第一八九話 お次はターザンときたお話
ショッピングモールの入口に設けられたバリケードの隙間から内部の用を伺ったが、中に人がいる気配はない。もっとも息を潜めてこちらを待ち伏せしている可能性もあったが、だからと言ってここでもたもたしているわけにもいかなかった。
少年は斧を構えると、釘や針金で固縛されていた木製の椅子やタンスに思い切り振り下ろす。大きな音と共に、バリケードだった家具が破壊され、木の破片が飛び散った。
二度、三度と斧を振り下ろすと、バリケードの固定が緩んで隙間が出来た。家具と家具の間にこれまたリュックから取り出したバールの先端を突っ込み、無理やり広げる。破壊音と共に固定されていた家具が床に転がり、バリケードに人一人通れるほどの隙間が空いた。
すぐさま獲物を銃に持ち替え、少年はバリケードの奥へと足を踏み入れる。ショッピングモールの天井には採光用の窓があったが、全体的に薄暗かった。カービン銃に取り付けたフラッシュライトを点灯し、少年は先へ進む。
「亜樹、どこだ!?」
大きな声で叫んだ。敵にこちらの存在と位置を知らせることになるが、亜樹の正確な居場所がわからない以上、こちらから呼びかけるしかない。佐藤の用意したビーコンも正確な距離まではわからないし、その受信装置を持つ佐藤も今は別行動を取っている。
モールの中は気味が悪いほどに静かだった。店舗は荒らされ、そこかしこに空になった食品のパッケージが捨てられており、ここで長い間誰かが暮らしていたことがわかる。
そしてカーペットに所々こびり付いている茶色い染みは、恐らく血が乾いた痕だろう。人間同士で殺し合ったのか、それとも感染者に襲われたのか。
周囲を警戒しつつ、床を撫でる。長いこと掃除など行われていないであろう床には埃が積もっており、指先が真っ白に汚れた。
床をライトで照らすと、積もった埃の上にいくつか足跡が残っていた。この足跡を辿っていけば、モールを根城にしていた連中がいた場所までたどり着けるかもしれない。もう一度亜樹の名前を呼び、返事が無いことを確認した少年は、足跡を辿って進み始めた。
足跡は階段を通り、上の階まで続いている。だがショッピングモールの階段も、内部に侵入された時に備えているのかこれまたバリケードが構築されている。だが今度は何とか通れそうな隙間があったので、少年はそこへ身体を押し込もうとした。
その瞬間、何とも言えない嫌な感覚がした。物音がしてバリケードの上を見ると、手に大きな肉切り包丁を持った男の子が一人立っている。
男の子は血走った眼を輝かせ、獣のような咆哮と共に包丁を振りかぶった。そのままバリケードから少年目掛けて飛び降りてくる。
とっさに少年は後退しながら、単発に設定したカービン銃の引き金を二度、三度と引いた。消音器で抑制されながらも腹に響く銃声がモール内に轟き、銃火に狂気を浮かべた男の子の顔が照らし出される。
銃弾は男の子の足を撃ち抜いたが、彼は床に倒れ込みながらもなお少年に這い寄ろうとしていた。その頭にとどめの一発を放ち、ようやく動かなくなったのを確認する。このショッピングモールが少年たちを襲撃して亜樹を拉致した連中の本拠地であるのは、どうやら間違いなさそうだった。
「亜樹、どこにいる!?」
階段を上り、最上階へ。様々な店舗が並ぶ廊下を駆け抜ける。シャッターが開け放たれたそれぞれの店舗には、家具店でもないのにベッドや椅子が持ち込まれており、多くの人々がこの場所で暮らしていた痕跡を残している。
絶叫と共に、柱の陰から金属バットを構えた男の子が突っ込んできた。少年が避けたバットがコンクリート製の柱を直撃し、バットがひん曲がると共に柱がひび割れ、コンクリート片が舞った。あんな怪力で頭をぶん殴られたら、たとえヘルメットを被っていても即死してしまうだろう。
弾倉内に残っていた全弾を男の子に叩き込んで黙らせたところで、「おーい」と叫ぶ女性の声が聞こえた。亜樹の声だ。
「助けに来たぞ! どこにいるんだ!?」
最後の弾倉をカービン銃に叩き込みながら叫ぶ。建物の中で声が反響しているため、声から距離や方向を推測するのは難しかった。亜樹の姿も見えず、とりあえず少年は廊下を走って亜樹がいそうな場所を探す。亜樹の声はまだ聞こえていた。
従業員用のバックヤードに繋がるドアの前を通りがかったその時、「動かないで!」という叫び声と共に少年の前に誰かが飛び出してきた。とっさに銃を構えかけ、そして相手が亜樹であることに気づく。亜樹は頭から血を流していたものの、特に大きな怪我もしていなさそうだった。
「無事か?」
「なんとか…あの子たちに食べられそうにはなったけど」
「どうやって脱出したんだ?」
「あの子たちのリーダーだった男の人に助けられて…」
階段を駆け上がってくる複数の足音が聞こえた。感染者か、それともさっきの子供達か。元来たルートを引き返せば、階段を使って一回まで下りて、そのまま入口へ向かえる。
「あの子たちは何なんだ? 頭を一発で撃ち抜かなきゃ死なないし、まるで感染者だ」
「まるで…というか、半分はそうかも」
「何か知ってるのか?」
階段へ向かう途中、亜樹は簡単に彼女が知りうる事情を話してくれた。ここのショッピングモールの生存者たちは感染した人間の死体を食べ、その結果子供達だけが半分感染者と言える存在になったこと。彼らは今まで大勢の人間を襲って食べ、そして今回亜樹も食おうとしていたこと。しかしリーダーである若い男はそのような行為を望まず、子供たちを全員死なせるために敢えて少年と佐藤に無謀な攻撃を仕掛けさせたことを。
「そのリーダーとやらは?」
「…私と話している最中に感染者になって、それで」
亜樹は襲われる前に持っていた荷物と武器を持っていた。亜樹が閉じ込められていた部屋のすぐ近くに置いてあったらしい。その若者には亜樹を傷つけるつもりはなかったのかもしれないが、それにしたって襲われた少年たちからしてみれば疫病神も同然だった。
「とにかく、早くここを出よう。佐藤さんが外で待ってる」
「さっき捕まってた部屋から出る時に、大量に物資がある部屋を見つけた。持ち出す暇もなかったけど…」
「それはここを出てから考えよう。他に誰かいたのか?」
「捕まってたのは私だけだった。あ、でもまだここには子供たちが残っているって…」
亜樹がそう言いかけた時、空き店舗の暗闇から子供が三人飛び出してきた。真っ赤に充血した目と、手にした刃物や鈍器。亜樹の言う「半分感染者」になった子供達だ。
「この野郎!」
とっさのことで対応が遅れた。少年は亜樹を突き飛ばし、銃を構えた。
何とか一人射殺したものの、残りの二人はまっすぐ少年に向かって突進してきた。背中が廊下の手すりに叩きつけられた次の瞬間、何かが壊れる金属音と共に、少年の視界は90度回転していた。
視界が一瞬暗転し、そして全身に強い衝撃と痛みが走る。視界一杯に天井が広がり、少年は自分が階下へ突き飛ばされたのだと理解した。どうやら手すりが脆くなっていたらしく、3人分の体重を一気に受けて壊れてしまったらしい。
下の階から、落下していった手すりの残骸が床に激突する轟音が聞こえてくる。幸い落ちたのは一階層分だけで済んだらしく、背負ったリュックが衝撃を和らげてくれたようだが、それでも目は回り痛みで身体を動かせない。
もしも落下位置が少しでもズレていたら、4階から1階まで真っ逆さまだっただろう。そう考えると4階から3階に落ちたことは幸運と言えたが、それを良かったと思える心の余裕は今の少年には無かった。
視界の端で、少年もろとも落下した子供たちがいち早く立ち上がり、獲物を構えて突っ込んでくるのが見えた。腰の拳銃に手を伸ばそうとしたが、上階から転落して床に叩きつけられたばかりの身体は上手く動いてくれない。
その時連続した銃声が響き、子供たちが身体から血を流して転倒した。亜樹が上の階から銃を構え、少年に近づく子供たちに向かって発砲している。
「行け!」
少年は上階の亜樹に向かって手を振った。運が悪いことに少年が落ちたのは渡り廊下の上で、そこから階段へ向かうルートはバリケードで塞がれていた。子供たちがあの場で少年を襲って下の階に突き落としたのは偶然だったのか、それとも亜樹との分断を狙っていたのか。いずれにせよ、少年は最短ルートで入口に向かうことは出来なくなった。
「佐藤さんがすぐそこまで来てる! 先に行って合流しろ!」
「でも…」
迷う素振りを見せる亜樹だったが、同じフロアに姿を見せた子供たちを見て進むことを決めたらしい。廊下を走っていく亜樹の姿を見送りながら、少年も痛む身体を引き摺って何とかショッピングモールの入り口を目指す。
いよいよもって、小銃弾が底を尽きそうだった。それを撃ち尽くしたら、後は感染者相手にはあまり威力のない拳銃でどうにかしなければならない。そうなると、可能な限り交戦は避けなければならなかった。亜樹の言う通り子供たちが半分感染者のような存在であるならば、撃たれても痛みは感じないだろうし、即死させるほどの致命傷を与えなければ動きを止めることも出来ない。
亜樹の話ではまだショッピングモールに子供がいると言っていたが、その通りだった。少年の行く手を塞ぐように、手に武器を構えた子供たちが現れる。
後ろを振り向いてもそこには子供たちがいた。廊下の前後を挟まれる形となった少年は、どこかに逃げ場が無いか周囲を見回す。
空き店舗の中に逃げ込んだところで、追い詰められて殺されるだけだ。かといって3階の高さから1階まで飛び降りたら、今度こそ死んでしまうだろう。
焦る少年の視界に、一階から伸びている枯れ木が入った。二階の天井の高さまで伸びた観葉植物の樹木は、誰も手入れする者がいなかったせいですっかり枯れてしまっている。だがてっぺんの枝葉の部分は枯れつつもまだ残っており、上手くいけばその木の幹を伝って下まで降りられるだろう。
迷っている時間はなかった。少年は銃を背中に吊るすと、ゴミ箱を踏み台にして廊下の手すりの上に立つ。そんな少年に向かって前後から斧や刃物を手にした子供たちが迫って来た。
思い切って枯れ木に向かって飛び降りた直後、子供の一人が振ったナイフの切っ先が少年を掠める。木が折れる乾いた音がフロア中に鳴り響き、少年は落下しながらなんとか木の幹を掴むことに成功した。枯れ枝に引っかけたのか頬を生暖かい血が伝う感触がしたが、とりあえず無事に木の方へ移ることが出来た。
上を見上げると子供たちが手すりから身を乗り出して少年に向かって手を伸ばしている。だがすぐにそこからでは届かないと気づいたのか、階段の方へと向かう者たちと、少年と同じく木に飛び移ろうとする子たちの二手に分かれた。手摺の上でバランスを崩した子供が真っ逆さまに1階へ落下していくのを見て、少年は急いで今しがみついている木から降りようとする。
カエルのようにへばりついた木を掴む手の力を緩め、そろそろと地上へ近づいていく。木の根元からはミシミシとかメリメリとか嫌な音が鳴っていたが、少年は聞こえないふりをした。
そんな少年に向けて、同じく上から子供たちが気を目掛けて飛び降りる。飛び降りた三人のうち、一人は飛び移るのに失敗して先に落ちた子供と一緒に地面へ真っ逆さまの運命を辿った。だが残った二人は少年と同じく木のてっぺんに飛び移ることに成功した。
だが三人分の体重を受けた枯木の強度は限界を迎えたのだろう。ばきっという大きな音と共に、急に少年の視界が傾いだ。木が根元から折れたのだ。
既に2階の高さまで降りていた少年は、意を決して倒れる木から手を放した。そしてそのまま受け身の態勢を取り、一階へ着地する。
全身がバラバラになるのではないかと思うほどの衝撃だったが、何とか耐えた。それでも普通だったら降りない高さから飛び降りたせいだ、足の裏がびりびりと痛んだ。
背後で枯木が倒れる轟音が轟き、積もりに積もった埃がもうもうと舞う。既に弾切れのカービン銃に代わり、拳銃を手に少年は入り口目掛けて走った。
「急げ!」
「早く!」
先に一階に降りていた亜樹と、どうにか外のバリケードを乗り越えて来たらしい佐藤が入り口で少年を手招きしていた。背後から複数の足音が聞こえたが、佐藤が構えた銃の引き金を引くたびに、足音が一つずつ減っていく。
一日に二回も高いところから落っこちた身体は悲鳴を上げていたが、何とか少年は踏ん張って走り続けた。背後から聞こえる子供たちの足音はもはや無くなっていたが、それでも体力の限り足を前へと進める。
「大丈夫か?」
「死にそうです」
「なら大丈夫だ、行くぞ」
もはやへとへとだった少年は亜樹に肩を貸してもらい、ショッピングモールの外に出た。その後をモール内部を警戒して銃を構える佐藤が続く。
ショッピングモール前の道路には、いくつかの死体が転がっていた。佐藤がバリケードを突破した際、射殺した子供たちの死体だった。
「これからどうするんです?」
「それはこれから決めることだ。だが、あの子たちを放っておくわけにはいかない」
少年は背後にそびえ立つショッピングモールの建物を見上げた。半分感染者になった子供たちの巣窟、そこにはあとどれだけの子供たちが残っているのだろうか。
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