第一七一話 ぢっと手を見るお話
その後も同胞団の拠点跡地への遠征は度々行われた。トラックも調達できたことで一度に持ち帰れる物資の量は増えたが、遠征に出る人間の数が絶対的に不足していた。埋め立て地の住民たちは多くが40代から60代で、若い人間に比べると動きも鈍いし何より戦う気概に欠けている。だからこそ若者たちに面倒で危険な仕事を押し付けその結果彼らの離反を招いたのだが、その気質はまだ残っているようだった。
若者たちが同胞団に寝返ってから今度は自分たちが危険な目に遭い続けてきたためか、彼らの同胞団に対する扱いは酷いものだったし、それについて何も疑問を抱いていないようだ。彼らも自分たちが生きるための仕事をしていないわけではない。だが魚釣りや菜園での農業といった命の危険がない仕事しかしない彼らを見ていると、少年もここにいた若者たちが愛想を尽かして出て行った気持ちも理解できた。
「まあ、仕方ないさ。それに彼らが外に出たところで足手まといにしかならない」
佐藤はそう言って少年を宥めた。だが安全なところにいながら危険地帯に出て行って物資を持ち帰る仕事に就く団員たちに罵声を浴びせる住民たちを見ると、少年は本当に自分が正しいことをしたのか自信が持てなくなっていた。
一方で元団員たちは、少年たちに協力するようになっていた。このままずっとマンションの一室に閉じ込められ、娯楽もなくひもじい毎日を送るよりかは、協力して少しでも外に出たいということなのだろう。当然銃は渡せないが、設備の補修や遠征での物資調達などに元団員たちは加わるようになっていった。
中には電気工事士の資格を持っていた団員もいた。彼は故障しほったらかしにされていたショッピングモールの電気系統を復旧させ、今まで置物になっていたソーラーパネルも発電に使えるようにした。また電気自動車のバッテリーとショッピングモールの電気系統を繋げて、夜間も電気が使えるように試行錯誤を続けている。
ショッピングモールには蓄電設備が無いため、昼間ソーラーパネルで発電した電気を夜間に使うということが出来ない。しかし昼間に発電した電気で電気自動車のバッテリーを充電し、夜間にはバッテリーから館内の電気系統に電力を供給することが出来れば、大変便利な生活が送れる。
何より夜間に電力が使えるというのは、生き延びる上で大きな助けとなる。電気が使えない状況では、暖を取るには何かを燃やすしかない。しかし火を使えば火災の危険があるし、何より炎でならず者や感染者たちに見つかってしまう可能性がある。
しかし電気式のヒーターであれば火災の危険は少ないし、光も発しない。これまで以上に安全に生活が出来る。電気は文明社会を送るために必要不可欠なものだった。そのため元団員たちに厳しい姿勢を取る千葉たちも、この電気設備の工事の件についてだけは団員を頼っていた。
最初の遠征から2週間ほどが経過し、同胞団の拠点に残されていた物資の大半は埋め立て地へと移送された。同胞団がため込んでいた物資の中には火災で燃えてしまったものもあったが、それでも数十人の生存者たちが半年は暮らしていけるだけの分は残っていた。
一々感染者を警戒しながら輸送するのも手間なので、いっそのこと埋め立て地を捨てて同胞団の拠点に移ってしまえばどうだという意見もあった。しかし同胞団の拠点は少年や佐藤ら、そして感染者との戦闘であちこち破壊されており、また拠点内も完全に安全が確保されていなかった。何より少年も含めて、あそこにはいい思い出を持つ者はいない。
その代わりに今後は人間や感染者に襲撃されても守り切れるよう、防衛体制を整えることにした。これまで埋め立て地の住民たちは同胞団に支配されていたこともあって、防衛体制など無いにも等しい状態だった。陸地と繋がっている唯一残った橋はバリケードで塞がれてるが、万が一反乱があった場合はすぐに同胞団が制圧できるように、すぐに動かせる程度のものでしかない。
クレーンのウィンチと鉄板を使って拵えた跳ね上げ式の橋は感染者の侵入を防ぐには十分な設備だが、その橋と繋がる陸地側には防護設備の類が一切ない。対岸に感染者がやってきてしまえば、すぐに橋までやって来てしまう。
そのため、物資の調達と並行して埋め立て地の防衛体制の整備が急ピッチで進められていた。老若男女問わずに資材を運び、バリケードを構築する作業に従事する。年齢を笠に威張り散らして若者をこき使うよりも、同胞団や感染者に襲撃を受ける恐怖の方が大きいのか、さすがに「俺たちに働かせるのか」という老人たちはいなかった。
今日も少年は跳ね上げ式の橋を渡った対岸で、バリケードを構築するための工事を担当していた。跳ね上げ式の橋があるおかげで、直接感染者が埋め立て地に侵入してくる恐れはない。だが橋のたもとに感染者が侵入してしまえば、埋め立て地との行き来が出来なくなってしまう。それを防ぐために橋に繋がる道路にはバリケードを構築して、感染者や敵対的な生存者たちが侵入してくるのを防ぐ必要があった。
使える道路を一つ残し、後は全て塞ぐ。残った一つの道路にも大きな門を設置して、遠征などから帰還した連中が橋まで直接乗り着けられるようにした。この工事が終われば、哨戒と門の操作を行うための人員を、何人か埋め立て地の対岸に配置することを佐藤は考えているようだった。埋め立て地に閉じこもったままでは、脅威が接近してきても何の手も打てない。
バリケードを作ると言っても、ブルドーザーを動かしたりミキサー車でコンクリートの壁を作ることはできない。そのため、バリケードの材料はそこら中にある廃車となった。車をバリケードを構築したい道路まで運んできて、そこでタイヤを外してしまうのだ。そうすれば簡単に道路を塞ぐことが出来る。隙間に土嚢や瓦礫などを詰め込み、鉄板などを打ち付けてしまえば、簡単に壁が完成する。
とはいえ車は一年近く放置されていたためどれも動かなくなっており、移動は人力に頼るしかなかった。工事現場の近くまでは電気自動車で廃車を牽引してくれるが、そこから先は廃車のサイドブレーキを解除した上で、押していかなければならない。土嚢作りは中高年が、廃車の移動は団員ら若者が担うことになった。
「よし行くぞ、いっせーの…!」
少年の掛け声と共に、男たちが車を押す。少年と一緒に車を押しているのは、彼に助けられた元団員たちだった。少しでも人手、それも力のある男の手を借りたい今、敵だったからといって団員たちをマンションに閉じ込めたままにしておくわけにはいかない。少年たちが見張り役となる条件で、団員たちは一時マンションの部屋から外に出ることが許可された。
逃げようとしたり、反抗的な態度を取れば武器の使用も辞さないと脅してあったのが功を奏したのか、それとも元団員たちにはそもそも逃げるつもりもないのか、今のところ特にトラブルは起きていない。元団員たちは少年の指示に素直に従い、黙々とバリケードの構築作業に汗を流していた。
少年たちが押してきた車を所定の場所に停めると、すかさずレンチを持った元団員がやって来て、車の下にジャッキを噛ましタイヤのロックボルトを外していく。タイヤ無しの車を動かすのは難しいから、仮に暴徒たちが襲ってきてもバリケードを簡単に撤去されてしまう恐れはない。逆にこちらがバリケードを解体したり移動させたい時には、廃車にタイヤを取り付けてしまえばいい。こうして設置も移動も容易なバリケードを、佐藤は対岸のあちこちに構築しようとしていた。
休憩時間になり、少年たちはめいめい手近なコンクリートブロックや廃車のボンネットに座り、一息ついていた。季節は冬だが、動いたせいで汗をかいている。団員たちが埋め立て地から持ってきたスポーツドリンク入りの水筒に口をつける中、足を引き摺った若い男性が一人、少年に近づいてきた。
「お疲れ様です。進捗はどうですか?」
肩から自動小銃を下げたその男性は、埋め立て地における佐藤の協力者であるハンだった。未だ足に後遺症があるということで遠征などには参加していないハンだったが、見張りや工事などの作業には積極的に参加していた。また、かつての仲間でもある団員たちには何か同情するところもあるのか、団員たちと埋め立て地の住民との間に入っては、彼らが無用な軋轢を生まないように奔走している。
「今のところは順調です。ただ、資材が足りるかどうか不安ですね」
「こちら側に安全地帯を作る以上は、仕方がありません。他の遠征隊が資材を回収してきてくれるそうですが…」
「…あの、ハンさん。僕の方が年下なんだから、別に敬語を使わなくても…」
日本に留学していたというハンは、数歳ではあるが少年よりも年上だった。そんな彼に敬語で話しかけられては、なんだか調子が狂う。相手がマナーもモラルもない人間であればそれ相応の態度になる少年だが、少なくともハンについてはきちんとマナーとモラルを持ち合わせた道徳的な人間だった。
「いえ、この方がいいんです。ここでの私はマイノリティですから」
「外国人だから、ってことですか? 今さらそんなことを気にしてる人がいるんですか?」
「言葉に出して色々言われることはありませんが。でも態度でなんとなくわかるんです。私、昔から自分の国と日本を行き来してたので」
「…そういえば、ハンさんはお隣の国の出身でしたね」
ハンは日本の隣国の出身だ。ハンは父親の仕事の都合で日本と故国を行ったり来たりな生活を子供のころから送っており、そのため日本語が母国語並みに話せる。高校卒業後故国に戻り、そこで徴兵で軍隊経験を送った後、日本に留学してきたのだという。
「ええ。昔は近くて遠いと言われていましたが、今では本当にそうなってしまった…」
西の空を眺め、ハンは言う。彼の母国までは、飛行機を使えば4時間足らずで行くことが出来る。ここから1時間程度で行ける羽田空港からなら、毎日のように定期便が出ていただろう。
だがもう飛行機は飛んでいない。彼が国に帰るには、日本列島を縦断して九州まで向かい、そこで動く船を見つけるしか方法がない。しかし日本中に感染者が溢れている今、そのプランはとても現実的とは言えない。
「一つ聞いていいですか?」
「なんでしょう?」
「その…今でもやっぱり自分の国に帰りたいですか?」
まだテレビがやっていたころ、ニュースでは盛んに外国の現状を中継で報道していた。その中には、ハンの母国を映した映像もあった。首都で大火災が発生し、消防士を襲う感染者を出動した軍が銃撃する。そんな映像が流れていた。ニュースではハンの母国では大量の感染者が発生し、あちこちの都市が壊滅したとと報じていた。
ハンの母国も今の日本と同じ状況だろう。感染者のせいで多くの人が死んだに違いない。街中には死体が溢れ、生き残った人々が争いを繰り広げる、そんな地獄のような世界が繰り広げられているはずだ。
それでは今の日本と何も変わらない。そんなところに帰ったところで、何が良くなるというのか。
それでもハンは、迷いのない瞳で言った。
「はい。私は絶対に生き延びて、国に帰ります」
「それは…どうしてですか?」
「家族がいますから。まだ死んだという話は聞いていません。なら、生きているって希望を持って生きていた方がいいじゃないですか」
最後に連絡が取れた時には、ハンの家族はまだ全員生きていた。その後電話もインターネットも使えなくなってしまったので、今も彼らが無事かどうかはわからない。
もしかしたらハンと連絡を取ったすぐ後に感染者に襲われて死んでしまったかもしれない。あるいは生存者同士の争いに巻き込まれて命を落としたかもしれない。
「それでも、生きているって信じてます。諦めてしまったら、そこで終わりですから。家族が生きていると信じることこそが、僕が生きるための力になるんです」
ハンはそう言って笑った。だが、少年は笑えなかった。ハンの笑顔が、余りにも眩しすぎた。
通信インフラがダウンしてしまった今、分からないことはいくらでもある。友人たちの安否もわからないまま、少年は故郷から遠く離れた場所までやって来てしまった。そしていつしか、自分の親しい人たちも、どうせ今頃死んでいるだろうと諦めてしまっていた。
少年はわからないこと、不安なこと、不確定なことがあると、まず悲観的に考えてしまっていた。今日は昨日よりも悪い日だ。だから明日はもっと悪くなるだろう。そう考えて生きていた。
だがハンはその逆だ。明日はきっと、今日よりもよくなると信じて生きている。安否がわからない家族のことだって、生きていると信じて逆に自分の生きる力に変えている。
家族の安否がわからなければ、僕もそんな前向きな考え方をして生きていられたのだろうか。少年は自分の手に目を落とした。感染者と化した母を殴り殺した時の感触は、今も手に残ったままだ。
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