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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第四部:未来へ向かって脱出するお話
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第一九八話 お前もう船降りろなお話

 埋め立て地に漂着したこの船はアメリカの船会社が運行する世界最大級の豪華客船らしい。乗客数は5千人以上に上り、世界各地を巡るクルージングの真っ最中だったようだ。

 だが世界規模のパンデミックにより、あっという間に主要な港は脱出しようとする避難民とそれを追いかけてきた感染者で溢れかえった。幸運なことにこの船は感染者が急激に増加する直前に東南アジアに寄港し、燃料と食料、そして水などの物資を補給することが出来ていた。おかげで各地の港が使用不能になった後も、長いことどこにも寄港せずに済んだらしい。


 船の乗員と乗客たちは世界が崩壊していく有様を、ラジオを通じて眺めているしかなかった。衛星放送のテレビは早々に不通になり、ラジオ放送も日ごとに減っていく。各地で助けを求める生存者たちのアマチュア無線の通信はいつまでも続いていたが、彼らに出来ることは何もなかった。

 幸いなことに船には大量の食糧や燃料があり、また豪華客船ということで娯楽施設もあった。この船を降りることは出来なかったが、それでも陸から隔離された環境ということもあり、最初の頃は乗員と乗客たちは落ち着いてそれまで通りの航海を続けることが出来ていた。

 しかし船に積まれた物資は有限であり、そもそも燃料が無ければこの船は海に浮いているだけのただの鉄の塊と化してしまう。船のメンテナンスや修復だって必須だ。太平洋を横断できるほどの物資や燃料があるとはいえ、陸地を離れて永遠に船の中に引きこもっていることは出来なかった。


 パンデミックからしばらくが立ち、各国の政府機関が軒並み崩壊した頃になると、客船は洋上を漂流するボートや小型船と合流するようになった。それらのボートの多くは感染者の溢れる陸地から何とか逃げ出してきた者たちが乗り込んでおり、ボートの燃料や食料が尽きかけていた彼らは客船に助けを求めていた。

 それらを無視することも出来たが、船の乗員乗客はこの時点ではまだ人道的であった。地獄のような有様の陸地から隔離されて暮らしていたということも大きかったのだろう。客船は洋上で救助を求める人たちと遭遇するたびに、彼らを救助していた。

 救助した人たちの中には陸地を脱出した武装警官や兵士、エンジンが故障し洋上を漂流していたパトロール艇の乗組員である水兵などもいた。


 幸いなことに世界最大級の豪華客船ということで、難民の乗船スペースはいくらでもあった。流石に一人ずつ個室を割り当てるとまではいかないが、船内の公園やカジノ、映画館などが難民たちの居住空間となった。次々と難民たちを救助していった結果、船の乗客数は本来の倍近くにまで上った。


 一行は当てもなく航海を続けていったが、やがて船内でも揉め事が起きるようになっていく。外部との交信は途絶し、行く先々の港は感染者がうろつき港湾設備も破壊されていて入港すらできない。船旅に出る前に残してきた自分の家族が無事かどうかもわからない状況で、人々はストレスをため込んでいく。


 当然ながら、物資も不足し始めた。元々船に乗船していた人数に加え、難民たちも救助した結果、物資の消費ペースは早まっていくことになる。節約しても限界はあるし、何より船の燃料を補給する必要もある。燃料が無ければ船はただの鉄の塊と化し、快適な生活も送れなくなってしまう。


 そして不安の種は物資の欠乏だけではなかった。各国の軍事作戦の結果姿を消していた海賊たちが、再び活発に活動を始めたのだ。

 武器を手に入れた漁民や、規律が乱れた結果無法者の武装集団と化した兵士たち。それらが洋上に逃れた難民たちから物資を奪おうと襲撃を繰り返す。この船以外にも洋上に避難した船舶は大勢いたが、それらは次第に減っていった。

 海賊に襲われ救助を求める通信を最後に、交信可能な相手はどんどん減っていく。海賊は陸地の周辺を活動範囲としていたために、客船は陸から遠く離れた洋上で、半ば漂流するような形でただ時間が過ぎていくのを待つしかなかった。


 3か月が経過した頃、ようやく船の人々は上陸して物資を回収することを決定した。客船は沖合に停泊させ、選抜された十数名をボートで偵察に出す。選抜されたのは漂流していたところを救助された兵士や警察官、そして腕に覚えがある者たちだった。

 有り合わせの武器を手に上陸した彼らは徘徊する感染者の目を盗み、物資を集めて船に戻った。それを何度も繰り返して十分な物資が集まったところで、船はその港を離れた。船を目撃した陸地の生存者たちが助けを求めてボートで海に乗り出してきてしまったからだ。


 その頃にはもう、客船にこれ以上の避難民を収容する余裕は無くなっていた。人数が増えれば消費される物資の量も増える。そうなれば物資を確保するために何度も危険を冒さなくてはならない。それに上陸隊が陸地から持ち帰った感染者の情報を知った船の乗員乗客にとって、自分たち以外の人間はもはや感染源も同然だった。


 それ以降、客船は他の生存者を救助することは一切しなくなった。陸地から見えないところに停泊し、食料が切れたら上陸隊を送って回収してくる。

 そんなことを数か月ばかり続けていたものの、そんなやり方ではやはり限界も出てくる。ボートに積んで持ち帰れる物資の量などたかが知れているし、何より他の生存者に略奪されたのか上陸しても物資を見つけること自体が難しくなってきていた。


 何より、燃料を調達することが困難になっていた。通常燃料の給油は接岸してそこで給油船から燃料を受け取る形となっているが、この状況では接岸して安定した作業を行うことは難しい。給油船もパンデミックの時に生存者たちが乗って逃げ去ってしまったのか、一隻も港に残っていなかった。時たま港でうち捨てられた給油船を見つけてもそこには感染者たちも大勢おり、上陸は断念せざるを得なかった。


 また、物資の不足とそれに伴う衛生環境の悪化により、船内では疫病が蔓延しつつあった。物資回収の際に上陸隊員の誰かが死体にでも触れてしまい、そこでウイルスを持ち帰ってしまったのか謎の感染症が船内でも広がっていた。


 発症すると高熱と肺炎を引き起こし、意識の混濁と共に最悪の場合は死に至る風邪に似た病気だ。風邪のウイルスが変異したのかそれとも全く新しいウイルスなのかは不明だったが、とにかくこの感染症に免疫を持っている者はいないらしく、あっという間に船内は大量の患者で溢れかえった。

 外部との接触を断つことが出来る船は外からのウイルスの侵入を防ぐには最高の環境だが、しかし一度ウイルスが侵入してしまえばあっという間に感染が広まってしまうという難点もある。紙屑ばかりのゴミ箱に煙草を投げ捨てた時のようだ。


 この病気に乗船者の7割以上が感染してしまった。個室で一人一人面倒を見るわけにもいかず、発症者は皆広大なスペースがある船内の劇場や公園、ショッピングモールなどに移送され、さながら野戦病院のようにベッドを並べてそこで治療を受けることになった。とはいっても船医に感染症に詳しいものはおらず、いたとしても特効薬など無い状況では、ただ対処療法を続けるしか方法はなかったが。


 運航に携わる船員すらも感染したことで、船は航海を続けることが困難になった。陸地へ物資を調達に上陸隊を派遣することも困難になり、おまけに沿岸では海賊の活動も活発化してきていて、以前のように陸地に近づくことも容易ではなくなった。船は沖合をほとんど漂流するような形で数週間を過ごしたが、その間にも物資と燃料はどんどん減っていくだけ。




 この船の乗組員たちが同じように沖合を漂う豪華客船を見つけたのはその時だった。無線や発光信号を送っても何ら返答はなく、感染者が乗っている気配もない。接近して確認してみたところその船はほとんど無人となっており、甲板上にも客室の窓の奥にも人の気配は全くなかった。


 内部の様子は詳細にはわからなかったが、少年たちと同じでこの客船の人々もその漂流船を調査することに決めたらしい。見なかったことにしてそのまま離れていくには、物資も燃料も足りなくなっていた。もしかしたら漂流船から必要な物資を調達できるかもしれないし、燃料だって残っているかもしれない。


 船員たちは巧みな操船技術で客船を漂流船に横付けし、内部を調べた。すると船内は驚くほど荒らされた形跡がなく、誰かがいた痕跡もほとんどなかった。食料や消耗品も大量に積み込まれたままで燃料も満タンに近い状態で残されており、港に停泊していたところをパンデミックの混乱で舫が解けたのか、無人で漂流を開始したのだろうと彼らは結論付けた。


 客船の乗員たちは急いで漂流船から物資を運び出し、ホースで漂流船の燃料を客船に移し替えた。漂流船の方が小さいせいで満タンにこそならなかったものの、それでも当面は困らないほどの量だった。


 こうして彼らは漂流船から物資と燃料を確保し、さらに航海を続けられた―――はずだった。





 漂流船から物資と燃料を補給できた次の日、乗員の一人が点呼の時間になっても出てこなかった。彼もまた病気になったのだろうかとその乗員の部屋がある区画に向かった仲間が目の当たりにしたのは、喉元を食いちぎられて絶命した他の乗員の死体だった。

 船内の監視カメラで確認してみると件の点呼を欠席した乗員が部屋から飛び出してきて通路を歩いていた同僚を襲い、殺害した後で船体後部へと走り去っていく様子が映っている。その乗員の動きにもはや知性は感じられず、船長たちは彼が感染者となってしまったことを悟った。


 この客船が物資と燃料を調達したあの漂流船は、実のところ無人ではなかったのだろう。港を出た際に感染者がたまたま船内にいたのか、それとも漂流していた船をを出港させた人々が後に感染者になったかはわからない。だが船に乗っていた人々は全員感染者と化し、操縦する者を失った船は漂流を始めたが、中でまだ感染者となった彼らは生きていた。物資調達を優先したせいで漂流船の中を隅々まで調べることはしなかったが、内部のどこかに感染者は潜んでいたのだ。


 そして漂流船内を調査していたあの乗員は感染者に襲われた。物資調達や船内調査で漂流船に乗り込んだメンバーはきちんとボディチェックしたつもりだったが、甘かった。感染者に襲われた乗員は自らも感染したことを黙ったまま、客船に戻った。感染しているとわかったらその場で殺されるか、あるいは漂流船に置き去りにされるとわかっていたからだ。

 それにボディチェックだって完璧ではなかった。漂流船からの物資と燃料の移送に加えて、乗員たちも次々と病気で倒れている最中ではとにかく人手が足りない。だから外から見て咬まれた傷が無ければそれでよしとしていた。本来だったら服を脱がせて隅々まで検査すべきだったのだが、それをしなかった。


 船長たちは被害を最小限に食い止めるために、感染者と化した乗員の行方を船内カメラで追った。感染者は途中で遭遇した乗客や難民を食い殺し、あるいは感染者へと変異させながら、今や野戦病院と化している船の後部へと向かった。そして多数の病人が寝ているカジノや映画館、船内公園からパニックの悲鳴が聞こえてきた時、船長たちは事態の封じ込めが不可能になったことを悟った。


 病気で高熱を発し倒れている人間でも、感染してしまえばたちまち元気に立ち上がって他の人間を襲うようになる。少ない人数でも看病が出来るように多数の患者を一か所に集めていたのが仇となった。そこへ乱入した感染者により、高熱で倒れている患者たちは次々と他の人間を襲う感染者と化していく。


 もはやこうなっては打つ手はない。船内に収容している乗客や救助している難民、そして乗員を合わせた人数は9000人近い。その大半が病気で倒れ船内後部に隔離されていた。船内後部に配置されていた乗員たちとの連絡は悲鳴や絶叫、そして感染者の咆哮と共に続々と途絶えていき、やがては全員が感染者と化すのは目に見えていた。


 船長たちは船を捨てることを決断した。パニックの中で機関室にも感染者が侵入し、そこで何か事故が起きたのか船の動力も停止してしまった。こうなってはもう船は浮かぶ棺桶に過ぎない。数千人の病人は今や感染者と化し、これから生存者たちを襲うべく船内後部から飛び出してくることだろう。

 それらを全て掃討することなど不可能だった。船長や数名の乗員は銃を持っていたが、それではとても感染者全てを倒すことはできない。感染者の鎮圧に向かった警官や兵士たちからの連絡は途絶えた。できることは何もなくなった。


 となると、残された手段は感染者が船の中を徘徊する前に無事な生存者を集め、船から脱出することだった。船長は可能な限り後部甲板に繋がる扉を封鎖するように指示を出してから、予備の電源で動いている船内放送で船から脱出するよう乗客や難民に伝達した。

 船内で感染爆発が発生した時、客船は最寄りの陸地から20キロほどの沖合を航行していた。潮の流れを考慮すると、上手くいけば海流に乗って陸地に辿り着けるかもしれない。船に搭載されている救命ボートに動力は搭載されておらず、あくまでも救助が来るまでの間海の上に浮かんでいられるようにするための代物だ。だがこの状況では救助要請をしたところで、どこの国の沿岸警備隊や海軍も助けには来てくれない。陸地まで船を漕いでいくか、イチかバチかで海流に身をゆだねるしか生き延びる方法はない。もしどちらも成功しなければ、船を脱出したところで今度は海上を漂流し飢えと渇きで死ぬだけだ。


 乗客たちは急いで救命ボートに乗り込み、客船を離れていった。船長はこれまでのあらましをこの手帳に記し、そして自らも下船した。

 手帳の最後にはこう書かれている。


「もしも君たちがまだ人間であるならば、今すぐこの船から離れた方がいいだろう」




 佐藤は手帳を閉じ、少年と顔を合わせた。この手帳を読んだことで、色々と分かったことがある。

 少し前に漂着していたあの大量の死体は、きっとこの船を脱出した乗員乗客たちだろう。彼らは陸地に向かって救命ボートを漕いだが、悪天候でボートがひっくり返るか何かしてしまったに違いない。感染者から逃れることは出来ても、死という運命から逃げることは出来なかった。


 そしてもう一つわかったこと。それは今もなおこの豪華客船の中には、数千もの感染者がいるということだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] そういう大事なことは1番頭に書いてくれよぉお!! ゲームとかなら手記読み終わった途端に画面暗転してイベント差し込まれるやつだこれ
[一言] もう逃げ場のない絶望世界ってことがよくわかります
[良い点] 最後の一文でゾクゾクきました 今までで最悪の展開じゃあないですか
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