第一八〇話 Children of Menなお話
佐藤たちが救助した子供たちは、一目見ただけで栄養状態が良くないことがわかった。どの子供も痩せこけ、途中で歩けなくなった子を担ぎ上げた者は、その身体の軽さに驚いたものだ。
聞けば食料はもうほぼ底を尽き、大人―――といっても大学の教育実習生だが―――が自分たちの食事を削ってまで彼らの空腹を満たしていたのだという。満足な武器もなく、その上子供を連れているのであれば、物資が豊富だが感染者の多い街に近づく真似は出来ない。今までは都市の郊外を中心に移動を続けていたが、そういった場所は既に先に来ていた連中が物資を根こそぎ持って行ってしまったらしく、ほとんど手に入れることが出来なかったそうだ。
「ドッグフードとかキャットフードまで持っていかれてたんだから驚きだよ」
一行のリーダー格、清水と名乗った若者は、スープを啜りながら言った。
彼らが飢えていることを知った佐藤は事前に食事を用意しておくよう拠点に連絡しており、彼らは埋立地に着くなり用意されていた食事に飛びついたものだ。といっても栄養状態の良くないものにいきなり固形物を与えてもよろしくないので、出されたのはスープやお粥といった消化にいいものばかりだったが。
そんな食事でも、子供たちは文句も言わずに口に流し込み、何度もお代わりを要求した。薄汚れ、ボロボロの服を身に纏ったその姿に、大人たちの中には涙を流す者さえいた。埋立地に子供はいないため、自分の子を思い出した者もいるのかもしれない。
一方遅れて帰還した少年と佐藤、亜樹も、子供たちの異様な風景に言葉を失っていた。彼らの目からは子供らしい輝きが消え失せ、ひたすら疲れと恐怖の色だけがその顔には見える。
「…クソッタレだな」
佐藤が呟いた。子供たちをあんな風にしてしまった今の世界を、彼は許せなかった。本来だったらまだ学校で勉強し、将来に何の不安も抱くことなく遊んでいていい年頃の子たちが、こうして飢えて傷ついている。佐藤は神の存在など信じてはいないが、もしもこの世に神様がいるのであれば、よっぽど悪趣味な奴に違いない。
「あんたらはどうして子供ばかり連れているんだ?」
「俺たちは小学校で教育実習中だったんです。学校が避難所になった時にそのまま運営スタッフとして参加していたんですが…」
各地の避難所と同じく、清水ら大学の教育実習生がいた小学校も、感染者の群れに襲われた。避難所など感染者にとってみれば獲物が大勢集まっている狩場も同然なのだから当然だった。自衛隊や警察によって手厚い警備が敷かれていた一部を除き、感染者の襲撃を乗り切れた避難所は存在しない。
清水たちは阿鼻叫喚の地獄絵図の中、どうにかして避難所からの脱出を図った。その際に、一緒に学校に避難していた生徒たちを見つけ、とっさに連れ出したのだという。
「親は一緒にいなかったのか?」
「俺たちが見つけた時は鬼ごっこをしていたみたいで…それに親とはぐれた子も結構いたようでした」
バットやバールなど武器になりそうなものを見つけ、避難所から脱出した清水ら大学生と小学生たち。しかしその後も感染者の襲撃を受ける日々は続き、最初の数日で5名が死亡したという。
「本当に地獄でしたよ。子供たちは親に会いたがって避難所に戻りたがるし、俺たちだって家族の安否を確かめたかった。でもそうはいかないでしょ? 電話は繋がらないしテレビだって映らなくなって、街中に死体が転がって…俺たちは息を潜めて暮らすしかなかった」
死体から猟銃を見つけて武器を確保し、食料もスーパーなどで集めたものの、10人を超える大所帯ではそれらもすぐになくなってしまう。おまけにまだ小学生ということもあり、勝手な行動を取ってしまう子供もいた。大学生らの目を盗んで隠れ家を抜け出し、親を探しに行ってしまった子もいる。あるいは息を潜めて暮らす生活に耐え兼ね、あるいはいつ死んでもおかしくないという状況にストレスを感じ、どこかが壊れてしまったのか、自ら命を絶ってしまう子もいた。
「子供の命に対する価値観って、俺たち大人と全然違うんですよね。子供は平気で蟻の群れを踏み潰すし、そのことに罪悪感すら感じない。自分の命だってそうだ。今の状況が嫌だから死ぬ。あるいはこれは悪い夢だから、死んだらいつものベッドの上で目が覚めるかもしれない。俺たち大人と比べて、まだ生きてきた時間が短いからでしょうかね?」
もっとも、大人も自殺しまくってることに変わりはありませんが。清水はそう付け加えた。
現状を悲観し、命を絶ってしまうのは子供だけではない。だが大人と違い、子供は生きてきた時間が短い。だからこそ自分の命も他人の命の価値も、大人と違って軽く見てしまっているのではないか。
「ここに来る前はどこに?」
千葉が尋ねると、「あちこちですよ」と清水が答える。
「とにかく一か所には定住できませんでしたからね。感染者がいたり危なそうな連中がいたり…安全な場所があっても食料がなかったら意味がないですし」
「…大変だったな」
大都市はコンビニやスーパーが多い分、人間も多かったためその分だけ感染者の数も多い。都市の中心部や住宅街から離れるにつれて感染者も少なくはなるが、元々人口が少ない地域とあって、食料などが手に入る商店の数もさほど多くはない。生存者たちは感染者に出くわすことを避けて郊外を移動していることが多く、そのため都市部以外のスーパーやコンビニからは、早々に物資が無くなってしまった。
もしも彼らが大人だけの集団であれば、危険を冒して都市部まで物資を調達に出向くことも出来ただろう。しかし清水たちには何としても守らなければならない子供たちがいた。だから食料と安全な場所を求め、あちこち彷徨うしか選択肢は残されていなかった。
「それで、これからのことなんですが…」
清水が恐る恐るといった感じで切り出す。無論、「これから」というのは今後の彼らの居場所のことだろう。
「ご迷惑でなければ、ぜひともここにいさせてもらいたいんですが…もちろん仕事はきちんとします。自分たちのことは出来るだけ自分たちで面倒も見ます」
自信なさげに言っているのは、周囲の人間が持っている銃に圧倒されているのかもしれない。助けられたとはいえ、自分たちが招かれざる客であることは自覚しているのだろう。食料だって無限にあるわけではないし、余裕も無い。そんな状況でコミュニティの人数が10人以上も一度に増えてしまったら、物資の消費速度は段違いに上がってしまう。
普通に考えれば、養うべき人数が増えることを歓迎する人はいない。だからこそ清水は、自分たちが銃を突きつけられてここから追い出されるのではと怯えているのだろう。大学生も銃こそ持っているものの、拾っただけの水平二連散弾銃だ。自衛隊の機関銃まで装備している佐藤たちが本気を出せば、あっという間に挽肉にされてしまうということは理解しているらしい。
「ねえ、良かったらその子たち、うちで面倒見ましょうか?」
「そうだ。息子が出て行ってからもう何十年も経っとるが、子供の面倒を見るくらいなら今でも出来るぞ」
食事をがっつく子供たちを見て、埋立地の住人である老夫婦が申し出る。元々開発途中だった埋立地の住民はそれほど多くはなく、住んでいるのも定年退職した夫妻や子供のいない中年夫婦などばかりだった。だからこそ子供を受け入れていいものかと佐藤は思っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
「いいんですか? ここにある物資だってそう豊富じゃない。人数が増えたらこの先大変なことになるかもしれませんよ?」
佐藤個人としては助けた彼らを再び外に放り出すのは可哀そうだと思っていたし、最初から受け入れるつ折りだったが、住民全員の同意を得られていたわけではない。一応住民たちが集まった各班の班長の同意は得られているものの、人数が増えることを望まない人間だっているだろう。
「私たちは構いませんよ。ねえあなた?」
「ああ。こんな子供たちをまた外に放り出せなんて言う奴がいたら、そいつをとっちめてやる。佐藤さん、あんたもそんな非道なことを言う輩じゃないだろう?」
だがその懸念はどうやら杞憂だったらしい。老夫婦を始めとして、住民たちが次々と子供たちの面倒を見ることを申し出てきた。皆子供が大きくなって独り立ちした世代の夫婦ばかり。子供たちが飢えてくる死んでいる様を見て、いてもたってもいられなくなったのかもしれない。
少し前までは元同胞団の連中すら受け入れようとしていなかったのに、ここまで温厚になるとは。最大の脅威である同胞団が消滅し、食料を始めとした物資もある程度余裕が生まれたからこそ、彼らにも他者を受け入れるだけの心の余裕が出来たのかもしれない。少なくともここの人たちは、子供を助けるという人間としては至極まっとうな倫理観を持っているということだ。
佐藤はそのことを再確認し、心なしかほっとしていた。もしも彼らが「たとえ子供だろうと、食い扶持を増やすわけにはいかない。追い出せ」と言っていたらどうしようかと思っていたところだ。
佐藤はこの埋め立て地で暮らす人々を、守るだけの価値がある存在だと思ったからこそ危険を冒して同胞団を倒し、こうして今も彼らのために戦っている。だが彼らが同胞団と同じ、自分たちさえ良ければそれでいいというような人間であれば、彼らを守るべき存在とは言えなくなってしまう。
「そういえばあんた、何でわざわざ危ない真似なんかしたの?」
子供たちの救助を終え、武器を返却に向かう少年の隣を歩く亜樹が尋ねる。危ない真似、というのは感染者を引き付けるため、雑居ビルの屋上に一人残ったことを言っているのだろう。
「いいだろ、別に」
「よくないよ。あの時は時間も無かったし、他にいいアイディアが出てこなかったってのもわかる。でも、何でそう簡単に自分の命を投げ出すような真似が出来るの? 下手しなくても、あんた死んでたんだよ?」
「生き残るべき存在がいるとしたら、それは僕じゃなくてあの子たちだ。あの子たちはまだ若い、未来はいくらでもある。どっちかが死ななきゃならないとしたら、僕の方がいい」
生き残るために他者を犠牲にしてきて、そのこととすらまともに向き合うことも出来なかった自分より、遥かにマシな存在だ―――少年はその言葉を飲み込んだ。少なくともあの子供たちは、これまで誰かを殺したりはしていない。少年のように罪と血に塗れた存在でもない。どっちがマトモな未来を作れるかと言ったら、それは子供たちの方だろう。
「あんたねぇ、そんなお爺さんみたいなこと言ってるけど、私と歳変わらないよね?」
「…まあ、そうなるな」
「それに生き残るべきとか死ななきゃならないとか、何バカなこと言ってんの? あのね、今も昔も、皆等しく生きていくべき存在なんだよ。命に優劣はないし、価値が高い低いって計るのも間違ってる…と私は思う」
「そうかな?」
「そうだよ。それに、あんたに死なれたら困るんだよね。あんた何だかんだで戦える人間だし」
最後のは照れ隠しだったらしい。「というわけで、もうバカなこと考えないでよ」と少年の背中を叩き、亜樹は引き返していった。
少なくとも彼女は自分のことを大事な仲間だと思ってくれているらしい。そのことがわかっただけで、なんとなく嬉しかった。こんな自分でも大事に思ってくれる人がいるという事実は、少年の心にわずかな温もりを与えた。
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