第一七三話 piece of youthなお話
目覚まし時計の無機質なアラーム音で、少年は目を覚ました。窓のない部屋の中は真っ暗で、少年は枕元に置いてあったLEDランタンを点灯した。
暗闇の中に浮かびだされるのは、無数の本が並んだ什器の数々。少年が寝泊まりしているのは、書店としてショッピングモールの出店していたテナントの一つだった。少年はそこにアウトドア用品店から持ってきた簡易折り畳みベッドを広げて、寝起きしていた。
寝具店には高級な羽毛布団や分厚いマットレスの敷かれた寝心地のよさそうなベッドがあるが、そちらは既に埋め立て地の住民たちが使ってしまっている。後からやって来た少年たちは各々使われていない店舗を寝床とするしかなかった。ショッピングモールの外には無人になったマンションもあるが、安全や管理の為纏まって暮らした方がいいという結論になり、今は捕虜となった元団員たちも含めて全員がショッピングモール内で寝起きしている。
時計の針は深夜の12時30分を指していた。少年は枕元に置いていた拳銃をホルスターに突っ込み、本棚の一つに掛けておいた予備弾倉やツールキットを収めたポーチがいくつも付いたチェストリグを身に着ける。そしてベッドに立てかけておいた消音器付きのカービン銃を手に取ると、シャッターが上がったままの出入り口からショッピングモールの通路へ出た。
吐く息が白い。昼間は太陽光発電による暖房と屋根の採光窓から日光を取り入れることで館内は暖かかったが、夜になってすっかり冷えてしまった。まだ夜間も全館で電気が使えるようにはなっておらず、住民たちは石油ストーブの暖房に頼った生活を送っている。
フラッシュライトを点灯すると、誰もいないショッピングモールの風景が照らし出される。床には紙屑や潰れた段ボール箱が散乱し、観葉植物の類は枯れ果てていた。しんと静まり返った館内に、少年の足音だけが木霊する。
埋め立て地の住民たちがショッピングモールで暮らすようになったのは、半ば必然と言えた。ショッピングモールには生活に必要な物資が全て揃っていたし、太陽光パネルのおかげで昼間は電気が使える。埋め立て地と陸を繋ぐ橋は破壊されていたため感染者が侵入してくる心配はなかったが、ショッピングモールの通用口のシャッターを下ろしてしまえば、仮に敵対的な連中が襲ってきてもある程度は持ちこたえられる。さらに電気が使えないため、マンションの住民が外に出るためには一々階段を上り下りしなければならない。
何より外から一切の情報が入ってこなくなった今、一人で過ごすのは不安だという人が多かった。電話もネットも使えず、テレビも映らない。夜になったら真っ暗な家の中で、朝まで一人で過ごさなければならない。そんな環境に耐えられる人はいなかった。
この埋め立て地は開発の途中で、完成しているものといえばタワーマンションが一棟とそれに隣接するショッピングモールくらいで、住んでいる住民の数もそれほど多くはなかったが、それでもショッピングモールには普段から多くの人が埋め立て地の内外から訪れ、また住民たちの憩いの場でもあった。
ショッピングモールの出入り口は、一つを除いて普段は全て閉鎖されている。そのうちの一つ、従業員用の通用口から少年は外へ出た。全ての経済活動が止まった街からは車のエンジン音も電車の走る音も何一つ聞こえず、波の音だけが風に乗って聞こえてくる。
放置された乗用車が並ぶ駐車場を突っ切って、橋がある方向へと進んでいく。駐車場には何台か電気自動車が並び、そこから伸びるケーブルが館内に引き込まれていた。あれらの車両は元々埋め立て地の住民が所有していたもので、今は夜間の給電用に使われていた。昼間の間に太陽光発電で駆動用バッテリーを充電しておき、夜になったらその電気を使うのだ。
しかし館内全体に電力を供給するには車両の数が足りないし、またショッピングモールの電気系統に手を加える必要もある。同胞団の拠点跡地から持ち出してきた電動車両はいくつもあるが、それはまだ対岸の陸地に置かれたままだ。破壊されずに一本だけ残された橋のバリケードの撤去が思うように進んでいないため、それらを埋め立て地に搬入するにはもう少し時間が掛かりそうだった。
「おはよう。といっても、まだ夜中だけどね」
突然背後から声を掛けられた少年は、その声を聞いて少し気が重くなった。振り返るとショートヘアが印象的な少女、礼が少年の後ろを歩いていた。彼女も亜樹たちと同じ、かつて少年が滞在していた全寮制の女子高にいた生存者の一人だ。そして少年がそこを飛び出す原因となった一つでもある。
「今日の見張り番は君と一緒みたいだね、よろしく」
「…ああ」
そう返すのが精いっぱいだった。彼女たちが慕っていた裕子を撃ち殺したのは少年なのに、礼はまるでそんなことが無かったかのように気軽に話しかけてくる。当然のこととはいえ、他の生徒の中には少年を恨んでいる者もいるというのに。
「もう春だってのに、寒いねぇ」
「ああ」
「やっぱりあれかな? 地球温暖化のせいかな? 人間がいなくなったから二酸化炭素の排出量も減って、温室効果が薄れたとか」
少年は礼の言葉に適当に相槌を打ちながら、ショッピングモールから歩いて数分のところにある、手作りの跳ね上げ式の橋を渡って対岸に移動する。いざという時はウィンチを操作して橋桁を跳ね上げ、外部からの侵入を防ぐことが出来るが、普段は橋桁が下ろされたままだ。今は橋と接する対岸地域にバリケードを構築し、安全地帯を広げていく作業の真っ最中だった。
二人がこれから向かうのも、つい最近バリケードが構築された場所だ。バリケードの向こう側は感染者が蠢く危険地帯であり、またいつ敵対的な生存者が襲ってくるかわからない。そのため交代で見張りを立て、外部からの侵入者に目を光らせておく必要があった。
バリケードの内側には建設用の足場を組み合わせて作り上げられた、高さ3メートルほどの監視塔が設けられていた。監視塔の簡単な屋根の下では、二つの人影が微かに動いていた。
「時間か、後を頼む」
少年がはしごを昇って声をかけると、人影の一つがそう返した。千葉だ。千葉と一緒にいる中年の男性は、埋め立て地の住民の一人だった。
「うう、さみぃ。見張りなら昼間が良かったなぁ」
「皆順番でやってるんだ、文句言うな」
小声でそう言葉を交わしながら、千葉たちがはしごを下りてくる。千葉は言わずもがなだが、住民の男性も腰から拳銃をぶら下げていた。もはや、自分たちは若くないから、という言い訳で戦いから逃れられる状況ではなかった。
佐藤は埋め立て地の住民に対しても、最低限の自衛はしてもらおうと考えているようだ。さすがに物資調達は体力のほかにも俊敏さが必要となるため、歳を食った連中は足手まといになる。しかし見張りや警戒くらいならばいくらでもできるはずだ。
彼らに代わり、少年と礼は梯子を上り、監視塔に上がった。バリケードに面した箇所には外部からの襲撃を想定して、拳銃弾程度ならば阻止できる程度の厚さがある鉄板が張られていた。ライフルなどで銃撃されればひとたまりもないが、敵が強力な武器を持ち出してきた場合に備え、監視塔には軽機関銃が備え付けられていた。
ただし武器の扱いに慣れていない者がうっかり引き金を引いてしまったり、何かの拍子に暴発させて銃声を響かせてしまわないよう、銃弾は装填されていない。住民らの訓練は最近始めたばかりであり、まだ銃を持ってドンバチ出来るレベルには達していなかった。引き金を引くだけで撃てるような状態にしておくと、感染者が現れた際にパニックに陥って周囲の状況を考えずに引き金を引きかねない。
監視塔からは埋め立て地へ続く海岸前の道路が一望できる。廃車で塞がれた道路の向こう側で、動くものは何もない。監視塔のテーブルに置いてあった暗視装置を手に取った少年は、それをバンドで頭部に固定し目に当てた。途端に緑色に染まった視界の仲、闇に包まれている周囲の風景が手に取るようにわかる。
「あ、雪降ってきた」
礼が空を見上げて呟いた。暗視装置の緑色の視界の中でも、何か白いものが舞い始めていた。風が吹き、頬に冷たい何かが当たる。もう春だというのに、雪が降り始めていた。
「なんでこんなに寒いんだろうね」
「さあ」
去年の今頃だったらそろそろ気温も20度を超える日が普通だったというのに、一向に気温が上がる気配はない。少年は佐藤から聞いた話を礼にも教えようかと思ったが、言ったところで何も良いことが無いのは明らかだったのでやめた。
佐藤が教えてくれたところによると、感染者の発生で世界各国が混乱の極みにある中、どさくさに紛れて他国へ核兵器をぶっ放した国があったらしい。感染者の集団となりかねない押し寄せる難民たちを丸ごと消し飛ばしたかったのか、これを機に自分たちの敵を永久に消し去ってしまおうと考えた馬鹿な政治家や軍人がいたのか。
テレビがまだやっていたころには、感染者の発生で紛争当事者国同士の緊張が高まっているというニュースを見たことがある。しかしそれもすぐに押し寄せる死者と感染者数の情報にかき消され、日本で感染者が発生してからは、他国のニュースなど一切報道されなくなった。ネットでは中東で某国が感染者対応に追われる周辺国へ侵攻を開始し、人間と感染者の区別なく他国民を殺害しているなどと噂が流れていたが、佐藤の話を聞く限りどうやらそれは本当のことだったらしい。
どこでどれだけの核兵器が使われたのかはわからない。巻き上げられた大量の粉塵でいわゆる核の冬現象が起きていて、この異常気象にそれが影響しているのかもしれない。あるいは礼が考えた通り人間の生産活動が全て止まったために温室効果ガスの排出が無くなり、気温が上がりにくくなったのかもしれない。それともそれらは全て全く何も関係なく、今年は単に寒い年だったというだけのことかもしれない。
いずれにせよ、それらは少年の手が届かない範囲で起きてしまった出来事だ。核戦争が起きていようが地球温暖化の反動だろうが、少年にはどうすることも出来ないことが原因なのであればどうしようもない。既に起きてしまって、尚且つどうしようもないことであれば、それを誰かに話したところで状況が改善されることもない。だから少年は礼の疑問には何も言わなかった。
強い風が吹き、雪が少年の頬を打つ。この量であれば、雪は積もらず朝になるまでに溶けてしまうだろう。防寒用のフリースと使い捨てカイロのお陰でさほど寒さを感じてはいないが、気温が上がってくれなければ暖房用の燃料の消費量も増える。早いところ電気を使う暖房設備を稼働させなければ、今後も短い頻度で外へ燃料調達に出なければならない。
「…ねぇ、聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
少年が燃料の備蓄量に考えを巡らせていると、彼の顔を見ることなく礼が言った。出来れば彼女とは話したくはなかった。色々な原因———一番は少年の心の弱さが原因だったのだが———が重なっていたとはいえ、少年が安全な学園を飛び出す羽目になったのは彼女のせいでもある。
だからと言って何も答えないのも失礼だし、子供っぽい。仕方なく、少年は口を開いた。
「何だ?」
「どうして何も言わずに出て行ったの?」
やっぱりな、と少年は思った。彼女たちからすれば、その疑問を抱くのは当然だ。せっかく人里離れて安全な場所にある学園から、何も言わずに出て行った少年の行動は不可解なものに違いない。
しかしあの時はいくら安全な場所であっても、あの学園は自分の居場所ではないと少年は感じていた。その理由の一つは———。
「言わなくてもわかるだろ?」
「私が君を好きだって言ったから?」
少年は無言で頷いた。あの時は色々と限界だった。暢気そうに暮らしている亜樹たちにいら立ちを覚え、そこに生まれて初めて誰かから好きだと言われた。少年はどうすればいいのかわからずにその場を逃げ出し、ここは自分のいるべき場所ではないと学園を飛び出してしまった。
今考えると、なんて自分は子供だったのだろうと思った。
「なんであんなことを? 正直言って、僕はあんたに好かれるようなことをした覚えはない」
「じゃ、私はフられたってこと?」
「それ以前の問題だ。僕は君のことをほとんど知らない。好きも嫌いもない」
礼たちと行動を共にしていたのはほんの数週間、それまで顔も名前も知らなかった相手だ。それは向こうも同じで、彼女がなぜ少年に好意を抱いたのか、理解できなかった。
一度、物資調達に出ていた礼と裕子が他の生存者たちに捕まり、人質にされたことがある。その時少年は単身彼女たちを救出に向かったが、そのやり方は余りにも血なまぐさかった。同じ年頃の敵の女の子に手榴弾を括り付けて敵のど真ん中で爆発させ、混乱しているところを皆殺しにした。投降した連中もいたが、今後の禍根を残さないために、女も子供も全員射殺した。
普通に考えたら好意を抱かれること自体がおかしいのだ。助けてくれた相手に惚れるなんて話は映画の中だけであって、女子供も容赦なく殺す相手を好きになる人間がどこにいるだろうか? 少なくとも少年だったら、助けてくれた相手が女子供も皆殺しにするような奴ならば絶対に好きにはならない。むしろ嫌いになるだろう。
「相手のことを知らなかったら好きになっちゃいけないわけ?」
「よく知らない相手を好きになったことがないもんでね」
「確かにそうかもね。でも、人を好きになるっていうことに理屈はいらないと思うよ?」
雪が降っている。地面に落ちた雪は一瞬で融け、地面を濡らしていく。
「じゃあ聞くけど、僕のどこがいいと思ったんだよ。愛想もない、態度も悪い、その上罪もない人だって殺す。…あんたらの先生だって、僕が殺した」
言ってて悲しくなってきたが、事実だった。たとえ今まで多くの人を殺してきたことを悔やんだって、殺した人たちが生き返るわけじゃない。無論、襲われて自衛のために犯した殺人だってある。だが少年は自分の安全のためという身勝手な理由で、それ以外の人々も殺しすぎた。
「先生のことなら話は聞いてる。事故だったんでしょ? 君は私たちをあの同胞団の男から助けようとしてくれたんでしょ?」
「ああ、あの男は危険だってあんたらに伝えようとした。一緒にいたらマズいと教えたかった。でも僕のやり方が悪かったせいで先生は死んだんだよ」
あの時もっと落ち着いて話が出来ていたら。焦って銃を抜くことなく、亜樹たちと話し合うことが出来ていたら。だが今更それを言ったところで何も変わらない。少年はまんまと同胞団の罠にはまって発砲してしまい、銃弾は裕子に命中した。そして少年も亜樹たちも苦しむことになった。
「君は何だかんだで私たちを助けようとしてくれた。だから私は君を良い人だなって思ったし、好きになったんだと思うよ」
「僕が君らを?」
「君が学校に来た時、私たちは外の世界の惨状をテレビやラジオを通してでしか知らなかった。もしも学校が感染者や他の生存者に襲われていたら、何の備えもしていなかった私たちは為す術もなく殺されていただろうね」
お嬢様学校の箱入り娘たちは、文字通りの意味で世間を知らなかった。備蓄されていた潤沢な食料と、ある程度の自給自足が可能な設備の数々は、彼女たちが外へ出て世界の今を確かめる機会を延々と先延ばしにしていた。
「でも君が来て、私たちに色々と教えてくれた。最初は君のこと、嫌味な奴だなあって思ったよ? 私たちのことを暢気だ世間知らずだ危機感がないだ、好き放題言ってくれちゃってって正直嫌いだった。でも君は何だかんだで、私たちがこの世界で生き延びていくための手助けをしてくれた」
最初はしばらくの間の寝床が欲しかっただけだった。でも学院に滞在している間に、少年は彼女たちに銃の使い方を教えるようになった。何丁か武器を貸し、自衛できるように技術を教えた。彼女たちと近くの村まで一緒に出向き、物資を調達した。
「おかげで君が出て行った後も、私たちは生き延びることが出来た。自分たちで物資を調達に外に出て、感染者をやり過ごしたり倒して安全を確保することだって出来た。まあ、君が出て行ってしばらくした後に、感染者の大群が押し寄せてきて学校を離れざるを得なくなったんだけど。それでもその時に誰も死なせず脱出できたのは、君が戦い方を教えてくれていたから」
今となっては何もかもが懐かしく思えるが、少年が彼女たちの下を去ってからまだ数か月も経っていない。だがその後も彼女たちは生き延びてきた。
「それに私たちが同胞団に捕まった———っていうのも変だけど、その後も私たちを助けようとして戦ってくれたんでしょ? なんだかんだで、君は他の人を見捨てられない一面があるんだよ」
果たしてそうだろうか、と少年は思った。自分は多くの人を見捨ててきた。故郷の友人も、ここに来るまでの旅の途中で出会った人たちも。自分が生き延びるために助けを求める声を無視して、時には感染者の囮にもした。
「だけど君が私たちを助けてくれたことに変わりはない。君は自分が多くの人を見殺しにしたって言うけど、もしも君と同じ状況に置かれたら、私だって同じことをするかもしれない。自分だけが悪いとあまり責めない方がいいよ」
「そうかな?」
「君は何だかんだで良い人だと思う。君は自分が大きな過ちを犯したって思ってるみたいだけど、人間なら生きている間に間違いの一つや二つあって当たり前じゃない? 自分が間違っていたことに自分で気づけただけ、君は思ってるほど悪い人じゃないと思う」
本当に悪い人間は、最後まで自分が間違ってることをしてると気づかないもんだよ。礼はそう言った。
「そういう人だから私も好きになったんだと思う。それで、返事は?」
また唐突な告白だった。彼女は本気で言ってるのだろうか、と少年は思った。もしかして自分をからかって楽しんでるだけじゃなかろうかとも。
「あの時君の返事を聞けなかったからね。別にどんな返事だろうと私は構わないよ」
そう言われても、自分の気持ちなどわからなかった。今まで生き延びることに必死で、誰かを好きになるとかそういうことを考える余裕はほとんどなかった。加えて少年は、これまで礼に関心を持ったことがあまりなかったし、彼女について考える時間も少なかった。
だが、好意を向けられるということはそう言うことなのだろう。少年も中学校時代に好きな同級生がいた。少年はいつも彼女を見ていたが、彼女からすれば少年は単なるクラスメートの一人でしかなく、それ以上の感情を抱いたことはなかったに違いない。
結局何も言えないまま中学を卒業し、その少女とは別の高校に進学することになった。もしもあの時少年が想いを告げていれば、その時彼女は初めて少年の好意に気づいたのだろうか。
「…僕は、君のことをよく知らない。だから嫌いでも好きでもない」
「それで?」
「それに今はこの状況だ。誰かを好きだとか、そういうことを考えている余裕もない。だから悪いけど、今は返事が出来ない」
「じゃあ私は、いつまで返事を待てばいいのかな?」
なんだか楽しそうだな。少年は礼の顔を見て思った。まさか自分が人生でこのようなことを言う日が来るとは思ってもいなかった。
「いつかこの状況が落ち着いたら、その時に返事をしたい。その頃まで君が僕を好きでいてくれたら、だけど」
「つまり君は、それまで自分が死なないって自信があるんだね。面白い」
この状況が落ち着く日、というのは感染者が駆逐されて安全に暮らせる日が来た時のことだ。少年は自分の罪を償うためにも、今は死ぬわけにはいかなかった。これまで殺してきた人たちよりも多くの命を救う。それが少年に残された贖罪の道だ。
「わかった、それまで待ってる。あと、一つ聞きたいけどいいかな?」
「何だ?」
「人から告白されるってどんな気持ちだった?」
「…嬉しかった、かもしれない」
相手が自分が嫌いな人間ならともかく、誰かに好きだと言われて、嬉しくならない人はいないだろう。
もしも世界が平和なままだったら、どんなに嬉しかったことか。女の子に告白されて付き合う、それは男子ならば誰もが抱く理想だ。制服を着たままデートしたり、一緒に下校したり、文化祭を一緒に見て回ったり。もしも世界が平和であれば、少年は礼の告白に有頂天になっていただろう。
だが今の世界でそれは叶わない。夕日が差す放課後の教室でたわいもない話で友達と何時間も語り合い、日が沈んだ頃先生に怒られてようやく帰ったような、あの日々は帰ってこないのだ。
少年の、いや今この日本で生きている亜樹や礼も含めた少年少女たちの青春は、残酷で血塗られたものとなってしまった。もしも世界が平和を取り戻したとして、「あの頃は…」なんて昔を懐かしむ日が来ることはあるのだろうか。
それでも、と少年は礼の横顔を見て思った。
こんな自分には不釣り合いな美人に告白されるのは、とても素晴らしいことなんだろうな。いいことばかりではない、それどころか悪いことばかりの毎日だ。楽しいことより辛いことが多い日々。
しかし少年がどう思っていたとしても、素晴らしい日々でも最悪な日々でも、この瞬間が青春の欠片となって積み重なっていき、これからの人生を構成していくかけがえのない一部となるのだろう。その一瞬にこのような体験が出来たことは、それはそれでいいことなのかもしれない。
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