第一九〇話 お掃除するお話
『マスクを着けろ』
無線機に繋がるイヤホンから聞こえてきた佐藤の声を合図に、少年はガスマスクで顔を覆った。隣に立つ男たちも一斉にガスマスクを装着し、さながら宇宙人の集まりのようだった。
集まった面々は皆手に銃を携え、プロテクターや防弾・防刃チョッキで身体を覆っていた。中には機動隊の大楯を持っている者もいる。少年たちが警察署から持ち出してきた装備だ。
その背後には少年たちをここまで運んできた車両が数台、うち一台は屋根に重機関銃を備え付けた装甲車だった。ディーゼルエンジンの音で感染者に気づかれる恐れもあるため、同胞団から鹵獲した後も装甲車は今まで一度も使われることはなかった。それでも見つかる危険を押してまで市街地に装甲車を持ってきたのは、今回戦う相手が感染者ではなく人間――――――正確に言えば半分感染者、半分人間である者たちだったからだ。
ショッピングモールを根城にしていた子供たちに襲撃されつつも、どうにか少年たちは本拠地である埋立地まで帰還した。その日の内の対策会議が開かれ、ショッピングモール内に潜んでいるであろう子供たちを一掃することが夜には決まっていた。
ショッピングモールから少し離れた警察署を前進基地として使用するためには、周辺の危険要素を排除しておく必要がある。ショッピングモールの子供たちは、その危険要素の最たるものだった。ある程度の理性を残しつつも、思考も身体も感染者と同じ。そんな連中を残しておいては、警察署が絶えず襲撃に晒される危険がある。
それに人間を襲って喰う子供たちをこれ以上野放しにしておけないという事情もあった。彼らのリーダーと話した亜樹によると、既に大勢の人々が子供たちに殺されている。もしも彼らを放置していた場合、さらなる犠牲が出ることは想像に難くなかった。自分たちがその犠牲とならないためにも、子供たちの掃討作戦が実施されるのは必然と言えた。
「大丈夫か? 休んでおいた方がいいんじゃないか?」
そう声を掛けてきたのは、装甲車の屋根で機関銃を構えるハンだった。ガスマスクで顔を覆っているのによく自分が誰かわかったなと、少年は少し感心した。流石は元軍人、といったところか。
「平気です。それに今は一人でも多く人手が欲しい所でしょう?」
「まあ、それはそうだけど…」
ショッピングモールの掃討作戦と並行し、少年たちが偵察した警察署を前進基地に改築する作業も行われている。埋立地に最低限の防衛戦力を残して、戦える人間はほとんど出払ってしまっている状況だった。
子供たちと戦ってから、まだ三日と経っていない。ナイフで切り付けられ、殴られ、4階から3階へ転落し、痛めつけられた身体の回復は十分とは言えない。だが子供たちと戦ったのは少年と佐藤だけだ。経験者が少しでもいた方が、掃討作戦もスムーズに進むのは間違いない。
『前進』
佐藤の合図で、ハンの乗る装甲車が重々しいディーゼルエンジン音と共に前進を開始する。その後に少年や佐藤、千葉など、銃を持った男たちが一列に並んで続いていく。
今回の目標は子供達だが、戦闘の音に気付いた感染者に襲われる可能性もある。装甲車の後に続いて進む少年らは、互いに異なる方向を見張って子供達や感染者の襲撃を警戒した。ハンが装甲車の屋根にマウントされた重機関銃の銃口を、ショッピングモールの入り口に向ける。
『前方に動きなし』
『周辺に異常なし。本当に連中はここにいるのか?』
前回少年たちを襲撃した際には自分たちから襲い掛かって来た子供達だが、今回はショッピングモールに近づいても何の動きも見せなかった。ここに来るまでの間、一度も襲撃を受けていない。前回は彼らのリーダーが少年らを襲撃し亜樹を拉致するように命じていたらしいが、そのリーダーも死んだせいだろうか。
『俺たちにビビってるとか』
『あいつらは死の恐怖に怯えて隠れているんじゃない、俺たちを殺そうと待ち伏せしているんだ。油断するな』
能天気な声を佐藤が戒める。感染者は知性も理性も無い、だから獲物を見ればまっすぐに突っ込んでくる。だがまだ理性を残している子供たちは違う。こちらを殺すためにタイミングを見計らい、そしてその時が来たら一斉に襲い掛かってくる。おまけに自分が死ぬかもしれないということに恐怖を抱かないし、撃たれても怯んだりはしない。ある意味感染者より厄介な相手だった。
『A班、前進しろ』
佐藤の合図で、いくつかの小部隊に分けられた者たちの内、A班に割り当てられた複数名がショッピングモールの入り口に近づいていく。先頭の者は投石や矢を警戒して盾を構え、その後に太い銃身を備えたライフルのような武器を装備した者たちが続く。ハンの装甲車は入り口正面に陣取り、何かあれば重機関銃で支援を行う予定だった。
『ガス銃撃て』
その言葉で、A班の者たちは盾の陰から武器を構えた。彼らが手にしているのは、機動隊の装備であるガス銃だった。
暴動鎮圧用に使用されるガス銃は、催涙ガス弾を撃ち出すための装備だ。人間が催涙ガスを吸えば目や鼻の痛みでたちまち涙と鼻水が止まらなくなり、戦意喪失させることが出来る。感染者相手だと戦意喪失効果は認められないものの、それでも生理現象である咳やくしゃみなどである程度動きは止めることが出来ると考えられた。子供たち相手にどこまで通用するかはわからないが、潜んでいる彼らが咳をすれば居場所はわかる。
ぼん、というくぐもった銃声と共に、白煙の尾を引きながら大きなカーブを描いてガス弾がショッピングモールの入り口に撃ち込まれる。さらに数発が撃ち込まれ、もうもうと白煙が周囲一帯に立ち込める。
『上の階にも撃ち込め』
佐藤がそう言って、消音器を装着したカービン銃で上の階の窓を撃って割っていく。割れた窓ガラスからもさらに数発のガス弾がショッピングモールの中に撃ち込まれた。
「まるで害虫駆除の燻蒸だな」
少年が率いるB班の班員が呟いた。以前は害虫駆除業者をやっていたらしいが、今自分たちが相手にしているのは白アリやゴキブリではなくこちらを殺そうと襲って来る感染者もどきの子供達だ。
『奴らが外に出てきたら撃て』
流石にいきなり踏み込むわけにはいかない。ショッピングモールにガス弾を撃ち込み、少年たちは5分ほど待った。だが中からは誰も出てこない。もう誰もいないのか、それとも息を潜めてこちらが突入してくるのを待ち構えているのか。
『よし、突入する』
『内部で誰かに遭遇した時は?』
対処法は決まっていた。「味方以外は撃て」だ。中にいるのは十中八九、感染者の仲間入り寸前の子供達だけ。亜樹の他に攫われた人がいたならともかく、彼女の話を聞く限り、亜樹以前に拉致された人たちは全員子供たちの胃袋に収まってしまったと見た方が正しい。
ショッピングモール入口のバリケードは、三日前に少年らが脱出した時のままだった。人が通れる程度に道が作られ、その奥はもうもうと立ち込める白煙で様子が伺えない。
盾を持った班員を先頭に、少年らはショッピングモールの館内へ足を踏み入れた。もしかしたら罠が仕掛けられている可能性もあるため、足元や天井にも警戒を怠らない。
少年がカービン銃に取り付けたレーザー照準器を起動すると、白煙の中を赤い光線が伸びていく。床を見ると、三日前脱出する際に佐藤が射殺した子供たちの死体がいくつか残されていた。あの子たちに仲間を弔うという理性は残っていないんだろうな、と少年は思った。
『事前に通達した通りB班は4階、C班は3階、D班は2階を捜索。A班は1階の確保だ。行け』
佐藤の指示で4人ずつに分かれた4つの班が、それぞれ指定された階層へと階段を駆け上がっていく。少年が率いるB班は4階だ。自衛隊の装備であるガスマスクを身に着けているおかげで催涙ガスが立ち込めている中でも動き回ることが出来るが、いかんせんフィルター越しの呼吸で息苦しさを感じる。視界も悪く、互いに死角を作らないように動くことが重要だった。
子供たちに待ち伏せされている可能性があるのなら、建物ごと焼き払ってしまえという意見も作戦前には出た。少年も不要な避けられるのならばそちらの方がいいと思ったが、ショッピングモール内にはまだ大量の物資が残されているという亜樹の言葉がそれを躊躇させた。
子供たちはこれまで大勢の生存者を襲ってきて、喰った。無論子供たちも完全に感染者となっていない以上、人間と同じ食事をすることもある。しかし彼らの頭の中にあるのは人肉への飢えばかりで、普通の食料にはあまり興味を示すことが無かったらしい。それらの奪った物資の大部分は手を付けられることなく、今でもショッピングモールに残されているとのことだった。
それに火災が発生しても、それを消し止めることが出来ない。消防はとっくの昔に機能を停止しているのだ。ショッピングモールだけをピンポイントで焼くことが出来れば話は別だが、隣接する建物にも燃え移るのは明らかだった。街全体が大火災に襲われてしまっては、ここに前進基地を作る意味も無くなってしまう。
「前方にワイヤーあり」
少年の率いるB班で、先頭を行く盾を構えた班員がそう告げて立ち止まった。廊下は積み上げられた机や椅子で塞がれているが、店舗の中を通っていけば先に進める。だがその店舗の中には、床から30センチほどの高さに張られたワイヤーがあった。
廊下のバリケードを迂回して、店舗の中に不用意に足を踏み入れた者をターゲットとした罠なのだろう。もしかしたら単純に足を引っかけて転ばせるのが目的で張られたのかもしれないが、油断は出来ない。
「よし、援護しろ」
少年はそう告げて、隊列の一番前に立った。そしてちょうど膝ほどの高さに張られたワイヤーまで近づくと、そのワイヤーがどこへ伸びているのかを探る。
廊下に置かれたテーブルの脚に結ばれたワイヤーは店舗を横断し、壁際で上へと垂直に伸びていた。天井へと延びるワイヤーの先には、通風孔の蓋がある。本来蓋を固定しているはずのネジは穴を残して無くなっており、このワイヤーを引っかけたら蓋が外れて上から何かが振ってくるのだろう。
「どうする?」
「残しておくと後で誰かが引っかけるかもしれないし、解除するのも手間だ。遠くからワイヤーを引っ張ろう」
少年は廊下を横断するワイヤーに持参してきたロープを結び、十数メートル離れた柱の陰まで伸ばしていった。子供たちに爆発物を扱うほどの知識はなかっただろうが、万が一という可能性もある。自衛隊から入手した手榴弾なんかが降ってくるかもしれないと思った少年は、全員が安全な物陰まで後退したのを確認し、ロープを引っ張った。
ワイヤーが引っ張られ、予想通り天井から金属製の通風孔の蓋が落ちてくる。事前に床にソファーを置いたおかげで蓋が床に落ちても派手な音はしなかったが、その後に降ってきたのはいくつもの刃物だった。
「うわ…」
班員の一人がそう漏らした。落ちてきたのは包丁や先端を尖らせた鉄棒で、もしも通風孔の真下にいたのならば、頭上から降ってきたそれらの刃物が全身に突き刺さっていたに違いない。
「厄介だな」
感染者ならばこんな罠を仕掛けたりせず、正面から突っ込んでくるからそれを迎え撃てばいい。だが半分感染者となった子供たちは中途半端に知性が残っているせいで、こういった罠を仕掛けることも出来る分、感染者よりも手ごわい存在と言えた。
「前進だ」
少年がそう告げると、一行は罠に気をつけつつ再び前進を開始した。亜樹は4階にある広場に囚われていたらしく、脱出する途中で物資を集積してある店舗を見つけたとのことだった。その物資を確認することが少年たちの仕事でもある。
高い位置にあるということもあり、4階は催涙ガスがほとんど立ち込めていなかった。これではガスマスク無しで呼吸しても大丈夫だろうなと少年が思った矢先、視界の隅で何かが動いたような気がした。
「敵だ!」
その正体を確認する前に、勝手に声が出ていた。大きな観葉植物の鉢植えの陰から飛び出してきたのは、園芸用らしき斧を振りかぶった女の子だった。女の子は声を上げることもなく、まっすぐ少年たちに近づいてくる。
それと同時に通路の左右に積み上げられていた大きな段ボールの蓋が内側から開き、中から手製の弓を構えた子供が現れる。少年が先頭で盾を持つ班員の背後に隠れた直後、ポリカーボネート製の盾に矢が弾かれる硬い音が響く。
「待ち伏せだ、撃て!」
そういうが早いか少年は銃を構えると、子供たちに向けて引き金を引く。半分人間であっても、もう半分は感染者なのだ。いずれは彼らも完全に感染者と化すし、現に子供たちは人を食わないと満足できない身体になってしまっている。今の少年は、彼らを殺すことを躊躇しなかった。
だが他の班員はそうでもなかったらしい。事前に相手は子供と聞かされていたとはいえ、ぱっと見た限りでは彼らは武器を持った普通の子供にしか見えないのだ。無論襲われているとあっては身を守るための反撃は行えるし、何より今回はショッピングモール内に潜む子供たちを掃討するのが仕事だった。班員たちは少し戸惑いながらも銃を構え、盾の陰に隠れて矢から身を守りつつ、近づいてくる子供たちを撃つ。
少年は武器を構えて突っ込んでくる子供たちを容赦なく撃った。今まで散々子供の感染者は相手にしてきたし、一度は戦った相手だ。たとえ体格が小さくても、今ではどこを狙えばいいのかすぐにわかる。まず胸に二発、動きが鈍ったところを頭に一発。それで確実に殺せる。
それでも何故だか子供たちを撃っている間、感染者を殺すのとは違う感覚を少年は味わっていた。本当に彼らを殺してよかったのか、そんな考えが頭の片隅に引っかかっている。
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