第一八三話 アサシンクリードなお話
2021年の初投稿です。
今年こそ完結させます(何回目だ)
目的地となる警察署は異様な雰囲気に包まれていた。正面玄関のポーチには事務机や椅子などがバリケードとして積み上げられ、あちこちから先端を斜めに切った鉄パイプが突き出している。そのバリケードの前には無数の白骨死体が転がっており、警察署に立てこもった人々との間で激しい戦いが繰り広げられたのだということは容易に想像がついた。
「中には誰もいないみたいだな」
佐藤が呟く。正面玄関のバリケードが一か所、大きく崩れていた。そこから感染者が署内に雪崩れ込んだらしい。
「裏の門が空いてます」
周囲を偵察していた亜樹が戻り報告する。警察署には道路に面した正門と、駐車場と繋がる裏門があるが、その裏門が空いているとのことだった。
「壊されていたのか?」
「いえ、バリケードとかはありましたが、壊された様子はないです。たぶん、中にいた人たちが脱出した際に開けたのかも」
亜樹の言う通り裏門に回ると、頑丈な鉄扉がそこだけ綺麗に開いていた。門はレールの上をスライドさせて開閉させる方式だが、無理やり押されてレールから外れたなんてこともない。
裏門の奥にある駐車場にはパトカーや救急車が乱雑に停められ、さらに壁に沿ってバリケードも構築されている。押し寄せてくる感染者を放水で一掃するためか、消防車が壁際に何台も並んでいた。
ここにも数か月の時を経て、干からび、腐り果てた白骨死体がいくつも転がっている。だが正門前に散らばっていた数と比べると、各段に少ない。
「正門が突破されて、イチかバチかの賭けで脱出を試みたんだろう。門が空いてるってことは、上手く逃げられた奴もいたはずだ」
「逃げられなかった人も…」
「いただろうな」
あの有様では中に生存者がいるとはとても思えなかったが、人間はいなくとも感染者がいる可能性はある。それに警察署には既にバリケードが構築されているから、一部を補修すれば再び拠点として機能するかもしれない。署内に人がいたということは、内部に物資が残されている可能性も高い。
「行くぞ」
佐藤が短く告げ、消音器付きのカービン銃を構える佐藤に続き、少年も銃を構えて後に続く。少し離れ、亜樹がその後を追う。
裏門から駐車場に入ると、大急ぎで署内から人々が脱出し他であろう形跡がそこかしこに残されていた。慌てて事故を起こしたのか壁に激突し、車内で運転手が事切れているミニバン。乗り込む直前で感染者に追いつかれ、殺されてしまったらしく、ドアが開いたままのバス。アスファルトの地面に薬莢が転がっている薬莢。
「待て」
佐藤が二人を手で制し、地面に転がっていた空薬莢を一つ手に取る。サイズからして拳銃弾のものらしい薬莢を、開いたままの裏口から放り込んだ。少しして、建物の中から金属がぶつかる澄んだ音が聞こえてくる。
皆が銃を構え、感染者に備えたが、一分ほど待っても中で動きは感じられない。どうやら署内には感染者は残っていないようだった。
インフラが死んで久しい上、感染者の侵入防止のためかあちこちの窓に内側から板が打ち付けられていることもあり、昼間だというのに署内は真っ暗だった。先頭に立つ佐藤がカービン銃にマウントされたフラッシュライトを点灯し、真っ暗な廊下を照らし出す。廊下にはいくつもの扉と、「交通安全課」「総務課」「生活安全課」とプレートが掲げられている。
ライトの光の輪が壁から床に移動すると、転がるいくつもの死体が照らし出される。建物の中ということもあり腐敗が遅かったのか、外の死体と違って完全に白骨化はしていない。それでも野犬などに食い荒らされたのか、手足がなかったりしているが。
死体は警官の制服と装備を身に着けたものがいくつかあるが、圧倒的に多いのはカジュアルな格好をしていたり、スーツや学生服を身に纏ったものだった。警官の死体が食い荒らされている一方、カジュアルな服装な死体には銃弾がこれでもかと撃ち込まれている。正面入り口のバリケードを破壊し、署内に侵入してきた感染者たちを警察官らが迎え撃ったのだろう。
空薬莢は裏口の方まで散らばっている。銃を撃ちながら後退していったに違いない。全滅したというわけではなさそうだ。
念のため、一階の部屋をすべて見て回る。バリケードに転用したのか室内の事務机や椅子、ソファーは全て外に出され、床には毛布やビニールシートが敷かれていた。子供用の小さな服がハンガーに掛けられ干されていたことから、避難民が生活していた部屋なのかもしれない。
そして一階を正面玄関の方に進んでいくと、死体がさらに増えた。感染者に侵入されてからもしばらくは抵抗していたのか、ロビーにソファーや長椅子を積み上げたバリケードが作られていたものの、結局それらも大した足止めにはならなかったらしい。バリケードの一角が崩れ、そこに折り重なるようにして感染者の死体が倒れている。
三階建ての警察署内を確認して回ったが、署内には感染者も生存者も残ってはいなかった。残されていたのは山ほどの死体と、そしてまだこの警察署が機能していた時に警察官たちが集めたという情報だけだった。
二階にある大きな会議室には壁一面に地図や模造紙が貼られ、パンデミック当時の警察が、混乱しつつも事態に対応しようとしていた痕跡を示していた。地図には事故が発生し道路が塞がっている場所、市民が救助を求めている場所、そして出動した警官との通信が途絶した場所が手書きで描かれている。
その隣に貼られた模造紙には、集計したらしい死者数が時刻と共に書き込まれていた。最初の方は綺麗な字で書かれていた数字も、時が経つにつれてだんだん乱雑になっていき、最後にはほとんど殴り書きになっている。それと連動するかのように死者の数字もどんどん桁を増していき、最後の行にはこう書かれていた。
「死者数:集計不能」
床に散らばるコピー紙には、ニュースサイトからダウンロードしたらしい感染状況に関する記事が印刷されている。これまでにない事態であっても、警察官たちはどうにかして情報を集め、状況に対応しようとしていたのだろう。結局、世界の誰も対応には成功しなかったわけだが。
「武器は残ってないな。警官たちが持って逃げたのか、その後で誰かが持って行ったのか」
署内を一通り見回った佐藤が、会議室に顔を覗かせてそう伝える。元々治安のいい日本の警察署に、拳銃以外に大した武器など置いてはいないだろう。パンデミック発生時は強力な銃火器を装備する特殊部隊や銃器対策部隊なども出動し、対策に当たっていたらしいが、それだって数はそこまで多くないはずだ。
「だがここに残された情報は貴重だ。彼らに感謝しないとな」
佐藤が言う「彼ら」とは、最後まで市民を守ろうと頑張った警察官たちのことだろう。彼らが集めてくれた市内の情報は、今後の探索においてきっと役に立つ。
道路がどこで塞がっているとか、どこで感染者が大量に発生しているといった情報は、自分たちの足で集めていたらきっとかなりの時間がかかっていたに違いない。
壁に貼られた模造紙やコピー紙に目を通していると、気になるものがあった。少年は画鋲で壁に留められていたコピー用紙を引っ張って外すと、佐藤に渡す。
「自衛隊の動向…?」
サインペンを使った手書きの文章には、自衛隊が栃木県以北への移動を開始していると記載している。移動を完了後、北へ通じる道路を全て封鎖して使用不能にし、そこへ安全地帯を構築する模様とある。もっとも、その下には『不確定情報』と赤字で追記してあったが。
そういえば前に救助した子供たちを引き連れた大学生のリーダー、清水も同じようなことを言っていた。自衛隊が東北地方に安全地帯を設けていて、救援が来ないのは割ける戦力がないからだと。
「これ、本当ですかね?」
「さあな。俺たちの仕事は要人の救助で、感染拡大地域の封じ込めじゃなかった。どこかに安全地帯を構築しようって動きはあったかもしれないが、少なくとも俺が司令部との交信が不可能になるまでそんな話は聞いていない」
となると、佐藤が街に取り残された後に入ってきた情報なのだろうか。少年はそのコピー用紙をポケットに突っ込むと、他の紙にも目をやる。保護した市民の数と氏名、年齢、性別。食料や水といった物資の残量。今ある武器と拳銃の残弾、等々。
時間を経るごとに手書きの文字には疲労の色が見え始め、乱雑になっていく。警察署に残った警官たちは、自分たちも逃げ出したいという思いの中、市民を守るという義務感で最後まで職務を全うしていたに違いない。
逃げた自分とは大違いだな。少年は床に散らばる紙を見てそう思った。
一方裏門周辺の警備を任されていた亜樹は、ふと何か足音のようなものを聞いた気がした。
事前の調査で周辺に感染者はいないことを確認していたが、万が一という可能性もある。足音らしきものを聞いたので確認に向かうと無線機で告げると、すぐに「了解」と佐藤から返事があった。これでもし亜樹に何かあって返事が出来なくなっても、すぐに異変を察知して佐藤たちが駆け付けてくれるだろう。
念のため短機関銃の安全装置を解除し、しっかりと銃床を肩に当てていつでも撃てる体勢を取りながら音がした方へと進んでいく。音は警察署の敷地の外から聞こえてきた。
もし感染者だったら撃つ。それ以外だったら様子を見て佐藤の指示を仰ぐ。敵だったとしても深追いはしない。亜樹は事前に決めたルールを思い出しながら、裏門からわずかに顔を外に出した。
警察署の敷地を囲む壁沿いの歩道に、人影が一つ見えた。子供の人影だ。
感染者か。そう思い引き金に指をかけたところで、亜樹はその人影からすすり泣く声が発せられていることに気づく。感染者は泣いたりなんか絶対にしない。
「子供…?」
思わず呟くと、その人影が顔を上げた。髪の短い女の子だ。年齢は小学生かそこらといったところだろうか。
あちこちボロボロの服を身に纏っているものの、その顔色は健康そのもの。やせ細っている様子も見られない。
何故感染者だらけの街のど真ん中に子供がいる? どこかに生存者がいるのか? どこからやって来たのか? 自分たちがこの警察署に入るところを見ていたのか?
色々な考えが頭に浮かんだが、まずは報告だと自分のやるべきことを思い出す。短機関銃のハンドガードを握っていた左手を腰の無線機に持っていきかけたその時、ヒュッという音と共に視界の端から何か小さな物が飛来するのが見えた。
「ごっ…!?」
直後、思い切り頭をぶん殴られたような衝撃をこめかみに受け、亜樹の意識は一瞬で暗闇に飲まれていた。意識を失う直前に見た光景は、今まで泣いていた女の子がニヤリと口角を釣り上げて笑っている顔だった。
亜樹が歩道に倒れ込んだ直後、近くのビルや廃車の陰からいくつかの人影が姿を現す。女の子とは違い、綺麗な冬服を身に纏ったそれらの人影は、音もなく倒れた亜樹のもとへと駆け寄っていく。その中の一人は、手にスリングショットを握りしめていた。
彼らは素早く亜樹が手にしていた短機関銃を取り上げると、その腰にあった無線機を取り外す。そして大柄な一人が気を失った亜樹の身体を米俵のように担ぎ上げると、その場に何人かを残してビル群の向こうへと去っていった。
その場に残った数名は、ボロボロの服を着た少女と合流すると、たった今亜樹が出てきたばかりの警察署の敷地へと足を踏み入れる。少女の手には、いつの間にか鋭い折り畳みナイフが握られていた。
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