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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第四部:未来へ向かって脱出するお話
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第一六四話 こそこそ作戦なお話

 光学照準器(ホロサイト)のレンズ越しに、俯いたまま突っ立っている感染者の後頭部が見える。少年は照準を微調整し、その後頭部に照準器の赤い光点を重ね合わせた。後は引き金を引けば、銃弾はその光点で狙った場所にまっすぐ飛んでいくだろう。だが少年は、まだ引き金を引かない。


 ざあざあと音を立てて、滝のような雨が少年の身体を打つ。被った帽子のつばから、ひっきりなしに雨水が地面へ滴っている。帽子を被っていなければ、打ち付ける雨粒と流れ落ちる雨水で、とても目を開いていることなど出来ないだろう。


 少年はカービン銃を構えたまま、頭だけを横に向けた。道路の反対側にしゃがみ込み、電柱の陰で同じくカービン銃を構える佐藤が、右手で銃のグリップを握ったまま、左手を掲げた。掲げた拳を一度開き、そして握りしめる。その後指を三本立てた。


 3カウント後に同時に撃て、という合図だった。少年は頷き、引き金に指を掛ける。少年が狙う感染者から数メートル離れた建物の中には、もう一体感染者がいた。一人でも始末しようと思えばできるが、銃声を聞かれた場合厄介なことになる。消音器の装着に加えて雨音で銃声はだいぶ薄れるだろうが、それでも注意するに越したことはない。


 佐藤の指が一本ずつ倒れていき、掲げた左手が握りこぶしになる。少年は横目でそれを確認すると、引き金を引いた。くぐもった銃声と共に、照準器の向こうで感染者の後頭部からぱっと赤いものが飛び散り、力を失ったその身体が地面に崩れ落ちるのが見えた。同時に佐藤も発砲し、もう一体の感染者もほぼ同時に倒れる。消音効果を高めるために装薬量を減らした5.56ミリ弾でも、至近距離で頭を狙えば感染者を殺すのには十分な威力を持っている。


 建物の中から他の感染者が飛び出してこないことを確認し、佐藤が左手を振った。それを合図に電柱や放置車両の陰から4つの人影が姿を現し、二体の感染者がいた建物に向かって走っていく。佐藤が彼らの先頭に立ち、少年は最後尾だ。


 かつては倉庫だったらしい建物の中には、さび付いたフォークリフトと腐りかけの木製パレットしか残っていなかった。最後に建物に足を踏み入れた少年は、すぐに背後を振り返りついてくる人影がいないか確認する。後を追ってくるものは誰もいない。人間も、感染者も。


「小休止、5分休憩」


 佐藤の発した言葉は最低限だったが、十分だった。冬の冷たい雨に打たれ続けていた彼らの体力の消耗は激しく、5分どころかいつまでも座り込んでいたい気分だった。


「なあ、これを外してくれよ。動きにくいんだ」


 黙って座り込む面々の中、両手首をタイラップで結索された青年がそう言う。彼だけは、少年たちと違って武器を持っていない。


「黙れ。文句があるならその身体ごと結索バンドをぶった切ってもいいんだがな」


 銃の様子をチェックしていた千葉がそう言うと、青年は黙り込んで縛られた腕を下した。青年は少年たちが助けた、同胞団の生き残りだった。




 少年たちが今いる場所は、かつての同胞団の拠点からさほど遠くない。拠点に残る物資回収のために自転車で埋め立て地を出発し、この近くで自転車を乗り捨て、そして今や目と鼻の先にもう誰も残っていないであろう同胞団の拠点がある。

 一緒に連れてきた同胞団の生き残りの青年の名は、伏見という。助けた団員たちは反逆を警戒し埋め立て地で拘束しているが、伏見だけは少年たちと行動を共にすることを許された。彼が有益な情報を持っていたからだ。


 まず第一に、大量の物資運搬に適した車両の在り処。続いて武器弾薬の保管所をロックしている暗証番号だ。

 同胞団は拠点への電力供給と移動のために大量の電動車両を街中からかき集めていたが、その中には一般には市販されていないバンやトラックといったタイプの商用電動車もあった。それらは宅配業者などに試験目的を兼ねて自動車メーカーから供給されていたものであり、試作品レベルの域を出ない代物だ。台数もそれぞれ数台程度しかないが、音を立てずに大量の物資を運ぶことが出来る。性能的には、同胞団の拠点から埋め立て地までは十分走ることが出来る。


 そして伏見が知るもう一つの武器弾薬保管所の暗証番号については、彼の提供した情報が本当であれば、少年たちは無駄足を踏むことになっていただろう。伏見いわく、同胞団が壊滅したあの日、千葉たちが氾濫を起こす直前に保管庫の暗証番号が変更されていたというのだ。


 反乱の際に被害拡大を防ぐため、武器保管庫のダイヤルキーのナンバーは定期的に変更されていたが、時折ランダムな時期にも変更がされるのだという。千葉たちは反乱を起こす前に武器庫の奪取を目的としてダイヤルキーの暗証番号を入手していたが、運悪くその直後に別のナンバーに変更されていたらしい。

 それが事実であれば、せっかく拠点に辿り着いたとしても、何も出来ずに帰ってくる羽目になっていただろう。武器弾薬を収めているのでドアを吹っ飛ばす、というのも現実的ではない。バーナーなどで焼き切るという方法もないではなかったが、感染者の溢れる拠点内で一秒でも長居するわけにはいかなかった。


 その感染者も、拠点にどれだけ残っているのかはわからない。生き残り、脱出した団員を追って拠点から離れていった個体もいるだろうが、大多数はそのまま拠点に留まっていると少年たちは見ていた。

 感染者は獲物となる人間を見つけた時以外は、体力を温存するためかあまり動き回らない。こういった雨の日であればなおさらだ。雨に打たれて体力を消耗しないためか、建物の中に感染者が移動することも多い。おかげで外を移動するのはさほど困難ではないが、屋内に足を踏み入れる時は慎重にならなければならない。


 道路上に、死体が一つ転がっている。風雨に晒されて干からびたものではない、真新しい死体だ。感染者か、ここまで逃げてきたものの殺された団員なのか。それがわからないのは、死体が酷く損傷しているからだ。

 顔の肉は食い千切られ、手足はほとんど骨に肉がこびりついた状態になってしまっている。恐らく野犬に食われたのだろう。ぐちゃぐちゃになった死体から少し離れたところでは、今まさにもう一つの死体が野犬の群れに食われているところだった。


 口の周りを真っ赤に染めた犬たちは、元は人間に飼われていたのだろうか。10頭ほどの群れが、死体に群がってその肉を貪っている。ほとんど骨だけになった死体の方にも数羽のカラスが舞い降りてきて、頭蓋骨にわずかに残った肉をつつき始めた。

 見慣れた光景とはいえ、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。そういえば犬や鳥は感染しないのだろうか、と少年は思った。感染者の死体を食っている野犬は時折見かけるが、それで何か異変が起きたようには見えない。もっとも、元が凶暴な野犬であれば、感染したところで何も変わらないだろうが。

 その野犬も感染者に食われている。人間や感染者の死体を食べて育った野犬を感染者が食い、その感染者の死体をさらに野犬が…と、奇妙な食物連鎖だった。


 それとも、これがこれからの自然の姿なのだろうか、と少年はぼんやりと思った。既に人間は地球の覇者ではない。感染者にその座を取って代わられたが、感染者が生殖活動をしないのであれば遠からず滅び去るだろう。その後は、人間たちのいなくなった地球で動植物が栄えていく。かつての文明の痕跡は自然の中に飲まれ、跡形もなくなる———。


「5分経った、出発だ」


 佐藤の声で、少年は物思いに耽るのをやめた。野犬の群れはなおも死体を貪っていて、食われて脆くなり千切れた腕を巡って、数頭が争っているのが見える。

 人間と動物が違うのは、言葉を使って話し合うことで出来る点だ。だが言葉を使っても争いが無くならないのであれば、人間は動物と同じだろう。再び外へ出た少年たちの身体を、たちまち冷たい大粒の雨が叩く。たちまち体温が下がっていくのを感じながら、少年たちは大きなリュックを背負い、同胞団の拠点の方へ向かって歩き出す。

 犬たちは少年たちのことなど興味もないといった感じで、なおも死体に夢中になっていた。




 拠点に近づくにつれて、地面に転がる死体の数が増えていく。その中には少年たちが脱出する際に、撃ち倒した感染者のものもあった。血はすっかり雨で洗い流されていて、重機関銃で手足を吹き飛ばされた感染者の死体が、打ち捨てられた壊れたマネキンのように見えた。

 火災はとっくに鎮火していたが。なおも焦げ臭い臭いが漂っていた。外から見た限りでは、拠点となっていた倉庫街で動くものは見えない。


「待て」


 早速乗り込もうとした千葉たちを佐藤が制し、開いたままの北門に向かって石ころを放り投げた。石は大きくバウンドしながら転がっていったが、あまり大きな音は出なかった。雨音が邪魔しているのだ。


「どうします? 大声で叫んでみますか?」

「お前が一人でやるんなら止めはしないがな。離れたところから音で誘き出すのは無理か。危険だが、警戒しながら前進していくしかない」


 もしも感染者が近くにいれば、石が当たった音で外に飛び出してくるだろう。しかしそれよりも雨音の方が大きい。

 佐藤を先頭に、その後を千葉たち、最後尾を少年が固め、少年の前を両手を縛られた伏見が歩く。ポンチョを被っているものの隙間から雨が入り込み、身体から体温を奪っていく。


 佐藤が左手を握り、上に突き出した。「止まれ」の合図だ。一行はそれぞれ手近な物陰に隠れ、少年も伏見を近くにあったさび付いたトラックの陰に引っ張り込んだ。佐藤がアスファルトの欠片を拾い上げ、ドアが開いたままの建物に向かって投げつける。開きっぱなしのドアの窓ガラスが割れ、すぐに中から感染者が飛び出してきた。


 音を聞いて獲物がいると思ったのだろう。口の端から涎を垂れ流す感染者は血走った眼を見開き、顔を左右に振った。だがその視線が少年らのいる方に向く前に、佐藤が引き金を引く。数メートル離れた場所からでも僅かに銃声が聞こえ、頭長部付近に拳大の穴が開いた感染者の身体が、ゆっくりと倒れる。地面に倒れた時の音は、雨音でかき消されて聞こえなかった。

 少年も銃を構え、しばらく待った。が、続いて他の感染者が飛び出してくる気配はない。恐らく、あの建物の中にいたのは今倒した一体だけなのだろう。佐藤は再び「前進」と手信号で告げ、今まさに感染者が飛び出してきたばかりの建物に足を踏み入れる。


 少年は首から紐でぶら下げたビニール製の袋から、厳重にパッキングされた手書きの地図を取り出した。今彼らが足を踏み入れようとしているのは、地図では「燃料庫」と記載されている建物だった。厳密にいえば、倉庫と言った方が正しいかもしれない。

 燃料庫とはあるが、車両への給油用ガソリンを保管している場所で、規模としては小さい方らしい。可燃物である燃料を一か所に集中させておくのも大変危険なので、こうやって目的ごとに各所に分散して備蓄していたようだ。拠点の出入り口から一番近いところにある燃料庫が火災で炎上していなかったのは、幸運だったと言っていいだろう。


 倉庫の中は薄暗く、先頭を進む佐藤が銃に取り付けられたフラッシュライトを点灯する。廊下には頭を撃ち抜かれた感染者の死体と、光を反射してきらめく空薬莢が転がっていた。この拠点が襲われた時に、燃料庫を訪れていた団員がいたらしい。


「持ち出されてなけりゃいいんだが」


 しかし佐藤のその言葉は杞憂だった。倉庫の扉を開けると、だだっ広い空間のど真ん中に並んだドラム缶の群れが少年たちを待ち受けていた。

 ドラム缶の数は50を下らないだろう。これだけあれば車を動かすには十分だ。しかし、数十人の人間が暖を取るには心許ない量だった。同胞団も感染者たちから逃げるのに手いっぱいで、重いドラム缶を持ち出そうとする人間などいなかったのかもしれない。


「とりあえず、今回はこれだけでも持って帰ろう。このままじゃ皆凍死する」


 燃料は確保した。だがこれを持って帰るためには、輸送用のトラックを確保しなければならない。電動の乗用車では、頑張っても室内にドラム缶を2本積むのが精いっぱいだろう。それではここにある分を持って帰るだけでも何十往復もしなければならないが、トラックがあれば一度に運ぶのは容易だ。伏見は電動トラックがあると言っていたが、それが無かったり使えなければ、最悪の場合は普通のトラックを使ってここから脱出することになるだろう。


「ここから近いのは…食糧庫か」

「ちょうど武器弾薬保管庫との間にあるな。そこも見ておこう。市川、お前はここに残って他の奴が入ってこないか見張るんだ。発砲は避けろ」


 市川と呼ばれた千葉の仲間を残し、一行は続いて食糧庫に向おうとした。そこには埋め立て地の住人や、他の生存者から略奪してきた食料が残されているはずだった。


「なあ、わざわざ危険を冒してここに食料を取りに来る必要はあるのか? 全員で釣りをすればいくらでも魚くらい取れるだろ。海は近いんだし」


 伏見がそう言うと、佐藤は足を止め、彼を睨みつけて冷ややかに言った。


「お前天才だな。お前が数十人を養えるだけのデカい魚を毎日釣れるってんならそうすべきだろうな。武器弾薬や燃料の確保、壊れたバリケードの補修もやらず、見張りも何もかも放り投げて、雨の日も雪の日も全員で朝から晩まで岸壁で釣り糸を垂らして、魚だけ食って必要な栄養が全て取れるってんならわざわざ危険な真似をしてまで食料調達に来る必要はないな」


 それは長閑な光景かもしれないが、命がかかっているとなるとそうも言えない。休日に趣味として釣りを楽しむのと、数十人の腹を毎日満たすために行う漁業は違う。一日に小さなハゼが一匹、なんて食事を続けるようでは、あっという間に全員飢えて死ぬだろう。


「漁船で沖まで出れば、デカい魚がたくさん釣れるだろ」

「かもな。沖まで出られる漁船は、パンデミックの時に自衛隊に軒並みぶっ壊されてることを考えなければそれもできるだろうな」

「手漕ぎボートを使えばいい。それくらい残ってるはずだ」

「海上保安庁も何も機能していないのに? 誰も救助に来てくれないのに、小さな手漕ぎボートで海に乗り出そうと思うか? できるんならお前がやってみろ、流されてあっという間に遭難確定だろうがな。とりあえずお前が漁業を舐めてるってことだけはよくわかった」


 佐藤は諭すように言った。


「今までお前らは他人から奪ったモンを食ってるだけだったからわからないのかもしれないがな、食料を入手するってのは大変なことなんだぞ。農業にしろ漁業にしろ畜産業にしろ、たくさんの人の腹を満たすには大変な苦労が伴う。パンデミックの前は金さえ出せばいくらでも飯が食えた、それは多くの人が俺たちの胃袋を満たすために働いていてくれたからだ。その人たちがいなくなった今、俺たちは危険を冒して残された食料を見つけてくるしかない。農業なんて素人集団がやったところで、すぐに結果が出るわけじゃない。漁業は平和な時ですら毎年死人が出るような危険な仕事だし、畜産は飼料を食わせたり家畜の体調管理で休む間もない」


 昔は金さえ払えば何でも買えた。コンビニやスーパーにはいくらでも食料品が並び、消費期限が来たら捨てられる。食料品を手に入れるのは簡単だ、と少年は思っていた。だがそれは顔も知らない誰かが汗水を垂らして研究を重ね、高額な機器や設備、高性能な肥料で大量の食糧を効率的に生産する方法を維持していたからにすぎない。それが出来なくなった今、素人が彼らの真似をしたところで絶対に上手く行くことはない。


 これまで略奪で自分たちの腹を満たしてきた彼らは、そのことを理解していなかったのだろう。同胞団にとって食料は苦労して作ったり調達してくるものではなく、銃を突きつけ人を殺せば簡単に手に入るものでしかなかったのだ。


「自分の命を大事にしたいなら、その考えを捨てろ。でないとお前が怒り狂った埋め立て地の連中にリンチされても、俺は何も言えん」


 佐藤がそう言うと、伏見は不貞腐れたような顔をして黙り込んだ。彼を助けたのは本当に正解だったのか、と少年は思った。助けられてもなおあのような傲慢な考えを持っているのであれば、そのうち本当に反乱を起こしかねない。千葉たちの言っていたことが現実になってしまう。


「それにしても、佐藤さんがあそこまでムキになるのって初めて見ましたよ。意外でした」

「俺は漁村の出身でな、親父が漁師だった。その上貧乏だったからな、だから漁業を甘く見てる人間を見ると腹が立つ」

「…ご両親は?」

「親父は俺が高校に入学する前に仕事中遭難して行方不明、お袋は俺が自衛隊に入る直前に病気で死んだ。だから俺の家族を心配する必要はない」


 それだけ言うと、今度は食糧庫目指して歩き出す。少年も佐藤の意外な過去に何も言えないまま、彼の背中を追うしかなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 佐藤の意見は基本的に正しいんでしょうけど、長く生き残るつもりなら結局は農業等に手を出さないといけないでしょうね。 ゾンビ襲来前から存在した食料は数年後にはほぼ尽きるでしょうし。
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