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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第四部:未来へ向かって脱出するお話
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第一七〇話 呪いのお話

 二日後、二回目の物資調達のための遠征が行われた。今度は一回目と違い、車に乗っていけるので楽だった。電気自動車は駆動音がほとんどしないし、接近警報音のスピーカーを外してしまえばほぼ無音で走ることが出来る。自転車や徒歩と比べて小回りは利かないが、それでも移動で余計な体力を消耗せずに済むし、多くの物資を持ち替えることが出来る。


 伏見が物資調達に貢献したことで、団員たちの中にも比較的協力的な姿勢を見せる者が出てきていた。自分が頼りにしていた同胞団が壊滅した今、こちらに協力した方が生き残れる確率が高いと判断したのか、それとも元々同胞団を嫌っていてこれ幸いと思って協力を始めたのか。いずれにせよ人手が足りない今は、彼らを拘束し続けることに人手を割くことは出来ない。


 しかし住民たちのほとんどは、当然ながら団員たちを拒絶した。佐藤と少年が同胞団を潰すまで、彼らは団員たちに虐げられていたのだから当然だった。相変わらず団員たちは危険だから今のうちに全員殺せという過激な意見が罷り通っていたし、そうでなくても丸腰で自分たちの生活圏である埋め立て地から追い出すべきだという意見も多い。中には団員が拘束されているマンションに侵入して、これまでの恨みとばかりに彼らに暴行を働こうとした者もいた。


 同胞団に仲間を殺されたのだ。埋め立て地の住民たちが団員たちに怒りを抱くのも仕方はない。しかし今は協力して生き延びるべき時だった。埋め立て地の住民の大半が中高年で、若い男女があまりいない状況では、団員たちは貴重な人手になる。



 二回目の遠征にも、協力を申し出た団員を連れていくこととなった。相変わらず千葉たちは反対していたが、それでも人手は必要だと理解していたのだろう。両手を縛って逃げたら撃つという条件で、今回も同行を認められた。伏見については武器こそ与えられないものの、拘束は無しで佐藤たちに同行することが許可された。


 今回は一回目よりもさらに多くの物資を持ち帰ることが目的だった。そのため前回の遠征で見つけた電動トラックを確保し、大量の物資を積載して埋め立て地に戻る予定だ。ただしトラックは軽自動車ほどの小回りが利かないし、図体もデカいので、ルートは慎重に選ばなければならない。


 移動に使う電動車両のバッテリーの充電には、ショッピングモールの屋上に取り付けられた太陽光発電機が用いられた。元々ショッピングモールの駐車場には電動車両の充電設備があったし、推奨は出来ないが200Vのコンセントがあれば充電できる。ソーラーパネルから得られる電力は、電動車両数台を充電させるには十分だった。




「確かに親しい人が死んだのは悲しいことだが、その先について考える必要はない。今は死んだという事実だけ受け止めろ」


 同胞団の拠点があった倉庫街へ向かう車の中、佐藤が唐突に言った。裕子のことを言っているらしい。少年は医者から裕子の末路を聞いて以来、彼女のことが頭から離れなかった。


「埋葬すらされず、犬やカラスに遺体を貪り食われてそのままってことが当たり前なんだ。それどころか誰にも看取ってもらえず、誰にも死んだことすら知られていない人だって多い。それに比べたら、きちんと最期の様子を知っている分だけマシだ。たとえどんな最期を迎えようとな」


 外を見れば、道路の端には当たり前のように白骨が転がっている。死後に野生動物に食われ、雨風に晒され続けたためだろうか。バラバラになった骨が地面に散乱し、横倒しになった頭蓋骨が虚ろな眼窩を車列に向けていた。それもすぐに見えなくなったが、また他の白骨死体が少年たちを出迎える。


 あそこで死んだ人はいったい誰なのか、それを知る人はいないだろう。死んでいるのが誰なのか判別することすら出来ないかもしれない。DNA鑑定などを駆使すれば個人の特定はできるかもしれないが、それにはあまりにも死者の数が多すぎる。それどころか、食われたり焼かれたりして、遺体すら残っていない人だっているかもしれない。そしてその人が死んだということを伝えるべき相手すら、この世に残っているかもわからない。


「彼女の死の責任はお前にある。事故だったとはいえ、お前が命を奪ったんだ。だからそのことを忘れるな。彼女を殺したのは自分であることを忘れるな。そして生きて彼女がどんな最期を迎えたのかその頭に刻み付けて、一生彼女のことを記憶し続けろ。それがお前の責任の取り方だ」


 本音を言えば裕子の死について、忘れてしまいたかったし、知りたくもなかった。彼女を死に追いやったのが、自分が放った銃弾であることを忘れたかった。裕子が死んだことを知りたくなかった。彼女が死後、遺体を粉砕され肥料にされたことなど知りたくもなかったし、忘れてしまいたかった。そのことについて考えていると頭がどうにかなってしまいそうだった。


 だが、忘れてしまうのは許されないことなのだろう。死んだ人間は生きている人の記憶の中にしか存在できない。全ての人が死んだ人のことを忘れてしまった時、その人はこの世から消え去ってしまう。自分が存在したという事実を誰も知らない、誰にも思い出してもらえない。それはとても恐ろしいことだった。


 きっと今の世界には、そうして自分を知る人が誰も生きていないまま、死んでいった人たちが大勢いるのだろう。道端に転がっている死体の一つ一つについて、その人が誰だったか覚えている人間がどれだけ生き残っているだろうか。その遺体が誰のものなのかを知らない人にとっては、死体は物でしかない。まとめて火葬されるか埋められ、それっきり。誰にも思い出してもらえない。


 それでは余りにも悲しい。せめて人間である裕子を殺した自分だけは、彼女のことを覚えていなければならない。そして彼女を知る人がいたら、彼女が死んだことを伝えなければならない。

 当面の間、生きる理由は出来た。あまりにも悲しい理由だが。




 廃墟と化した同胞団の拠点だが、今回も感染者と遭遇することなく内部に侵入できた。前回やって来た際に、ワイヤーを張り巡らせて感染者が侵入できない場所を作っておいたのが功を奏した。


 遠征隊は大きく三つに分かれて行動することになった。武器と弾薬を確保するチームと、食料と燃料の確保に向かうチーム。そして医薬品を探すチームだ。前回の調査で持ち帰り切れなかった物資はまだまだあり、それらを確保した上で、さらに物資がこの拠点に残っているかを調べなければならない。帰りは前回見つけた電動トラックを使って、ありったけの物資を持ち帰る予定だ。


 その前にトラックを充電する必要もある。 電動トラックがあった倉庫の屋根にはソーラーパネルが取り付けられており、そこから充電ができるように同胞団の手で電気工事が施されていた。昨日と今日の二日間はずっと晴れていたから、十分充電できていることだろう。


 医薬品の調達には、少年が一人で向かうこととなった。医者は替えの利かない貴重な人材であるため、今回の遠征には同行していない。代わりに彼が使っていた医療棟の地図と、持ち出してきてほしい医薬品のリストを少年は渡されていた。ご丁寧に保管してある場所と簡単な外観のイラストが描かれているため、薬に詳しくない少年でもどれを持ってくればいいのかわかるようになっている。


 目的地の医療棟は車を停めた場所からさほど遠くなく、前回の遠征で通りがかった場所にある。そのあたりには感染者も少なく、そのため少年が一人で向かうこととなった。

 医療棟までの道程には数体の感染者がいたものの、処理はさほど難しくない。しかも群れていないため、倒すのは簡単だった。斧を片手に背後から近づき、一気にその首筋に振り下ろす。背骨が割れる嫌な感触と共に、感染者が地面に倒れて痙攣し始めた。

 倒れた感染者にもう一撃、今度は頭に斧を振り下ろす。今度こそ動かなくなった感染者を見下ろしながら、少年はこの感染者が学生だったことに気づく。ボロボロだが、ブレザータイプの学生服を身に着けていたからだ。


 生徒手帳など、何か身元が分かるものを持っているかもしれない。そう思いその死体を探ろうとして、止めた。身元を突き止めてどうする? 遺族を探し、「あなたの息子さんは感染者となったので僕が殺しました」とでも言うべきか?


 世界がこうなってしまってから、死んだ人間の次に多いのが感染者となってしまった人間だろう。そして感染者となってしまった人間は、もう人間ではない。人の形をした怪物だ。そう考えなければやっていけない。人間ではない、怪物だと思わなければ自分の身を守るために殺すことも出来ない。


 ラインは引いておくべきだった。悩むのは人間を殺した時だけ。感染者は人間でないから殺しても構わない。そうでないと気が狂ってしまう。


 少年は死体に背を向けて、医療棟に向けて再び歩き出す。感染者の死体は、いずれ犬やカラスに食われるだろう。人間以外に感染しないから動物たちも平気で感染者の死体を食べてしまう。あの死体も、すぐに誰だかわからないほど酷い状態となるに違いない。



 

 医者が常駐していたという医療棟も、荒らされた形式はなかった。団員たちは感染者と戦うのに手いっぱいで、逃げ出す時も医薬品を持ち出すという考えに至らなかったのだろう。医療棟のカギはかかっていなかったが、中には誰もいなかった。

 少年は医者に言われた通り、医薬品を持ち出した。大体の保管場所と持ち出すべき医薬品は指示されていたので、あちこち探し回ったり正しいものか悩む必要が無かったのは幸いだった。

 

 持ってきたボストンバッグには包帯やガーゼ、錠剤などを。それとは別に持ってきた保冷バッグには注射薬のアンプルや小瓶を詰めていく。薬の名前や効能については全く理解できなかったので、とにかく指示されたものを持ち出すことを最優先した。今回バッグに入らなかった分については、また今度来た時に持ち出すことにした。




 そして少年が医療棟まで来た理由はもう一つあった。医療棟の近くにある畑、そこに用事がある。

 医療棟の隣には倉庫があり、渡り廊下で二つの建物は繋がっている。元々医療棟は倉庫の事務所か何かだったらしい。医療棟で死んだ人間は、渡り廊下を使って誰にも見られることなく倉庫へ運び込まれる。


 そして倉庫には、大型の木材破砕機が一つ設置してあった。建機のレンタル会社かどこかから持ってきたのだろう。ブルドーザーのような木材破砕機の投入口は人間一人がすっぽりと入ってしまいそうなほど大きい。そしてその奥に見える固い木材を粉砕するための刃は、茶色く染まっていた。乾いた血だ。

 粉砕された木材の排出口には茶色い塊がこびりついており、床にも茶色く染まった軽石のようなものが転がっている。今は冬で気温が低いため気にならないが、きっと夏になれば一気にこの倉庫は腐臭が漂う地獄と化すだろう。

 倉庫の奥にはもう一つ、シャッターで仕切られた空間があった。中には山盛りになった土が積まれていて、こちらは開けた途端強烈な臭いが漂ってくる。同胞団が死体をリサイクルして作っていた、肥料の山だった。


 打ちっぱなしのコンクリートの床には、ダンプカーの荷台に山積みになっても積みきれないほどの土が山盛りとなって積まれている。あの山の中にどれだけの遺体だったものがあるのか。そう考えた途端、少年は耐え切れなくなってその場に吐いた。

 死体を粉砕し、肥料として再利用する。いかにもあの団長がやりそうなことだった。残念なのは、既に団長は少年が自らの手で殺していたことだ。もしも生きていて目の前にいたら、彼を木材破砕機に頭から突っ込んでやったに違いない。それほどの所業だった。

 これではもう、遺体を弔ってやることも出来ない。遺体は粉砕され、砕け散った遺骨は他人の遺体と混ぜ合わされてもはや判別することも出来ないに違いない。空っぽの棺桶で葬式を出さなければならない。


「ちくしょうめ…」


 そして倉庫のすぐ裏には、アスファルトの地面を引っぺがして作り上げられた畑があった。ホームセンターから持ってきたらしい空の肥料の袋が、バタバタと風に揺られている。

 収穫が終わった直後らしく、畑には何も植えられていなかった。それでも雑草が既に生い茂っていることから、よほどこの肥料は栄養があったのだろう。もっとも何か野菜が残っていたとしても、少年は持ち帰る気などさらさらなかったが。


 少年は畑にしゃがみこみ、土を掴んだ。手を開くと、茶色い土に混ざって何か白いものが見えた。これが裕子の骨の一部なのか、それとも他の人のものなのか、それはもうわからない。

 わかっているのは彼女が永遠に遠い存在となってしまったことだけだった。事故だったとはいえ、少年が裕子を撃った。そのせいで彼女は死に、遺体は粉砕されて肥料として畑に撒かれた。


 

 畑の隅っこに、タンポポが黄色い花を咲かせている。少年はその花を一つ茎から千切って、手のひらに乗せた。

 もう二度と会うことが出来ない人たちが、また増えてしまった。もう何人も殺しているのに、今さら一人増えてくらいで衝撃を受けるなんてバカバカしい。そう笑い飛ばそうともしたが、出来なかった。

 この事実は少年に一生付きまとい、彼を苦しめるに違いなかった。裕子もこれまで少年たちが殺してきた人々の列に加わり、墓場まで彼についてくるだろう。


 それでも今は前に進むしかなかった。

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[良い点] 主人公の独白が胸に染み入ります。 [一言] 死んだ人を偲ぶだけの話があっていいですよね。 主人公の心の成長を感じます。
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