第一九一話 Who am I?なお話
ショッピングモールを根城に生存者を襲っていた子供たちは、少年らの手で殲滅された。モール内には十数人の子供たちが残っていて、突入してきた少年らを殺そうと襲い掛かったが、いかんせん銃を持った集団相手では分が悪かったらしい。後に残されたのは子供たちの死体、そして彼らが生存者を襲って集めていた物資の山だった。
子供ということもあって消費量が少なかったのか、食料は多くが手付かずのまま残されていた。他の部屋には数が少なかったものの、猟銃や警察の拳銃などの武器も保管されていた。亜樹の話によると子供たちを率いていた男は、子供たちに銃火器を持たせたり、使い方を教えるようなことをしなかったという。ただでさえ半分感染者と化して脅威となっている子供たちがさらに強力な武器を持ってしまえば、より多くの人々を殺傷してしまうと危惧していたらしい。
自分たちを襲ってきた子供たちの様子から、少年はその男に感謝した。もしも子供たちが銃を使いこなして人を襲っていれば、佐藤と少年はそもそもショッピングモールに辿り着く前に死んでいたに違いなかった。
だが少年たちがショッピングモールの中で見つけて言葉を失ったのは、無数の人骨を組み合わせて作られた奇妙なオブジェの数々だった。そしてそれらの骨はどれも表面が滑らかで、腐った肉も付着していない綺麗な骨だった。まるで食べられた後のフライドチキンの骨のように。
それらが子供たちが食べてきた犠牲者の成れの果てだと気づいた瞬間、班員たちは思わず後ずさっていた。何人かは耐え切れず、その場に吐いていた。死体を見慣れた彼らですら、子供たちの狂気の産物には耐えきれなかったらしい。感染者に貪り食われた死体はいくつも見ていても、その死体を使って芸術品を作るなんて思考は到底理解できるものではなかった。
もっとも、あの不気味なオブジェは子供たちが自分たちの寄る辺として作っていたものらしい。自分たちが食った人たちのことを忘れないため、ということらしかったが、その子供たちも全員死んでしまってはもはや何のために作ったのか、本当の理由を知ることはできない。
掃討作戦は一人の犠牲者を出すこともなく成功した。仕掛けられたトラップや子供たちの襲撃で負傷者が出たものの、命に関わる怪我を負った者はいない。この先脅威となりうる子供たちを完全に排除し、物資も手に入れた。全てが完璧に終わった。
だが少年は、そのことを素直に喜ぶことが出来なかった。埋立地への帰路、車の窓から外を眺めながら少年は、あの子供たちを救う手立ては無かったのだろうかと考えていた。
埋め立て地へと戻る車両の数は少ない。警察署のバリケードなどを修繕して前進基地として使用できる目途が立ったため、早速数名が駐留することになったからだ。
この先も埋立地からは定期的に前進基地へ人員が派遣され、交代で周辺地域の監視や物資の調達を行うことになる。感染者やならず者が埋立地へ近づく前に発見できるし、街に残された物資があればそれも回収できる。今や埋立地には100名近くの生存者がいて、安全と物資の問題は常に付きまとっていた。
今回感染者になりかけの子供たちを掃討したことで、街の安全度はより高まった。感染者は未だにそこら中にいるが、それらも追々排除していけばいい。そうすればいずれは埋立地だけでなく、街にも安全地帯を作ることが出来る。
埋め立て地へと戻る車両の中、少年はポケットから一冊の手帳を取り出した。あの骨で作った祭壇にあった、男の死体の懐に入っていたものだ。
その男はショッピングモールの子供達のリーダーで、彼もまた感染がゆっくりではあるものの進行していた。そして不本意ながらも拉致することとなった亜樹の目の前でとうとう完全な感染者と化し、彼女に殺されたわけだ。
その亜樹は今、埋立地で休養を取って入る。いきなり殴られて気絶させられ、拉致されたのだから仕方がない。だが本当のところは、彼女も精神的に参ってしまっているだろうという配慮からだった。
亜樹は今まで人を殺したことが無い。今まで殺してきたのは感染者で、理性を保った「人間」を殺した経験はなかった。
だが今回亜樹は、その「人間」を殺してしまったのかもしれないと思い詰めているようだった。直前まで話していた人物が、感染の進行で理性を失い彼女に襲い掛かった。もしも相手が人間だろうと感染者だろうと、襲われた彼女が相手を殺したのは誰もが正当防衛で仕方のないことだと思うだろう。亜樹もそのことは理解しているが、それでもまだ受け入れられないようだった。
少年は初めて人を殺した時のことを思い出した。自分で直接手を下したわけではない。だが迫る感染者たちの群れに相手を動けない状態のまま放置し、自分が逃げるための餌として置き去りにしてしまった。
あの時の少年は「仕方ない」と言い訳をして、自分が行った行為を正当化した。その後も人を殺すたびに「仕方ない」「あいつが悪い」「生きるために必要なことだ」と自分に言い聞かせてきた。
それが亜樹に出来るだろうか。だが自分を正当化出来てしまうと、今度は理性のタガが外れてしまう。自分を守るためと言い訳をして、必要のない殺しまで行ってしまう。かつての少年のように。
「難しいもんだ…」
少年は手帳を開く。最初のページには「この手帳を拾った方へ」という手書きのメッセージとともに、氏名と住所、そしていくつかの名前が書いてあった。
『この日記は私が生きた証です。もしもあなたがこの手帳を読んでいるということは、私は死んでいるのでしょう。その際は大変お手数ですが、この手帳を私の家族まで届けてください。お願いします』
その言葉と共に日記は始まっていた。感染が日本で広まった日、必死で逃げたけどどこにも行けなかったこと。助けは来ず、何とかショッピングモールに避難したこと。その後脱出を図った者とモールに残ることを選んだ者の二手に分かれ、前者の行方はわからないこと。
亜樹からおおよその話は聞いていたが、改めて日記で当事者のありのままの気持ちをぶつけられるのでは、受けるショックの大きさも違う。まるでこの日記を書いた男が生きているかのように、少年は彼の気持ちが手に取るように分かった。助けが来ない、食料も無い、そんな絶望的な状況で彼らがどのように生きていたのか、まるでその場にいるかのように感じ取ることが出来た。
日記は少年たちが警察署に行く前日で終わっていた。その翌日、男は生き残っていた子供達との壮大な心中のため、亜樹を拉致して少年と佐藤を襲うように仕向けた。
男は自分がやろうとしていることは間違っていると理解はしていたらしい。だがこうするしか他に選択肢はなかった。自分も子供たちも感染者となりつつある中で、これ以上他の人を殺さないためには自分たちが死ぬしかなかった。
日記の文字が歪んでいるのは、感染が進行して理性を失いつつあったからか、それとも別の理由があったのか。いずれにせよ、もうあの男のことはこの日記を通じてでしか知ることはできない。
この日記を遺族に届けるべきだろうか。少年は思った。
日記にはもしも男の家族が生きていれば手帳を届けて欲しいと書いてある。だが家族がこの日記を受け取って喜ぶだろうか。飢えの苦しみの中で人の肉を食らい、その挙句に感染して大勢の人を殺した男の顛末を、もし生きていたとしてその家族が知りたいと思うだろうか。
悩んだ挙句、少年は答えを出すのを保留にした。こんな状況で手帳に書いている人間の内、どれだけが生き残っているかもわからない。もし生きていたとして会えるかどうかだってわからない。つまり男の遺族と会うことが出来る可能性はかなり低い。だったら今は死んだ人間の家族にどうやって手渡すかなど、出来るかどうかも怪しいことに思考のリソースを割くべきではない。
ただ、少年は思った。僕も日記を書いた方がいいのかもしれない。
少年は家族も友人も何もかも失った。自分のことを知っているのは自分だけ。これまで自分が経験してきたことも、何を考えて行動してきたのかも誰も知らない。
そして少年が何者なのか、それを証明する手段はない。未成年ということで身分証など作っていなかったし、学校の生徒手帳は混乱の際のゴタゴタで無くしてしまった。役所も機能を停止し、住民情報を納めた紙の資料やサーバーも火災で失われてしまった可能性もある。もし将来役所が再開しても、少年が誰であるか誰もわからない。
つまり今の少年が何者であるかは、少年自身の言葉でしか言い表せないということだ。自分の名前、今まで何をしてきて、何を考えていたか。その生きた証を残すには、日記でもなんでもいいから記録をつけなければならない。
何より、今自分が死んでしまえば、これまで少年が会って来た人たちの最期を語れる者は誰もいなくなる。彼らが死ぬ前まで何をしていて、どんな風に死んだのか。少年が何も記録を残さないまま死んでしまったら、恐らく彼らが死んだということすらわからないだろう。
今の街にはいくらでも死体が転がっているし、それら全てが誰だったかを特定するなんてのは不可能だ。もしも将来、仮に世界が復興したとしても、残された死体の多くはそれが誰だったかもわからず「身元不明」として扱われ、そして死んだ人々の多くは「行方不明」として扱われるのだろう。
彼らが生きていたこと、そして今はもうこの世にいないことを少年は記録に残さなければならない。それが今まで多くの人たちを死に追いやり、そして助けられなかった自分に出来るせめてもの償いだった。
埋立地に戻った少年は、根城になっているショッピングモールの書店から手帳を一冊持ち出してきた。食べられない本に用事など無く、書店に立ち入る者もいなかったお陰でいくらでも日記帳やノートは残っていた。
自分用にあてがわれた空き店舗に戻ると、少年はさっそく手帳を開く。まずは自分の氏名と生年月日、住所を書いた。家族へのメッセージは書かなかった。もう少年の家族で生きている者はいない。
そして次のページには、今まで少年が出会ってきた人たちのことを、覚えているだけ書き連ねていった。彼らの名前、彼らの年齢、彼らの見た目。どこに住んでいたとか、家族の話とか。
併せて彼らとはどんな別れ方をしたのか、どこで行方不明になったとかどこで死んだと書いていく。可能性は限りなく低いがこうやって覚えているだけの情報を書いておくことで、もしもこの手帳の情報が他の人に渡った時に、遺族を探したり遺体の収容時に個人を特定できるかもしれない。
そうしていくつもの名前を書き連ねていったあと、少年は一旦手を止め、大きく息を吐いた。
これから書くことは、世界が一変してしまってからの自分の行動だ。そこには決して人に知られたくない行為や、決して褒められたことではないことも含まれている。他の誰かが知ったら、必ず少年を激しく非難するであろうことも。
だが少年は、意を決してペンを走らせ始めた。こうやって記録に残すこと、誰かに知ってもらうこと。それが今出来る自分という存在をこの世に残すことであると同時に、死んでいった人たちのことを語り継ぐただ一つの手段でもあった。
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