第一八六話 盾の勇者なお話
色々忙しかったので3か月ぶりの初投稿です。
失踪はしません(鋼の意思)。
「え、あなたは…?」
聖職者のような黒い服を着た男。歳は20代後半と言ったところか。少し瘦せている以外は、至って健康そうに見える。
そしてその両脇には中学生くらいの子供たちが、まるで彼の付き人のように何人も並んでいた。彼らも健康そうに見えるが、何かがおかしい。言葉では言い表せないが、違和感を亜樹は覚えた。
「ここはどこ? どうして私をここへ?」
その問いかけに男は僅かに微笑みを浮かべたまま、何も言わない。沈黙が回答ということか。
代わりに彼の隣に立っていた中学生くらいの男の子が、無邪気な笑顔で答える。
「ご馳走だから連れて来たんだよ」
「ご馳走?」
私にご馳走を振舞ってくれるということか? そんな呑気なことを言える雰囲気ではなかった。何より男の子の表情は、笑っているのに不気味だった。
「それより先生、いつ食べるの? 早く食べようよ!」
「そうだよ! 私たちもう一か月も食べてないんだから」
他の子供たちも口々にそう言うが、彼らが一か月も絶食しているようにはとても見えない。だが目の前の奇妙な死体のオブジェと、不気味に笑う子供たちを見て、亜樹は嫌な予感をひしひしと感じていた。
「まぁまぁ、慌ててはいけません。それよりもこの人の仲間はどうなりました?」
「えっとね、アキラたちが殺してるはずだよ」
無邪気に殺すという子供に恐怖を覚える前に、亜樹は少年たちがどうなったのか気になった。拉致してここまで連れてきたのは自分一人、佐藤と少年の姿は見えない。
まさか殺されたのか? そんな考えが頭に浮かぶ。
「あんたたち、いったい何がしたいの!?」
亜樹はそう叫び、両手を縛るロープを解こうと暴れたが、きつく結ばれたロープはこれっぽっちも緩まなかった。そんな亜樹を見て、子供の一人が不安そうな顔を向ける。
「やめてよお姉さん、暴れたら肉が硬くなっちゃうじゃないか」
「硬くなる?」
「そうだよ。暴れた人のお肉って硬くてあまり美味しくないんだ、だから大人しくしててよ」
嫌な予感が当たった瞬間だった。こいつらは人を食っている。しかもそのことに疑問や罪悪感を抱いている様子も見えない。
こいつら人を食っている。比喩ではなく、その通りの意味で。
「先生、大変だよ!」
一人の子供が部屋に入ってくる。その口調とは裏腹に、表情は何か感情が欠落しているように見える。
「アキラたちがやられちゃったみたい。どうしたらいいの?」
「なーんだ、アキラたち弱っちいね」
「口だけじゃん」
やられたというのは、殺されたということか。仲間が殺されたというのに、妙に落ち着いているように見えるのは何故なのか? 数多くの人の死を見てきて死に慣れている――――――というには、どこか不気味だ。
「そうですか、それは残念ですね」
一方、子供達から「先生」と呼ばれた男はいたって冷静なように見える。亜樹たちを襲い、そしてその後少年たちを襲った子供たちを指揮していたのもこの男だろう。自分の命令で何人も死んだであろうことは容易に想像がつくのに、彼も淡々としている。
「じゃあ皆さん、その方々を今度は確実にやってきてくださいね」
「そいつら殺したら食べちゃっていいの?」
「ダメです。前にも言ったでしょう、食べていいのは一週間に一人まで」
先生と呼ばれた男の言葉に子供たちは不満げな顔を見せたが、「さあ行きなさい」と急かされると、ぞろぞろと部屋から出て行く。手に手に斧や鉄パイプなどを持った彼らは、今から少年たちを殺しに行くのだろう。それを何とか止めなければと亜樹は思ったが、両手を縛られている上に武器をも没収されている今、出来ることは何もなさそうだった。
「じゃあさ、干し肉にするのは?」
「それは認めましょう。さ、早く行きなさい」
「はーい。女の人の肉って柔らかくて美味しいから待ちきれないなあ」
子供たちはまるで遠足にでも行くかのように、武器を持って出て行ってしまった。部屋に残されたのは亜樹と先生と呼ばれる男だけ。
「…あんた、私を殺して食うつもり?」
亜樹は精一杯の強がりを込めて男を睨みつけた。本当のところは恐怖で身体が震えだしそうだったが、それを何とか堪えての強がりだった。
もしこの男が自分を殺そうとしても、武器もなく両手を縛られているこの状況では抵抗する術はない。それでもみっともなく泣き喚いて命乞いなんかしてやるつもりはなかった。どんな時でも最後まで戦う少年のように、自分も最後まで屈することなく戦い抜くつもりだった。
男が懐から折り畳み式のナイフを取り出し、刃を展開する。刃の下半分が鋸になったそのナイフは鋭く尖っていて、容易に人体を貫き切り裂くことが出来るだろう。
男がナイフを手に近づいてくる。刺されたらどれくらい痛いんだろうと思うと怖かったが、それでももう何度も死ぬかと思うような経験をしてきた身だ。今さら騒ぐつもりもない。
ナイフの刃が目の前に突き出され、思わず亜樹は目を閉じた。そのナイフの刃が自分を貫き、自分の意識が消失するのを覚悟した。が、一向にその時は訪れない。
手首に軽い衝撃を感じて目を開けると、さっきまで両手を縛っていたロープが無くなっていた。足元には先端を切断されたロープの切れ端が転がっている。
「あんた、何がしたいの?」
どうやらこの男がロープを切ってくれたらしい。だが何故? 人を捕えて食っているような連中が、何故その獲物をわざわざ自由にするような真似をする?
亜樹はすかさず周囲に目をやり、何か武器になりそうなものを探した。少し離れた場所に折り畳み式の椅子がある。男が銃さえ持っていなければ、あれを振り回せば抵抗できるかもしれない。
亜樹は男と向き合ったまま、椅子の方へと近づいていく。男の意図がわからない以上、安心はできない。
だが男は予想外の行動に出た。手にしたナイフを床に取り落とし、そのまま力なく座り込む。
「もう、疲れた…」
そんな言葉が男の口から漏れる。さっきまでのどこか狂気を帯びた冷静な口調とは違う、とても疲れ切った男の声だった。
「敵だ、100メートル!」
佐藤の言葉通り、ビルの陰からわらわらと武器を手にした子供たちが飛び出してきた。その内の何人かは手製と思しき弓を構えていて、少年はすかさず手にした盾を構える。
警察署に残されていた装備品のライオットシールドは、透明なポリカーボネート製で拳銃弾すら防ぐ優れものだった。佐藤がシールドを構えた少年の背後に隠れた直後、放たれた矢が二人を襲う。
「うおっ…!」
貫通される恐れは低いとはいえ、それでも透明なシールド越しに矢が飛んでくる様を見るのは気分が良いものではない。少年と佐藤は姿勢を低くしたまま、シールドに身を隠して進んでいく。
放たれた矢の何発かはシールドを直撃し、そのたびに大きな衝撃が少年を襲う。鋭利な金属片を鏃にした矢はシールドの表面にいくつものひっかき傷を残したが、貫通することなくへし折れ、地面に散らばった。
亜樹の救出に当たりシールドを持っていくことを決めたのは佐藤だが、その判断は正しかった。二人で敵地に乗り込む以上、集中砲火を浴びることは避けられない。訓練された機動隊員が持つためのシールドは重く、その上武器まで携行となるとかなりの重量になったが、今は持ってきて正解だと少年は思った。
「亜樹は近いんですか?」
「信号が強くなってる。この先にいるぞ」
ビーコンの追跡装置である無線機を手にした佐藤が答える。確かに無線機のスピーカーから発せられる電子音は、警察署にいた時よりも大きくはっきりと聞こえるようになっていた。亜樹の居場所が近いのは間違いないだろう。もっとも、拉致した連中が亜樹と彼女が持っていたビーコン入りの銃を別々の場所に置いているのでなければの話だが。
一方突然姿を見せた子供たちは、手にした武器を構えて少年たち目掛けて突進してくる。背後から弓の支援を受けた突撃だが、銃を装備している者はいないようだ。単純に銃を持っていないのか、それとも使い方がわからないのか。あるいは銃を使うには体格が幼すぎるのか。
姿を見せているのは子供ばかりで、大人は誰一人としていない。恐怖など微塵も感じていないのか、中には狂気じみた笑顔を浮かべて手製の槍を構えて突っ込んでくる者もいる。その姿が感染者と重なり、少年は吐き気がした。
彼らは誰かに脅されたり、強制されて少年たちを襲っているわけではない。自分たちの意思で少年と佐藤を殺そうと向かってきているのだ。
佐藤がシールドの陰から銃口を突き出し、引き金を引く。消音器越しのくぐもった銃声と共に、数十メートル先で子供が一人、胸を撃ち抜かれた。
致命傷でなくとも、普通の人間であれば激痛で身動きすら出来なくなるはずだ。しかし撃たれた子供はまるで痛みなど感じていないが如く、取り落とした槍を拾って突っ込んでくる。
「何なんだよこいつら…!」
少年も拳銃を抜くと、手だけをシールドの上に突き出してとにかく引金を引いた。狙いも何もあったもんじゃない射撃だが、子供たちが文字通り目と鼻の先まで迫っているこの状況では、適当に撃った弾すら誰かに当たる。それでも彼らは止まらない。
「飛び道具は潰した、とにかく撃ちまくれ!」
いつの間にか佐藤が弓の射手を射殺していたらしい、気づけば前方から飛んでくる矢は無くなっていた。少年は立ち上がり、目の前に迫っていた子供の顔にシールドを振るう。今まさに少年を殺そうとしていたのは、鉈を手にした中学生くらいの女の子だった。
重さ数キロはあるシールドの角が顔面にめり込み、女の子の鼻がつぶれ、前歯が折れる感触が伝わってくる。呻き声を上げて女の子が鉈を取り落としたが、彼女はまだ戦うつもりらしい。鉈を拾おうとする彼女に少年はシールドを持ったまま、片手で構えた拳銃を発砲する。
ロクに狙いを定める暇もなく、弾倉に残った銃弾を全て叩き込んだ。二発が胸を、一発が首筋を貫き、そのたびに彼女の身体が大きく揺れる。それでもなお立ち上がろうとする彼女の額を拳銃弾が撃ち抜くと、ようやく女の子は倒れ、動かなくなった。
地獄だ、と少年は思った。
感染者でもないのに、恐怖の色を見せることなく襲い掛かってくる子供たち。それを次々と殺していく佐藤と自分。地獄みたいな光景は散々見てきたつもりだったが、これは今までのどの経験よりも酷い状況だった。
子供に襲われるのは初めてではない。世界がこんな状況では、子供だろうと生き延びるために他人を襲って物資を奪おうとする。
だが彼らは生き延びたいという単純な欲求と、自分たち以外の人間は敵であり、油断したら自分たちが殺されるのではないかという恐怖から人を襲っていた。飢えて死なないため、そして自分たちの身を守るため。その二つが子供たちを殺人へと突き動かしていた。
だが今目の前にいる子供たちからは、そのどちらも感じられない。そこにあるのは単純に「人を殺したい」という欲求だけ。殺すために襲う。それが今少年たちを襲っている子供たちの行動原理だった。
となると、話し合いも脅しも彼らには通じない。残された道は逃げるか、それとも襲って来る脅威をすべて排除するか。
そして亜樹を助けるという目標がある以上、後者は選べない。少年と佐藤も子供たちを殺すため、引き金を引き続ける。
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