメンに海鮮丼、地鶏に牛と、東北地方なら美味しいものがたくさんあるだろう。死ぬ前にせめて美味しいものを食べたかったな。そんなことを思いつつ、少年はたすき掛けにしたポーチから手榴弾を取り出した。


 握りこぶしほどの大きさしかない手榴弾だが、爆発すれば半径数メートル以内の人間は爆風でまき散らされた破片により確実に即死する。一瞬で死ぬことが出来る上に、倉庫内に充満したガスに引火して大爆発を引き起こすことも出来るだろう。感染者たちをどの程度巻き込めるかはわからないが、手榴弾を手にしたまま起爆させれば、少なくとも少年が全身を貪られじわじわ苦しみながら死ぬことはないだろう。

 脱落防止のために先が曲げられていた安全ピンを元に戻し、出血のせいか震える左手で胸の前まで手榴弾を持って行く。ついにこれを使う時が来た。


 とうとう鉄扉がレールから完全に外れ、轟音と共に床に転がった。外れた際に火花が散らなかったのは幸いだったが、その代わりに無数の感染者が一斉に倉庫へなだれ込んできた。事務所へ通じるドアも枠ごと吹っ飛んで、少年を追いかけてた感染者たちが地鳴りのような足音と共に群がってくる。


 まだまだやりたいことはたくさんあった。見たい映画もやりたいゲームも読みたい小説も残っている。大学に入ったらサークルに入って飲み会とか合コンとかもやってみたかった。そしていつかは誰か大切な人と結婚する未来だって人並みに夢見ていた。

 もうそんな未来が訪れることはないが、それでも少年は満足していた。僕はやれるだけのことはやった。20年にも満たない人生だったが、それでも十分生きたと今なら胸を張って言える。最後に亜樹たち大勢の人々の命を救うことが出来たのだから、もう他に望むことは無い。


 胸の前に構えた手榴弾。その安全ピン先端のリングに右手の親指を通し、少年は勢いよく引っ張った。少しの抵抗感と共に安全ピンが引き抜かれ、そして――――――。


「あ」


 バネの力で弾け飛んだ安全レバーの衝撃で、つい少年は手榴弾を手放してしまっていた。出血多量で手に力が入っていなかったのか、それとも薬指と小指を食いちぎられていたせいでうまく握れていなかったのか、手榴弾は少年の手元から吹っ飛び感染者の方へと飛んで行ってしまった。


「やっちまったぜ」


 これでは至近距離で手榴弾の爆発を浴びて即死することはできない。少年の手元から離れて床に落ちた手榴弾は後から後から押し寄せてくる感染者たちに蹴り飛ばされ、どんどん遠ざかっていく。代わりに近づいてくるのは大勢の感染者たち。汚い歯を剝き出しにして両手を伸ばし、少年を地面に押し倒す。


 僕の人生、いつもこんな感じだったな。少年は笑った。いつも肝心な時にうっかりミスをする。

 でもまあ、それも含めて僕の人生(イッツマイライフ)ってことだ。




 床に倒れた少年の身体に感染者たちが食らいつく。少年の視界を血走った感染者たちの瞳と大きく開かれた彼らの口がいっぱいに埋め尽くした直後、床に落ちた手榴弾が爆発した。

 少年の視界は一瞬にして光に包まれ、そして何も見えなくなった。

ご意見、ご感想お待ちしています。

次回で本編最終回となります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大好きな作品でした。寂しすぎ
[一言] やっと…夏が終わったんやなぁって… 少年らしい最期で少しだけ笑ってしまいましたがもう彼は居ないんだなと思うと寂しいですね…
[一言] 本編? 亜樹か佐藤あたりに主人公交代で続くのかな?
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