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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第四部:未来へ向かって脱出するお話
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第一九九話 聖なる手榴弾なお話

 この豪華客船に数千もの感染者が乗り込んでいる事実を、佐藤はすぐさま岸壁で待機している者たちへと伝えた。もし感染者が上陸してしまったら、埋立地にはどこにも逃げ場がない。もちろん万が一の事態に備えて武装した警備要員が十数名、船を取り囲んで陣地を構築している。だがそれだけで数千体の感染者を食い止められると思うほど、佐藤は楽観的ではなかった。


「これからどうするんですか」

「この船をどうにかするしかない。沖へ持っていくかいっそのこと爆弾か何かで丸ごと吹き飛ばすか…」


 だがその二つの案はどちらも非現実的だった。コンクリートの岸壁に半ば乗り上げるような形で座礁した客船は満潮になったところで離岸できそうにないし、船長の手記を見る限りエンジンも動かないだろう。かといってこの船を感染者ごと木っ端みじんに出来る量の爆薬はここには無い。船の腹に穴を開けて沈めることはできるかもしれないが、座礁している状態では何の意味も無い。


「とにかく今はこの船から出ることが最優先だ。元来たルートを辿って外へ出る」


 少なくともここまでのルートに感染者はいなかった。だがそれはあくまでも「たまたま」出くわさなかったというだけの話だ。感染者たちには救命ボートで船を離れるという知能は無い。感染を免れた船長以下乗員たちが脱出した後も、この船には数千の感染者がいたはずだ。

 感染者の多くは臨時の救護所となっていた公園や映画館などの船内後部の施設にいた人々が転化したもので、少年たちはそこを通らずまっすぐ船体全部上層の船橋までやってきた。だから感染者に出くわさなかったのかもしれない。


 とにかく今は感染者を上陸させないことが最優先だった。佐藤は現在船内を探索中の他の二班に即座に船から脱出するよう命じ、続いて岸壁に防衛陣地を築いている警備要員たちにも船内に感染者がいる事実を伝えた。船内に感染者がいることは想定内だったが、それでも数千という数は想定外だったのだろう。陸上で警備の指揮を執っているハンの声が無線越しでも動揺しているのが少年にもわかった。


 もし感染者が船の外に溢れ出た時には食い止められるだろうか。少年は岸壁の警備要員の数と装備を考え、それは難しいだろうと判断した。岸壁で船の周囲に展開している警備要員は十数名。自衛隊の機関銃を設置した銃座が二つあるが、そんなもので感染者をどうにか出来るのであれば日本も世界もこんな状況には陥っていない。


「ここを出るぞ。他の連中は俺たちより先に船を出る。動くものは全て撃て」


 佐藤の指示は至ってシンプルだった。これから先、船内で出くわすものは佐藤以外はすべて敵だ。



 佐藤と少年は元来た道を引き返していった。従業員用の通路を小走りで進み、船内に突入した時に使用した乗降口から外に出る。たったそれだけのことなのに、暗い船内の通路を走っているとまるで自分が迷宮に閉じ込められてしまったかのように感じる。

 角を曲がって目印代わりのケミカルライトが見えなくなってしまうと、途端に本当にこの道で合っているのか不安になってくる。もしかしたら自分たちは間違った通路を進んでいて、いく先には無数の感染者が待ち受けているのではないか。そう考えてしまう。


 走るたびに銃に取り付けたフラッシュライトの光輪が廊下のあちこちを照らし出すが、何も動くものはない。本当にこの船に感染者はいるのか? そう思ってしまうほどだ。

 だが二人がまだ足を踏み入れていない船の後部はそれこそ地獄のような有様なのだろう。一体この船で何人が死んで、何人が感染者になったのか、それは誰にもわからない。


 二人が元来たルートを引き返し、ようやく半分まで来たところで通信が入る。船内の他の場所を探索していた他の二班は、突入口である半壊した乗降口からの脱出に成功したそうだ。両方とも道中では一切生きている感染者は見かけなかったものの、人間の死体はいくつか見かけたらしかった。


「あとは俺たちだけだ。早くここから―――」


 佐藤がそう言いかけた時、少年は暗闇に包まれた廊下の前方で何かが動く気配を感じた。二人が操舵室まで通った後には目印としてケミカルライトが置かれており日の光が入らない船内を蛍光グリーンにぼんやりと照らしている。

 その光が一瞬だけ揺らいだ。ケミカルライトは一度使うと半日は発光し続ける。消えるなんてことはあり得ない。だとすると…。


 少年の嫌な予感は当たった。ケミカルライトが照らし出す廊下の壁に人影が映ったかと思うと、廊下の角を曲がって何かが姿を現した。ふらふらと覚束ない足取りはまるで酔っ払いのようだったが、暗いせいでその顔までは見えない。それが人型をしていることだけは確かだが、人間か感染者かまでは区別がつかなかった。


 だがこの船で生きていた人間はみな救命ボートで脱出したか、船内に取り残され感染者と化したはずだ。あの日記を読んでいなければ二人はその人影が何者であるか判断に迷っただろう。だが船長の残した手帳にはこの船は感染者の巣窟であり、生存者などいないことが書かれていた。


 佐藤は迷わず銃を構えると発砲した。銃口に消音器が装着されているとはいえ、至近距離かつ閉鎖空間ではその効果も少なかった。どん、どんと腹に響くくぐもった銃声が轟き、反響した銃声が鼓膜を震わせる。長い廊下の先の人影の頭からぱっと何かが飛び散り、そのまま膝から床に崩れ落ちるのが見えた。

 感染者だった。佐藤と少年が操舵室に向かうまで、途中にあった部屋や通路を全て隅々まで調べたわけではない。今の感染者もそのような場所をうろついていたのだろうか。


 感染者と遭遇することは想定内だったとはいえ、発砲したことでいよいよ少年は自分たちがまずい状況に陥っていることを実感する。しかも消音器をつけていたとはいえ狭い船内で銃声は意外と大きな音を立てており、その音を聞いたのか長い通路の先で何かが動き出す気配を感じた。


「まずいな、さっさとここを出るぞ」


 佐藤はそう言って、まだ硝煙の立ち上るカービン銃を構えて通路を進んでいく。途中射殺したばかりの感染者の死体を跨いだが、感染者はものの見事に胸と頭を一発ずつ撃ち抜かれて絶命していた。暗闇の中一瞬で急所を狙い射殺するとは大したものだと改めて佐藤の腕前に感心する。


 だが少年が佐藤に感心している暇はなかった。再び通路の先で複数の影が蠢き、こちらに向かってくるのがぼんやりと見える。少年が銃を向けると、取り付けられたフラッシュライトが血走った目でこちらを睨みつけて走ってくる感染者たちの姿を照らし出した。


「こっちはダメだ!」


 佐藤がそう言って発砲し、後退を始める。少年と佐藤がやってきたのは今まさに感染者たちが押し寄せてきている方向だった。元来たルートは使えない。どこか別の場所から船外に出るしかない。暗闇の中から一体、もう一体と感染者がやってくるのを見て、少年は佐藤とともに発砲しつつ操舵室へのルートを引き返し始める。銃声を聞いたのか、さらに感染者が押し寄せてくる気配を感じる。


 船外へ脱出するためには来た道を引き返すのが一番早い。だがそれができなくなってしまった以上、佐藤と少年は真っ暗な船内をロクな案内図もないまま駆け回る羽目になってしまった。


「多数の感染者と遭遇した! 突入口は封鎖しろ!」


 走りながら佐藤が無線機で指示を飛ばす。今の言葉を聞いて、少年たちが船に入ってきた突入口で待機していた守備隊員たちは破孔の空いた乗船口の封鎖作業を始めたことだろう。万が一船内で感染者と遭遇した場合は、感染者が外に出るのを防ぐために内部に人員が残っていようが入り口を封鎖する。それが事前の取り決めだった。

 たとえ船内の人員を見捨てることになっても、感染者が埋立地に上陸する時間を一刻でも遅らせる。それが目的だが、いざ自分たちが見捨てられる側になったかと思うと心に来るものがある。


「どこから外に出るんです!?」


 背後から聞こえてくる呻き声や咆哮を意識の外に追いやり、少年は叫んだ。いちいち止まって発砲していてはすぐに感染者たちに追いつかれてしまうため、もはや銃を撃っている暇はなかった。


「ダメだ戻れ!」


 少年の言葉に答える前に、そう叫んで前方を走っていた佐藤が引き返してきた。その背後にはやはり感染者。通路の前後を感染者に挟まれる形となってしまった。


「手榴弾!」


 佐藤はそう叫んでポーチから取り出した手榴弾の安全ピンを引き抜き、迫りくる感染者の群れに向かって放り投げた。もう一方から迫りくる感染者にも手榴弾を投げつけた佐藤はそのまま少年の襟首をひっつかむと、近くにあった扉が開いたままの客室に飛び込む。佐藤が木製の扉を蹴って閉めた直後、扉の向こうで爆発音が轟き、客室が揺れた。

 

 爆発の威力に耐えられなかったのは、木製の扉が蝶番ごとドア枠から吹っ飛んだ。床に伏せて頭から布団をかぶった少年たちの頭上に、木端と化した扉の破片が降り注ぐ。びちゃびちゃっと何かが叩きつけられる生々しい音を聞いて少年が布団から顔を出すと、扉が吹っ飛んだ入り口越しに、通路の一面が肉片まみれになっているのが見えた。


「立て」


 佐藤に腕をつかまれて立ち上がった少年は、彼とともに銃を構えながら通路に出る。二個の手榴弾が炸裂した廊下の状況は悲惨なものとなっており、床一面に感染者の死体が転がっていた。狭い通路で爆風が反射しさらに威力を増したのだろう。炸裂地点の中心にいた感染者たちは手足を吹き飛ばされて半分挽肉と化しており、破片の直撃を受けなかった感染者も強烈な爆風で手足や首を折られてほとんど動いていなかった。


「それで、どこから出るんです」


 少年が再びそう問いかけると、佐藤は無言で頭上を指さした。どうやら上甲板から外に出て、そこから船を脱出する算段らしい。上の階層にも感染者がいる可能性はあるが、まだ露天甲板や客室の窓などから外に脱出できる可能性はある。だが下に行ってそこで感染者と出くわしてしまえば、どこにも逃げ場はない。


 佐藤が銃を構えて通路の先にある乗客用の階段に足を踏み入れる。銃口と一体化した視線を上に向け、感染者たちが階段を下りてくる気配がないことを確認し上り始める。少年も佐藤に続いて階段を上ろうとしたその時、下の方からどたどたと複数の足音が響いてきた。

 見ると感染者たちが階段を使い、下から登ってきていた。銃声に爆発音まで鳴らしてしまったのでは、気づかれて当然だ。少年も急いで階段を駆け上がるが、感染者たちに追いつかれてしまう。


「このやろ…!」


 伸ばしてきた腕を振り払い、先頭の感染者の顔面に蹴りを放つ。鼻先をブーツの底で潰された感染者は、後続を巻き込んで階段を転げ落ちていった。

 すかさず少年は手榴弾を取り出すと安全ピンを引き抜く。バネの力で安全レバーがはじけ飛んだ手榴弾を起き上がろうとしている感染者たちの群れの中に放り込み、少年は急いで階段を駆け上がった。数秒ののち背後で爆発音が轟き、階段の吹き抜けを爆風と肉片が吹き上げていく。


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[一言] やっと、久しぶりの更新! あなたがこの小説を完成させてくれることを願っています。 これは、私がここで読んだ最高の現代のサバイバル ホラー ストーリーの 1 つです。 その大きな可能性を秘めて…
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